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文字の読めない掛軸の”読み方”と”楽しみ方”
掛軸作品は、美しい絵だけではなく達筆に書かれた文字とその思想にも魅力があります。 古い掛軸では、文字の書体が現代と異なり読めない場合もあるでしょう。 絵や雰囲気だけでも楽しめますが、文字が読めるようになり、作家が書き綴った思いを自ら解読できるようになると、よりいっそう楽しみが広がると考えられます。 掛軸に書いてある文字が読めない… 昔に描かれた掛軸作品の文字が、現在利用されている文字とは大きく異なり、何が書いてあるのかわからないこともあるでしょう。 掛軸作品に書かれる文字は、現在広く利用されている楷書とは異なる場合も多く、なじみのない人にとっては解読が難しいといえます。 掛軸に書かれる文字の種類を知って、より芸術的価値を楽しみましょう。 掛軸にはどんな書体が用いられているか 古くから書かれ続けている掛軸の書体は、1種類だけではなく複数あります。 掛軸作品で用いられている主な書体は、楷書・行書・草書・篆書・隷書の5つ。時代によっても変化してきた書体の特徴を知り、掛軸作品への興味をより深めていきましょう。 楷書 楷書は、三国時代に生まれ、唐の時代に流行したといわれています。 書きやすく読みやすいことから、正式な書体として長く使用されてきました。 行書 行書は、隷書から派生した書体です。 楷書を簡略化した形にも見えますが、楷書よりも歴史が古い書体です。点画をつなげたり離したり、ある程度自由がきくため、個性の表現がしやすい書体といえます。 草書 草書は、篆隷を簡略化した書体です。 芸術性がありますが、読み解きには専門知識が必要な場合があります。 篆書 篆書は、現在分かっている中で最も古い漢字の書体といわれています。 秦の始皇帝が文字を統一するために制定したのが「小篆」、統一されるまで使われてきた文字を「大篆」と呼びます。 隷書 隷書は、秦の役人が業務を効率化するために篆書を書きやすくアレンジした書体。 波磔(はたく)と呼ばれる左右に波打つような運筆が特徴です。 掛軸の作者が知りたいとき 自宅の押し入れや倉庫に眠っている掛軸作品を発見したとき、まず作者が誰であり、どのような価値があるのか気になるものです。 作者を知るためには、まず落款や署名を確認します。 ただし、素人目では書かれている文字が解読できない場合も多いため、落款や署名を見つけたらプロの査定士に相談するのも一つの手です。 作者を知る方法は、ほかにも入手ルートや技法からも判断できます。 信頼できる人から譲り受けた掛軸であれば、価値のある可能性が高いでしょう。また、掛軸作品は作家によって描き方に個性がでます。 経験豊富な査定士であれば、作家のクセを見抜き、誰が描いた作品であるかを解明できる可能性が高いでしょう。 また、掛軸とともに木箱や書類などが保管されていた場合は、それらも作家を知るヒントになります。 捨てずに掛軸と一緒に査定の依頼をおすすめします。 掛軸に書かれている文字を読みたいとき 掛軸に書かれている文字を読み解きたいときは、以下の方法を試してみましょう。 ・辞書や専門書籍で解読する ・アプリを使ったり、SNSで相談する ・専門の業者へ解読を依頼する ・読める文字を手掛かりに解読する 正しい文字と見比べてみたり、知識のある人に相談することで、掛軸作品に書かれている文字を読めるかもしれません。 また、有名な漢詩や禅語であれば、読める文字から文脈を想像してみる方法もあります。 自ら想像を膨らませるのも掛軸作品の一種の楽しみ方ともいえるでしょう。 掛軸の文字が読めれば、その価値や思いに気付けるかも 掛軸は、芸術的な絵が印象の作品もあれば、美しい書体で書かれた思想が魅力の作品もあります。 芸術品や美術品の楽しみ方は人それぞれですが、掛軸の文字を読めるようになれば、作家の思いを感じられ、より深い価値や思いに気づけるかもしれません。
2024.10.12
- 掛軸とは
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掛軸の発展を支えた、同朋衆の存在
掛軸は、現代の日本における代表的な芸術品ですが、その歴史には室町時代の「同朋衆」と呼ばれる集団の活躍が大きく関わっています。 もともと掛軸は、中国の漢時代より始まった文化とされており、日本に入ってきたのは、飛鳥時代との説があります。 その後、平安時代・鎌倉時代とその技術が受け継がれましたが、掛軸を芸術の1つとして確立したのが同朋衆です。 掛軸の発展にあった、同朋衆の存在 掛軸の歴史を語るうえで、欠かせない存在が「同朋衆」と呼ばれる集団です。 同朋衆は特定の人物名ではなく、主に将軍の近くで雑務や芸能を担当した芸術指南役の集団を指します。 同朋衆は室町時代、足利義満将軍に仕えた6人の法師が始まりといわれ、主に猿楽(能の起源とされる舞踊)や庭園を始め、工芸品や絵巻など芸術文化の発展をつかさどっていました。 掛軸だけでなく「いけばな・和室・わびさび文化・茶」など、現代の日本を代表する心や文化の形成にも、同朋衆が深く関わっていたといいます。 同朋衆は、日本文化の礎を築いた貢献者ともいえるでしょう。 同朋衆とは 室町時代に始まった同朋衆の集団およびその制度は、江戸時代初期まで続いたとされています。 戦国時代には、織田信長や豊臣秀吉にも仕えたそうです。 同朋衆の姿が確認できる資料はごく少数で、その姿が確認できるのは、当時描かれた絵画資料『足利将軍若宮八幡宮参詣絵巻』のみで、この絵巻によると、同朋衆は僧侶のような服装をしており、合計5名の姿が確認されています。 『足利将軍若宮八幡宮参詣絵巻』は将軍を中心とした同行人たちを描いた作品で、八幡宮の鳥居をくぐる様子が切り取られています。 なお、同朋衆は当時の関所をくぐる際、自由に行き来ができる身分だったそうです。 こういった背景を考えると、当時の幕府から重宝されていたことがわかります。 同朋衆が活躍した時代 同朋衆が現代の芸術の基礎を築いたのは、制度が発足した室町時代のことです。 当時は、中国より伝わった水墨画の文化が流行しており、中国との往来が頻繁な禅僧は、文化人としての地位を確立していました。 足利義満将軍の代に始まった同朋衆は、芸術を生業とする役職でしたが、当時の地位のなかで高い位置に属していたのです。 同朋衆は、掛軸を含む絵巻を始め、茶道・能楽・香道・庭園など、幅広いジャンルの芸を開花させました。ほかにも、銀閣寺に採用された「書院造り」を創案するなど、数々の功績を残しています。 このように、室町時代を代表する文化や芸術を称して「北山文化」や「東山文化」と呼びます。 同朋衆が掛軸文化の発展に寄与 そもそも掛軸は、絵画芸術ではなく礼拝の対象として使われた仏具の1つ。これを1つの絵画芸術として昇華したのは、ほかでもない同朋衆です。 現代でも、掛軸は茶室や床の間に飾られるものですが、この文化は室町時代に始まったとされています。 のちの安土桃山時代には、千利休が掛軸を茶席の重要な道具の1つとして説き、爆発的な掛軸ブームを呼びました。 客人をもてなす伝統文化「茶の湯」は、同朋衆が築いた掛軸文化と茶の技術が、のちの世に受け継がれて完成したものです。 また、掛軸と同朋衆の関係を説明するうえで欠かせない人物が3人います。 それが「能阿弥」「芸阿弥」「相阿弥」です。 室町時代から江戸時代まで続く同朋衆のなかで、3人は大きな役割を担ったといわれています。 足利家に仕えた同朋衆・三阿弥(さんあみ) 能阿弥 作家名:能阿弥 生没年:1397年〜1471 年 代表作:『白衣観音図』『花鳥図屏風』 能阿弥とは、元越前朝倉氏の家臣で、足利義教・義政の代に同朋衆として仕えた人物です。 息子に芸阿弥、孫に相阿弥を持ち、3代続く「三阿弥」としてその功績を称えられました。 