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平安貴族の遊び、薫物合(たきものあわせ)

平安時代、貴族にとって香りは日々の生活に欠かせないものでした。

薫物(たきもの)と呼ばれる練香を作ることが広まると、その優劣を競う薫物合(たきものあわせ)という遊びも流行しました。

薫物合は、香道のルーツでもあります。

 

平安貴族の遊び、薫物合(たきものあわせ)とは

仏教とともに日本にもたらされた香りは、奈良時代まではあくまでも宗教儀礼で用いられるものとされていました。
しかし、平安時代には、貴族の間で日常的に香りを楽しむ文化が発達します。

平安貴族の趣味・嗜み、お香

平安時代には、仏事に限らず趣味や嗜みとして香りが用いられるようになりました。
香りを部屋で楽しむほかに、主に衣服や手紙に焚きしめるといった使われ方をしていたといわれています。
その背景には、当時の貴族女性は髪が長い上に頻繁に洗髪するのが難しかったという事情もあったのでしょう。

しかし、それ以上に平安時代の貴族にとっての香りは、自己表現の方法の一つとして大切なものだったと考えられます。
当時の貴族は、男性も女性もそれぞれが独自に調合した、自分だけの香りを持っていました。使用する原料や製法に工夫を凝らして、自分らしい香りを作っていたといわれています。
香りは、自分の美意識や知性をさりげなくアピールする手段だったのです。

特に女性は、家族などを除いて人前に姿を見せないことがマナーとされていました。顔が見えない中で、衣服の残り香や受け取った手紙から漂う香りは、女性の個性を相手に伝える方法として用いられたのでした。

平安時代に流行した「薫物合」

薫物とは、沈香や白檀のような香木に香料の粉末、蜂蜜などを混ぜて練り固めた練香のことです。
伏籠や香炉を使って、部屋や衣服に焚きしめるために使われます。
また、薫物から発展した遊びである薫物合も流行しました。

薫物合では、それぞれが調合した薫物を持ち寄って、どれが優れているかを比べます。貴族たちが自分の知性や感性、珍しい香料を入手できる身分などを披露できる場でもありました。
薫物合は、香道における香りの楽しみ方の一つである「組香」につながっています。

 

薫物の登場する平安時代の物語

貴族の生活の一部であった薫物は、平安時代の文学作品にも描かれています。

薫物合は源氏物語「梅枝」にも登場

紫式部(むらさきしきぶ)による世界最古の女性文学といわれる『源氏物語』。
『源氏物語』の「梅枝」巻では、主人公の光源氏が薫物合のための薫物作りを女性たちに依頼する場面、ならびに完成した薫物の優劣を判定する場面が描かれています。この場面では、光源氏が愛する妻、紫の上と別居してまで薫物作りに没頭している様子が描写されています。
遊びとはいえ、当時の貴族にとって薫物合わせは軽視できないイベントであったことが分かるでしょう。

また、光源氏は天皇秘伝の調合法、紫の上も皇子から伝授された調合法を使用しています。薫物作りにおいて、それぞれが秘伝の製法を持っていたことと、お互いに製法が漏れないようにして、張り合っている様子が伝わります。

枕草子では「心ときめきするもの」

清少納言(せいしょうなごん)の随筆『枕草子』では、心をときめかせるものの一つとして薫物に触れています。
恋人を待つ時間などと並んで、「高級な薫物を焚きながら一人で横になっているとき」と「洗髪、化粧を済ませた後によい香りを焚きしめた着物を着るとき」に心がときめくと書いた清少納言。
平安時代から人々がよい香りに癒やされていたことが分かるでしょう。

 

平安貴族の楽しんだ薫物合は、やがて香道の原点に

貴族が文化の中心を担った平安時代に対し、その後の鎌倉・室町時代に権力を持ったのは武士でした。
華やかなものよりも質素なものを好むように価値観が変化する中で、香りを楽しむ対象も薫物から香木へ移り変わります。
香木を基本として、香りを鑑賞する香道は室町時代に確立したとされています。

形が変わっても香りを楽しみ、感じる心は、平安時代も今も変わりません。
平安貴族の楽しんだ薫物合は香道の原点です。

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