娘の麗子を描いた肖像画シリーズは、岸田劉生のスタイルが変化していく様を感じられる作品でもあります。
晩年は、腎臓炎や胃潰瘍、尿毒症などさまざまな疾病を併発し、若くして亡くなってしまった劉生。
38年という短い人生を情熱的に生きた劉生が娘の麗子をどのような思いで描いていたのかを探っていきましょう。
目次
娘の麗子の肖像画を描き続けた岸田劉生
劉生は、多くの名作を残しながらも波乱万丈で短い生涯を送った洋画家です。
大正から昭和にかけて活躍した画家で、パリの前衛的な芸術家ら影響を受ける画家が多かった時代に、北方ルネサンス絵画や中国の古典美術、日本の浮世絵などから影響を受けつつ、独自の画風を確立させていきました。
代表作の『麗子肖像(麗子五歳之像)』は、劉生の長女である麗子の5歳のころを描いた肖像画です。
また、麗子の肖像画シリーズの最初の1枚でもあります。
制作当時、麗子は数え年で5歳、実際には4歳半の年齢でした。
以後、劉生は亡くなる半年前に描いた『麗子十六歳之像』まで、11年間さまざまな麗子を描き続けました。
だまし絵的な要素が取り入れられている『麗子肖像(麗子五歳之像)』とは
作品名:麗子肖像(麗子五歳之像)
作者:岸田劉生
制作年:1918年
技法・材質:油彩・キャンバス
寸法:45.3×38.0cm
所蔵:東京国立近代美術館
『麗子肖像(麗子五歳之像)』は、劉生が初めて手掛けた麗子の肖像画です。
この作品を制作する前、劉生はデューラーの色刷りに強い刺激を受けており、濃緑色の背景や金色の装飾文字、正面向きの人物画、右手のポーズなどから、大きな影響を受けていたことが分かります。
劉生は、デューラーの作品をみた当初、到底およばないと絶望的な気持ちになっていましたが、デューラーの深さに辿り着くために何度も繰り返し制作をすると決心し、その結果、多くの麗子像制作やお松像制作につながったと考えられるでしょう。
麗子の肖像画は、『麗子肖像(麗子五歳之像)』だけではありません。
その後に描かれた作品では、少しずつスタイルが変わっていくのも魅力の一つで、顔とおかっぱ頭の横幅が次第に広がっていったり、身体はさらに縮まり現実離れした体型になっていったりと、一つひとつ特徴が変わっていく様子を比較してみるのも楽しみ方の一つです。
麗子肖像(麗子五歳之像)に描かれているのは一人の麗子ではない?
劉生は『麗子肖像(麗子五歳之像)』を描くのに20日~30日ほどかけています。
完成が遅くなったのは、デューラーの色刷りをみて、人間が違う、主観そのものの深さが違うのだと落ち込み、制作が休み休みになってしまったためです。
しかし、気持ちを立ち直らせ、20日~30日かけてようやく完成させたのです。
肖像画の完成までに時間が経っていることからも、描かれた麗子が一つのタイミングのものではないと予想ができます。
実際に『麗子肖像(麗子五歳之像)』は、何日ものあいだに劉生がみた麗子を合成して描いた一種のフィクションの肖像画です。
デューラーからの影響を受けながら描かれた作品ですが、デューラー作品との違いももちろんあります。
一つは、大きな頭と短縮して描かれた上半身の表現方法で、この作品以降の麗子像にも採用されているプロポーションです。
細長い楕円形をかぶせたような姿は、デューラーの描く頭が小さく肩や胸が大きい絵とは大きく異なっています。
このようなプロポーションで描いた理由としては、詳細に描きこまれた頭部と衣服、不自然に小さい身体の組み合わせが、違和感を生み出すとともにあるはずのないものがリアルにそこに存在しているような、不思議な感覚を生み出すためといわれています。
だまし絵風の額縁により生まれる効果とは
作品の人物だけではなく、周りの装飾部分にも目を向けてみると、麗子の頭上にはアーチ状の額が描かれており、全体をよく見てみると「額に入った麗子の絵」を描いた絵であることが分かります。
額縁がだまし絵風の効果を生み出し、絵を描いた作品と錯覚させる工夫がされているのです。
濃緑色で描かれた背景は、向かって左下が暗くなっており、右から光を受けている麗子の影が薄く落ちている様子が表現されています。
影に注目して作品をみてみると、麗子が立体的に浮き上がり、キャンバスの面から少し前に出てきているように感じられます。
しかし、額縁を意識してもう一度見てみると、麗子は額の後ろに引っ込んでしまうのです。
描かれた麗子が三次元と二次元を行き来しているような、不思議な感覚を味わえる作品といえます。
麗子の肖像画は一つではない!晩年に至るまでスタイルの変化を楽しめる作品
今回紹介した『麗子肖像(麗子五歳之像)』は、劉生が娘の麗子を描いた作品です。
劉生が麗子を描いたのはこの作品だけではなく、亡くなる半年前まで描き続けています。
そのため、麗子像は劉生の画風やスタイルの移り変わりを辿れる作品でもあるのです。
劉生は、モチーフがもつ内なる美に注目した画家で、存在の神秘性を引き出すことを意識して作品を描いていました。
また、東洋美術や肉筆浮世絵がもつ世俗的で濃厚な作風にも強い関心を寄せていました。
そんな劉生が描く作品たちの変化を楽しみたい方は、多くの作品を時系列に沿って鑑賞するのもよいですが、麗子像の作品を通してスタイルの変化を比較してみるのもお勧めです。
画家となった当初、印象派のように屋外で風景画を描いていた劉生が、後期印象派の作風や主観と投影させる近代的なスタイルに衝撃を受け、その後北方ルネサンスの技法や発想を学び自身の作品に取り入れていく様子を、麗子像作品を通して想像してみましょう。