主に幕府内の工芸品の鑑定や管理を行い、自身は水墨画を得意としていました。 のちに起こる「阿弥派(室町時代の画派の1つ)」の開祖とされ、将軍にも重宝されたそうです。 能阿弥は、茶道における書院飾りを完成させ、現代に続く茶の作法の原型を考案したといわれています。 また、絵画における代表作『白衣観音図』『花鳥図屏風』は、中国の画僧「牧谿」の趣を取り込んだ作品として有名です。 掛軸の作品においては『山水図』『雨中蓮下白鷺』が現存しています。 芸阿弥 作家名:芸阿弥 生没年: 1431年〜1485 年 代表作:『観瀑図』『夏秋山水図』 芸阿弥は能阿弥の息子にあたり、足利義政に同朋衆として仕えた人物。 主に絵画制作を中心として、工芸品の管理や鑑定など、芸術全般や客人のもてなしを取り仕切ったとされていますが、足利義政の代は、応仁の乱による混乱のため、工芸品の類がほとんど現存していません。 芸阿弥の作品で確認されているものとして『観瀑図』『夏秋山水図』が挙げられます。 相阿弥 作家名:相阿弥 生没年:生年不明〜1525 年 代表作:『廬山観瀑図』『四季山水図屏風』 相阿弥は、祖父「能阿弥」父「芸阿弥」に続き、足利将軍家に同朋衆として仕えた人物です。 水墨画を得意とし、芸術全般の指導や工芸品の管理、鑑定も務めたとされています。 代々伝わる阿弥派の絵画を完成形に導いた貢献者であり、書院飾り・造園・香道・連歌・茶道など多方面で活躍した職人でもあります。 周囲からは、文化人としての才を認められ「国工相阿」とも称されました。 なかでも、中国の名山「廬山」に流れる滝を描いた『廬山観瀑図』は有名です。 同朋衆が日本美術の発展に大きく貢献 同朋衆は、日本の伝統文化の原型を作ったといわれる職能集団です。 掛軸はもちろん、茶・能楽・庭園・絵画絵巻など、現代に受け継がれる工芸品や芸能は、同朋衆のおかげで存続したといっても過言ではありません。 日本の歴史では、あまり取り沙汰されない同朋衆ですが、後世に続く雪舟や千利休など著名な文化人たちは、同朋衆の築き上げた技術をもとに自身の作品を作り上げています。 同朋衆および三阿弥の作品は、東京の根津美術館や出光美術館など、全国の美術館や博物館で鑑賞できます。 気になる方は、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
2024.10.04
- 掛軸とは
- 掛軸の歴史
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掛軸の出来栄えは「表具師」の腕次第?!
掛軸作品を飾るためには、表具による仕立てが必要です。 この仕事を担っているのが表具師と呼ばれる職人です。 専門的な技術や経験を活かし、作品を引き立てるための手助けをする仕事ともいえるでしょう。 掛軸作品を鑑賞する際は、表具師が仕立てた表装にも注目して見ると、これまでとは違う視点から作品を楽しめるでしょう。 掛軸に欠かせない表具師の存在 掛軸を飾るためには、表具が欠かせません。 表具とは、布や紙などを貼って巻物や掛軸、屏風、襖、衝立、額、画帖などを仕立てることをいいます。 また、表装とも呼ばれています。 表具師とは 表具師とは、紙に関する多くの仕事を担っている職業です。 たとえば、掛軸や屏風などの芸術作品や美術作品の修復、寺院の天井や壁の表装など日常とは異なる場面だけではなく、ふすまや障子など日常で使用する紙の建具も、表具師が担っています。 表具師は、表装師、経師、表補絵師などとも呼ばれています。 表具師は、紙のなんでも屋であり、専門性の高い技術力を駆使して、さまざまな作品の修復を手がけているのです。 表具師のセンスが現れる、色や模様 掛軸作品の見どころは、なんといっても描かれているモチーフや構図などです。 そのため、人気の掛軸作品においては、絵師たちが注目を集めています。 あまり意識していない人も多い表具は、掛軸作品の魅力を引き立たせるために、欠かせない存在です。 表具は、絵画作品を鑑賞や保存のために、布や紙に書画を貼り付けて掛軸や巻物、屏風などにして楽しめるようにする、東アジア独自の文化です。 日本に表具が伝わったのは、平安時代から鎌倉時代にかけてといわれています。 中国から伝わった表具は、日本で独特の発展を遂げていき、独自の様式が誕生しました。 表装は多彩な種類があり、配置や組み合わせによって、絵の意味や格を表したり、絵をより引き立たせたりする役割があります。 表装は古くから、色や柄などを表具師が選んでいました。 表具師が描かれた『三十二番職人歌合』とは 三十二番職人歌合とは、12世紀から16世紀ごろに内容がまとめられた4種5作の職人歌合の一つです。 15世紀末ごろから注目を浴び始めた職人をテーマに、32種類の職種をピックアップして構成された絵巻物です。 この作品の中で、表具師は「へうほうゑ師(表補絵師)」として登場しています。 主役を引き立てる表装には、センス抜群の表装師の存在があった 表装や表具は、掛軸作品の魅力を引き立たせるためのものであるため、主張が強すぎてもよくありません。 また、掛軸の絵柄や背景にマッチしていない表装をしてしまうと、掛軸作品の価値を下げてしまうおそれがあるでしょう。 そのため、主役を引き立てる表装の組み合わせを決める表装師は、センスのいる仕事であるといえます。 掛軸作品の魅力を後押しする表装にも目を向けて、掛軸作品の鑑賞を楽しんでみてはいかがでしょうか。
2024.10.04
- 掛軸とは
- 掛軸の歴史
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掛軸にしたい言葉…お気に入りの言葉をいつも目に入る場所へ掛けよう
自分でつくる掛軸の愉しみ 日本の伝統的な芸術作品で古くから愛され続けている掛軸。 有名作家の書画や絵画を飾って楽しむだけではなく、自分で掛軸を書いて飾るのもまた魅力の一つです。 自分で掛軸を書く場合、どのような言葉を選べばよいか迷う人も多いでしょう。掛軸によく書かれている言葉には、禅語や季節の言葉、仏事の言葉などがあります。 掛軸作品をより楽しむために、文字の雰囲気と言葉の意味を理解して、気に入った言葉を掛軸に書いて飾ってみましょう。 どんな言葉を掛軸にする? 掛軸を自分で書くとき、どのような言葉を書けばよいか迷うものです。 見た目のバランスだけではなく、一言一言に込められている意味に耳を傾けてみるのも良いでしょう。 掛軸にはよく禅語が用いられます。 禅語は禅の教えを説いた言葉で、心の動きを知るための大切な言葉です。 そのため、掛軸として飾ることでその意味を自分の中に落とし込み、人生に生かすというのも良いでしょう。 また、禅語には客人をおもてなしする言葉もあるため、シーンに合わせて言葉を選んでみてください。 掛軸にしたい「禅語」 日日是好日(にちにちこれこうにち) 日日是好日とは、毎日が大切な日であるという意味と、その日に起こったことの良し悪しにかかわらずその日をありのままのいい日として受け入れるという意味があります。 どちらも1日1日が大切な時間であることを教えてくれる言葉です。 また、一喜一憂せずひたむきに頑張ることの大切さも説いています。 一期一会(いちごいちえ) 一期一会とは、一生に一度きりの機会という意味です。 一期一会は普段からよく使われる言葉の一つですが、実は茶道が発祥といわれています。 今この瞬間を流れる時間は一生に一度きりであるから、しっかりとおもてなしをするという茶室の主人の心遣いを表す言葉です。 和敬清寂(わけいせいじゃく) 和敬清寂は茶道の心得を示す言葉で、千利休が唱えたお茶の精神としても知られています。 和敬清寂とは、主人と客人がお互いの心を和らげて謹み敬い、茶の湯の席を清浄にするという意味です。 「和」は主人と客人がお互いに心を開いて相対すること、「敬」はお互いを敬うこと、「清」は心の清らかな状態を、「寂」はどのようなときも動じない心を表しています。 