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平安時代、貴族はどんな暮らしをしていた?
貴族と庶民にはっきりと身分が分かれていた平安時代。 十二単衣や『源氏物語』など、平安時代から現代に伝わっている文化は少なくありません。 そのため、特に上流階級である貴族について、優雅な暮らしを送っていたイメージを持つ方が多いでしょう。 しかし、実際は優雅なだけではなかったようです。 平安貴族はどんな暮らしをしていた? 華やかな王朝文化が栄えた平安時代、貴族はどのような暮らしをしていたのでしょうか。特に平安貴族の食事や生活については、当時の記録からある程度の実態が分かっています。 平安貴族の食事 平安時代の貴族は、主食・おかず・デザートがそろった意外にも豪華な食事をとっていました。 ただし、主食がふっくらとした白米ではなく、うるち米を蒸した強飯だった点は現代との違いです。 また、魚介類や野菜類などが主におかずとして食べられていたことが分かっています。しかし、平安貴族が暮らしていた京都は、海から離れていたため、魚介類は干したり塩漬けにしたりしたものが中心でした。 一方で、肉類を食べることは少なかったと考えられます。 仏教の思想に従った天武天皇によって、675年に出された肉食禁止令を皮切りに、たびたび肉食が禁止されたためです。 デザートとしては、梨や麹などの果物類やもち米の粉を練って焼いたひらちという煎餅のようなものなどがありました。宴などの特別な行事の際には、唐菓子や餅などを食べることもあったといわれています。 なお、平安時代には1日に朝夕の2食を食べるのが一般的でした。 1日3回食事をする習慣が広まったのは、鎌倉時代以降のことです。 平安貴族の生活 平安貴族の朝は早く、午前3時ごろに起床するのが一般的でした。 皇居の門が開かれるのが午前3時であり、門が開くときに太鼓が鳴らされるため、その音を合図に起床する貴族が多かったようです。 貴族の衣服は、平安時代の前期と中期以降で大きく異なります。 平安時代前期は、中国の影響を受けた朝服が、貴族男性の公式的な衣装でした。一方、貴族女性も同じく朝服を着用し、額や頬に紅で文様を描く中国式の化粧を施していたとされています。 しかし、平安時代中期に国風文化が広がると、日本独自の衣服が生まれました。貴族男性が着る強装束や、貴族女性の十二単衣も国風文化の中で成立したものです。 教科書などの挿絵やテレビドラマで再現されている通り、平安時代は着物を何枚も重ねて着るのが一般的でした。しかし、現代のように頻繁に入浴する習慣はなかったと分かっています。 特に女性は、月に1回程度しか髪を洗っていなかったともいわれています。当然、洗髪や入浴からしばらくすると臭いがしたことでしょう。 そこで、平安時代の貴族が使っていたのが香です。 当時の薫物と呼ばれる練香を、部屋や衣服に焚きしめる風習には、体臭を隠す目的もあったと考えられます。 平安貴族は出会いがなかった?当時の恋愛事情 平安時代の貴族の暮らしに欠かせないのが恋愛です。 紫式部が書いた『源氏物語』や数々の和歌など、平安時代には恋愛をテーマにした多くの文学作品が生まれました。 その背景には、平安時代の貴族の特殊な恋愛事情があります。 そもそも平安時代には、女性が家族以外の男性に顔を見せることはタブーとされていました。 男女の出会いのきっかけが非常に制限されていた平安時代に広まったのが垣間見という風習です。 垣間見とは、男性が女性の家を覗き見ることです。現代の感覚では考えられないことでしょう。 しかし、平安時代には普通のことでした。 垣間見により女性を見そめた男性は、文(手紙)を送ってアプローチします。 文には、和歌を添えるのが一般的でした。 女性は、和歌から男性の人柄やセンス、教養などを見極めて返事をするかどうかを決めます。 そのため、男性にとって文は気が抜けないものでした。 男性は、少しでも女性によい印象を与えようと、さまざまな工夫を凝らしました。文に香を焚きしめることや、文香と呼ばれる香木のかけらを和歌で包んだものを添えることもあったといわれています。 平安時代の貴族は、一人ひとりが自分だけの香りを持っていました。 香りは、自分の知性や感性をアピールする手段として使われていたのです。 男性も女性も、文から漂う香りから相手がどのような人かを想像したのだと考えられます。 女性から男性へ送る文は、初めは侍女などが代筆しました。 何度かやり取りを重ねて、女性から直筆の文が送られると恋が成就した証拠です。 その後、女性から自宅を訪れることを許されると、ようやく男女の対面が実現します。さらに3日連続で女性のもとへ通うと結婚が成立するというのが、平安時代の貴族の恋愛でした。 優雅だけれど今とは違う貴族の暮らし 平安時代の貴族について、優雅なイメージを持つ方は多いでしょう。 平安時代は、十二単衣やさまざま文学作品などに代表される、華やかな文化が花開いた時代である一方で、暮らしぶりには現代と大きく異なる部分が少なくありません。 特に、入浴の頻度や恋愛事情について知ると、平安時代の貴族の暮らしが優雅な面だけではないことが分かるでしょう。 テレビドラマや映画などで平安時代をテーマにした作品を鑑賞する際は、貴族の暮らしの描かれ方にも注目してみてはいかがでしょうか。
2024.10.12
- お香・香り・香道
- 平安貴族の暮らしと文化
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平安時代にはどんな娯楽があった?
