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色褪せた掛軸でも買取ってくれる?劣化しても高額査定が期待できるかも
掛軸には風景画や花鳥画、山水画、書画などさまざまな種類があり、好みの掛軸を選んで飾り楽しめる魅力があります。 古くから床の間や茶室に飾られて鑑賞されてきた掛軸ですが、近年は床の間がある家庭も減ってしまい、掛軸を自宅で楽しむのは難しいのではと感じている人もいるでしょう。 しかし、掛軸は必ず床の間や茶室に飾らなければいけないという決まりはありません。 洋室や廊下、玄関、階段など自分の好きな場所の壁に飾って楽しみましょう。 ただし、掛ける場所によっては掛軸の劣化を速めてしまう恐れがあります。 たとえば、直射日光があたる場所に掛けておくと掛軸が日焼けしてしまうでしょう。そのため、掛軸が劣化しない場所を探すことも大切です。 掛軸が色褪せてしまった… 掛軸は紫外線に弱い性質があります。色褪せの原因となるため、直射日光があたる場所は避けて飾りましょう。 太陽光には紫外線・赤外線・可視光線と波長の異なる3種類の光が含まれています。3種類のうち紫外線は、絵の具や染料のインクを退色させてしまう働きがあります。そのため、直射日光にあたる場所へ掛軸を飾っていると日焼けや色褪せを引き起こしてしまうのです。 また、日光があたらない場所に飾っていても日焼けが発生してしまうこともあります。 紫外線とは太陽光線の1つですが、実は蛍光灯といった照明の光にも含まれているためです。 そのため、掛軸を年中かけっぱなしにしていることで、色褪せが起こってしまう恐れがあります。 直射日光があたらない場所でも定期的に掛軸の掛け替えを行い、掛軸の色褪せを防ぎましょう。 掛軸を長く楽しむためには、掛け替えも必要 掛軸は直射日光にあたったり、照明の光を浴び続けたりすると色褪せを起こしてしまいます。 色褪せや日焼けによる劣化を防ぐためにも、定期的に掛軸の掛け替えを行いましょう。 また掛軸は光による色褪せだけではなく、さまざまな要因で劣化してしまいます。 たとえば、湿気も掛軸の状態に大きな影響を与えます。 湿気の多い場所に飾っておくとシミやカビが発生する原因になることも。反対に、乾燥しすぎている場所でも掛軸の折れや割れが発生してしまう可能性があります。 掛軸の品質を低下させてしまう要因はさまざまあり、それらを防ぐためにも定期的な掛け替えが大切。掛け替えにより適切な保存状態を作ることで芸術品としての価値を維持できるでしょう。 また、掛軸の掛け替えは鑑賞を楽しむ手段の一つでもあります。 掛軸には季節掛け掛軸や行事掛け掛軸など、季節や行事によって掛け替えるタイプの作品があります。季節掛け掛軸を四季の移り変わりにあわせて掛け替えることで、自宅に居ながら日本の美しい自然を春夏秋冬楽しめるでしょう。また、行事ごとに縁起の良い掛軸を飾ることで、特別な日をより一層意識でき、行事を家庭や生活に取り入れる楽しさを味わえるでしょう。 色褪せてしまった掛軸は修復できる? 日焼けで色褪せてしまった掛軸を自分で修復するのは難しいです。 掛軸は繊細な芸術作品のため、経験や技術のない素人が見よう見まねで修理を行ってしまうと、かえって掛軸の状態を悪化させてしまうリスクがあります。 掛軸修理の専門家が修復を行う際は、色止めと呼ばれる工程を初めに行います。 色止めとは、特殊な薬品を用いて絵の具や墨の色褪せや変色を停止させる作業です。色止めにより作品の色褪せを防ぎ、掛軸の図柄を長く楽しめるようになるでしょう。 プロの修理業者に任せると、掛軸のシミやシワ、折れ、変色、破れなども修復可能です。 シミ抜きは水洗浄もしくは薬品を使用して行われます。 折れやシワの修復は、裏打紙をはがして本紙に水分を与え、再度裏打を行うことで修復可能です。変色の修復は着色によって行います。破れの修復は裏から紙をあてて補修を行いますが、損傷が大きい場合は分解や表装のやり直しなどが必要です。 色褪せた掛軸も価値があるかも?まずは買取相談を 色褪せや日焼けが気になる掛軸も買取相談は可能です。 掛軸が傷んでしまったからといって、諦める必要はありません。 ただし、色褪せを放置してさらに損傷が広がってしまえば、掛軸の価値はどんどん下がっていってしまいます。 そのため、まずは直射日光のあたらない場所に掛け替えたり、ほかの掛軸と掛け替えを行ったりして、これ以上日焼けや色褪せが進行しないようにすることが大切です。 掛軸の色褪せや日焼けは、日光だけではなく、照明の光でも引き起こされます。そのため、掛軸を年中かけっぱなしにしておくのは避け、複数の掛軸を定期的に掛け替えて日焼けを防ぐようにしましょう。 また、買取前に色褪せやシミなどを補修しておきたいと考える場合もあるでしょう。 しかし、修理を行うことでかえって価値を下げてしまう可能性もあります。 そのため買取査定に出す予定がある場合は、先に修理を行わずまずはプロの査定士に相談してみると良いでしょう。 先に修理をしてしまうと、買取費用より修理費用の方が高くついてしまうことにもなりかねません。せっかく買取に出すならきれいな状態に戻したいと考えますが、修理を急がず現在の状態の価値を確認しましょう。
2024.09.19
- 掛軸 買取
- 掛軸とは
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作者不明の掛軸でも買取してもらえる?高額査定に期待できるポイントとは