清坐一味友(せいざいちみのとも) 清坐一味友とは、小さな茶室に数人の仲間が集まり、1つの釜の茶を通じてともに味わい、心も一つになったすがすがしさを表す言葉です。 且坐喫茶(しゃざきっさ) 且坐喫茶とは「まあ座ってお茶でも飲んでいってください」と相手の緊張をほぐす意味があります。 掛軸にしたい「季節の言葉」 花知一様春(はなはしるいちようのはる) 花知一様春とは、花が咲いて春になり、やがて月がでて明月の秋となる様子を表す言葉です。 自分自身がそこに無心でいることで、本来の自分になれるという意味合いがあります。 雲悠々水潺々(くもゆうゆうみずせんせん) 雲悠々は雲が空をゆったりと漂い悠然としている様子を表しています。 水潺々は川の水がさらさらとひとときも休まず流れ続けている様子を表現している言葉です。 空には大きな雲が浮かび、小川がさらさらと流れる情景が目に浮かぶ涼しげな禅語で、夏に飾る掛軸としてお勧めの言葉といえます。 山是山水是水(やまはこれやまみずはこれみず) 山是山水是水とは、山は山、水は水とお互い別のものですが、自然を一緒に形成しているという意味があります。 山是山水是水も7月や8月など夏の暑い時期に掛けたい掛軸の言葉です。 山や水の文字から涼しさを感じられるでしょう。 自分は自分で他人にはなれませんが、誰もがありのままの自分で他人と接することでバランスが取れるのだと気づかせてくれる言葉です。 山高月上遅(やまたかくしてつきののぼることおそし) 山高月上遅とは、山が高いと月が昇るのも遅いが、高い山を昇りきった月はすでに光り輝いているという意味があり、大器晩成を表現した言葉です。 月が高い山に遮られてなかなか姿を現さないのと同じように、何かを達成するためにはそれに見合った労力や時間がかかります。 しかし、すぐに結果はでなくても諦めずにコツコツと続ければ努力が報われるという考えを表しています。 歳月不待人(さいげつひとをまたず) 歳月不待人とは、その名の通り歳月は人を待ってくれないという意味があります。 日常的にも良く使う言葉の一つで、掛軸としては12月によく飾られます。 歳月は人を待ってくれないため、今を楽しみましょうという意味も込められている言葉です。 12月にこの言葉の掛軸を飾り、今年が終わりに近づいて何かやり残していることはないかと振り返ってみるのも良いでしょう。 「仏事」にふさわしい掛軸の言葉 南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ) 南無阿弥陀仏は浄土宗、浄土真宗、天台宗などで唱えられている念仏です。 南無阿弥陀仏と唱えると死後に阿弥陀如来が自分のもとを訪れ救いに導いてくれ、極楽浄土を連れて行ってくれるといわれています。 南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ) 南無釈迦牟尼仏は曹洞宗、臨済宗、黄檗宗などの禅宗で唱えられている念仏です。 南無は仏様の御心のまま教えに帰依しますという意味があり、釈迦牟尼仏はお釈迦さまを意味します。 つまり、私はお釈迦さまの教えに帰依します、すべてお釈迦さまの御心にお任せしますという意味のお経です。 南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう) 南無大師遍照金剛は真言宗で唱えられている念仏です。 大師とは真言宗を開いた空海を表しています。遍照金剛は真言宗の本尊佛である大日如来を表現する言葉です。つまり、私は空海や大日如来の教えに帰依しますといった意味が込められています。 南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう) 南無妙法蓮華経は日蓮宗で唱えられているお経です。 妙法を蓮華によってたとえたお経に心の底から帰依するという意味があります。法事では、南無妙法蓮華経が書かれた掛軸を飾ることもあります。 大切にしたい言葉を掛軸にしよう 絵や書の一つひとつに意味が込められている掛軸は、単なるインテリアではなく、見る人へ気持ちを伝えるための手段でもあります。 茶席で飾られる掛軸には、来客へのおもてなしの心が込められています。 見た目の良さも大切ですが、自分にあった言葉や大切にしたい言葉を選んで飾ることで、より掛軸作品が魅力的なものになるでしょう。 せっかく掛軸を自分で書くなら、言葉の意味を調べてお気に入りの一文を見つけてみてください。
2024.09.19
- 掛軸とは
- 掛軸の種類
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色褪せた掛軸でも買取ってくれる?劣化しても高額査定が期待できるかも
掛軸には風景画や花鳥画、山水画、書画などさまざまな種類があり、好みの掛軸を選んで飾り楽しめる魅力があります。 古くから床の間や茶室に飾られて鑑賞されてきた掛軸ですが、近年は床の間がある家庭も減ってしまい、掛軸を自宅で楽しむのは難しいのではと感じている人もいるでしょう。 しかし、掛軸は必ず床の間や茶室に飾らなければいけないという決まりはありません。 洋室や廊下、玄関、階段など自分の好きな場所の壁に飾って楽しみましょう。 ただし、掛ける場所によっては掛軸の劣化を速めてしまう恐れがあります。 たとえば、直射日光があたる場所に掛けておくと掛軸が日焼けしてしまうでしょう。そのため、掛軸が劣化しない場所を探すことも大切です。 掛軸が色褪せてしまった… 掛軸は紫外線に弱い性質があります。色褪せの原因となるため、直射日光があたる場所は避けて飾りましょう。 太陽光には紫外線・赤外線・可視光線と波長の異なる3種類の光が含まれています。3種類のうち紫外線は、絵の具や染料のインクを退色させてしまう働きがあります。そのため、直射日光にあたる場所へ掛軸を飾っていると日焼けや色褪せを引き起こしてしまうのです。 また、日光があたらない場所に飾っていても日焼けが発生してしまうこともあります。 紫外線とは太陽光線の1つですが、実は蛍光灯といった照明の光にも含まれているためです。 そのため、掛軸を年中かけっぱなしにしていることで、色褪せが起こってしまう恐れがあります。 直射日光があたらない場所でも定期的に掛軸の掛け替えを行い、掛軸の色褪せを防ぎましょう。 掛軸を長く楽しむためには、掛け替えも必要 掛軸は直射日光にあたったり、照明の光を浴び続けたりすると色褪せを起こしてしまいます。 色褪せや日焼けによる劣化を防ぐためにも、定期的に掛軸の掛け替えを行いましょう。 また掛軸は光による色褪せだけではなく、さまざまな要因で劣化してしまいます。 たとえば、湿気も掛軸の状態に大きな影響を与えます。 湿気の多い場所に飾っておくとシミやカビが発生する原因になることも。反対に、乾燥しすぎている場所でも掛軸の折れや割れが発生してしまう可能性があります。 掛軸の品質を低下させてしまう要因はさまざまあり、それらを防ぐためにも定期的な掛け替えが大切。掛け替えにより適切な保存状態を作ることで芸術品としての価値を維持できるでしょう。 また、掛軸の掛け替えは鑑賞を楽しむ手段の一つでもあります。 掛軸には季節掛け掛軸や行事掛け掛軸など、季節や行事によって掛け替えるタイプの作品があります。季節掛け掛軸を四季の移り変わりにあわせて掛け替えることで、自宅に居ながら日本の美しい自然を春夏秋冬楽しめるでしょう。また、行事ごとに縁起の良い掛軸を飾ることで、特別な日をより一層意識でき、行事を家庭や生活に取り入れる楽しさを味わえるでしょう。 色褪せてしまった掛軸は修復できる? 日焼けで色褪せてしまった掛軸を自分で修復するのは難しいです。 掛軸は繊細な芸術作品のため、経験や技術のない素人が見よう見まねで修理を行ってしまうと、かえって掛軸の状態を悪化させてしまうリスクがあります。 