仏教とは、仏陀の説いた教えを指しており、世界三大宗教の一つでもあります。
仏画は、仏教と深い関連のある絵画で、崇拝や礼拝、教えを広めるために誕生しました。
日本でも広がりをみせていった仏画の歴史や国ごとの特徴を知り、仏教についての理解を深めていきましょう。
目次
仏画とは
仏画とは、その名のとおり仏様を描いた絵を指します。
寺院の壁や掛軸などに仏様の姿そのものを描いたものだけではなく、仏教をテーマにして描かれたものも仏画と呼びます。
また、絵画だけではなく版画も仏画の一種です。
仏様の姿を彫刻で表現したものを仏像と呼んでいます。
仏画にはさまざまな種類があり、礼拝で用いられる独尊で描かれた仏様や、菩薩様の尊像画、浄土図などがあります。
仏画は、基本的に寺院に納められるもののため、仏画を描く仏画師には、日本の伝統絵画に関する卓越した技術や知識などが求められるのです。
崇拝や礼拝のために描かれた
仏画は、仏教に関連した内容が描かれたもので、仏教の思想や信仰のもと崇拝や礼拝の対象として制作されるようになりました。崇拝や礼拝のために描かれる仏画の対象となる仏様は、以下の通りです。
・釈迦如来
・大日如来
・阿弥陀如来
・薬師如来
・観音菩薩
・弥勒菩薩
・普賢菩薩
・文殊菩薩
・地蔵菩薩
・虚空蔵菩薩
・日光菩薩
・月光菩薩
・不動明王
・孔雀明王
・愛染明王
・金剛夜叉明王
・大黒天
・吉祥天
・弁才天
また、仏画で教義内容を表すことで教化や修法を目的とした使われ方もしています。
仏教は、仏像の姿だけでは伝えきれないほど複雑で詳細な教義内容を含んでいます。
そのため、仏画は民衆に仏教を咀嚼して伝えるための役割も担っているのです。
仏教の思想や信仰を広める役割がある
仏画は、仏教の思想や信仰を広める役割も担っています。
絵画の内容を口頭で分かりやすく解説することを絵解きといい、仏画が制作されるようになったころ、文字を読める人が少なかったことから絵を使って仏教を教える必要があります。
そのため、仏画を用いた絵解きは、仏教を布教する上で重要な役目をもっていたのです。
たとえば、平安時代のころ、法隆寺や四天王寺では「聖徳太子絵伝」の絵解きが行われていたといわれています。
のちに、絵解きを職業として暮らす人も現れはじめ、日本中に絵解きが浸透していきました。
仏画の歴史
仏様を崇拝や礼拝するためや、仏教の教えを広めるために制作されるようになった仏画。
仏画が生まれたのは紀元前5世紀ごろといわれています。
そのころから今日まで、仏画がどのような歴史を辿ってきたのかを知ることで、仏教の在り方についても理解を深めていきましょう。
仏画が生まれたのは紀元前5世紀ごろ
仏画が誕生したのがいつか歴史を辿っていくと、紀元前5世紀ごろにまでさかのぼります。
紀元後は、ギリシャ文化の彫刻から影響を受け仏像が作られるようになり、仏画が描かれるようになりました。
現在知られている世界最古の仏画は、インドのアジャンタ石窟寺院の壁画で、この壁画はこのころに描かれたといわれています。
日本における仏画の始まりは平安時代とされており、その後、鎌倉時代になるとたくましい作風の仏画が生まれ、禅宗による仏画も盛んに描かれるようになっていきました。
平安時代以降に日本へ伝わる
仏教自体は飛鳥時代に中国から日本に伝来していましたが、仏画は残っておらず、日本の仏画の始まりは平安時代といわれています。
平安時代、日本は中国から伝わった仏画の影響を強く受けた仏画が多く制作されました。
特に盛んに描かれていたのが曼荼羅と呼ばれる仏画で、密教における仏の世界を表現したものです。
平安時代後期には、末法思想が人々のあいだで流行し、浄土真宗のもとで来釈迦図が描かれるようになりました。
来迎図は、人が亡くなった後、極楽浄土から阿弥陀如来がお迎えにくるという浄土真宗の教えを仏画で表現したものです。
鎌倉時代からは開祖の姿も描かれるように
貴族社会から武家社会に移り変わり、武士が政権を握っていた鎌倉時代には、たくましさを感じさせる仏画が多く描かれるようになっていきました。
たとえば、「垂迹画」や「六道輪廻思想画」などがあります。
また、このころ似せ絵と呼ばれる肖像画も誕生し、仏画の中で開祖の姿を描くようになっていきました。
平安時代までは、仏教の教えなどを表現するための仏画が多い傾向でしたが、鎌倉時代に入ってからは現実を追求するようになり、また人そのものに着目する視点をもつようになったため、仏画でもありのままの姿が描かれるようになっていきました。
室町時代は禅宗による仏画が盛んに
室町時代は、幕府の保護を受けていた禅宗による影響を強く受けた仏画がよく描かれるようになり、水墨画の仏画が多く制作されました。
室町時代に描かれた仏画には、北九州の豊前国分寺にある『賢劫千仏図』、『胎蔵界曼荼羅図』などがあります。
江戸時代以降は掛軸以外にも描かれるように
江戸時代には、幕府御用達絵師として活躍していた狩野派絵師の影響により、掛軸だけではなく襖や壁、障子などにも仏画が描かれるようになりました。
江戸時代では、復古大和絵派の冷泉為恭や、狩野一信などが描いた仏画が有名です。
描くものに違いこそあれど、これまでの時代と比べて大きな特徴の変化はみられず、現在制作されている仏画に至っています。