掛軸は日本の歴史の中で長く親しまれてきた芸術品です。 自宅の床の間に飾って楽しむ人もいれば、自宅で保管していた掛軸を手放すことを考えている人もいるでしょう。掛軸の査定を考えたときに、確認しておきたいのが掛軸の作者です。 有名作家の作品であれば高価買取の可能性もあるため、事前に誰が描いた作品なのか知っておきたいと考える人も多くいるでしょう。 有名な作家であれば、署名や落款を目にしたことがある可能性も高く、調べずともわかる場合があります。しかし、掛軸作家に詳しくない場合や署名や落款印がかすれて読み取れないなどの場合は、作者を調べる必要があります。 署名や落款印をヒントに作家を調べるのは時間がかかるうえに、素人目では判断が難しい場合もありますが、調べ方を知っておくことで、高価買取の可能性が広がるでしょう。 掛軸の作者が分からない…どうやって調べる? 自宅の押し入れや倉庫の大掃除をしているときに掛軸が出てくることもあるでしょう。 しかし、落款や署名が誰のものなのかわからない、掛軸が古く落款や署名がかすれて読み取れないこともあります。前者であれば自分で調べることが可能です。自宅に保管してあった掛軸がどの作家が描いたものか知りたいときや、買取を依頼する前に作家を調べておきたいときなどは、署名や落款を調べることで作者がわかる可能性があります。 掛軸の署名で調べる 掛軸の作者の調べ方として、署名を確認する方法があります。 署名とはいわゆるサインのことで、作品が完成した際、主に筆で描きます。 署名を読み取れれば、誰が描いた作品か確認が可能です。 掛軸の落款で調べる 掛軸の作者は落款からも調べることが可能です。 落款とは落成款識の略語で、作家が書き上げた書画や絵画に押された雅号の印を指します。さらに細かくいうと以下のような意味があります。 ・書画や絵画作品における筆者の姓名や字号の署名 ・書いた年月日や場所 ・書いた理由や依頼主の情報 ・何を書いたかの情報 ・書いた方法や種類 ・雅号の押印 落款の目的は誰が書いた作品かを示すことです。また同時に作品の芸術性を高める役割も担っています。そのため、落款は位置や大きさ、太さなどに気を配って押されるのです。 落款印は日本の作品と中国の作品で意味合いが異なります。日本では落款印を作者のサインや作品が完成した証明として扱います。しかし、中国では落款印そのものにも芸術的な価値があるとされているのです。 中国の掛軸には落款印が一つだけではない場合があります。中国掛軸は、作者だけでなく所有者も落款印を押すのが特徴的です。 所有者が落款印を押すことで、過去に誰が所有していたかを示す役割があります。つまり、中国掛軸では落款印がたくさん押されているほど多くの所有者の手に渡った作品といえるでしょう。そのため、落款印の数が掛軸の価値にも影響します。 中国の掛軸は落款印が複数押されている場合が多いため、所有する掛軸の作者を知りたい場合は、どの落款印が作者のものかを調べる必要があります。そのため、日本の掛軸よりも調べるのが大変な場合があるでしょう。 掛軸の箱書きで調べる 掛軸が古くなり、そもそも署名や落款がかすれて読み取れないこともあります。 その場合は、掛軸本体ではなく、箱や同梱されている書類などに署名や落款印がないか確認してみましょう。もし、署名や落款印があれば掛軸の作者である証明となるため、そちらをインターネットや書籍で調べていきます。 掛軸が保管されている桐箱は掛軸の保存や買取の際だけではなく、このように作者を調べる際にも役立ちます。そのため、処分はせず必ず掛軸とセットでとっておくようにしましょう。 インターネットや本で調べる 掛軸の署名の調べ方として、インターネットで調べる方法や、図書館で辞書や図録を確認する方法があります。 近年、インターネット上で美術品の落款や署名を集めたデータベースのようなWebサイトがあります。ただし、会員登録をしないと利用できない場合も。 ネット上で調べる際は、作者が誰かわかっている状態で署名や落款を調べるという使い方が向いています。署名や落款を手掛かりとして作者を調べるという使い方は難しいでしょう。 あるいは、作者が有名な作品であれば、掛軸作品の画像をチェックして、同じ署名や落款を見つける方法がとれます。 しかし、いずれにせよ一般の方がインターネットで作者を調べるのは時間がかかるといえるでしょう。また、インターネットの情報は発信源がわからないものも多く、信用性が低い点にも注意が必要です。 辞書や図録を用いれば、掛軸に書かれている署名や押されている落款印がどの作者のものであるか確認することが可能です。 書店では辞書や図録などの書籍が販売されていない可能性もあるため、規模の大きな図書館で調べてみましょう。 辞書や図録は情報の信用性が高いメリットがあります。辞書や図録の中には、掛軸研究を行っている学者がまとめた書籍もあります。また、学術論文からも探すことも可能です。そのため、精度の高い情報を入手することができるでしょう。図書館に出向いて調べる必要がありますが、作者を確実に知りたい方は、辞書や図録の利用がお勧めです。 作者不明の掛軸でも買取してもらえる?安易に手放さず、まずは相談を! 掛軸の作者がわからないときは署名や落款印、箱書きなどが手掛かりになります。 作者名が分かれば高価買取も期待できますが、掛軸は作者が不明だからといって買取してもらえないわけではありません。 作者を見つけられなかった場合はプロの査定士に調査を依頼するのも一つの手段です。 素人目では作者の判断が難しくても、プロの査定士に調べてもらうことで作者が判明するかもしれません。 そのため、作者不明の掛軸でも高価買取してもらえないと諦めずに、まずは相談してみると良いでしょう。
2024.09.17
- 掛軸 買取
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掛軸の表装修理は自分でできる?