平安時代には、貴族や庶民のためのさまざまな娯楽が生まれました。 中には形を変えながら現代まで残っているものもあります。 平安時代の人たちにはどんな娯楽があった? 平安時代とは、794年から1200年頃までの約390年間のことを指します。 今から約1000年前の時代を生きた人々は、どのような生活を送っていたのでしょうか。 大きな戦乱がなく、平和な日々が続いた平安時代には、華やかな貴族の文化が花開きました。また、中国の文化を学ぶ遣唐使の派遣が終了したことで、日本独自の文化が発展したことも特徴です。 そのような平安時代には、さまざまな娯楽も生まれました。 平安時代の庶民の娯楽 平安時代は、貴族と庶民で生活スタイルが大きく異なりました。 そのため、娯楽の内容にも違いがあります。 庶民の娯楽としては、竹馬やひいな遊び、毬杖(ぎっちょう)が知られています。 平安時代に行われていた竹馬とは、笹竹の枝を騎馬に見立ててまたがって遊ぶ、ごっこ遊びのことです。現代の竹馬とは異なります。 また、ひいな遊びは人形を使ったままごと、毬杖は現代のゲートボールのような遊びです。 竹馬とひいな遊びが主に子供の遊びである一方で、毬杖は大人にも好まれていました。毬杖が正月行事の一つとして行われたり、賭博の対象になったりしたという記録が残っています。 平安時代の貴族の娯楽 平安時代の貴族は、さまざまな種類の娯楽を楽しんでいました。 中には現代の芸術や趣味の源流となったものもあります。 蹴鞠 蹴鞠とは、複数人で毱を蹴り合う遊びです。 現代のサッカーに似ているものの、お互いにパスを出し合い、ラリーが続くことが大切とされ、勝敗をつけることを目的としていなかった点が違いです。そのため、誰かがミスをした場合は、ミスした人ではなく、受け取りにくいパスを出した人の失敗とみなされるほどでした。 相手を思いやりながら遊ぶ蹴鞠は、貴族にとって親睦を深めたり新しい人と知り合ったりするために楽しまれた遊びだといわれています。 打毬 打毱(だぎゅう)とは、2チームに分かれて遊ばれる球技の一種。網のついた竿を使い、決められた数の鞠を先にゴールに入れたほうが勝ちというのが主なルールでした。 打毱には、馬に乗って行う騎馬打毱と徒歩打毱の2種類があります。このうち、騎馬打毱については、平安時代に宮中の年中行事となりました。また、江戸時代には八代将軍の徳川吉宗(とくがわよしむね)が奨励して盛んに行われました。 現代でも、宮内庁主馬班には、江戸時代の騎馬打毱の様式が伝わっています。 貝合わせ 貝合わせは、二枚貝の裏に絵を描いたものを伏せ、複数人が順番にめくってペアとなる2枚を当てる遊びで、トランプ遊びの一つである神経衰弱に似ています。 特にハマグリは、同じ貝以外は殻がぴったりと合わないことから、貝合わせによく使われたと言われています。 貝合わせは、主に貴族女性が楽しむ遊びでした。 二枚貝に描かれる絵柄の題材として人気があったのは、紫式部(むらさきしきぶ)が執筆した『源氏物語』です。 洲浜づくり 洲浜とは、砂を入れた台のことです。 洲浜に石や砂を並べて砂浜の風景を再現する遊びを洲浜づくりと呼ばれ、現代の箱庭遊びと似た遊びです。 洲浜づくりは、中国から伝わった盆景が元になって始まったといわれています。また、枯山水に代表される日本式庭園作りにも影響を与えたと考えられます。 薫物合 薫物合(たきものあわせ)とは、それぞれが調合した薫物(たきもの)を比べ、誰のが優れているかを競う遊びです。 薫物とは、香料や蜂蜜などを混ぜた練香の一種を指します。平安時代には、部屋や衣服に香を焚きしめる文化があり、一人ひとりが独自の配合の香りを持っていました。 自分だけの香りを作る文化から発展したのが、香りを持ち寄り、比較し合う薫物合です。薫物合は、貴族が自分の感性や教養、珍しい香料を手に入れる力などをアピールする場でもありました。 手紙、和歌 平安時代は、漢字やひらがなといった文字が生まれた時代でもあります。 主に貴族の間で文字が使われるようになると、手紙を書いたり和歌を読んだりする風習が生まれました。 当時の貴族にとって手紙とは、異性と交流するための大切な手段でした。 平安時代には、女性は人前で顔を見せないのがマナーとされていたため、男女が出会う場は少なかったといわれています。男性は、気になる女性に手紙を送り、相手から返事が来れば恋愛が始まるのが一般的でした。 手紙を通じてよい印象を与えようと、平安時代の男性貴族が用いた方法の一つが、香りを使うことです。具体的には、手紙に香を焚きしめたり、香木などを小さく砕いて和紙で包んだ文香(ふみこう)を添えたりといった方法がありました。 手紙を受け取った女性は、香りから相手の男性の人柄や容貌を想像したといわれています。 現在まで残る平安時代の娯楽 平安時代の娯楽の一部は、現在まで残っています。 多くの素晴らしい文学作品が平安時代に成立していることから、当時から物語を楽しむことは娯楽の一つだったのでしょう。 例えば紫式部の『源氏物語』、清少納言(せいしょうなごん)の『枕草子』などは、平安時代に生まれた作品です。 これらの作品は、現代語訳や漫画化などを経て、現在でも多くの人に楽しまれています。 内容や設定などに影響を受けている作品も少なくありません。 その他に、ひいな遊びや毬杖のような庶民の娯楽、貝合わせなどの貴族の娯楽も、形を変えて現代でも楽しまれています。一方で、主にライフスタイルの変化により、楽しむ機会が少なくなった娯楽もあります。 平安時代のように和歌を読んだり手紙を書いたりする代わりに、現代ではeメールやSNSなどを通じてメッセージを送るのが一般的です。しかし、平安時代の貴族が手紙に添えたように、香りを楽しむ文化は現代にも続いています。 香りを比べる薫物合は、室町時代に確立した香道における組香の源流だといわれています。平安時代の遊びが、今の文化につながっていることを示すよい例といえるでしょう。 1000年前に生まれた娯楽に思いをはせよう 平安時代の暮らしは、当然のことながら現代とは大きく異なります。 しかし、娯楽に関しては、現代の私たちとさまざまな共通点があるといえるでしょう。中には平安時代から形を変えながら、現代も楽しまれている娯楽もあります。 次に遊ぶときは、1000年前に生まれた娯楽に思いを馳せてみましょう。
