日本では高級絨毯としての魅力を持っているペルシャ絨毯。遠い国イランから日本に伝わってきた織物製品です。ペルシャ絨毯はかつてシルクロードを通じてさまざまな国へ運ばれていました。シルクロードは古来よりシルク製品や絨毯だけではなく、さまざまな製品や文化を運ぶ偉大な交易路です。ペルシャ絨毯をはじめとした、多くの製品や文化を世界に広げる手助けをしたシルクロードの歴史と役割を知ることで、ペルシャ絨毯の発展や魅力に迫っていきましょう。
目次
シルクロードを渡った、ペルシャ絨毯
かつてシルクの交易路として利用されるようになり、その後さまざまな製品が行き交う大きな道となったシルクロード。商品の交換だけではなく文化の交流も盛んに行われていました。たとえば、クシャーナ朝の宗教である仏教は、キャラバン商人と僧侶によってインドから中央アジアと中国に伝わりました。かつて文化も運んだシルクロード周辺では、多数の都市で仏教遺跡を見かけます。
シルクロードとは
シルクロードとは、19世紀にドイツ人地理学者リヒトホーフェンが作った言葉です。中央アジアを東西に横断する古代の交易路を指しています。紀元前2世紀~18世紀の間、シルクロードを通って多くの交易品や文化が行き来していました。シルクロードの歴史的価値が認められて、2014年にシルクロードの一部である長安から天山回廊の交易路網が世界遺産として登録されています。
シルクロードを通じてさまざまな交易品が世界に広がっていきました。主な交易品はシルクです。シルク製品は当時大変貴重だったため、中国で作られたシルク製品を求めて遠方のローマや西アジア、インドなどから多くの商人たちが中国まで足を運んでいました。その後、交易はシルク製品だけにとどまらず、シルクの生糸や染色などの技術取引にも発展し、世界中でシルク産業が発展したきっかけとなったのです。
また、シルク以外にも多くの交易品が行き交っており、中国は馬やルツェルン、ブドウの種などを受け取っていました。中国よりも東側では昔からブドウの木が栽培されワインが造られていましたが、中国人にとっては真新しい果物でした。ほかにもインゲン豆や玉ねぎ、きゅうり、にんじん、ザクロ、イチジクなどの農作物も中国に伝わっています。
また食品以外には、絨毯やカーテン、毛布、敷物などさまざまな織物製品が中央アジアや東地中海から中国に伝わってきており、羊毛や亜麻の加工方法、絨毯の織り方などの知識がなかった中国人に大きな変革をもたらしました。古代中国で高く評価されたのはパルティアのタペストリーや絨毯です。
中央アジアからは、中国で高い評価を受けていたラクダや軍需品、金銀、半貴石、ガラスなどが輸出されていました。とくにサマルカンドで製作されたガラスは品質が良く高い評価を受けています。そのほかにも、羊毛や皮、綿織物、金の刺繍などの製品だけではなくメロン、スイカ、桃などの果物も輸出されています。また、羊や狩猟犬、ライオン、ヒョウなどの動物もシルクロードを通じてやり取りされていました。
中国側からは美しい純白の花瓶や器、グラス、優美な文様の皿などの磁器が好まれ、多く運ばれていきました。ヨーロッパではこの磁器を製作する技術や知識がなかったため、大変価値が高く、高値でやり取りされています。
このようにシルクロードは古来より多くの国々に利用されており、さまざまな物品が行き交っていました。
シルクロードから中国に渡った絨毯
ペルシャ絨毯はトルコを通り、シルクロードを渡って中国に伝わりました。ペルシャ絨毯が元となり中国で製作されるようになったのが中国段通です。中国段通は、ペルシャ絨毯と同じように縦糸に対してパイル糸を結んでいき、1本1本カットして織り上げていきます。ペルシャ絨毯は、細い糸を利用しノット数を増やすことで繊細な文様を表現するとともに薄くて丈夫な特徴があります。