仏画の国ごとの特徴
仏教の起源は、紀元前5世紀ごろとされ、インドで釈迦が悟りを開いたことから始まっているとされています。
しかし、仏画に焦点をあててみると、絵についてはインドよりもチベット絵画の流れをくむものが多くみられます。
インドの仏教絵画
インドのアジャンタ石窟からは、保存状態はあまりよいとはいえませんが、紀元前後に制作されたとみられる絵画が発見され、仏教絵画の最古の遺品として注目を集めています。
インドの初期仏教美術では、仏教の開祖である釈迦の姿を人として造形すること、つまり仏像の制作は避けられていました。
インドのバールフト遺跡では、欄楯の隅柱に民間信仰の神であるヤクシャやヤクシーの像や仏教説話の場面などが表現されています。
欄楯の隅柱以外の柱には、円形の枠や半円形の枠、貫にも円形の枠が設けられ、枠内に動植物や仏伝図、本生図などが浮彫されていました。
ガンダーラでは、釈迦の前生の物語を絵画化した本生図よりも、釈迦の伝記にもとづき生涯の中で起こったさまざまな出来事を描いた仏伝図が好まれ、特に仏陀の生涯の四大事に関連したものが多く制作されました。
中国の仏教絵画
中国では、唐代まで壁画が中心であり、敦煌莫高窟からは、5世紀から12世紀ごろのものとみられる壁画や幡に描いた仏画、経典の挿絵として冒頭に描かれた仏画などが発見されています。
北魏代の5世紀ごろに仏伝と本生譚が多く制作されたと考えられており、唐代の7世紀ごろから浄土変相図が多くなっていきました。
南宋時代に制作された仏画は、日本にも伝わってきており、永保寺所蔵の絹本着色千手観音図などがあります。
南宋時代以降は、禅宗寺院や文人官僚の趣味を考慮した水墨画や白描画による仏画制作も行われていきました。
また、モンゴル族の多くはチベット仏教を信仰していたため、元の時代にはチベット様式の仏画が導入され、その後、明、清時代にも多く制作されました。
中央アジアの仏教絵画
中央アジアのバーミヤーンやキジル石窟、ミーラン遺跡、ベゼクリクなどの仏教寺院遺跡からは、石・土の壁を飾る壁画が発見されており、ローマやインド、中国などさまざまな国の様式から影響を受けていることがうかがえます。
チベットの仏教絵画
チベットでは密教が盛んであり、数多くの仏様が信仰の対象となり、そのグループを密教パンテオンと呼びました。
密教パンテオンは、7つのグループに分けられています。
・仏または如来
仏は目覚めた者、如来は心理からやってきた者という意味をもっています。
すでに悟りを開いた仏教上でも最高位の仏たちによるグループです。
・菩薩
菩薩とは、悟りを開くために修行に励む僧のことです。
インドの王侯貴族である釈迦がモデルになっているため、アクセサリーをたくさんつけた煌びやかな衣装で表現されることが多くあります。
・女神
白多羅や緑多羅や瑜伽女、荼枳尼などのおそろしい姿をした魔女のような女神たちも、このグループに属しています。
チベットでは、女神は高い地位にいる者で人気が高い傾向です。
・忿怒尊
忿怒尊は男神のグループで、仏教の教えを守るために教えに従わない者たちには、おそろしい姿で威嚇し、正しい教えに導く役割を担っています。
日本でいう大黒や不動明王などの明王に該当する者たちがこのグループに属します。
・護法神
護法神とは、インドのバラモン教やヒンドゥー教を起源にもつ神々のことです。
現代のヒンドゥー教でも信仰されている帝釈天や閻魔と、ブラフマー神・シヴァ神・ヴィシュヌ神の三男神、ゾウの顔をもっているガネーシャ神などがこのグループに該当します。
また、太陽、月、火星、水星などの星たちも星神として崇拝されています。
・祖師
祖師は、神仏とは異なりますが、宗派の創始者になり教えを広めるといった、仏教を広げていく過程の中で大変活躍した僧侶たちを指しています。
有名な祖師には、チベット仏教ゲルク派の創始者であるツォンカパやニンマ派のパドマサンバヴァ、ヨーガ行者であるミラレパなどがいます。
・秘密仏
密教の発展の中で誕生した、おそろしい姿の尊格を秘密仏と呼んでいます。
秘密仏は、本来如来のグループに属する存在ですが、血で満たされた頭蓋骨杯や切り取ったばかりの人間の生首、ゾウの生皮、蛇など不気味なものに飾られた姿がおそろしく、秘密仏と呼ばれているのです。
ヘーヴァジュラやチャクラサンヴァラ、カーラチャクラなどがこのグループに属しています。
チベット仏教では、仏画をタンカと呼んでおり、タンカには密教の儀式や規則を記した儀軌と呼ばれる経典に沿った容姿や身体の色、法具などを用いて仏様が描かれます。
たとえば、阿弥陀如来は赤色、大日如来は白色、薬師如来は青色というように儀軌で定められているのです。
朝鮮の仏教絵画
海をへだてて日本と隣り合っている朝鮮半島に仏教が伝わったのは、日本よりも200年ほど早い4世紀ごろといわれています。
仏教の教えは、朝鮮で暮らす人々の心の拠り所となり、文化や思想に大きな影響を与えていきました。
1392年まで朝鮮半島にあった王国「高麗」では、仏教を国教として朝鮮半島に多くの仏教寺院を作り、仏像や仏教絵画が次々に制作されていきました。
現在、高麗仏画と呼ばれる作品は、世界中で約165点のみ確認されています。
そのうち、110点近くが日本にあるといわれています。