2024.10.12
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源氏物語に登場する「比翼連理(ひよくれんり)」とは
夫婦やカップルに対して使われる比翼連理という言葉は、『源氏物語』にも登場する歴史のある表現です。 中国で書かれた『長恨歌』に由来する比翼連理の意味や由来、『源氏物語』との関係などについて理解を深めましょう。 源氏物語に登場する「比翼連理(ひよくれんり)」 男女の仲を表すのに使われる「比翼連理」は、見た目からは意味を想像しにくい表現です。意味や由来、源氏物語での使用例を押さえておきましょう。 「比翼連理」とは 比翼連理(ひよくれんり)とは、仲睦まじい夫婦の様子を、空想上の鳥や植物に例えた表現です。 比翼連理の由来となったのは、比翼の鳥と連理の枝。 比翼の鳥とは、羽と目を1つずつしか持たない空想上の鳥で、オスとメスがペアで飛ぶとされています。 一方、連理の枝とは、隣り合った2本の木の枝や根が絡み合い、まるで1本の大木のように見えるという中国の伝説上の植物です。 どちらも2つのものが合わさって1つのものになっていることから、相思相愛の関係にある夫婦や婚約中の男女などに使われる表現として定着しました。 源氏物語では『長恨歌』に登場 平安時代に紫式部(むらさきしきぶ)によって書かれた長編小説『源氏物語』にも比翼連理が登場します。 比翼連理が四字熟語として使われるようになったきっかけとなったのが、中国の詩人である白居易(はくきょい)による詩『長恨歌』です。『長恨歌』を収めた白居易の詩集『白氏文集』は、当時のベストセラーでした。 『源氏物語』の中でも『白氏文集』は何度も言及されています。 特に源氏物語の冒頭の章である「桐壺」では、『長恨歌』の中の比翼連理について触れた部分が語られています。 源氏物語の主役である光源氏の父、桐壺帝と更衣が、身分の違いを超えて深く愛し合う様子を表す表現として、比翼連理が用いられているのです。 比翼連理という表現が、1000年以上前の平安時代から使われていたことを示す例です。 平安貴族のたしなみであった白居易の漢詩 白居易は、8世紀から9世紀にかけて、唐と呼ばれていた中国で活躍した詩人で、白楽天と呼ばれることもあります。 白居易の漢詩は、日本にも伝わり、平安時代の貴族の間で人気となりました。 11世紀に成立したとされている『源氏物語』も白居易の影響を強く受けています。 白居易、『長恨歌』とは 白居易は、中国で官僚として働きながら多くの詩を残しました。彼の作品は、分かりやすく平易な言葉を使いながら情景を美しく表現したものが多かったため、多くの人に愛されました。 白居易の代表作とされる『長恨歌』は、唐の皇帝である玄宗と絶世の美女・楊貴妃との恋を描いた叙事詩です。2人の出会いから身分違いの恋、楊貴妃の死後に嘆き悲しむ玄宗の様子などが120編にわたって描かれています。 白居易が平安貴族や源氏物語に与えた影響 『長恨歌』が含まれた白居易の文集『白氏文集』は、平安時代に日本に伝わり貴族たちの愛読書となりました。紫式部は、当時としては珍しい、漢文や漢詩の教養のある女性でした。平安時代において漢籍は男性が学ぶものとされていたためです。しかし、紫式部は幼少期に父から弟とともに漢籍の講義を受けていました。そのため、紫式部が書いた『源氏物語』には、白居易の影響が随所に見られます。 たとえば『源氏物語』の主人公は、天皇と桐壺の更衣と呼ばれる女性の間に生まれた光源氏です。後宮で働く女性の中でも特に身分が低い更衣と、天皇との恋愛という設定は、『長恨歌』をベースにしていると言われています。 紫式部の教養の高さが垣間見える、源氏物語 紫式部が記した『源氏物語』には、白居易の有名な叙事詩『長恨歌』に影響を受けたと考えられる設定や描写が少なくありません。 特に冒頭の「桐壺」の章では、桐壺帝と更衣の関係を比翼連理に例えるなど、『長恨歌』を参考にした部分が多く見られます。 紫式部は、幼い頃から漢文や漢詩の読み書きを得意としていたといわれています。もちろん、当時の貴族の間で流行していた『白氏文集』にも目を通していたでしょう。 『源氏物語』は、そうした紫式部の教養の高さが垣間見える作品です。
2024.10.12
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平安時代から続く、ひな祭りの歴史
3月3日のひな祭りにひな人形を飾る風習はいつ始まったのでしょうか。 ひな祭りの歴史は平安時代に遡るといわれています。 ただし、平安時代のひな祭りは今とは異なるものでした。 ひな人形はいつからある? 毎年3月3日は、ひな祭りと呼ばれ、ひな人形を飾ったりごちそうを食べたりする習慣があります。 少女の健やかな成長を祈る意味があることから、女の子がいる家庭では、特にひな祭りを大切なイベントとして家族や親族などで祝っていることが多いでしょう。 ひな祭りに相当する行事は、平安時代から存在しました。しかし、ひな人形を飾る風習が始まったのは江戸時代だといわれています。 ひな祭りの原型は中国から伝わった ひな祭りの原型は、中国から伝わった「上巳(じょうし、じょうみ)の節句」です。 ただし、「上巳の節句」の風習では、ひな人形を飾ることはしません。 平安時代には、「上巳の節句」に陰陽師を呼び、お祓いをしてもらう風習がありました。 当時の「上巳の節句」は、自身の無病息災を願う行事の日であり、特に女の子のためのお祭りという意味合いはなかったのです。 「上巳の節句」に行われるお祓いは「上巳の祓い」と呼ばれることもあります。