掛軸修理の専門家が修復を行う際は、色止めと呼ばれる工程を初めに行います。 色止めとは、特殊な薬品を用いて絵の具や墨の色褪せや変色を停止させる作業です。色止めにより作品の色褪せを防ぎ、掛軸の図柄を長く楽しめるようになるでしょう。 プロの修理業者に任せると、掛軸のシミやシワ、折れ、変色、破れなども修復可能です。 シミ抜きは水洗浄もしくは薬品を使用して行われます。 折れやシワの修復は、裏打紙をはがして本紙に水分を与え、再度裏打を行うことで修復可能です。変色の修復は着色によって行います。破れの修復は裏から紙をあてて補修を行いますが、損傷が大きい場合は分解や表装のやり直しなどが必要です。 色褪せた掛軸も価値があるかも?まずは買取相談を 色褪せや日焼けが気になる掛軸も買取相談は可能です。 掛軸が傷んでしまったからといって、諦める必要はありません。 ただし、色褪せを放置してさらに損傷が広がってしまえば、掛軸の価値はどんどん下がっていってしまいます。 そのため、まずは直射日光のあたらない場所に掛け替えたり、ほかの掛軸と掛け替えを行ったりして、これ以上日焼けや色褪せが進行しないようにすることが大切です。 掛軸の色褪せや日焼けは、日光だけではなく、照明の光でも引き起こされます。そのため、掛軸を年中かけっぱなしにしておくのは避け、複数の掛軸を定期的に掛け替えて日焼けを防ぐようにしましょう。 また、買取前に色褪せやシミなどを補修しておきたいと考える場合もあるでしょう。 しかし、修理を行うことでかえって価値を下げてしまう可能性もあります。 そのため買取査定に出す予定がある場合は、先に修理を行わずまずはプロの査定士に相談してみると良いでしょう。 先に修理をしてしまうと、買取費用より修理費用の方が高くついてしまうことにもなりかねません。せっかく買取に出すならきれいな状態に戻したいと考えますが、修理を急がず現在の状態の価値を確認しましょう。
2024.09.19
- 掛軸 買取
- 掛軸とは
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縁起のいい鯉の掛軸を鑑賞しよう
鯉は古くから縁起が良いとされ好まれてきた題材で、掛軸としても長く楽しまれてきました。 鯉が滝を登る姿や飛び跳ねる様子と水しぶきなどが、自然の美しさも感じさせてくれる作品です。 鯉の掛軸にはさまざまなシチュエーションを用いた作品があります。それぞれに意味が込められているため、鯉の掛軸を鑑賞する際は作品そのものの美しさに触れるだけではなく、描かれた意味にも心を傾けてみることで、より芸術作品としての魅力を感じられるでしょう。 縁起の良い「鯉」は掛軸でも人気 鯉が題材になった掛軸は現代でも人気のある作品の一つです。 鯉の滝登りや跳鯉、登竜門など画題はさまざまで、2匹の鯉が対になって泳ぐ遊鯉の画題も人気があります。 鯉の掛軸は縁起が良いとされており、さまざまな意味が込められています。 たとえば、鯉が滝を登る姿は鯉の力強さを感じさせてくれるとともに、滝を登った鯉はやがて龍になるという伝説があり、立身出世や金運上昇、商売繁盛などの意味が込められている掛軸です。 激流を鯉が登る姿は、さまざまな障害を乗り越えることや勢いがあることを意味し、目標を達成する強さ、勇気、忍耐力なども表現しています。また、子どもが滝を登る鯉のようにたくましく育つようにと願いを込めて、出産や入学などのお祝い事で飾られる場合もあります。 鯉の滝登りの起源は古代中国とされており、「急流の滝を登る鯉は、登竜門をくぐり天まで登って龍になる」という登竜門の故事から伝わりました。 この伝説の影響を受け、日本でも立身出世の象徴として盛んに鯉の絵画が描かれるようになったといわれています。 また、鯉はなわばりをもたない魚で、けんかをせず穏やかに泳いで暮らすことから、2匹が対になって泳ぐ遊鯉の掛軸は、夫婦円満・家庭円満の意味が込められている画題でもあります。 そして、松と鯉を組み合わせて描かれた掛軸も多く存在します。 「松鯉」と書いて「しょうり」と読めるため、勝利につながる縁起の良い画題とされています。そのため、勝負事の運気上昇や受験合格などの時期によく飾られる掛軸です。 同じ鯉の滝登りという画題でも、作家によって表現方法がさまざまである点も、鯉を題材とした掛軸作品の魅力といえます。 鯉は端午の節句でも掛軸として掛けられる 鯉の掛軸は端午の節句でもよく掛けられている作品です。 端午の節句とは、毎年5月5日に男の子の誕生を祝うとともに健やかな成長を祈る行事です。 古代中国では月と日に奇数の同じ数字が入ることを忌み嫌っており、重なる日の邪気を祓うためのさまざまな行事が存在しました。 端午は、はじめの午の日を意味しており、「午」を「ご」と発音することもあるため、数字の五と混同され、日本では5月5日に端午の節句として厄除けの儀式を行うようになったといわれています。 端午の節句では五月人形を飾ったり、鯉のぼりをあげたりします。 鯉のぼりをあげる理由と鯉の掛軸を飾る理由は共通のものです。 鯉が急流の滝を登り切り、天まで昇ると龍になるという中国登竜門の故事の言い伝えがあります。この言い伝えから鯉は生命力の強さと立身出世を象徴しているのです。 そのため、男の子の健やかな成長を願う端午の節句で縁起が良いとされる鯉のぼりがあげられたり、鯉の掛軸が飾られたりするようになりました。 また、鯉の掛軸には、鯉と金太郎がセットになって描かれている「鯉金(こいきん)」と呼ばれる作品があります。 鯉金は伝統的な画題で、江戸時代から男の子の立身出世や身体堅固の願いを込めて描かれてきました。 鯉を描いた有名作家とその作品 鯉を題材にした掛軸は縁起が良いとされ古くから描かれており、現代でも人気のある作品です。 鯉の掛軸は多くの作家が制作しており、鯉の滝登りや遊鯉など同じテーマであったとしても、まったく異なる雰囲気をもつ作品に仕上がっている特徴があります。 鯉の掛軸は、絵のタッチや表現方法だけではなく、鯉の構図にも注目して鑑賞してみましょう。作家によってさまざまな構図から描かれた鯉は、一つひとつ違った魅力を感じられるといえます。 森田光達 作家名:森田光達(もりたこうたつ) 生没年:1898年-1976年 森田光達は鯉の絵を得意とする日本画家で、鯉の光達とも呼ばれています。 1898年に鳥取県淀江町に生まれました。1918年に京都へ上り、戸島光阿弥に教えを受け、漆画を習得しています。 鯉を描いた作品は、『躍鯉』『松鯉』『双鯉図漆絵』などがあります。 立身出世や繁栄の象徴とされてきた鯉は、掛軸にも多く作品があり、端午の節句掛けとしてはもちろん、年中掛けとしても鑑賞されています。とくに『躍鯉』は男の子の健やかな成長を願う端午の節句への願いが込められた作品であるといえるでしょう。 森田光達が描く鯉を題材とした作品は、鳥取県立博物館や米子市美術館などに収蔵されています。 円山応挙 作家名:円山応挙(まるやまおうきょ) 生没年:1733年-1795年 円山応挙は日本写生画の祖と呼ばれる有名な画家です。 円山応挙も鯉の絵画を描いています。 円山応挙が描いた『龍門鯉魚図』は、鯉の滝登りの絵画の一標範になったといわれている作品です。 墨の濃淡を活用して鯉の体の立体感やうろこの質感を表現している点も魅力の一つですが、この作品の見ごたえは斬新な構図にあります。 『龍門鯉魚図』は独特なアングルで描かれており、滝を登る鯉の背中を真上から見た様子が描かれています。 一般的に、滝を眺めるときは滝壺近くから滝を見上げるか、崖の上から滝を見下ろすことになるでしょう。 しかし、円山応挙が描いたのは滝の中腹を駆け登る鯉の背中をまっすぐに見た図。 通常であれば空に浮かんでいない限り見られない構図といえます。 日常生活では見ることが叶わない斬新な視点から描かれたこの作品は、現代だけではなく当時の人々をも新鮮な驚きに包んだことでしょう。 また『龍門鯉魚図』はもともと2つの掛軸を対にして掛けることを意図して制作されています。 縁起物として、涼しげな姿として、鯉の掛軸は楽しまれている このように鯉は縁起の良いものとされ、掛軸にも多くの作品があります。 端午の節句に飾る行事掛けとしても利用でき、年中掛けとしても楽しめるでしょう。 また、滝の涼しげな図柄から夏の季節掛け掛軸としても人気を集めています。 鯉の生き生きとした動きや色彩、水面に描かれた波紋は見るものの心を引き込みます。 縁起の良い鯉の掛軸には金運上昇、商売繁盛などの願いも込められており、美術的な価値だけではなく心に温かい感動と幸福感をもたらしてくれる作品といえるでしょう。