掛軸の魅力を引き立てる役割がある表装。 実は何種類もの仕立て方法があり、掛軸の絵の種類や画風、題材などにより表装の雰囲気を替えて仕立てるのが一般的です。 そのため、掛軸作品を鑑賞する際は表装にも目を向けてみると良いでしょう。作品によって表装の違いがあることを確認できれば、これまでとは違った楽しみ方ができます。 掛軸の表装とは 表装は掛軸を飾るために欠かせない仕立て方法です。 掛軸を補強するために布や和紙で裏打ちして、シワが寄らないようにする役割があります。 表装を施すことで掛軸の色艶の維持が可能です。 作家が丁寧に描いた掛軸でも、時間が経てば少しずつ劣化してしまいます。墨の水分により紙が寄れてシワができてしまうのです。 表装によりシワが寄るのを防ぐことで、掛軸の美しさを保ったまま長く鑑賞を楽しめます。 日本の伝統技術である表装は、掛軸の価値を維持するための大切な役割をもった仕立てなのです。 また、表装の目的は補強だけではなく、掛軸作品をより魅力的に見せるためにも施されます。 掛軸に描かれたモチーフやテーマ、画風などにあわせて表装を変えることで、作品の魅力がより引き立ちます。表装にも種類がさまざまあり、シンプルなもので作品を引き立たせることもあれば、豪華な装飾を施すことで芸術性を高めることもあり、楽しみ方は多種多様です。 たとえば、華やかで明るいイメージのある花鳥画は、鮮やかで豪華な表装との相性が良いと考えられます。 その反対に、素朴な仏画や水墨画は、落ち着いた表装を選ぶことでより雰囲気を味わえます。 掛軸作品は書や絵そのものを鑑賞して楽しむだけではなく、表装にも目を向けてみると違った表情が見えてきて、より掛軸の世界に入り込めるでしょう。 掛軸の表装は、何度も修理することも 掛軸は大切にお手入れをしていても、経年劣化により汚れや傷が発生してしまうものです。 古い掛軸を倉庫に保管したままにしているとシミやカビなどが発生してしまうことも。 しかし、表装修復を行えば描かれた当初の本来の作品に近い状態まで戻すことが可能です。 表装修復は、経年劣化で傷んでしまった場合に行うだけではなく、掛軸の雰囲気を一新するために行われる場合もあります。 たとえば、最近ではマンションや新築の住宅などに和室や床の間を設計しないことも多く、洋風のリビングや玄関の壁などにもあうように修復が行われます。 現在は伝統的な掛軸形式に凝り固まらない創作表具も多く取り扱われており、自宅の雰囲気にあわせて表装の変更が可能です。 劣化の修復だけではなく、掛軸の雰囲気を変えるためにも表装の修理は行われるため、同じ掛軸を何度も仕立て直すこともあります。 価値のある掛軸を本来の状態のまま長く楽しむためにも、表装修理は欠かせません。 表装を自分で修理できる? 掛軸が劣化してシミやシワなどが発生してくると、修復を施して元の状態に戻したいと考えることもあるでしょう。 表装を修復する方法としては、自分で行う方法と専門業者に依頼する方法の2つがあります。また具体的な修復方法は次のとおりです。 ・シミ抜き 掛軸は湿気に弱くシミができやすい美術品です。また、経年劣化により変色しやすい特徴があります。表装のシミは水による洗浄と薬品によるシミ抜きで落としていきます。湿気や混じりけのない水分で発生したシミは、水洗浄でも落ちる可能性があるでしょう。しかし、経年劣化による変色や茶褐色のシミは薬品を使用しないと落ちない可能性があります。 ・表装の破れの修復 掛軸は和紙や絹などで作られているため、取り扱いを誤ると簡単に敗れてしまう恐れがあります。破れの修復は裏側から紙をあてて補修が必要です。破れの範囲が広い場合や損傷が激しい場合は作品を分解して修理することも。古い掛軸は素材自体が弱くなっている可能性もあるため、慎重に修復を行う必要があります。 ・表装のひび割れの修復 経年劣化によって発生したひび割れは漉きはめ修復と呼ばれる方法で修理を行います。修復方法の中でもより専門的な技術が必要な修理方法といえるでしょう。 ・掛軸の仕立て直し 掛軸は和紙や絹でできている上に何層にも重ねられているため、掛けっぱなしにしたり強くまいたりすると折れやシワが発生してしまいます。そのためシワや折れが気になる場合はゆがみを仕立て直す必要があります。仕立て直しは掛軸を解体して行われることがほとんどです。 自分で表装を修理するときの注意点 掛軸の表装を自分で修復する場合、修復内容と方法を自分で判断する必要があります。 自分で寸法や材質を調査して最適な修復方法を見極めなければいけません。修復方法を見極めるためには、専門知識や技術が必要です。 掛軸は和紙や絹などの素材が何層にも重なって制作されているため、修復作業を誤ってしまうと汚れや傷みを悪化させてしまうおそれがあります。 自分で誤った修復を行い、損傷を悪化させてしまうと、元の状態に戻せなくなる危険もあります。そのため、安易に自分で修復を行うのは避けたほうが良いでしょう。 自分で修復をした後に、結局専門業者に依頼しなければならないという状況にもなりかねません。 