このお祓いの中には、自身の生年月日を書いた紙の人形(ひとがた)に厄災を移し、川に流すという行程がありました。 現在でも、京都の下鴨神社における「流し雛」としてこの風習が残っています。 一説には、「上巳の祓い」で川に流されていた人形が、ひな人形の原型ともいわれています。「上巳の節句」とは、本来3月の最初の巳という意味。 しかし、室町時代には、3月3日が「上巳の節句」として定着しました。 平安時代の「ひいな遊び」 平安時代、主に幼い女児の遊びである「ひいな遊び」を、ひな人形やひな祭りの起源とする説があります。 少女たちが、おもちゃとして遊んでいた紙や木などでできた人形が「ひいな」、ひいなを用いる遊びが「ひいな遊び」でした。今でいう、ままごとのような遊びです。 「ひいな遊び」は、あくまでも少女たちが日常的に行う遊びであり、「上巳の節句」と直接の関係はなかったと考えられます。 しかし、時代を下るうちに素朴だったひいなは、豪勢な人形となって家の中に飾られるようになり、「上巳の祓い」の流し雛の風習とも結びついたことで、ひな人形が生まれたといわれています。 江戸幕府の定めた「五節句」 そもそも節句とは、年間を区切る節目の日のことです。 中国の陰陽五行に則って生まれた考え方で、もとは5つよりさらに多くの節句が定められていました。 たとえば、中国では大型連休として知られる春節や、9月の中秋節などが今でも大切な節句として祝われています。 一方、中国からもたらされた節句は、日本では独自の風習や季節感と混ざり合って減っていきました。現代でも残っているのは、江戸幕府の定めた「五節句」です。 五節句とは、人日(1月7日)、上巳(3月3日)、端午(5月5日)、七夕(7月7日)、重陽(9月9日)です。 江戸幕府は、上記の5日を祝日とし、特に3月3日と5月5日はひな人形や五月人形を飾る子供のお祭りとして庶民にも広まりました。 江戸中期には、女児の初めての「上巳の節句」を盛大に祝う、初節句の文化も始まったといわれています。それにともなって、ひな祭りはますます盛んになり、幕府から華美なひな人形を禁じる命令が出されるほどでした。 ひな祭りの習慣や楽しみ方 中国から伝わり、平安時代からさまざまに形を変えながら定着したひな祭り。 現在は、ひな人形を飾り、菱餅やハマグリのお吸い物などを食べて祝うのが定番です。 ひな祭りの食べ物やその由来 ひな祭りの際に食べる定番の食べ物としては、以下の3つが挙げられます。 ・ひなあられ ・菱餅 ・ハマグリのお吸い物 ひなあられとは、米や豆を原料とする小粒のお菓子です。 一般的に白・緑・黄・ピンクの4色、または白・ピンク・緑の3色などのカラフルな色がつけられており、それぞれの色は、季節や自然などを意味しています。 地域によって作り方や味(甘い・しょっぱい)に違いがあります。 菱餅は、ひな人形に備えるひし形の餅です。 上からピンク・白・緑の餅を重ねてあり、それぞれ桃の花・雪を冠った大地・新芽などを表しています。 また、ひし形には子孫繁栄などの意味があります。 また、お吸い物に入れられるハマグリは、平安時代の遊びである貝あわせにも用いられた二枚貝です。ハマグリは、一つひとつの形が微妙に異なるため、対だった貝以外とは合わないという特徴があります。 そのため、「生涯仲良く連れ添う夫婦」の象徴として、ひな祭りや結婚式などで食べられるようになりました。 ひな人形はいつまで飾る? ひな人形は、3月3日のひな祭りを祝うために飾られます。 そのため、ひな祭りが終わったら片付けられることが一般的です。 しかし、中には旧暦に従い4月3日まで飾る地域もあります。 ひな祭りを過ぎた後に飾ってはいけないという決まりはありません。 ただし、季節感を大切にするためにも意味で3月中旬(旧暦であれば4月中旬)までに片付けるとよいでしょう。 平安時代も今も子を思う気持ちは同じ 中国由来の節句の考え方や、日本独自の文化が融合して今のような形のひな祭りが生まれました。 ひな祭りの祝い方は変わっても、平安時代も今も子を思う気持ちに変わりはありません。 歴史に思いを馳せながら、ひな祭りを楽しみましょう。
2024.10.12
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平安貴族の遊び、薫物合(たきものあわせ)
平安時代、貴族にとって香りは日々の生活に欠かせないものでした。 薫物(たきもの)と呼ばれる練香を作ることが広まると、その優劣を競う薫物合(たきものあわせ)という遊びも流行しました。 薫物合は、香道のルーツでもあります。 平安貴族の遊び、薫物合(たきものあわせ)とは 仏教とともに日本にもたらされた香りは、奈良時代まではあくまでも宗教儀礼で用いられるものとされていました。 しかし、平安時代には、貴族の間で日常的に香りを楽しむ文化が発達します。 平安貴族の趣味・嗜み、お香 平安時代には、仏事に限らず趣味や嗜みとして香りが用いられるようになりました。 香りを部屋で楽しむほかに、主に衣服や手紙に焚きしめるといった使われ方をしていたといわれています。 その背景には、当時の貴族女性は髪が長い上に頻繁に洗髪するのが難しかったという事情もあったのでしょう。 しかし、それ以上に平安時代の貴族にとっての香りは、自己表現の方法の一つとして大切なものだったと考えられます。 当時の貴族は、男性も女性もそれぞれが独自に調合した、自分だけの香りを持っていました。使用する原料や製法に工夫を凝らして、自分らしい香りを作っていたといわれています。 香りは、自分の美意識や知性をさりげなくアピールする手段だったのです。 特に女性は、家族などを除いて人前に姿を見せないことがマナーとされていました。顔が見えない中で、衣服の残り香や受け取った手紙から漂う香りは、女性の個性を相手に伝える方法として用いられたのでした。 平安時代に流行した「薫物合」 薫物とは、沈香や白檀のような香木に香料の粉末、蜂蜜などを混ぜて練り固めた練香のことです。 伏籠や香炉を使って、部屋や衣服に焚きしめるために使われます。 