夫婦やカップルに対して使われる比翼連理という言葉は、『源氏物語』にも登場する歴史のある表現です。
中国で書かれた『長恨歌』に由来する比翼連理の意味や由来、『源氏物語』との関係などについて理解を深めましょう。
目次
源氏物語に登場する「比翼連理(ひよくれんり)」
男女の仲を表すのに使われる「比翼連理」は、見た目からは意味を想像しにくい表現です。意味や由来、源氏物語での使用例を押さえておきましょう。
「比翼連理」とは
比翼連理(ひよくれんり)とは、仲睦まじい夫婦の様子を、空想上の鳥や植物に例えた表現です。
比翼連理の由来となったのは、比翼の鳥と連理の枝。
比翼の鳥とは、羽と目を1つずつしか持たない空想上の鳥で、オスとメスがペアで飛ぶとされています。
一方、連理の枝とは、隣り合った2本の木の枝や根が絡み合い、まるで1本の大木のように見えるという中国の伝説上の植物です。
どちらも2つのものが合わさって1つのものになっていることから、相思相愛の関係にある夫婦や婚約中の男女などに使われる表現として定着しました。
源氏物語では『長恨歌』に登場
平安時代に紫式部(むらさきしきぶ)によって書かれた長編小説『源氏物語』にも比翼連理が登場します。
比翼連理が四字熟語として使われるようになったきっかけとなったのが、中国の詩人である白居易(はくきょい)による詩『長恨歌』です。『長恨歌』を収めた白居易の詩集『白氏文集』は、当時のベストセラーでした。
『源氏物語』の中でも『白氏文集』は何度も言及されています。
特に源氏物語の冒頭の章である「桐壺」では、『長恨歌』の中の比翼連理について触れた部分が語られています。
源氏物語の主役である光源氏の父、桐壺帝と更衣が、身分の違いを超えて深く愛し合う様子を表す表現として、比翼連理が用いられているのです。
比翼連理という表現が、1000年以上前の平安時代から使われていたことを示す例です。
平安貴族のたしなみであった白居易の漢詩
白居易は、8世紀から9世紀にかけて、唐と呼ばれていた中国で活躍した詩人で、白楽天と呼ばれることもあります。
白居易の漢詩は、日本にも伝わり、平安時代の貴族の間で人気となりました。
11世紀に成立したとされている『源氏物語』も白居易の影響を強く受けています。
白居易、『長恨歌』とは
白居易は、中国で官僚として働きながら多くの詩を残しました。彼の作品は、分かりやすく平易な言葉を使いながら情景を美しく表現したものが多かったため、多くの人に愛されました。
白居易の代表作とされる『長恨歌』は、唐の皇帝である玄宗と絶世の美女・楊貴妃との恋を描いた叙事詩です。2人の出会いから身分違いの恋、楊貴妃の死後に嘆き悲しむ玄宗の様子などが120編にわたって描かれています。
白居易が平安貴族や源氏物語に与えた影響
『長恨歌』が含まれた白居易の文集『白氏文集』は、平安時代に日本に伝わり貴族たちの愛読書となりました。紫式部は、当時としては珍しい、漢文や漢詩の教養のある女性でした。平安時代において漢籍は男性が学ぶものとされていたためです。しかし、紫式部は幼少期に父から弟とともに漢籍の講義を受けていました。そのため、紫式部が書いた『源氏物語』には、白居易の影響が随所に見られます。
たとえば『源氏物語』の主人公は、天皇と桐壺の更衣と呼ばれる女性の間に生まれた光源氏です。後宮で働く女性の中でも特に身分が低い更衣と、天皇との恋愛という設定は、『長恨歌』をベースにしていると言われています。
紫式部の教養の高さが垣間見える、源氏物語
紫式部が記した『源氏物語』には、白居易の有名な叙事詩『長恨歌』に影響を受けたと考えられる設定や描写が少なくありません。
特に冒頭の「桐壺」の章では、桐壺帝と更衣の関係を比翼連理に例えるなど、『長恨歌』を参考にした部分が多く見られます。
紫式部は、幼い頃から漢文や漢詩の読み書きを得意としていたといわれています。もちろん、当時の貴族の間で流行していた『白氏文集』にも目を通していたでしょう。
『源氏物語』は、そうした紫式部の教養の高さが垣間見える作品です。