2024.09.17
- 掛軸とは
- 掛軸の種類
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色鮮やかで美しい孔雀を題材とした掛軸
掛軸の題材としても特に目を引く美しさの孔雀。 圧倒的な美しさで人々を魅了してきた孔雀は、多くの著名作家によって描かれています。 神秘的な姿が魅力の孔雀は古くから日本芸術の画題として扱われてきました。孔雀はギリシャ神話で女神ヘラの象徴といわれ、仏教の世界では孔雀明王といわれています。またインドでは国鳥になっています。 世界中で時代を超えて人々の視線を集めてきた孔雀が、日本にもたらされ芸術作品に取り入れられていった軌跡を辿ってみましょう。孔雀の歴史や魅力を知ることで日本の美術作品の楽しみ方も増えるかもしれません。 孔雀はいつから日本にいた? 生きた宝石ともいわれる美しい鳥「孔雀」の絵が日本に入ってきたのは飛鳥時代といわれています。 日本書紀の記録によると、598年に朝鮮半島の新羅から推古天皇のもとへ献上品として孔雀が贈られました。 以来、日本で孔雀は仏教彫刻や仏教絵画として表現されてきました。 たとえば、狩野派発展の基礎を確立したとされる狩野元信は『四季花鳥図屏風』のなかで四季折々の花と一緒に艶やかな孔雀を描いています。 江戸時代に入ると、絵師たちは鶏や鶴など日本に生息する鳥以外にも孔雀やオウムなど舶来の鳥をモチーフに絵画を制作するようになりました。 孔雀は花鳥画の一部としてだけではなく、日本絵画の主役としても描かれるようになっていきます。 孔雀を主題として描いた有名作品の一つに、尾形光琳が描いた『孔雀立葵図屛風』があります。 江戸時代後期になると、写実派の絵師である森狙仙が印象的な孔雀の絵を描きました。 森狙仙といえば「猿描き狙仙」と称されるほど生き生きとした猿の絵を描くことで有名ですが、この写生に重きをおいた彼の画風は、孔雀をはじめとするほかの動物の絵画においてもその技術を存分に発揮しています。 縁起物としての孔雀 鮮やかで美しい羽根が印象的な孔雀は、生命力が強い鳥といわれており、毒蛇や害虫すらも食べてしまうといわれています。そのため、古来より孔雀は、邪気を払う鳥として信仰されてきました。 また、繁殖力も高いため子孫繁栄の意味をも持っている鳥です。そのため、結婚式用の着物には孔雀の柄がよく利用されています。 古くから不滅のシンボルとして世界中で崇められるとともに、孔雀の美しい羽と優雅な姿は富をイメージさせ、繁栄をもたらすとされてきました。特にインド文化では孔雀が富と吉祥の象徴とされており、寺院や宮殿の装飾や祭りでよく使用されています。 キリストの聖書では、扇のように広げられた孔雀の飾り羽は太陽を表しており、神の象徴として扱われています。また古代ギリシャ人は孔雀の肉は死後も腐らないと信じていたため、孔雀は不死の象徴となりました。 有名作家も描いた、美しい孔雀 飛鳥時代に日本へ伝わってきた孔雀は、多くの掛軸作家によって描かれています。 世界中の人々を魅了する孔雀を日本作家はどのように描き、表現しているのか気になるところです。また作家の画風や特徴が反映された孔雀画を見比べて鑑賞してみるのもよいでしょう。 有名作家が描いた孔雀作品を知り、孔雀掛軸の鑑賞の楽しみ方を見つけてみましょう。 円山応挙 作家名:円山応挙(まるやまおうきょ) 代表作:『牡丹孔雀図屏風』 生没年:1733年-1795年 円山応挙は日本写生画の祖といわれている画家で、江戸時代の半ばに京の都を活動の場としていました。 円山応挙が描く多くの作品は、優れた写生技術と余白の空間意識が見事に表現されています。 数多くの名作を生み出した円山応挙は、孔雀の絵を描いていることでも有名。円山応挙が描いた『牡丹孔雀図屏風』には、雄孔雀が太湖石に立ち美しい飾り羽をたらしている様子と、そのそばに歩み寄る雌孔雀が描かれています。 円山応挙は狩野派や舶来玩具に使われていた西洋の遠近法や陰影法、さらには中国の写生的な花鳥画に学んだ南蘋派などさまざまな画風から学び、絵の技術を磨いていきました。『牡丹孔雀図屛風』も円山応挙の高い写生技術と装飾的な画風が魅力を呼び、人々から人気を集めていました。 作品を細かくみていくと、雄孔雀の首から胸元にかけては羽毛が詰まって膨らんでいるような表現が、絵具をあまり盛らずに表現されています。 飾り羽は重なりを表現するかのように、下から繰り返し線を重ねて描かれているのが分かります。 これらの高い絵の技術により、量感や質感が巧みに表現されているのが魅力といえるでしょう。 長沢芦雪 作家名:長沢芦雪(ながさわろせつ) 代表作:『牡丹孔雀図』 生没年:1754年-1799年 長沢芦雪は20代後半で奇想の画家と呼ばれ、人気絵師として多くの有名作品を残しています。 そしてその長沢芦雪もまた迫力のある孔雀の絵を描いています。 『牡丹孔雀図』は、孔雀の羽の質感を表現しているかすれた墨線や、意識的に形をゆがませている玉模様、水墨画のにじみによりリアリティのある岩など、長沢芦雪の形態感覚や運動感覚が活かされた作品です。 空中には紋白蝶が飛んでおり、牡丹の花弁や地面に小さな蟻や蜘蛛まで描かれています。 随所に繊細な長沢芦雪の絵画技術がみられる『牡丹孔雀図』は、すみずみまで鑑賞したい作品といえるでしょう。 伊藤若冲 作家名:伊藤若冲(いとうじゃくちゅう) 代表作:『孔雀鳳凰図』 生没年:1716年-1800年 伊藤若冲は江戸時代に活躍した画家の一人。 独学で絵を学び、1800年に84歳で亡くなるまで多くの名作を生み出し続けました。 伊藤若冲作品の魅力は、卓越した技巧から生み出される色彩豊かで綿密な描写と、どこか超現実主義を思わせるような幻想的な表現力です。 斬新な発想力や常識に捉われない画法が今日まで多くの人を魅了しています。 伊藤若冲は動物や植物などの自然を題材にした作品を多く残しており、孔雀を題材にした作品も描いています。 『孔雀鳳凰図』は伊藤若冲の生誕300年にあたる2016年に発見された絵画です。 42歳前後に制作された絵といわれており、伊藤若冲の画風がまだ成熟する前の時期にあたります。そのため、この作品からは初々しさが感じられるものの、細部まで綿密に描かれた描写が魅力的な作品であるといえるでしょう。 縁起の良い孔雀掛軸を観賞しましょう 鮮やかで大きく広がった羽が印象的な孔雀を題材とした作品は、日本でも多く描かれており、写実的な作品から色鮮やかで幻想的な作品までさまざま。現に、孔雀を題材とした掛軸も多く残されています。 孔雀の幻想的な姿は、現在に至るまで多くの絵師たちの創作意欲を掻き立て、今もその作品は多くの人を魅了し続けています。 孔雀は古くから世界中で縁起の良い鳥とされ、子孫繁栄の意味や不死の象徴、富と繁栄をもたらすなどといわれてきました。 日本の絵師たちが描いた孔雀作品を鑑賞するとき、孔雀の絵に込められた意味や思い、歴史を想像して見ると、より一層深く作品を堪能することができるでしょう。
2024.09.17
- 掛軸とは
- 掛軸の種類
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茶室で見かける「喫茶去」の掛軸にはどんな意味が込められている?