表装修理はやっぱりプロに任せた方がいい? 表装修理は専門的な知識と高い技術力が必要な作業です。 そのため、知識や経験のない人が行うのはリスクが高いといえます。 所有している掛軸が古くなり劣化が目立ってきたときは専門業者への修理依頼がお勧めです。それなりに費用は掛かりますが、技術や経験のあるプロが修復を行ってくれるため、自分で行うよりもクオリティの高い修復作業が期待できるでしょう。 また、自宅で飾っていたものをきれいにしてまた飾りたいという場合は、修復をお勧めします。しかし、掛軸買取に出すためにきれいな状態へ戻したいという場合は、修復をしないほうが良い場合もあります。 掛軸は繊細な美術品です。古い掛軸であればより慎重に取り扱う必要があります。 そのため、専門の修復業者へ依頼しても必ず修繕されるとは限りません。かえって損傷を広げてしまう可能性もゼロではありません。 買取を考えている場合、買取費用より修理費用のほうがかかってしまう場合もあるため、修理は行わずにそのまま査定に出したほうが良いといえるでしょう。 掛軸の寿命を延ばすためにも表装修理は欠かせない 掛軸の表装修理は、掛軸を美しい状態に保つために欠かせない作業です。 シワやシミ、破れなどを改善するために行われるだけではなく、表装の雰囲気を一新したい場合にも行われます。掛軸を解体して表装を取り替える必要があるため、高い技術力のある専門業者へ依頼することになるでしょう。 掛軸や表装の修理は自分で行う方法もありますが、リスクが高いといえます。 技術や経験がない状態で見よう見まねで修理を行っても、かえって損傷を大きくしてしまう可能性があります。 そのため、修復を行いたい場合は専門業者への依頼がお勧めです。 ただし、買取を考えている掛軸の場合は一度修理を考え直しましょう。 掛軸の価値によっては修理費のほうが高くなる恐れがあります。 また、修理によって傷を広げ価値を下げてしまうリスクもあります。掛軸の価値を調査して買取を検討したいと考えている場合は、そのままの状態でプロの査定士へ査定を依頼しましょう。
2024.09.15
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茶掛掛軸を高価買取してもらおう
茶掛掛軸は現代の日本においても価値が高く、作品によっては高価買取が目指せる芸術品です。 代々受け継がれてきた茶掛掛軸をお持ちの方や、自宅に飾っていた掛軸の価値を知りたい方は、経験豊富な査定士に依頼してもらうのもよいでしょう。 査定に出す前に、茶掛掛軸にどのような価値があるのかを知るために歴史や文化を辿ることも大切です。 なぜ茶道において掛軸が重宝されているのかを知ることで、より茶掛掛軸の魅力や価値を再発見できるでしょう。 掛軸は茶会で欠かせない存在 古くから日本で親しまれてきた掛軸文化。 起源は中国ですが日本に入ってから独自の発展を遂げ、多くの名作が生まれています。 掛軸の中でも茶会で用いられる掛軸を茶掛掛軸といいます。 茶道では茶碗や茶杓などお茶をたてる道具に目が行きがちですが、実は掛軸も茶の湯の場に欠かせない道具の一つなのです。 今日までの日本で掛軸文化が親しまれているのは、茶道において掛軸を飾る文化があったからといっても過言ではありません。それほど茶道と掛軸は深い関係性にあります。 茶の湯とともに普及した茶掛掛軸 掛軸の起源は中国とされており、日本には仏教とともに伝わったといわれています。 飛鳥時代にはすでに仏画として掛軸が入ってきていたと考えられているようです。本格的に掛軸が制作されるようになったのは平安時代のころです。 平安時代は、遣唐使として中国に渡っていた空海が曼荼羅を持ち帰ったことにより、日本でも曼荼羅政策が始まった時代。そこから仏画の制作や掛軸の表装技術が急速に発展していったといわれています。 平安時代ごろ、中国ではすでに水墨画や山水画の技法が確立され多く描かれていましたが、日本の現存する作品の多くが仏画であることから、日本では仏教のための仏画が主流であったと推察されます。 鎌倉時代に入ると中国の禅宗の影響を受け、多くの水墨画が日本に渡ってきました。 その中には仏画以外にも花鳥画や山水画などがあり、日本における掛軸の存在が仏教を広めるためのものだけではなく、芸術品としての価値があるものに変わっていきました。 このころから水墨画を芸術作品として鑑賞するために飾る文化が始まっています。 室町時代になると「わびさび」「幽玄」など日本独自の美意識が成熟していきました。 また、掛軸と縁の深い存在である床の間もこの時代に確立されています。 そして、床の間で最も重要視されたのが掛軸です。床の間は日常と芸術をつなぐ空間という目的をもって作られており、風景画や花鳥画、肖像画、書画などさまざまな絵画が飾られるようになりました。 また、室町時代では中国からもたらされた茶の文化により、茶道が広く普及し始めます。 茶室の床の間に飾る絵画として、掛軸が茶道においても重要な存在になっていきました。 