また、薫物から発展した遊びである薫物合も流行しました。 薫物合では、それぞれが調合した薫物を持ち寄って、どれが優れているかを比べます。貴族たちが自分の知性や感性、珍しい香料を入手できる身分などを披露できる場でもありました。 薫物合は、香道における香りの楽しみ方の一つである「組香」につながっています。 薫物の登場する平安時代の物語 貴族の生活の一部であった薫物は、平安時代の文学作品にも描かれています。 薫物合は源氏物語「梅枝」にも登場 紫式部(むらさきしきぶ)による世界最古の女性文学といわれる『源氏物語』。 『源氏物語』の「梅枝」巻では、主人公の光源氏が薫物合のための薫物作りを女性たちに依頼する場面、ならびに完成した薫物の優劣を判定する場面が描かれています。この場面では、光源氏が愛する妻、紫の上と別居してまで薫物作りに没頭している様子が描写されています。 遊びとはいえ、当時の貴族にとって薫物合わせは軽視できないイベントであったことが分かるでしょう。 また、光源氏は天皇秘伝の調合法、紫の上も皇子から伝授された調合法を使用しています。薫物作りにおいて、それぞれが秘伝の製法を持っていたことと、お互いに製法が漏れないようにして、張り合っている様子が伝わります。 枕草子では「心ときめきするもの」 清少納言(せいしょうなごん)の随筆『枕草子』では、心をときめかせるものの一つとして薫物に触れています。 恋人を待つ時間などと並んで、「高級な薫物を焚きながら一人で横になっているとき」と「洗髪、化粧を済ませた後によい香りを焚きしめた着物を着るとき」に心がときめくと書いた清少納言。 平安時代から人々がよい香りに癒やされていたことが分かるでしょう。 平安貴族の楽しんだ薫物合は、やがて香道の原点に 貴族が文化の中心を担った平安時代に対し、その後の鎌倉・室町時代に権力を持ったのは武士でした。 華やかなものよりも質素なものを好むように価値観が変化する中で、香りを楽しむ対象も薫物から香木へ移り変わります。 香木を基本として、香りを鑑賞する香道は室町時代に確立したとされています。 形が変わっても香りを楽しみ、感じる心は、平安時代も今も変わりません。 平安貴族の楽しんだ薫物合は香道の原点です。
2024.10.12
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お香とインセンスの違いと楽しみ方
香りを楽しむお香は、バミール高原を起源としインドに広まり、その後中国や日本にも伝わっていきました。 日本では、仏教とともに伝わってきたため、お線香としてのイメージが強い人も多いでしょう。 しかし、現在ではお香の種類も多様化しており、自宅でリラックスするためにお香を焚く人も多くいます。また、お香には心身を清める効果があるとされているため、瞑想などとあわせて利用している人も。 お香は、ときどきインセンスと呼ばれているのを耳にしたことがある人もいるのではないでしょうか。 お香とひと口にいっても、さまざまな種類があり、形状や利用方法によって呼び名が変わる場合もあります。そのため、その名がどのような種類を指しているのか詳しくはわからない人も多いでしょう。 インセンスとの違いやお香の使い方などを知ると、お香をより自由に堪能できます。 お香とインセンスの違い 香りを楽しむお香は、ときにインセンスと呼ばれることもあります。 呼び名が違うため、別物であるか気になっている人も多いのではないでしょうか。 実は、お香とインセンスに明確な違いがありません。ほとんどの場合、お香=インセンスとして記載されています。 ただし、人によっては、さまざまな条件によってお香とは分けて呼んでいる場合があります。 たとえば、インセンスは合成香料を用いて製造されている趣味のお香を指しているとするケースもあるのです。また、煙を出して焚く場合は仏様への供香であり、煙を出さずに薫く場合は、趣味としてのお香であるインセンスに分類することも。 そのため、あえてお香とインセンスを区別するのであれば、お香の中でも趣味として利用する煙の出ないものをインセンスと呼ぶと覚えておきましょう。 仏事用の線香は普段使ってはいけない? お香の中には、仏壇や仏事で利用される線香があります。 仏壇の前で焚いたり、お葬式で線香をあげたりすることから、日常生活では使ってはいけない印象を持っている人も多いでしょう。 線香を普段使いしてはいけないというルールはありません。 そのため、日常的に香りを楽しむために、線香を利用してもよいのです。 線香や焼香、香木、匂袋、練香などは、お香の一種であり、実は材料や製造方法は同じなのです。 そのため、これらに明確な違いはありません。 つまり、仏壇用の線香も趣味のお香も、すべて同じ「お香」とされています。 現在、お香は多彩な形状で販売されており、その香りも多種多様です。 暮らしの中でお香を焚き、気分を落ち着かせたり、癒されたりする人も多いでしょう。 お香の楽しみ方は、人それぞれです。 「日常的に使っていいのかな?」と不安に思わず、自由に楽しみましょう。 時代とともにお香の楽しみ方も多様になった お香は、古くから日本でも親しまれており、貴族や武士の間で流行を見せたあと、時代の流れとともに町人の間でも利用されるようになっていきました。 お香というと線香のイメージが強いですが、現在では、日常使いできるお香も多く販売されています。もちろん、線香も仏事のみではなく普段使いしても問題のないお香です。 現代でも多くの人々に愛されているお香は、精神的な安らぎや落ち着きを提供してくれます。使うタイミングなどを気にせず、自分の好きな香りを好きなときに焚いてみましょう。
2024.10.12
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インドのお香と宗教