茶室に掛軸が掛けられているのを目にしたことがある人もいるかもしれません。 茶室にある掛軸には絵が描かれている場合もあれば、書が書かれている場合もあります。 実は、茶室に飾られている掛軸は単なるインテリアではなく、さまざまな意味や気持ちが込められているのです。 例えば、茶掛け掛軸にはよく禅語が用いられています。 禅語とは禅宗の心を表現したもので、茶道と密接な関係があります。 禅語の一つとして有名な「喫茶去」という言葉。 こちらもお茶に深く関わりのある言葉です。喫茶去の意味や茶道と掛軸の関係性を探り、両者の魅力をより深めていきましょう。 茶席で見かける「喫茶去」の掛軸 「喫茶去」は、禅語の一つ。 茶道において飾る茶掛け掛軸に書かれているのを目にしたことがある人もいるでしょう。 「喫茶去」に“茶”の字が含まれていることから、お茶に関係する意味を持っているのだろうと推測できますが、具体的にどのような意味を持っているのか知らない人も多くいます。 茶の湯と関係の深い禅語である喫茶去の言葉の意味を知り、茶道と禅の関係性についてより理解を深めていきましょう。 「喫茶去」の意味 喫茶去とは禅語の一つで、お茶を飲む行動について示している言葉です。 「喫」は飲むこと、「茶」はお茶、「去」は去ることを示しています。 お茶を飲んで去る、とそのまま読むとあまり意味が分からないですが、実は、喫茶去には相反する2つの意味が込められています。 入矢義高の『禅語辞典』によると、喫茶去には「お茶を飲んでこい」「お茶を飲みに行ってこい」と、叱責の意味があるとしています。 つまり、お茶を飲んで出直してこい、と相手の怠惰を叱咤するものとして使われていました。 一方で、中国・唐時代の趙州従諗禅師の話がもとになった意味もあります。 こちらは「まあゆっくりお茶でも飲みましょう」という意味で使われているようです。 趙州従諗禅師の話では、趙州禅師のもとに新しくやってきた2人の行脚僧に対して、趙州禅師は「前にもこちらに来たことがあるか?」と尋ねました。 修行僧の1人が「来たことがありません」と答えると趙州禅師は続けて「喫茶子」と言いました。 趙州禅師はもう1人の修行僧にも同じように尋ねると、修行僧は「来たことがあります。」と答えました。趙州禅師はこの返事に対しても「喫茶子」と言ったのです。 院主が趙州禅師になぜ初めての者にも、前に来たことがある者にも茶を飲みに行けと言うのか尋ねたところ、趙州禅師は「院主どの!」と呼びかけ、それに「はい!」と答えた院主に対して「喫茶子」と言いました。 趙州従諗禅師が言った喫茶去の真意は、禅の修行を長年積んでこそ体得できるものでしょう。 この逸話から知っておくべきことは、どのような者に対しても分け隔てなく「お茶を飲みましょう」と言った趙州禅師の心の在り方ではないでしょうか。 このエピソードがもとになり、喫茶去は叱責ではなく「お茶でも飲みましょう」という意味合いであるといった考えが生まれ、今日に至ります。 茶道においては、お茶を出す者もいただく者も、喫茶去が持つお茶を飲みましょうという心を持ち、茶の湯の時間を楽しむことが大切です。 お茶と人に対するこの気持ちを心にとめてお茶をいただくためにも、喫茶去の掛軸を茶室に飾るとも考えられるでしょう。 茶席で掛軸は重要な茶道具 茶道における茶道具は何かと尋ねられたら、茶碗や茶杓を思い浮かべる人が多いでしょう。実は、掛軸も茶道において重要な役割を担っているのです。 茶道を嗜んでいると、茶室に入ると真っ先に掛軸へ目が行くという人もいるでしょう。 茶道と掛軸は密接な関係にあり、最も格式が高く大切な道具とも言われています。 茶道において掛軸が最も大切な道具と言われる所以は、茶道の根底には禅の心があり、掛軸には禅の文化を表現する禅語が書かれていることにあります。 たとえば、茶掛け掛軸には「一期一会」「和敬静寂」「日々是好日」などの禅語が好まれ書かれているのです。そして、「喫茶去」も禅の言葉であり、茶掛け掛軸によく書かれている言葉の一つです。 茶室に掛軸を掛ける理由としては、神聖な空間には格式の高いものを飾るべきというお茶の心からきているとされています。 また、掛軸には茶席の主人が客人をおもてなしする際の心が表現されています。 茶道における茶掛け掛軸には、その時々にあわせた作品が飾られ、意味合いも異なるということです。 茶道をたしなむとき、掛軸に書かれた禅の言葉の意味を考えたり、主人のおもてなしの心を想像してみたりすることで、これまでとは異なるお茶と掛軸作品の楽しみ方ができるでしょう。 「喫茶去」は分け隔てのないおもてなしの心 喫茶去は相反する2つの意味を持ち合わせた禅の言葉です。一つは「茶でも飲んで出直してきなさい」という相手を叱責する意味があります。もう一つは「またゆっくりお茶でも飲みましょう」というゆとりのある心を表現しています。 もともとは叱責の意味合いで使われていたようですが、趙州従諗禅師の返答の異なる2人の修行僧に「喫茶去」と答えたエピソードにより、現在では、この「お茶でも飲みましょう」という意味合いでの使われ方が広まっていったと考えられるでしょう。 お茶の心を表現したり、主人のおもてなしの心を表現したりする茶掛け掛軸。 お茶を楽しむ際は掛軸に書かれている禅語の意味にも目を向けてみると、より茶道の心と掛軸への興味が深まるでしょう。
2024.09.17
- 掛軸とは
- 掛軸の種類
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掛軸はずっとかけっぱなしにしていても大丈夫?最適な管理方法とは
自宅に掛軸を飾ってみたものの、掛け替え忘れて、同じ掛軸がかけっぱなしになっていることはないでしょうか。 さまざまな美しい絵が楽しめる掛軸ですが、紙や絹などの繊細な素材で制作されているため経年劣化は逃れられません。可能な限り劣化を防ぎ美しい状態を保つためには、掛軸の定期的な掛け替えが必要です。 掛軸はかけっぱなしにしておいても大丈夫? 季節にあわせた掛軸を飾ったり自分の好きな絵の掛軸を飾ったりと、掛軸の楽しみ方はさまざま。 季節掛け掛軸の場合、四季の移り変わりとともに掛軸も掛け替えを行います。 また、普段掛け掛軸は季節問わず飾れる作品のため、自分の好きな絵を楽しみたい方は、こちらの掛軸がお勧めです。 自宅でも鑑賞を楽しめる掛軸ですが、こまめに掛け替えるのが大変と感じている人もいるでしょう。しかし、掛軸はかけっぱなしにしておいて大丈夫なのか疑問に感じることも。 掛軸はかけっぱなしにしておくと反りや変色、シミなどが発生する場合があります。 かけっぱなしの掛軸に空気中の水分に含まれる細菌やホコリなどが多く触れると、酸化が起こるおそれがあるのです。また水分を含んだホコリが付着することで、カビの繁殖が早まります。 特に梅雨の時期は湿度が高くなるため注意が必要です。湿気やカビがもとになってシミが発生してしまうおそれがあります。 かけっぱなしによる反りは掛軸の素材の性質により起こるものです。 