安土桃山時代には、茶の湯を大成させた茶人として有名な千利休が茶道における掛軸の重要性を説くようになり、茶道をたしなむ人々の間で急速に掛軸が流行します。 ただ飾っておくだけではなく、客人や季節、時間帯などを意識して掛軸を掛け替える習慣が生まれ、場面ごとの格式を掛軸で表現する考え方が広まっていきました。 また、安土桃山時代では、織田信長や豊臣秀吉などの名だたる時の権力者も茶の湯を好んでおり、床の間の様式が著しく発展していきました。それに伴い掛軸として飾る絵画の技術や表装技術も進化を遂げていきます。 このように掛軸文化と茶道文化は密接な関係性にあり、今日でも日本人の生活に根付く芸術性の高い文化となっているのです。 茶室に掛軸を飾る意味 茶道において茶室に飾る掛軸を、茶掛掛軸と呼びます。 茶の湯の文化では古くから、神聖な空間である茶室に飾るものは格式高いものであるべきとする考え方がありました。 茶掛掛軸には禅宗の教えである禅語が書かれた書を用いることが多くあります。 ありがたい言葉が書かれている茶掛掛軸は、茶の湯の道具の中で最も格式が高いものとされています。そのため、茶室には掛軸作品が飾られるようになりました。 安土桃山時代に活躍した茶人の千利休も、秘伝書である南方緑に「掛物ほど第一の道具はなし」と記しています。 それほど掛軸は茶席において重要な役割を果たしているとされていたのです。 また、それだけではなくお花やお香、お茶碗などとともに、掛軸は季節感を出すための役割も持っています。 あるいは、季節感を表す以外にも、茶席の主人がお茶にかける思いや客人をもてなす言葉なども掛軸に表すことがありました。 さまざまな意味や思いを持って飾られる茶掛掛軸。 あまり茶道に馴染みのない人は、茶碗や茶杓などに目が行きがちですが、実は、茶道において、茶掛掛軸が最も格式高い道具で、重要な役割を果たしているのです。 もし茶道をたしなむ機会があれば、作法や振る舞いだけではなく、飾られている茶掛掛軸にも意識を向けてみましょう。 茶掛掛軸に書かれている書や絵から茶席の主人のおもてなしの精神を想像してみるのも茶道と掛軸の楽しみ方の一つといえるでしょう。 茶の湯ではどんな茶掛が鑑賞されている? 茶の湯で飾られる茶掛掛軸には禅語が書かれた作品が多く存在します。 ほかにも季節を表す絵が描かれた作品もよく利用されています。 掛軸は茶をたてる主人の心を表すものでもあるため、流派を大切にする茶道では家元が自ら書いた書や絵の掛軸は、何代にもわたって大切にされ丁重に扱われてきました。 茶掛掛軸に書かれる禅語としては、茶道の精神を表している「日日是好日」や「和敬清寂」などが好まれており、この言葉が書かれた掛軸は多く存在しています。 また、書で季節感を表すこともあります。 たとえば、春であれば「春光日々新」や「桃花笑春風」などです。夏になると「薫風自南来」や「山是山水是水」などが飾られます。暑さが和らぐ秋には「万里無片雲」や「清風明月」など、空気が冷たく澄み渡る冬には「庭寒月色深」「三冬鉄樹満林花」などがお勧めです。 また、茶道では書が書かれた掛軸が好まれていますが、中には季節の絵が描かれた掛軸を飾る場合もあります。 たとえば、春には桜や木蓮などの掛軸がよく用いられています。夏になると紫陽花や朝顔、川蝉などが題材としてよく描かれていました。秋には秋の七草や紅葉、稲穂などの絵が親しまれています。そして、冬には南天や雪景、寒牡丹などの絵が好まれます。 室町時代ごろから親しまれるようになった茶道と掛軸を組み合わせた文化。 茶掛掛軸を飾る文化は歴史の中だけではなく、現在もなお多くの茶席で楽しまれています。 茶掛掛軸を買取してもらうには 茶の湯文化とともに古くから日本人に愛されてきた掛軸作品。 中国を起源として仏教を広めるための仏画から始まり、広く民衆が楽しむための芸術品へと発展していきました。 多くの人々から親しまれるきっかけを作ったのは、茶の湯文化ともいえるでしょう。 神聖な茶室には格式の高いものを飾るべきという風習があり、茶の心と通ずるものがある禅語が書かれた茶掛掛軸は、茶道において最も格式の高い道具とされてきました。 そのため、茶道をたしなむ人々の間では、茶碗や茶杓などの道具ではなく掛軸を最も意識して選んでいたともいえるでしょう。 茶掛掛軸には主に禅語が書かれた書を用いますが、季節に合わせた絵画を飾ることもしばしばありました。 現代においても、茶掛掛軸には高い価値があるとされています。 特に禅僧によって書かれた墨蹟は歴史的価値があるといわれています。 墨蹟とは禅僧が書いた肉筆の筆跡のこと。 禅僧が残した墨蹟のある茶掛掛軸は高額査定が期待できます。 ご自宅で茶掛掛軸を保管している方で、作品の価値を知りたい方は一度査定士に依頼を頼みましょう。茶の湯において最も大切にされていた道具の茶掛掛軸。作品によっては高価買取が目指せますので、まずはお気軽に査定をご依頼ください。
2024.09.15
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掛軸の肉筆と印刷を見分けるには?
