蘭奢待とは、天下人にも愛されたことでも知られている香木。
蘭奢待の由来や、天下人を魅了した理由について紹介します。
目次
天下第一の名香木、蘭奢待
日本で最も有名な香木と言えば、蘭奢待です。
多くの権力者たちが欲しがったことから、天下第一の名香木とも言われています。
蘭奢待とは
蘭奢待とは、聖武天皇ゆかりの品々を収めたと伝えられている正倉院にある、巨大な香木のことです。
正倉院とは、東大寺に隣接する土地に1300年ほど前に建てられた宝物庫です。
蘭奢待のサイズは全長156cm、最も太い部分の直径は46cm、重さは11.6kgにも達しています。1996年に行われた宮内庁正倉院事務所の科学調査により、伽羅だと確認されています。ただし、その入手経路といった詳しい内容は分かっていません。
蘭奢待の香りについては、一部を切り取って焚いた明治天皇が「古めきしずか」と表現しています。香木の香りは、時間と共に薄れてしまうのが一般的です。しかし、蘭奢待については、産出から1000年以上経過していると考えられるにもかかわらず、まだ香りを残していると言われています。
蘭奢待の名前の由来
正倉院の目録によると蘭奢待の正式名称は、黄熟香。しかし、聖武天皇が名付けたとされる蘭奢待のほうが有名です。
蘭奢待のそれぞれの文字には「東」「大」「寺」の字が一つずつ含まれています。
もともとは、東大寺と名づけられる予定でしたが、火をつけて楽しむ香木に、建物の名前をつけるのはよくないという考えから、蘭奢待と呼ばれるようになったと言われています。
聖武天皇が建立した東大寺への思いを込めた名前です。
蘭奢待の歴史
現在のラオスやベトナム周辺が原産とされる蘭奢待は、中国を経由して日本に伝わったと考えられます。
また、日本に伝来してからは、権力の象徴として人々を魅了してきたと言われています。
蘭奢待はいつからあるのか
蘭奢待がいつからあるのかは、正確には分かっていません。
聖武天皇の在位期間は724年から749年とされているため、もし本当に聖武天皇ゆかりの品物であれば、8世紀には日本に伝来していたことになります。しかし、1350年頃より前の記録が見つかっていないため、現在のところは、鎌倉時代以前に伝わったとしか分かっていません。
なお、香道では、聖武天皇の時代に伝わったという説のほかに、1158年から1165年の二条天皇の在位中に天橋立から献上されたという説もあると伝えられています。
天下人たちが所有した蘭奢待
昔から伽羅は、貴重なものとされていたため、巨大な香木である蘭奢待は、権力の証として多くの人々の関心を集めてきました。
時には歴代の天皇や将軍といった権力者たちが、功績を挙げた家臣などに蘭奢待の一部を切り取って分け与えることもありました。これらが「蘭奢待を所有する=天下人」というイメージが広まる背景になったと考えられます。
実際に蘭奢待を手にした人物には、室町幕府の第3代将軍の足利義満、同じく第8代将軍の足利義政、織田信長、明治天皇などがいます。
特に織田信長は、自分が天下人になったことをアピールするために、蘭奢待を利用したエピソードはあまりにも有名。室町幕府を滅ぼした織田信長は、足利義政以降、何人もの将軍が希望しても叶えられなかった蘭奢待を手にすると、一部を切り取って家臣たちに分け与えました。
また、織田信長は残りのかけらを焚いて茶会を催したとも伝えられています。
織田信長には、蘭奢待を手に入れることで自分こそが天下人であると喧伝する意図があったのでしょう。
あえて足利義政が切り取った場所のすぐ横から、同じくらいの大きさのかけらを切り取っていることからも、織田信長の意図が伺えます。
蘭奢待を切り取ると不幸がある?
蘭奢待は、どの時代も権力者たちを魅了してきました。
一方で、蘭奢待をあえて切り取らなかったのが、江戸幕府を開いた徳川家康です。徳川家康は、正倉院に人を派遣して蘭奢待の調査を行ったものの、切り取ることはしませんでした。
その理由として挙げられるのが「蘭奢待を切り取ると不幸がある」という言い伝えです。
蘭奢待を切り取った織田信長は、家臣である明智光秀に裏切られて本能寺の変で無念の死を遂げました。また、足利義政は、室町幕府が弱体化する原因となった応仁の乱を引き起こすきっかけとなりました。
蘭奢待に関する言い伝えは、こうした事実を指しているのでしょう。
こういった言い伝えを恐れたためか、徳川幕府の将軍は誰も蘭奢待を切り取らなかったと言われています。
蘭奢待を一目見たい!
蘭奢待は原則として一般公開されていないため、東大寺や正倉院を訪れても展示されていません。ただし、「正倉院展」などのイベントが行われる際は、特別に公開される可能性があります。
蘭奢待を一目見たいという方は、展示が開催される際にぜひ足を運んでみてください。
また、名古屋にある徳川美術館には、重さ0.4gとごく小さなかけらではあるものの、蘭奢待の一部が収蔵されています。
徳川美術館は、徳川家ゆかりの品物を収蔵する美術館です。徳川美術館の蘭奢待は、1754年に尾張徳川家に献上されたものだと言われています。
関心のある方は、ご覧になってみてはいかがでしょうか。