画商は主に絵画を取り扱う美術商
画商とは、一般的に絵画をメインに取り扱う美術商を指しています。
また、ギャラリストと呼ばれることもあり、ギャラリストは作品を展示できる画廊を持っています。
もともとヨーロッパにおける絵画の注文方法は、貴族や教会、大商人など特定のパトロンから画家へ直接オーダーするものでした。
その後、貴族階級ではなく資本家のブルジョワ階級が広がりをみせ、一般民衆が経済的に力を持つようになってからは、美術の需要も一般へと広がっていきます。
絵画の需要の広がりにあわせて、画商が活躍する場も増えていき、18世紀ごろのフランスでは、副業として画商を兼任する商人が登場し、19世紀ごろからは画商を専門の職業とする人々も現れはじめました。
19世紀から画商の役割は多岐に渡るようになり、印象派やポスト印象派の画家たちが生活に困らないよう、さまざまな面からサポートを行っています。
印象派やポスト印象派の芸術家たちを世間から評価してもらえるよう試行錯誤した画商が、ポール・デュラン=リュエルやポール・ギヨームなどです。
もちろん画商の仕事は、若手画家たちを当時の社会で評価してもらえるよう働きかけることだけではなく、美術史上で重要な資料を提示したり、美術館へコレクションを提供したりする役割も担っていました。
画商の役目は現在にも受け継がれており、単に絵画を販売するだけではなく、芸術家を育てたり、新しい美術を世間に発信したりする存在となっています。
画家の成功は画商がきっかけになっている?
画家たちが自分の絵を展示・販売し、世間から高い評価を受けて成功するためには、画商のサポートも欠かせません。
ポール・デュラン=リュエルと印象派
ポール・デュラン=リュエルは、フランスの画商で、主に印象派やバルビゾン派などと連携していました。
近代画商の先駆者とも呼ばれており、画家たちを支援するために俸給制を導入したり、画家の個展を開催したりしました。
1860年代から1870年代の初めにかけては、画商となりバルビゾン派の重要な支持者として、画家たちを成功に導いたといわれています。
その後、印象派と呼ばれる画家グループとも関係性を築くと、印象派の芸術的かつ斬新な可能性を1870年代の早い時期から見出し、1872年にはロンドンで印象派をメインとした大規模な展覧会を開催しました。
アメリカのニューヨークへ移り住んだ後は、息子であるジョセフ、チャールズ、ジョージの3人が、初期ニューヨークの画家とフランスの印象派画家の作品を交互に展示する画廊を運営し、ニューヨークにおいて画商の地位を確立させました。
同時に、アメリカでの印象派の人気を高めるきっかけを作ったともいえるでしょう。
19世紀の最後の30年間では、リュエルの名が世界中に知れ渡り、世界で最も有名な画商であったといえます。
また、当初批判を受けていたフランスの印象派グループを商業的な成功に導いた重要人物としても認識されています。
リュエルは、アメリカだけではなくヨーロッパでも印象派の評価を高め、市場を確立することに成功しました。
リュエルの画商としての腕によって商業的成功をおさめた印象派画家には、エドゥアール・マネ、エドガー・ドガ、クロード・モネ、カミーユ・ピサロ、ベルト・モリゾ、オーギュスト・ルノワール、アルフレッド・シスレーなどがいます。
ジュリアン・フランソワ・タンギー
ジュリアン・フランソワ・タンギーは、パリの絵具商で、売れない画家たちを支援していたことでも知られています。
パリのモンマルトルで画材屋を営んでいたタンギーのお店には、当時まだ売れていない若手の画家たちがよく訪れており、交流の場となっていました。
画材屋であったため、画家たちが使う画材を販売していましたが、貧しくお金のない画家には、お金の代わりに描いた絵画での支払いを認めていたそうです。
画家という職業を深く理解し、サポートしていたタンギーは、多くの画家たちから慕われていました。
タンギーの画材屋に出入りしていた画家には、ポール・セザンヌ、フィンセント・ファン・ゴッホ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、エドゥアール・マネ、ポール・ゴーギャン、カミーユ・ピサロ、クロード・モネ、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックなどがいます。
現代では、有名な芸術家たちですが、当時はまだ若手の売れない画家で、タンギーからの支援を受けたり、店で絵画を展示・販売させてもらっていたりしたそうです。
特に、ゴッホはタンギーを慕っており、私利私欲に走らないタンギーの生き方を尊敬し、共感したゴッホは、タンギーとともに社会主義的な世界を夢見るようになったといわれています。
タンギーは、全人類を互いに結び付け、利己的で痛々しく血なまぐさい状況や、野心的な争いが起こらないような絶対的な愛を信じていました。
ゴッホも同じ理想を持っており、2人は大変貧しかったにもかかわらず、自分たちが持っているものを人々に分け与えていました。
ゴッホは絵を、タンギーは絵具やテーブル、金を、友人から労働者、娼婦など、つながりのない見知らぬ人々にも対等に分け与えたのです。