高い芸術性があり、古くから日本人の間で親しまれてきた掛軸作品。 作家が一つひとつ思いを込めて描き上げた掛軸作品は、日本人の精神や魂を形成する貴重な芸術品です。 花鳥画や山水画、浮世絵、仏画、書画など種類がさまざまありどれも異なる特徴を持ち味わい深い作品といえます。人気の掛軸作品の中には、作家本人が書いた作品そのものではなく、作品を印刷した掛軸も多く出回っています。 もともと印刷作品と謳って販売されている掛軸もあり、そのような掛軸は比較的安価で販売されているため、掛軸に興味を持ち始めた方でも手軽に楽しめるのが魅力的です。 しかし、中には印刷の掛軸でありながら肉質の掛軸と謳って高額で販売されている場合もあります。そのような作品を誤って購入しないためにも、見分け方を知っておくことが大切です。 最近は技術の発展により、印刷作品でも精度の高い仕上がりの掛軸が多く販売されています。印刷の掛軸として安価で購入する分には問題ありませんが、肉筆と偽った印刷掛軸を誤って高額で購入してしまわないよう注意しましょう。 肉筆の掛軸は価値が高い 肉筆の掛軸は、作家本人が描いたその一点のみのため、非常に希少価値が高い掛軸作品です。 現代では印刷技術の発展により、印刷の掛軸でも高品質な作品が多く存在します。 名作と呼ばれる掛軸を手軽に楽しみたい、というニーズであれば、こうした掛軸でも良いでしょう。 しかし、肉筆の作品・本物の掛軸にこだわって収集したいという方も多いでしょう。 肉筆の掛軸は一点物のため、人気の作家や作品によっては非常に高値でやり取りされています。価値が高いため、購入の際は本当に肉筆の作家自身が描いた掛軸であるか慎重に見極めることが大切です。 肉筆と印刷を見分けるためには、まずそれぞれの特徴を理解する必要があります。 肉筆とは 肉筆とは、作者本人が直接描いた絵画や書を指します。 そのため、肉筆の掛軸は世界に一点しかありません。 掛軸作品には肉筆の作品と印刷の作品の2種類があります。肉筆の掛軸は作家本人が描いており、完成度の高い作品を作り上げるためには高度な技術と多くの時間を必要とします。 1枚1枚丁寧に描き上げていくため時間がかかる上に、この世に一点しかないとなると希少価値が付くのも頷けるでしょう。肉筆の掛軸は貴重な作品のため高価になりがちなのも特徴の一つです。 好きな作家の作品をコレクションしたいと考えている場合は、印刷の掛軸よりも肉筆の掛軸を手に入れたいと考えるでしょう。 日本の伝統的な美術品である掛軸をただ自宅に飾るのではなく、作品が持つ歴史や文化などの背景に触れながら、描いた作家について想いを馳せたいと考える場合、印刷よりも肉筆の掛軸のほうが深い感銘を受けられるでしょう。 印刷の掛軸も技術の進歩により高品質に仕上がっていますが、作家本人が描いた掛軸にこだわりたい方は肉筆の掛軸のコレクションがお勧めです。 ただし、人気作家の掛軸は印刷作品だけではなく、贋作も多く出回っているため、本物を見極めるポイントを知っておく必要があります。 人気の掛軸は印刷も多数ある 印刷の掛軸は作家本人が直接描いた作品そのものではないため、複数の同じ作品が市場に出回っています。 同じ作品に対して何枚も用意できるため、希少価値が低く、肉筆の掛軸と比較すると非常に安価で販売されています。 一般的に工芸画や複製画と呼ばれるものは、印刷の掛軸作品です。 印刷作品は、肉筆を印刷することもあればすでに出回っているレプリカ作品をさらに印刷する場合もあります。 現在では、技術が進歩し、写真を印刷して掛軸作品にすることも可能です。 印刷とはいえ、用紙の質にこだわり表装をしっかり行えば、自宅で飾る分には申し分ないといえます。有名な作品を安く入手し、自宅に飾れることは、掛軸を楽しみたい人にとってメリットといえるでしょう。 本物の掛軸作品の買取やコレクションを目的としているわけではない場合、印刷の掛軸は手軽に人気作品を楽しめる方法です。 これまで掛軸に興味がなかった人でも、何かのきっかけで興味が湧くこともあるでしょう。 そのようなときに肉筆の掛軸を高値で購入するのは、本物と偽物を見分ける知識や経験が少ないため贋作のリスクが伴います。印刷作品であれば、品質を維持しながらも有名作品を安価に購入できるため、掛軸趣味の入門編としてお勧めです。 掛軸が肉筆かどうか見分けよう 印刷技術も高度になってきているため、掛軸作品が肉筆と印刷のどちらであるかは、素人目ではなかなか判断が難しいものです。 最も分かりやすい肉筆と印刷を判別するポイントは作者のクセです。 たとえば、文字の「曲げ」や「はらい」、「止め」などの比較があります。同じ作家の掛軸を複数用意して比較する形でチェックします。そのため、同じ作家の作品が手元になければ比較は難しいでしょう。 また、印刷技術の発展により大きな違いがみられなくなってきているため、知識や経験が豊富でなければ確実な判断はできないといえます。 他にも、墨やインクなどの絵具から見分ける方法もあります。墨やインクは、ものによってにおいや質感が異なるため、直接においを確かめることで判別が可能です。 パソコンのインクのように一般的に使われているインクの場合、においがわかりやすいため、判断経験が少なくても気付ける可能性があります。 掛軸作品の色や墨の滲み方によって判別できる場合もありますが、一般の方が違いを見つけるのは難しいでしょう。 非常に細かい確認方法ではありますが、紙質での判別することもできます。印刷の掛軸では紙がツルツルとした手触りである可能性がありますし、印刷の掛軸はよく見ると印刷のドットが目視できる場合もあるでしょう。 掛軸の肉筆と印刷を見分ける方法はいくつかありますが、どの方法でも実物の掛軸を見比べる必要があります。スキャンした画像や写真で判別するのはプロの査定士であっても困難といえます。 肉筆の掛軸はとても貴重 肉筆の掛軸は、1つの作品に対して1点しかありません。 そのため希少価値が高く、掛軸や絵の美術品を集めるコレクターにとっては何としてでも手に入れたい芸術品ともいえます。 しかし、人気作品であるほど肉筆かつ本物の掛軸に出会える確率は低いでしょう。 人気の作家や作品は高値で買取されるため、その分贋作も多く出回っています。本物に似せて描かれた贋作もあれば、本物と似た品質の素材を用いて印刷を行った掛軸などもあります。 精巧に描かれた贋作や、高い印刷技術を用いて制作された印刷の掛軸は、素人目での判断は難しいといえるでしょう。 そのため、所有する掛軸が肉筆か印刷かわからない場合は、自分で判断するのではなくプロの査定士に査定を依頼しましょう。 掛軸査定の経験が豊富な査定士であれば、精巧に作られた贋作や高い技術を用いて作られた印刷の掛軸も判断できる可能性があります。先祖代々受け継がれてきた掛軸作品の価値を知っておきたい方は、一度査定に出してみてください。