一方、中国段通は太い毛糸を用いて糸の量が少なくなり、厚みとボリュームのあるのが特徴です。また、独特の艶出しや、カービングによる浮き彫りとぼかしなどの技術が発展し、中国段通独自の味わいが生まれていきました。織りの密度が高いほど繊細な文様を表現できる点はペルシャ絨毯と共通しています。中国段通には表現方法の一つとしてぼかし技法というものがあります。絵画的文様や精巧な刺繍の文様、手書き友禅風など、さまざまな織りを可能とする技法です。
コントラストが強く色鮮やかなペルシャ絨毯に対して、中国段通は穏やかなグラデーションとふっくらした優しい風合いが魅力です。文様には、フランス王朝ロココ時代の美術文化を前面に表現したフランス柄や、伝統的な中国古来の壷の文様を描いた北京柄などが好んで描かれています。そのほかにも、無地の段通に花などの図柄が浮き彫りされている素凸柄、梅や菊などの花が両端に織り込まれた彩花柄などもあります。中国段通は厚みがありパイル表面がやわらかいため、足音や物を落とした時の音を吸収してくれるとともに、温もりを感じられる点が魅力です。
日本でも愛される、ペルシャ絨毯
ペルシャ絨毯は日本でも愛されている織物製品の一つです。ペルシャ絨毯が日本に伝わったのは17世紀~18世紀ごろといわれています。ポルトガル・スペインもしくはオランダ東インド会社との海上貿易により伝わりました。
また、京都市東山区の鷲峰山高台寺には、かの戦国武将豊臣秀吉が所有していたとされている陣羽織が所蔵されています。正式には絨毯ではなく綴れ織りのキリムを加工したものです。しかし、この陣羽織りにはウールではなく金糸や銀糸が使用されており、ポロネーズ絨毯同様に16世紀後半~17世紀初頭にイスファハンもしくはカシャーンの宮廷工房で製作されたものではないかと推察されています。
また、京都の祇園祭で街を練り歩く山鉾の懸装品としても、17世紀中期に製作されたと考えられるポロネーズ絨毯が使用されています。
シルクロードとカーペットベルト
中国の長安からローマを結んだ古くからの交易路であるシルクロード。もとは中国産のシルクが多く運ばれたことよりその名が付きました。また、このシルクロード近辺はカーペットロードとも呼ばれています。イランをはじめとした絨毯やラグの文化が根付いている地域が、シルクロード一帯に帯状になって広がっていることから、カーペットベルトの名が付きました。
カーペットベルトとは
カーペットベルトとは、シルクロードの中でも伝統ある絨毯づくりを行っている地域一帯を指します。イスラム圏とほぼ重なるカーペットベルトでは、古代より絨毯の広がりや交流があったと考えられています。
なぜ絨毯(カーペット)文化が発達したのか
カーペットベルトにおいて絨毯の製作や輸出が盛んになった理由は以下のとおりです。
・乾燥気候かつ気温差の激しい地域で絨毯を必要とする環境がある
・原材料の羊毛が簡単に手に入る
・移動を続ける遊牧民は家具を使わない床生活のため
・東西に交易路が整備されている
・イスラムの習慣で礼拝時に絨毯を利用する習慣があったため
・古くから染織技術の伝統を持つ都市が多くある
文化に根付き進化した、ペルシャ絨毯
ペルシャ絨毯は、シルクロードを経てさまざまな国へ伝わり独自の進化を遂げました。製品そのものや織りの技術だけではなく、その独特な文様も各国へ伝わり、アレンジを加えられて親しまれています。たとえば、ペルシャ絨毯で好まれているアラベスク文様は日本では唐草模様として発展しました。イランは遠い国のように思えますが、このようにシルクロードを通して伝わってきたペルシャ絨毯やさまざまな製品によって、とても身近なものになっているといえるでしょう。イランから日本へはるばる運ばれてきたペルシャ絨毯の魅力は、ぜひ実物を手に取って感じてみることをお勧めします。