掛軸の素材は大きく分けると「紙」「裂地」「糊」の3つ。 紙は湿度の高い場所では伸びる性質があります。一方、裂地には湿気によって縮む性質が。糊は水分を加えると粘性が増して柔らかくなり、乾燥すると水分が失われ固くなり、対象物同士を接着させます。適切な湿度の環境であれば、それぞれの素材が伸び縮みや硬化軟化のバランスを保てるため掛軸にしなやかさが生まれるのです。 しかし、掛軸を飾りっぱなしにして外的影響を受け続けると、こういった調整機能が低下してしまい、その結果、掛軸の素材が硬化してしまい劣化が進んでしまうでしょう。 湿気に弱いといわれる掛軸ですが、実は乾燥しすぎている環境も好ましくありません。 特に、夏や冬の時期は冷暖房が直接あたる場所に飾ってしまうと、掛軸が乾燥する原因に。掛軸は乾燥しすぎると絵が割れてしまったり折れが発生しやすくなったりするため、冷暖房が直接あたる場所は避けて飾りましょう。また、急激な温度変化のある場所も避けてください。 そしてもう一つ気を付けたいポイントが紫外線。 直射日光があたる場所に掛軸をかけてしまうと、紫外線により日焼けや色褪せが起こってしまう可能性があります。 このため掛軸を飾る際は直射日光があたらない場所を探しましょう。 お気に入りの掛軸が劣化しないよう、かけっぱなしにはせず定期的なメンテナンスが大切です。 掛軸は定期的に掛け替えよう 壁に掛けて飾る掛軸は、かけっぱなしにしていると劣化が進んでしまう恐れがあることがお分かりいただけましたでしょうか。 しまったままではもったいないからと飾ってはみたものの、そのままかけっぱなしになっていることも多いでしょう。掛軸を掛けたまま放置してしまうと、シワやシミ、カビ、変色などのトラブルの原因になりかねないため、定期的な掛け替えが大切です。 掛軸には季節掛け掛軸と呼ばれる種類があります。 その名の通り、春夏秋冬の景色やモチーフを描いた掛軸で、四季の移り変わりにあわせて掛け替えを行います。また、来客時に訪問客にあわせて掛軸の絵柄を替えてみる楽しみ方も。掛軸はシーンにあわせて掛け替えることで、掛軸の魅力をより楽しめるかもしれません。 劣化防止 飾っている掛軸を定期的に掛け替える目的の一つは、劣化防止です。 掛軸はしまいっぱなしにしていると、湿気によりカビやシミが発生し劣化してしまうイメージを持っている方は多いでしょう。 しかし、かけっぱなしによっても劣化が進んでしまうおそれがあります。 掛軸の主な素材は紙のため、外的環境の変化に敏感です。 たとえば、乾燥した部屋に飾り続けていると、折れや割れが発生してしまうことも。反対に湿気の多い部屋に飾り続けていれば、カビやシミが発生しやすくなるでしょう。 また、湿度以外にも紫外線には注意が必要です。直射日光があたる場所に掛軸を飾っていると紫外線によって色褪せや日焼けが残ってしまう可能性があります。 このように、古くから多くの人に親しまれてきた掛軸は繊細な芸術品です。 正しい知識を身に付けて適切に対処することで、本来のままの姿を長く楽しめるでしょう。 そして、美しい状態を保つためには定期的に掛軸を取り替えることをお勧めします。 季節掛け掛軸をお持ちであれば、季節にあわせて掛け替えを行いましょう。 普段掛け掛軸であれば2本以上の所有がお勧めです。掛軸が2本あれば定期的に交互に取り替えを行えますし、鑑賞の楽しみが2倍となります。 四季を楽しむ 掛軸の掛け替えによって季節の移り変わりを楽しむ方法があります。 季節掛け掛軸とは、日本の四季にあわせて取り替えを行う掛軸のこと。基本的に掛軸の絵はその時期にあわせた花や動物などが描かれています。 大きく分けると、日本の四季「春夏秋冬」にあわせて画題を選択します。 季節掛け掛軸の魅力はそれぞれの季節にちなんだ美しい風景や花などの自然を自宅に居ながら楽しめることです。緑の少ない都心に住んでいる方も、自宅で四季折々の美しい季節感を味わえるでしょう。 季節掛け掛軸は、忘れかけていた自然の美しさを再認識させてくれる作品です。 春には華やかな桜の掛軸を、夏には涼しげなカワセミと川の掛軸、秋には色鮮やかな紅葉の掛軸、冬には真っ白な雪景色の掛軸とそれぞれの季節を象徴する掛軸を掛け替えて、季節の移ろいを自宅で楽しみましょう。 おもてなし 日本の伝統的な芸術品として鑑賞を楽しめる掛軸には、おもてなしの意味も込められています。 日本の伝統文化の一つ茶道では、最も格式が高く大切な道具として掛軸を挙げています。 一般的に、茶掛け掛軸には茶道の根底にある禅の文化を象徴する「禅語」が書かれています。 茶道では、お客さまをどうおもてなしするかを茶掛け掛軸に書かれた言葉で表現することも。 つまり、茶道における掛軸の役割は鑑賞だけではなく、お客さまをおもてなしする心を表すための重要な役割を担っています。 出迎えるお客さまにあわせて掛軸の掛け替えを行い、一人ひとりにあわせたおもてなしを行うのも掛軸の楽しみ方の一つといえるでしょう。 慶事・開運 慶事掛けとは慶び事の行事に掛ける掛軸を指します。 たとえば、結納や出産、お正月、長寿のお祝い、新築のお祝いなどのタイミングです。 めでたい席で飾られる掛軸には、鶴亀や松竹梅、七福神などがあります。 お祝い事の内容と掛軸の意味をあわせて掛け替えを行うと良いでしょう。 また、縁起の良い云われがある題材が描かれた「開運掛軸」を飾るのも良いでしょう。 床の間は古くから神が宿る場所といわれており、その場所に開運掛軸を飾ることで家相が良くなるといわれています。 床の間はご先祖様と向き合う神聖な場所でもあるため、掛軸の意味を知りその時々に適した掛軸を飾れると、より運気上昇が期待できるでしょう。 かけっぱなしの掛軸はメンテナンスが必要 自宅に掛軸を飾っている人の中には、季節ごとに掛け替えを行っている人もいれば、年中同じ掛軸をかけっぱなしにしている人もいるでしょう。 掛軸の楽しみ方は人それぞれですが、かけっぱなしにしていると掛軸の劣化が進んでしまうため注意が必要です。 掛軸はかけっぱなしにするよりも定期的に掛け替えてメンテナンスを行うと、美しい状態を維持できます。そのため、掛軸を購入する際は1点だけではなく、2点以上購入すると良いでしょう。2点あれば交互に取り替えができるため、掛軸の劣化予防が可能です。 掛軸は掛け替えながら楽しもう 繊細な素材で作られた掛軸は定期的に掛け替えを行い、その時々にあわせた絵の鑑賞方法がお勧めです。 掛け替えを行うことで掛軸の劣化を防ぎ寿命を延ばせるうえに、季節や行事ごとにあった掛軸を楽しめます。 季節掛け掛軸は、都会の住宅やマンションの一角に居ながらも、日本の四季折々の自然豊かな景色を堪能できるでしょう。掛軸を自宅に飾りたいと考えている方は、掛け替えができるよう2本以上の掛軸を所有することをお勧めします。
2024.09.17
- 掛軸とは
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茶会などで見る掛軸、「円相」とは?