2024.09.15
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この掛軸は本物?掛軸の真贋の見分け方とは
中国から仏教とともに海を渡り、日本で茶の湯において壁に飾る風習が生まれた掛軸。 現在でも和室の床の間にインテリアとして飾り楽しむ方もいれば、一方で歴史的価値のある芸術品として美術館や博物館に所蔵されている貴重な掛軸まで、さまざまな用途で親しまれています。 作品によっては高価買取が期待できる掛軸ですが、人気の作品は贋作も多く出回っているため本物を見極める方法を知る必要があるでしょう。 掛軸の真贋を見分けるには 書や絵画を床の間に飾り鑑賞するために表装された掛軸作品。 古くから日本人の生活に溶け込んでいる芸術作品です。 歴史的価値のある作品や人気作家も多く、現在でも高値でやり取りされ多くの人々に親しまれています。 先祖代々受け継がれてきた掛軸をお持ちの方もいるでしょう。保管しておくにしても自宅で飾るにしても、作品が本物なのか気になるものです。特に人気の作家では贋作も多く世に出回っています。そのため、本物と偽物の見分け方をある程度知っておくと良いでしょう。 掛軸そのものの真贋を見分ける 掛軸の真贋を見極める方法として、掛軸の端に押されている署名と落款で判断する方法があります。 落款とは、完成した絵画に作家自身が自筆で署名し雅号の印を押すことです。落款は作家によってデザインが異なります。 また筆跡にも作者のクセが出るため、真贋を見極めるポイントの一つです。有名作家の落款であれば、同じ作家の本物であると証明されている掛軸作品の落款と比較すると見分けられるでしょう。 古い掛軸では署名や落款が読みにくくなっている場合があります。その場合は保管していた木箱や一緒に入っていた書類をチェックしましょう。作家の署名や落款が残されている可能性があります。 落款や署名は作家のクセが出るため真贋を判断するポイントではありますが、人気の掛軸作品では精巧な模倣品が多く出回っています。そのため、一般の人が見比べてもはっきりと違いがわからない場合が多いでしょう。一説では、人気作家の掛軸作品の9割が贋作ともいわれています。素人目で判断するのは危険なため、真贋が気になる方は経験豊富なプロの査定士に依頼するのが良いといえるでしょう。 掛軸の付属品の真贋を見分ける 掛軸作品の真贋を見極める際、付属品に大きなヒントが隠されている場合があります。 素人目では判断できなくても、プロの査定士であれば違いに気づける場合があるため、木箱や一緒に保管されていた資料などは、捨てずに必ず大切に保管しておきましょう。 また、精密に描かれている掛軸の贋作でも、保管している木箱の作りが適当なこともあるようです。掛軸自体の信ぴょう性が高く、さらに付属品も精巧に作られている場合、本物である可能性が高まります。 プロの査定士が真贋を見極めるための判断材料を多く提供できるよう、掛軸そのものだけではなく、木箱や資料などの付属品も必ず取っておきましょう。また査定に出す際は掛軸と付属品をセットで持っていくことをお勧めします。 入手経路や査定書はある? 掛軸の真贋を確かめるためには入手経路も重要な判断材料です。 信頼できる人や会社からもらい受けた作品であれば本物の可能性が高まります。反対に、見かけたお店でなんとなく購入した作品の場合は、贋作の可能性も捨てきれません。 また、掛軸が本物であるか判断する資料として、査定書があります。 譲ってくれた人がすでに査定に出しており、書類を一緒にもらい受けている場合はなくさないように注意しましょう。ただし、人気の作品では査定書も偽造されたものの可能性があります。そのため、査定書があるからといって絶対に本物の作品とは言い切れません。 真贋を見極めるには落款や署名、付属品などさまざまなチェックポイントがありますが、素人目ではなかなか判断が難しいでしょう。そのためプロの査定士に判断してもらうことが大切です。正確な査定をしてもらうためには、判断材料は多いほうが良いでしょう。そのため、掛軸や木箱、資料、査定書などはすべてセットで保管するよう心がけてください。 人気作家の掛軸ほど、贋作が多い 人気作家の掛軸作品ほど贋作も多く出回っています。 また掛軸が古ければ古いほど贋作が多いともいわれています。 人気作家の作品は価値があるため高値でやり取りされる希少な芸術品であるため、偽物や贋作を売ってお金を稼ごうと考える人も出てきてしまうでしょう。 ブランド品に偽物が多いのと同様に、掛軸などの骨董品や美術品でも贋作はつきもの。贋作が作られるほど人気・有名な掛軸作家としては、横山大観や円山応挙などが挙げられます。 横山大観 作家名:横山大観(よこやまたいかん) 代表作:『瀟湘八景』『無我』 生没年:1868年-1958年 横山大観は近代日本画の巨匠として有名な画家です。 なかでも富士山をモチーフにした名画を数多く残しています。 「大観といえば富士」といわれるほど人気の高い作品で、今もなお多くの人々を魅了し続けています。生涯で描いた富士の絵は1500点。亡くなる直前に描いた作品も富士をモチーフにしたものでした。 横山大観の作品は、最高で推定1億円以上の価値がついたともいわれています。 そのため、価値を利用して金儲けを考えた人たちが、横山大観の作品に似せて作品を制作し、贋作が多く出回ってしまいました。 横山大観は日本作家の中でも贋作が多い作家として知られています。 