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琳派は桃山時代から続く有名な日本画の流派です。

江戸時代中期に活躍した尾形光琳(おががたこうりん)の名をとって琳派と呼ばれていますが、当時からこの流派の名前で呼ばれていたわけではありません。尾形光琳が生きた時代では彼らに対して特別な名称はなく、それぞれが尊重しあい私淑し、絵を描いていました。

近代に入ってから、尾形光琳に通じる画風や特徴を持つ絵画を描いていた絵師たちをまとめて琳派と呼ぶようになったようです。

装飾性やデザイン性の高さが特徴の琳派の作品。ヨーロッパの印象派や現代の日本画にも大きな影響を与えたとされています。そんな琳派の歴史や作品を通してより日本画や掛軸などへの興味を深めていきましょう。

 

高いデザイン性で人気を博した、琳派とは

桃山時代後期から近代まで約400年間継承されてきた琳派。

私淑と呼ばれる独自の継承スタイルにより長い間受け継がれてきました。私淑は、同じ流派の家のもとに生まれたり、その流派で絵を制作している人物に弟子入りしたりして、流派の画風や技法を学ぶことを求められません。誰かの師事を必要とせず、個人的に尊敬する人を模範として学ぶことで、琳派を名乗ることが可能でした。

とはいえ、琳派という呼び名は近代になってから過去を振り返り名づけられたものです。

そのため、当時はただ尾形光琳らの画風に憧れ、参考にして作品の制作にあたっていた画家が多くいたというだけのことでしょう。私淑により琳派では流派の特徴を継承しつつも絵師ひとり一人の個性が大きく反映された作品が数多く生み出されています。そして、近代までに多くの偉大な作家を輩出しています。

 

琳派の歴史

琳派は桃山時代に始まったとされる流派で、豊臣秀吉が天下を取り徳川家康に敗れるまでの戦乱の世にて始まったといわれています。

当時、戦乱の世ではあったもののヨーロッパや琉球、朝鮮、明などの文化との接触が多くあり、戦国の簡素な機能美が好まれる一方で、芸術や工芸には豪華絢爛で鮮やかなテイストも求められました。混沌とした時代の中で、当時画家としての芸術的センスの高さで有名だった本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)に才能を認められた俵屋宗達(たわらやそうたつ)は、二人で共同制作を行い、数多くの大作を手掛けていました。

その後、二人の作品に感銘を受けて俵屋宗達を師と呼び模写したのが尾形光琳です。

尾形光琳が生きた時代は俵屋宗達らのおよそ100年後の世界。つまり、同じ時代に生き師事を受けたわけではありません。ここに尊敬する絵師の作品を模範として学ぶ、私淑の流れが生まれたと考えられるでしょう。尾形光琳が生きた時代からさらにときがたち、酒井抱一(さかいほういつ)が尾形光琳らの作品を支持し、琳派としての画風が受け継がれていきました。

琳派の名前の由来にもなっている尾形光琳は、京都の裕福な呉服屋で生まれています。

のちに実家の経営が傾き、経済的に困難な状態を迎えてしまいます。苦境を脱するために芸術活動を始め、俵屋宗達に私淑しました。俵屋宗達の作品や画風を基礎としながらも尾形光琳としてのアレンジも加えていき、独自の画風を確立していきました。その後、尾形光琳とその作品が公家や大名などの目に留まり、第一線で活躍する絵師にまでのぼりつめたのです。尾形光琳が亡くなったあとも、その画風や作品は多くの人の興味を引き、私淑する絵師も多くいました。その一人が酒井抱一です。

酒井抱一は江戸時代後期に江戸にて活躍した絵師で、尾形光琳の作品に尊敬を抱き私淑し、京都で始まった琳派を江戸でも広めた人物です。酒井抱一には鈴木其一(すずききいつ)という弟子がいました。琳派としては珍しく直接手ほどきを行っていました。このように琳派は私淑により自由な広がりを見せ、長くそして大きく日本画へ影響を与えています。

 

琳派の有名絵師や作品

俵屋宗達

作家名:俵屋宗達(たわらやそうたつ)
代表作:『風神雷神図屏風』『狗子図』
生没年:不詳

俵屋宗達は本阿弥光悦とともに琳派のきっかけになった人物とされています。

江戸時代初期に京都で活躍した絵師ですが、経歴や生没年などの伝記資料がまったく残っていません。

当時、俵屋宗達は絵屋を営んでおり扇絵や屏風絵、色紙、水墨画などの制作を行い人気を集めていました。俵屋宗達の名が広く知れ渡ったのは本阿弥光悦との出会いがきっかけとされています。俵屋宗達は当時多彩な才能を持つ芸術家であった本阿弥光悦に腕を見込まれ、広島の厳島神社の平家納経の修繕作業を手伝いました。

その後、本阿弥光悦に才能を認められ、ともに数多くの共同作品を制作するようになっていきます。

共同作品はダイナミックかつ巧みな筆使いでありながらも余白を活かす斬新な構図で制作され、日本画の新たな境地を開拓していきました。多くの共同作品は話題を集め、ついには皇室や江戸幕府の将軍家からも声がかかるほどでした。1630年に俵屋宗達は僧侶に与えられる法橋と呼ばれる高い位を授かります。町人として異例の大出世を成し遂げた俵屋宗達はその後も町絵師として制作を続け生涯を終えたといわれています。