お香大国と呼ばれるインド。 アジアン系の雑貨屋に行くと、よくインドのお香を見かけるのではないでしょうか。 インドでも多彩なお香が販売されており、多くの人々が日常的にお香を焚いているのです。 インドでお香が日常的に親しまれている理由には、歴史や宗教が関係しています。なぜお香が日常的に使われているのか、インド人にとってお香とはどのような存在なのかを知ると、お香の魅力がより理解できるでしょう。 インドのお香と宗教 お香の起源は、タジキスタン・アフガニスタン・中国にまたがるバミール高原にあるといわれています。 その後、インドにお香が伝わっていったのです。 インドには、乾季・暑季・雨季の3つの季節があります。 暑季になると、気温が40℃を超える日が続き、50℃近くになる日もあるほど、気温が高くなります。 この酷暑による悪臭を防ぐ方法としてお香が活用されるようになりました。 気温が高いインドでは、亡くなった人がすぐに腐敗し、悪臭を放つことが問題となっていました。お香は、その腐敗臭を消すためとして用いられていたのです。 また、バラモン教の聖典『ヴェーダ』によると、古代インドでは王侯貴族が香膏を身体に塗り、漂う香りを楽しんでいたと記されています。古代インドでは、白檀や沈香、スパイスなどを焚いて、死者を来世に送り届ける風習もありました。 紀元前5世紀後半には、仏陀による仏教が広められ、修行の中で焼香としての香が良く利用されるようになります。仏教においては、お香は不浄を払い心身を清める効果があるとされていました。 仏壇を前で手を合わせる際に線香をあげるのは、俗世でけがれた心や身体を香りで清める意味が込められています。 仏教の影響もあり、インドでは古代よりお香には、浄化と保護の効果があると信じられています。7世紀に作成された医学書『Kasyapa Samhita』には、約40種類ものお香の作り方が掲載されているのです。 また、インドの愛の聖典である『カーマ・スートラ』には、お香の香りは興奮を高めるものであるとの記述もあります。 お香大国インドでは、古くからインド人の宗教や精神性とお香が結びついており、長く親しまれてきていると分かるでしょう。 インドにはどんなお香がある? インド東部を原産地とする香木として、白檀があります。 白檀は、紀元前5世紀ごろから栽培されているといわれています。 白檀は、甘みのあるウッディな香りが特徴。落ち着いた香りで、お線香の香りとしても親しまれています。 白檀は、ビャクダン科ビャクダン属が原木で、この木の幹から白檀独特の香りを漂わせているのです。 一般的に香木の原木そのものには香りがなく、熱を加えると樹脂が蒸発して香りを発しますが、白檀は加熱せずとも香りを放っています。 近年、白檀はインド政府による伐採制限や、輸出規制により世界的に出回らなくなってきています。 日本には、彫刻美術品といった加工品や香料として利用するために粉末状にしたもの以外は輸出されていません。そのため、白檀は日本でも大変希少価値の高い香木なのです。 香りの国インドでは、多種多様なお香が作られています。 インド産のお香は、インド香と呼ばれ、日本でもインド香と呼ばれるインド産の香りが多くの人に親しまれているでしょう。 インド香にはスティック型やコーン型などがあります。 インド香として有名なものは、チャンダン・ナグチャンパ・ムーン香などです。インド香では、異国情緒あふれるオリエンタルな香りが楽しめます。 世界一のお香の国といわれるインド インドでは古くからお香が活用されており、日々の生活の中で当たり前に存在しています。 また、お香は仏教との関係性が深く、不浄を払い心身を清めてくれると信じられています。 インド香は、インド国内だけではなく日本でも親しまれている香り。 インド香独特のオリエンタルでエキゾチックな香りを自宅でも楽しんでみてはいかがでしょうか。
2024.10.12
- お香・香り・香道
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日本で独自の文化となった、お香・香道
日本の和の文化を表現する伝統でもあるお香。現代では、生活の中に安らぎを与える癒しの道具として親しまれています。古くは貴族や武士の楽しみとして広がり、のちに町人まで広まっていきました。日本における香りの文化を知ることは、お香の楽しみ方を広げるきっかけになるでしょう。 日本で独自の文化となった、香 日本に古くから伝わり、伝統的な文化となっているお香。仏教とともに伝来したお香は、日本独自の発展を遂げ、現代まで多くの人に親しまれています。 飛鳥時代に伝来し、貴族や武士、庶民に広がったお香 お香は、日本において仏教が伝わった際に、同時に伝わってきたとされています。『日本書紀』では、淡路島に沈水香木が漂着し、島民は単なる流木と思いかまどの薪として焚いたところ、良い香りが漂ってきたため、かまどから外し朝廷に献上したとの記載も。また、献上された流木を、聖徳太子は香木であると一目で見抜いたそうです。 奈良時代に入ると、遣唐使の鑑真和上により、仏教の戒律や美術、建築、医学、薬草などこれまで日本になかったものが多く伝えられました。その中には、お香の調香技術もあったそうです。唐から持ち込んだ薬草や香原料を調合し、効能の高い薬を作る技術により、お香も複数の香りをあわせて用いられるようになりました。当時は、魔除けや厄除け、防虫などの役目としても利用されていました。 平安時代には、複数の香料を練り合わせて香りを楽しむ薫物が、貴族の生活の中に取り入れられていきます。仏教の供香から香りを楽しむ文化が生まれはじめたのは、平安時代ごろからといえるでしょう。その中で、丸薬状のお香や線香が発展し定着していきました。 安土桃山から鎌倉時代では、貴族が力を持っていた平安の世から打って変わって、武士が権力を持つようになります。武士の間では、沈香一木のみを焚き、香りの聞き比べをする聞香が誕生しました。また、細かく刻んだ香料をつまんで仏前の香炉にいれる焼香は、この時代に禅宗をとおして広まったといわれています。 戦乱の世が終わり江戸時代に入ると、お香は貴族や武士だけのものではなく、町人の間にも広がっていきます。