アンリ・マティスといえば、何を思い浮かべるでしょう。
色彩の魔術師、フォーヴィスムの創始者、切り紙絵などを想像する人は多いのではないでしょうか。
そのほかにも、マティスといえば「オダリスク」の絵があります。
マティスが描いたオリエンタルな女性像であるオダリスクは、当時戦争で傷つき心の平和を願った人々のニーズに寄り添い、人々から人気を集め、マティスの名声はさらに高まっていきました。
目次
色彩の魔術師アンリ・マティスと『トルコ椅子にもたれるオダリスク』
マティスは、色彩の魔術師とも呼ばれていたフランスの巨匠で、フォーヴィスムをけん引した画家でもあります。
マティスが南フランスのニースで制作活動をしていたとき、オダリスクと呼ばれるハーレムの女性をモチーフにした作品を多く描きました。
なお、この時代はマティスだけではなく多くの芸術家がオダリスクの作品を制作していました。
オダリスクとは、オスマン帝国のイスラム君主の後宮に仕える女奴隷を指し、ハーレムは、アラビア語で「禁じられた場所」を意味しています。
オダリスクは、性の解放を象徴する存在であり、プロテスタントの禁欲文化への反動として、ヨーロッパの人々には大変刺激的に映ったそうです。
そのため、多くの芸術家がオダリスクをテーマに作品を制作し、マティスもその一人としていくつもの作品を残しました。
浮世絵や錦絵の影響が見受けられる『トルコ椅子にもたれるオダリスク』とは
作品名:トルコ椅子にもたれるオダリスク
作者:アンリ・マティス
制作年:1928年
技法・材質:油彩・キャンバス
寸法:60.0×73.0cm
所蔵:パリ市立近代美術館
『トルコ椅子にもたれるオダリスク』は、マティスが浮世絵の影響を受け、はっきりとした輪郭線や平面的な構図を意識して描かれたオダリスク作品です。
ほかの芸術家たちが描いたオダリスクは、どれも妖艶で色気のある女性像が描かれていますが、マティスの描く『トルコ椅子にもたれるオダリスク』からは、妖艶さがあまり伝わりません。
平面的かつ鮮やかな色彩は、日本の浮世絵や錦絵からインスピレーションを受けていると考えられるでしょう。
第一次世界大戦後のヨーロッパとオダリスク
オダリスクを多く描いていた南フランスのニースでの活動時代、マティスの作品は、伝統の復権を求めて高まる植民地主義を背景に、エキゾティックなスタイルが流行する第一次世界大戦後のフランス民衆から歓迎されました。
ヨーロッパの欲望を幻想としてオリエントに託し、ハーレムの女性を描いたオダリスクは、19世紀のオリエンタリズム絵画の主要なテーマとなりました。
ルノワールに倣い舞台装置を活用してオダリスクを描く
オダリスクを描き始めたマティスは、ルノワールに倣ってエキゾティックで豊かな模様の布でアトリエの一角を囲い、ある種の舞台装置を形作ってオダリスク作品を描くようになりました。
パリやアルジェリア、モロッコなどで手に入れた屏風や壁掛けなどを用いてアトリエに舞台装置を作り、ときにはモデルの衣装を手作りすることもあったそうです。
オリエント風の調度とともに、オリエントの衣装を着たモデルにポーズをとってもらい、描くようになっていきます。
マティスにとってオダリスクというテーマは、模様のある面と身体のボリュームを画面空間で降り合わせる造形的な課題を解消するとともに、性的な魅力をまとう女性モデルのスタイルを、人工的な舞台装置と衣装により、当時の文脈に沿った絵画のテーマとして描く方法でもあったといわれています。
フォーヴィスムをけん引し時代の流れにあわせてオダリスクを描いたマティス
今回紹介した『トルコ椅子にもたれるオダリスク』をはじめとしたマティスのオダリスク作品は、ほかの画家が描いたオダリスクとは異なる魅力をもっています。
ジャポニズムの影響を受けていたマティスが描くオダリスクは、平面的で色彩がはっきりとしている特徴があります。
自然をこよなく愛し、豊かな色彩表現が特徴のマティスが描くオダリスクは、ハーレムの妖艶さからはかけ離れており、マティスが追い求めていたピュアな世界観を作り出しているのも魅力の一つです。
色彩を現実から解放した革命家マティスのオダリスク作品を通して、単純かつ鮮やかな色彩を楽しみましょう。