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掛軸の発展を支えた、同朋衆の存在

掛軸は、現代の日本における代表的な芸術品ですが、その歴史には室町時代の「同朋衆」と呼ばれる集団の活躍が大きく関わっています。
もともと掛軸は、中国の漢時代より始まった文化とされており、日本に入ってきたのは、飛鳥時代との説があります。
その後、平安時代・鎌倉時代とその技術が受け継がれましたが、掛軸を芸術の1つとして確立したのが同朋衆です。

 

掛軸の発展にあった、同朋衆の存在

掛軸の歴史を語るうえで、欠かせない存在が「同朋衆」と呼ばれる集団です。
同朋衆は特定の人物名ではなく、主に将軍の近くで雑務や芸能を担当した芸術指南役の集団を指します。
同朋衆は室町時代、足利義満将軍に仕えた6人の法師が始まりといわれ、主に猿楽(能の起源とされる舞踊)や庭園を始め、工芸品や絵巻など芸術文化の発展をつかさどっていました。
掛軸だけでなく「いけばな・和室・わびさび文化・茶」など、現代の日本を代表する心や文化の形成にも、同朋衆が深く関わっていたといいます。
同朋衆は、日本文化の礎を築いた貢献者ともいえるでしょう。

同朋衆とは

室町時代に始まった同朋衆の集団およびその制度は、江戸時代初期まで続いたとされています。
戦国時代には、織田信長や豊臣秀吉にも仕えたそうです。
同朋衆の姿が確認できる資料はごく少数で、その姿が確認できるのは、当時描かれた絵画資料『足利将軍若宮八幡宮参詣絵巻』のみで、この絵巻によると、同朋衆は僧侶のような服装をしており、合計5名の姿が確認されています。

『足利将軍若宮八幡宮参詣絵巻』は将軍を中心とした同行人たちを描いた作品で、八幡宮の鳥居をくぐる様子が切り取られています。
なお、同朋衆は当時の関所をくぐる際、自由に行き来ができる身分だったそうです。
こういった背景を考えると、当時の幕府から重宝されていたことがわかります。

同朋衆が活躍した時代

同朋衆が現代の芸術の基礎を築いたのは、制度が発足した室町時代のことです。
当時は、中国より伝わった水墨画の文化が流行しており、中国との往来が頻繁な禅僧は、文化人としての地位を確立していました。
足利義満将軍の代に始まった同朋衆は、芸術を生業とする役職でしたが、当時の地位のなかで高い位置に属していたのです。
同朋衆は、掛軸を含む絵巻を始め、茶道・能楽・香道・庭園など、幅広いジャンルの芸を開花させました。ほかにも、銀閣寺に採用された「書院造り」を創案するなど、数々の功績を残しています。
このように、室町時代を代表する文化や芸術を称して「北山文化」や「東山文化」と呼びます。

同朋衆が掛軸文化の発展に寄与

そもそも掛軸は、絵画芸術ではなく礼拝の対象として使われた仏具の1つ。これを1つの絵画芸術として昇華したのは、ほかでもない同朋衆です。
現代でも、掛軸は茶室や床の間に飾られるものですが、この文化は室町時代に始まったとされています。
のちの安土桃山時代には、千利休が掛軸を茶席の重要な道具の1つとして説き、爆発的な掛軸ブームを呼びました。
客人をもてなす伝統文化「茶の湯」は、同朋衆が築いた掛軸文化と茶の技術が、のちの世に受け継がれて完成したものです。

また、掛軸と同朋衆の関係を説明するうえで欠かせない人物が3人います。
それが「能阿弥」「芸阿弥」「相阿弥」です。
室町時代から江戸時代まで続く同朋衆のなかで、3人は大きな役割を担ったといわれています。

足利家に仕えた同朋衆・三阿弥(さんあみ)

能阿弥

作家名:能阿弥
生没年:1397年〜1471 年
代表作:『白衣観音図』『花鳥図屏風』

能阿弥とは、元越前朝倉氏の家臣で、足利義教・義政の代に同朋衆として仕えた人物です。
息子に芸阿弥、孫に相阿弥を持ち、3代続く「三阿弥」としてその功績を称えられました。
主に幕府内の工芸品の鑑定や管理を行い、自身は水墨画を得意としていました。
のちに起こる「阿弥派(室町時代の画派の1つ)」の開祖とされ、将軍にも重宝されたそうです。

能阿弥は、茶道における書院飾りを完成させ、現代に続く茶の作法の原型を考案したといわれています。
また、絵画における代表作『白衣観音図』『花鳥図屏風』は、中国の画僧「牧谿」の趣を取り込んだ作品として有名です。
掛軸の作品においては『山水図』『雨中蓮下白鷺』が現存しています。

芸阿弥

作家名:芸阿弥
生没年: 1431年〜1485 年
代表作:『観瀑図』『夏秋山水図』

芸阿弥は能阿弥の息子にあたり、足利義政に同朋衆として仕えた人物。
主に絵画制作を中心として、工芸品の管理や鑑定など、芸術全般や客人のもてなしを取り仕切ったとされていますが、足利義政の代は、応仁の乱による混乱のため、工芸品の類がほとんど現存していません。
芸阿弥の作品で確認されているものとして『観瀑図』『夏秋山水図』が挙げられます。

相阿弥

作家名:相阿弥
生没年:生年不明〜1525 年
代表作:『廬山観瀑図』『四季山水図屏風』

相阿弥は、祖父「能阿弥」父「芸阿弥」に続き、足利将軍家に同朋衆として仕えた人物です。
水墨画を得意とし、芸術全般の指導や工芸品の管理、鑑定も務めたとされています。
代々伝わる阿弥派の絵画を完成形に導いた貢献者であり、書院飾り・造園・香道・連歌・茶道など多方面で活躍した職人でもあります。
周囲からは、文化人としての才を認められ「国工相阿」とも称されました。
なかでも、中国の名山「廬山」に流れる滝を描いた『廬山観瀑図』は有名です。

 

同朋衆が日本美術の発展に大きく貢献

同朋衆は、日本の伝統文化の原型を作ったといわれる職能集団です。
掛軸はもちろん、茶・能楽・庭園・絵画絵巻など、現代に受け継がれる工芸品や芸能は、同朋衆のおかげで存続したといっても過言ではありません。

日本の歴史では、あまり取り沙汰されない同朋衆ですが、後世に続く雪舟や千利休など著名な文化人たちは、同朋衆の築き上げた技術をもとに自身の作品を作り上げています。
同朋衆および三阿弥の作品は、東京の根津美術館や出光美術館など、全国の美術館や博物館で鑑賞できます。
気になる方は、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

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