源氏香をはじめとした、いくつかのお香を焚いて香りを当てる組香と呼ばれる遊びも生まれました。また、このころから線香も多く製作されるようになり、町人の間に線香が普及していきました。 現代のお香は、さまざまな形に変わりながら人々の間で親しまれています。技術の発展や多彩な香料により、新しいお香が作られ続けています。 日本の芸道・香道 香道とは、日本人の四季に対する感性や文学詩歌と香りを結びつけ、体系化した日本の芸道です。平安時代から貴族の文化や習俗として洗練されていったお香。香道として確立されたのは、室町時代の8代将軍足利義政のころです。足利義政は香を好み、公家の三條西実隆や志野宗信に命じて、一定の作法やルールを定め、芸道としての体系作りを行いました。その後、階級にかかわらず多くの人々に親しまれていったお香は、日本独自の文化として発展していきました。 和歌や物語の中にある、香 香や香りの文化は、昔の和歌や物語の中にも登場しています。有名なものとしては、『源氏物語』と『古今和歌集』があります。『源氏物語』とは、平安時代中期に紫式部によって創作された長編物語です。源氏の一生とその一族たちの人生が描かれており、その中に香りを楽しむ薫物合せが登場します。『古今和歌集』とは、紀貫之によって作成された日本で初めての勅撰和歌集です。日本の美意識の原型を創造した歌集として高い評価を受けています 源氏物語に登場する「薫物合せ」 薫物合せとは、平安時代に貴族たちが家伝の秘法を用いて練香を作成し、披露して優劣を競う遊びのことです。この貴族の遊びの中で次第に香りが洗練されていき、6種の香りに集約されたのが六種薫物。 6つの香りの種類は、以下のとおりです。 ・梅花(ばいか):春を表現。梅の花の香りをイメージしています。 ・荷葉(かよう):夏を表現。蓮をイメージしており、清涼感のある香りが特徴です。 ・侍従(じじゅう):秋を表現。秋風をイメージしています。 ・菊花(きっか):秋から冬を表現。菊の香りをイメージしています。 ・落葉(らくよう):秋から冬を表現。木の葉が落ちていく様子をイメージしています。 ・黒方(くろぼう):冬を表現。祝儀用に用いられることの多い香りです。 古今和歌集の中の「香」 古今和歌集に「色よりも香こそあはれと思ほゆれ 誰が袖ふれし宿の梅ぞも」という和歌があります。梅はその花の色彩よりも香りが趣深いものであり、誰かの袖が梅に触れた移り香が宿に香っているのだろうか、といった情景を詠んだ和歌です。誰が袖とは、香料を刻んで調合したものを詰めた匂い袋を指しています。誰が袖は、室町時代に流行したお香で、香りを外へ持ち運ぶために重宝されていたそうです。 日本文化に根付く「香」と「香りの文化」 日本で長く愛され続けてきた香と香りの文化は、今日でも多くの人々に楽しまれています。現代では、匂い袋や薫衣香、練り香、印香などさまざまな形で香りを感じられます。リラックスしたいときや瞑想のお供など、多彩な場面でお香が活躍するでしょう。日本には香と香りを楽しむ文化が今も根付いているといえます。
2024.10.12
- お香・香り・香道
- 香木とは
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お香と仏教の深い関係…お寺のお香は何の香り?
お寺に出向くと、お香の良い香りが漂ってきます。 お香と仏教には深いかかわりがあり、お寺ではお香がよく用いられているのです。 お香と仏教の歴史をさかのぼってみると、日本に伝わるよりも古くから、多くの場で利用されてきたとわかります。 お香と仏教の深い関係 お寺に入ると、「なんだかほっと心が落ち着いた気分になる」という経験をお持ちの人は、多いのではないでしょうか。 心が穏やかになる理由はさまざまですが、その一つにお香による香りがあります。お香の香りには、癒しの効果があると科学的にも認められているそうです。 お香は仏教と深い関係性があり、お香を焚くという行動は、仏式の作法のひとつとされています。お寺で香るお香の種類や、仏教における役割を知り、お香の楽しみ方を増やしていきましょう。 線香や焼香…お寺にはさまざまなお香が お寺から漂う良い香りの多くは、沈香によるものです。 そのほかにも、お寺では伽羅・白檀などのお香が用いられています。 お葬式でお線香をあげる、お焼香を経験したことがある人も多いのではないでしょうか。 焼香には、抹香と呼ばれる香木をはじめとした香料を細かくしたものを使う場合もあれば、棒状の線香を利用する場合も。 抹香には、一般的に樒(しきみ)や白檀が使われています。 一方、線香は香木や香料を練ったもので作られています。 仏教におけるお香の役割とは 仏教では、仏様やご先祖様に香りを楽しんでもらうためにお香を焚きます。 また、同時に日々の生活のなかでけがれた自分の心身を浄めるためのものでもあります。 私たちに身近なお寺でのお香とのかかわりの一つは、焼香です。 仏式の通夜や葬儀では、僧侶による読経とあわせて儀式の中心となる焼香。霊前を浄め亡くなった人の冥福を祈る意味が込められています。 お香のもう一つ身近な存在として、お墓参りや仏前で手をあわせる際に用いる線香があります。線香は、その空間と心身を浄めるものとしてや、天上と現世をつなぐものとして考えられているのです。また、線香の香りは故人の食べ物になるともいわれています。故人の食べ物になると考えれば、生前好んでいた食事や飲み物などに似た香りのする線香をあげるのも良いかもしれません。 線香はいつからある? 香料の始まりは古く、紀元前3000年ごろのメソポタミアでは、神事に香りの強い木を焚いていたといわれています。 線香の起源となる香木が日本に伝わってきたのは、595年の聖徳太子の時代です。 淡路島に香木である沈香が漂着したのが始まりでした。 その後、仏事や神事に香木が利用されるようになり、現在の線香の形に変化したのは、16世紀ごろといわれています。