日本の伝統的な芸術品である掛軸。 掛軸と一口にいっても書が書かれているものや絵が描かれているものなどさまざまです。 掛軸に丸い円が描かれている作品を見たことがある人もいるでしょう。 掛軸に描かれている円は、円相と呼ばれます。 禅の文化と深くかかわりのある図形で、茶道において掛ける茶掛け掛軸として欠かせない作品の一つ。円相の意味を知ることは禅の心を知ることにもつながるでしょう。また茶道の心にまで通ずるものがあります。 円相や禅宗、さらには茶道との関係性を理解し、掛軸への興味をより深めていきましょう。 掛軸の「円相」とは 円相とは、大乗仏教の一派である禅宗における書画の一つ。 円形の図を一筆で描いたものを指します。別名、一円相や円相図などとも呼ばれています。 禅では、悟りの境地を説明したり文字で表現したりすることを禁じられているため、見た人の心を映し出す円を悟りや真理の象徴として描かれていました。円相の書き方に決まりはなく、心でとらえるものとして書くことが大切とされています。 円相に込められた意味 円相は先述したように、禅における悟りや真理の象徴とされており、空・風・火・地を含む世界全体の究極の姿です。 「円窓」と書いて己の心を映す窓の意味で使われることも。 円相はよく臨済宗の位牌や塔婆の1番上に描かれています。また始まりも終わりもなく、角に引っかかることもない円の流れ続ける様子は、仏教の教えである捕らわれのない心や執着から解放された心を表しているともいわれています。 円相にはさまざまな意味が込められており、見る人によって解釈が異なるものといえるでしょう。 円相の掛軸が掛けられるシーン 円相が描かれた掛軸は、よく茶の湯の席の茶掛け掛軸として用いられています。 茶道で円相の掛軸が飾られるのは、茶道の根底に禅の文化があるためです。 茶道と禅宗のかかわりは鎌倉時代から続いており、当時宋で修行をしていた栄西が帰国した際に、一緒に抹茶を持ち帰ったとされています。禅宗の臨済宗を日本に伝えた僧である栄西により、抹茶と禅宗が広まっていきました。 また、道元によって曹洞宗が伝わり禅宗文化が徐々に根付いていきました。 その後、修行によって自らの心を鍛える武士たちが禅の文化を受け入れていき、あわせてお茶の文化も武士の間で親しまれていきます。 その後、千利休によって茶の湯が大成されました。 利休が思い描いていた茶の湯の理想は、禅宗が目指すすべての欲望や煩悩を消し去り、悟りの境地に至ることと同じでした。この理想をきっかけに、より禅の思想が強く反映された茶道が確立されていったと考えられます。 このように茶道と禅は密接な関係にあり、禅の思想を表す円相もまた茶道と密接な関係にあるため、茶掛け掛軸において円相が描かれた掛軸が良く用いられるといえるでしょう。 円相を描いた有名作家・作品 禅文化において、悟りや真理の象徴とされる円相はさまざまな作家によって描かれています。 円形の単純明快な図形でありながら、最も理解するのが難しい円相。そのような円相を高僧や有名作家はどのように表現しているのか気になるところです。 南陽慧忠 作家名:南陽慧忠(なんようえちゅう) 生没年:675年-776年 南陽慧忠は、中国の唐時代の禅僧です。 越州諸曁の人で姓は冉氏、名は虎茵。円相を初めて示したのが南陽慧忠といわれています。幼いころから仏法を学び経典に堪能だった南陽慧忠は、慧能の門下に入り悟りを得ました。慧能の入寂後は五嶺や四明山、天目山などを遊覧して回りさらに学びを深めていきました。 南陽慧忠の禅のスタイルは、五大禅匠の中でも異彩を放っており、無情説法を初めて説き禅の教学的理解を深めていくことの必要性を説いています。彼が初めて示した円相は耽源に伝授され、さらに潙仰宗の仰山慧寂に伝えられていき、以後潙仰宗によって後代まで示されることとなりました。 沢庵宗彭 作家名:沢庵宗彭(たくあんそうほう) 生没年:1573年-1646年 沢庵宗彭は江戸時代初期の禅僧です。 但馬国出石出身で、出石の宗鏡寺や堺の南宗寺、京都の大徳寺などの住職を歴任しています。大徳寺の住持を3日で去ったという逸話を残しています。 江戸幕府が成立すると、寺院諸法度により寺社への締め付けが厳しくなりました。 大徳寺の住持職を幕府が決め、幕府が認めた者にのみ天皇から賜る紫衣の着用を許可しない定めが作られると、沢庵宗彭は反対運動を行い出羽国へ流罪となってしまいます。紫衣とは、紫色の法衣や袈裟を指し、古くから宗派問わず高い徳を積んだ僧侶が朝廷から受け取るもので、僧侶の尊さを表すと同時に朝廷の収入源でもありました。 赦免後は家光の教えに従い、柳生宗矩の屋敷に仮住まいを置き、剣禅一味の境地を説きました。その後は品川の東海寺の創建に協力し、73歳で亡くなっています。沢庵宗彭が描いた『円相像』は、手書きとは思えない完璧な円です。 仙厓義梵 作家名:仙厓義梵(せんがいぎぼん) 生没年:1750年-1837年 仙厓義梵とは江戸時代後期の禅僧で、ユーモアに富んだ書画を通して禅の教えを広く伝えました。 仙厓義梵は11歳のときに臨済宗清泰寺で古月派に属する空印円虚のもとで悟りを得ます。19歳で武蔵国永田の月船禅慧の東輝庵の門下となり、印可を受けました。32歳のときに月船の遷化を契機に諸国行脚の旅に出ます。39歳で九州博多の聖福寺の盤谷紹適に招かれ、40歳で住職となりました。 仙厓義梵は『一円相画賛』を描いた禅僧です。 円相とは悟りの境地を表現するものでありますが、仙厓義梵はこれを「茶菓子だと思って食べよ」と謳っており、禅において大切にされてきた円相を簡単に捨て去ろうとする態度が読み取ることができます。 円相の掛軸は、描いた人・見る人の心を映す 円相は禅における悟りや真理の象徴とされている図です。 禅宗では悟りの境地を言葉で説明したり文字で表現したりしてはいけないとされているため、見た人の心を映し出す円を、悟りや真理の象徴として描いています。 円相の掛軸は、主に茶の湯の席で飾られます。 茶道の心と禅の心は通ずるものがあり、茶道の根底に禅文化があるとされていました。 そのため、茶道を行う茶室では円相の掛軸が好んで掛けられました。禅の心を表す円相の掛軸は描いた人や見る人の心を映すものとされており、現在でも掛軸に描かれる題材の一つです。茶道をたしなむ際は、茶室に円相の掛軸が掛けられているか確認してみるのも良いでしょう。
2024.09.17
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