本阿弥光悦

作家名:本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)
代表作:『扇面月兎画賛』『舟橋蒔絵硯箱』
生没年:1558年-1637年

本阿弥光悦は1558年に京都で生まれ、家は日本刀の査定や研磨を家業とする裕福な町衆でした。刀剣の製造では木工や金工、漆工、革細工、染色、貝細工など、さまざまな工芸技術が必要となるため、本阿弥光悦は幼いころから芸術に対する審美眼や技術を培っていったと考えられます。

また、工芸だけではなく書や和歌などにも興味を抱き、多くの教養を身に付けていきました。父親が分家するのをきっかけに刀剣家業から離れ、芸術作品の制作に取り組むようになりました。本阿弥光悦が総合芸術家としての才能を開花させたのは40代に入ってからとされています。当時、画家として名が広がらないことに悩んでいた俵屋宗達に平家納経の修繕を手伝わせ、見事才能を開花させました。

本阿弥光悦は57歳のとき、徳川家康より京都の最北部に位置する鷹ヶ峯に約9万坪の広大な土地をもらいました。この地に多彩な芸術家たちが制作に専念できるよう光悦村と呼ばれる芸術村を築きます。村内には56もの家屋敷が軒を連ね、画家だけにとどまらず蒔絵師、筆屋、紙屋、織物屋、金工、陶工など多くの芸術家たちが昼夜創作活動に明け暮れました。

尾形光琳

作家名:尾形光琳(おがたこうりん)
代表作:『燕子花図屏風』『紅白梅図屏風』
生没年:1663年−1743年

尾形光琳は江戸時代中期に活躍した絵師です。

1658年、京都有数の呉服商である雁金屋の次男として誕生し、書や絵画、茶道、能楽などをたしなむ趣味人であった父の影響を受け、小さいころから幅広い文化芸能に触れていきます。

その後、雁金屋の経営が傾き、30歳のころに父が亡くなります。莫大な遺産はあったものの尾形光琳はまともに働きもせず遊びまわっていたため、あっという間に底が尽きてしまいました。そのため、40歳を目前にして画家として生計を立てていく覚悟を決めました。尾形光琳は絵画制作において、小さいころから文化芸能に触れてきたこともあり、優れた構図感覚や色彩感覚を発揮します。

尾形光琳は装飾的な作品を得意としており、特に富裕層に好まれました。

44歳のときに法橋の称号を得てからも精力的に絵画制作に取り組み、47歳のころ江戸に拠点を移しています。大名や豪商に向けた屏風絵制作を行っていたこの時期には、水墨画の巨匠とされる雪舟や雪村の模写も取り入れ画風研究を進めました。5年後には京都へ戻り晩年期を過ごしたとされています。

また、尾形光琳以降も彼らを私淑する画家は多く、酒井抱一や鈴木其一などの絵師も生み出しました。鈴木其一は琳派には珍しく酒井抱一に直接師事を受け技法を学んでいます。

 

琳派の画風、特徴

琳派の作品は、たらしこみや金箔・銀箔を使ったきらびやかな背景、大胆な構図設定が特徴的です。

琳派の作品として有名なのが俵屋宗達の『風神雷神図屏風』。

雨風を起こす風神と稲妻を起こす雷神が対になって屏風に描かれた作品です。金箔できらびやかな背景に二曲一双の屏風の左端と右端にそれぞれ風神と雷神が描かれています。画題を両端に描く構図は俵屋宗達が工房仕事で手掛けていた扇子のデザインから構想を得たものともいわれています。

国宝である『燕子花図屏風』は尾形光琳が描いた作品で、金色の背景に気高く咲き誇るカキツバタの群生を描いた鮮やかなこの作品は、六曲一双の対の屏風として日本の美術界を代表する存在です。凛と咲いているカキツバタの美しさはもちろん、計算された余白のバランスがより一層作品の魅力を引き立て見る者を魅了しています。

 

琳派の作品は掛軸としても残されている

琳派は私淑により広がっていった日本画の流派です。
作品から自身で学ぶことはあっても基本的には直接師事を受ける必要がないことから、琳派の伝統を継承しつつも絵師それぞれ個性を生かした作品が多く制作されている特徴があります。そのため、琳派の作品は現代でも多く残されています。

人気の絵師や作品も多いことから贋作が出回っていることに注意が必要です。
祖父母が大切に飾っていた掛軸を譲り受け、調べてみたところ琳派だった、倉庫から琳派の掛軸が見つかったなどさまざまな理由で、手元に琳派と思われる掛軸をお持ちの方もいるでしょう。自身で真贋を見極めるのは難しいため、本物の作品であるか知りたい方や掛軸の価値を知りたい方は、掛軸の査定経験のある査定士への依頼をお勧めします。
査定してもらうまでは掛軸の本当の価値がわかりません。修理や修繕を行わずまずは気軽に相談してみましょう。

 

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