当時高価だった香料を、樹皮の粉や糊と練り合わせて線状に成形し扱いやすくしたために、普及が進んだといえます。 しかし、室町時代ごろの線香はまだ高価であったため、公家や上流貴族しか入手できませんでした。庶民の間にも広く利用されるようになったのは、江戸時代の初めごろとされています。 当時、線香の製造は、現在の大阪府堺市で盛んにおこなわれており、現在は淡路島がお線香の全国シェア約70%を占めています。 日本だけじゃない!海外でのお寺でもお香は重要 焼香のルーツは、仏教が生まれたインドにあります。 インドはお香の原料となる木の産地であり、古くから匂いけしとしてお香が使われてきた歴史があります。 インドは気温の高い国だったため、亡くなった人がすぐに腐敗し、その匂いが問題となっていました。 お香は、腐敗臭を消すために用いられていたのでした。インドで重宝されていたお香は、仏教の伝わりと同時に日本へ伝えられています。 また、線香は仏教だけではなく、キリスト教でも正教会が振り香炉などで頻繁に用いています。 時代が変化しても大切にされる、仏教と香の心 近年、線香は仏事や神事に用いられるだけではなく、普段の暮らしでも利用されるようになってきました。そのため、生活スタイルの変化にあわせた線香も、数多く製造されています。たとえば、香りの種類が豊富であったり、煙が少なかったりなどの特徴を持ち合わせています。 線香のスタイルが変わっても、故人への気持ちや仏教の心は変わらず持ち続けていくことが大切です。
2024.10.12
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- 香木とは
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お香にはどんな種類がある?
香道で使用する香はもちろん、私たちの身近にも「香」はたくさんあります。 自宅でリラックスしたいときや、ストレスを緩和したいときなどにも役立つでしょう。 お香の種類 お香と一口にいっても、さまざまな種類があります。 そのままで香りを楽しめるものや、加熱して香りを楽しむものまで多種多様なため、自分にあった香りの楽しみ方を見つけられるのも魅力です。 多彩なお香の種類から自分の好みにあったものを見つけるためにも、特徴に対する理解を深めましょう。 線香 線香とは、粉末にした複数の香材を練り合わせ線状に押し出した後、じっくり乾燥・熟成させたものです。燃焼時間が長く香りが長続きする特徴があります。 線香にも、仏壇用の匂い線香や煙の少ない微煙線香、お墓参りで利用される杉線香などの種類があります。 室内香 室内香とは、暮らしの中で気軽に楽しむために作られたお香です。 一般的に、スティック状やコーンタイプ、うずまきタイプなどがあります。また、湿った丸薬状の練り香や香木なども室内香の一種です。 自分がお香をどのように楽しみたいかでタイプを選ぶとよいでしょう。 焼香 焼香とは、沈香・白檀などの香木や生薬を細かく刻み、調合したものです。 使われる香木や香料の数によって三種香・五種香・七種香・九種香・十種香などとも呼ばれます。 なかでも五種香は、代表的な焼香で使用されている香料は、沈香・白檀・丁香・欝金・竜脳の5種類です。 塗香 塗香とは、香木・漢薬などの香料をパウダー状にして調合したものです。 お香の中で最も粒子が細かく、心身を浄めるために手や身体に塗って使用されます。 かつては、身だしなみとして、体臭を消すために用いられていました。 抹香 抹香とは、塗香よりも粗いパウダー状のお香です。 かつては、寺院を浄めるために、仏塔や仏像などに散布する目的で使用されていました。また、散華とともに空中に撒いて、香りを演出するためにも使われていました。 現在では、焼香と同じように香炉で用いられています。 匂い袋 匂い袋とは、香木をはじめとした香材を美しい袋で包んだお香です。 8世紀ごろから貴族の腰飾りとして使用されており、多くの人々に広く普及したのは、江戸時代ごろといわれています。 袂や襟元にしのばせるだけではなく、たんすに入れて移り香を楽しむ方法もあります。 掛香 掛香とは、室内の柱などにかけて使用する香り袋です。 香木・漢薬香料を調合し、絹の小袋に入れたものが一般的で、室内の柱にかけたり、女性が懐に入れたり、首からかけたりして用いられます。 主に臭気や邪気を払う目的があります。 お香の原料 お香は、さまざまな素材を調合して作られています。 原料となる天然香料は数十種類にもおよび、天然であるために入手が難しい素材も多くあります。 香木 香木とは、自然が作り出した香りのする木を指します。 香木の中にも沈香や伽羅、白檀などさまざまな種類があります。 自然環境や社会情勢などの問題から安定した供給が難しく、お香の原料の中でも希少価値の高いものです。 植物性香料(生薬) 植物性香料(生薬)とは、植物の葉や茎、根などを加工したもので、代表的なものには、大茴香や桂皮、丁子などがあります。 お香だけではなく、香辛料や漢方薬としても広く用いられます。 動物性香料 動物性香料とは、動物の分泌腺から生じた素材を指します。 麝香や竜涎香、貝香などがあります。 そのほか 香木や植物性・動物性香料以外に、ラベンダーもお香の原料として利用できます。 エリザベス1世朝以降のイギリスでは、衣服に香りを付けるためや頭痛・風邪などを治療する目的でも利用されていました。また、ラベンダーには、安眠をもたらす効果が期待できます。 お香は、これらの原料を調合して作られています。 種類豊富でさまざまなシーンで使用される、お香 お香にはさまざまな種類があり、仏事や香道などの伝統的な用途だけではなく、普段の生活の中でも楽しめるものです。 多彩なお香の特徴を知り、自分にあったスタイルで香りを楽しんでみてはいかがでしょうか。
2024.10.12
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