円山応挙 作家名:円山応挙(まるやまおうきょ) 代表作:『薔薇蝶狗子図』『江口君図』 生没年:1733年-1795年 円山応挙は江戸時代中期から後期にかけて活躍した日本画家です。 円山派の始祖で足のない幽霊を初めて書いた作家ともいわれています。 円山応挙は目の前の風景を見ながら描く写生を取り入れており、この時代では他に見ない斬新な手法でした。写生で技術を磨いた円山応挙の絵は、竜などの空想上の生き物もまるで本物を見ながら描いたようなリアルさがあります。 写実的で誰もがうまいとわかる円山応挙の作品は、富裕層から町民まで幅広い人々から支持を受けました。 円山応挙の作品は、その人気の高さから現代では贋作も多く出回っています。 写実的な絵画手法が模倣しやすかったとも考えられています。また、落款も丁寧な楷書が多かったため模倣しやすく、多くの贋作が出回るようになってしまったといえるでしょう。 掛軸の真贋を見分けるには、プロの査定士に依頼しよう 掛軸の真贋を素人目で見極めるのは困難といえるでしょう。 そのため、所有している掛軸作品の真贋を見分けるためにはプロの査定士に依頼する方法がお勧めです。査定士が査定する際の判断材料としては、掛軸自体だけではなく木箱や一緒に保管されている資料、査定書などが有効です。そのため付属品はすべて捨てずにとっておき、査定を依頼する際はすべてまとめて持っていくと良いでしょう。
2024.09.15
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風俗画掛軸の買取なら実績ある査定士へ相談しよう
風俗画とは、庶民の生活や日常の様子を描いた絵の総称です。 日本の風俗画がその名前をもって描かれたのは16世紀ごろから。 しかし、風俗描写自体は古くから利用されており、月次絵や名所絵、絵巻物などに多く見られました。江戸時代には浮世絵の題材として庶民の生活や遊里の事柄を描くことが多く、読本が流行り始めた江戸時代以降はとくに多くの人から好まれた題材だったといえるでしょう。 風俗画とは 風俗画とは、その名の通り風俗を題材とした絵画作品です。 日本では16世紀ごろから描かれ始めたとされています。しかし、風俗画描写自体はさらに古くから存在し、古代までさかのぼることが可能です。 奈良時代の法隆寺の天井裏や唐招提寺の梵天像台座などに描かれていた落書きは風俗画のような特徴をもっていました。平安時代の終わりから鎌倉時代にかけて盛んに制作された絵巻には、風俗描写とも捉えられる絵が多く描かれています。 風俗描写をメインにした作品が生まれ始めたのは室町時代の後半ごろで、独立した風俗画が誕生した時期といわれています。 桃山時代から江戸時代初期の近世初期風俗画は、屏風絵や襖絵をメインに制作されました。 狩野派を中心に洛中洛外図をはじめとするさまざまな風俗画が描かれるようになりましたが、時代の流れとともに対象を絞り込むようになり、個々の人物へも目を向けるようになっていきます。 時代が移り変わっていくとともに風俗画を描く作家も民間の絵師たちへ移行していきました。 また、風俗画は過去の出来事や同時代の事件などをモチーフとして描かれることもあり、「事件画」とも呼ばれています。 風俗画にはどんなものが描かれた? 風俗画には庶民の暮らしや様子を描いた作品が数多くあります。 狩野永徳が描いた『洛中洛外図』には、京の市中と郊外の風俗が細かな描写で生き生きと描かれています。 また、風俗画を描いていた有名な流派には、狩野派以外にも海北派や雲谷派、土佐派などがありました。その画風はどれも明るく楽しげな雰囲気の作品が多く、現世肯定の生活感情の反映が見られるといえます。 元和・寛永期ごろからは遊里芝居が好まれ、モチーフとした作品が多く制作されました。遊女の生活に焦点をおき、風俗画の私的な特徴が増したことで書き手の主体も狩野派から民間の町絵師たちに写っていきました。 風俗画の代表的な作品とは 庶民の生活を描いた風俗画は、現代でも多くの有名作品が現存しています。 風俗画は古くから描かれている絵画のため、中には作者がわからないまま博物館や美術館に所蔵されている作品もあります。代表的な風俗画の作品を知ることで、より風俗画に対する知見を深めていきましょう。 阿国歌舞伎図屏風 『阿国歌舞伎図屏風』は桃山時代に描かれた風俗画で、作者は明らかになっていません。 歌舞伎の祖出雲の阿国を描いた作品で、阿国は一座を率いて四条河原などでやや子踊りや歌舞伎踊りを披露していました。その踊りがのちの歌舞伎に発展したといわれています。慶長8年、北野天満宮の能舞台を借りて常設の興行を始めました。 絵を見てみると、刀を肩にかけた傾奇者、柱のそばに坐す茶屋のかか、道化役の猿若が描かれており、阿国歌舞伎の代表的演目である茶屋遊びが演じられている様子を描いた作品であることが見て取れます。 『阿国歌舞伎図屏風』には北野天満宮での興業の様子が描かれているため、制作時期は慶長8年前後ではないかと推察されています。 遊女禿図 『遊女禿図』は松野親信(まつのちかのぶ)によって描かれた江戸時代の風俗画です。 松野親信は江戸時代の浮世絵師の一人で、落款は伯照軒または伯笑軒としています。 懐月堂派の画風で肉筆美人画を多く描いていますが、その流派であったかは分かっていません。現代では、十数点の肉筆画の存在が知られており、版画作品は確認されていないようです。画風は懐月堂派に近しいものがありますが、より温雅であると評価されています。 紙本著色布晒舞図 『紙本著色布晒舞図』は英一蝶によって描かれた風俗画です。若衆歌舞伎の役者と思われる人物が布を晒すしぐさや波の様を布で表現し、さらしの舞を披露する様子を描いた作品といわれています。 英一蝶は狩野安信に入門し、狩野派風の町絵師として活躍していましたが入門後わずか2年で破門。 英一蝶は狩野派で描いてはいけないとされていた風俗画を得意としていたため、破門されたのではと推察されています。 英一蝶の芸術家としての活動は浮世絵だけにとどまらず、宝井其角や松尾芭蕉から俳句を学び、さらに玄竜門下から書道を学びました。また、吉原遊郭では芸人としても活躍しており、多彩な才能を発揮しています。 風俗画掛軸を買取してもらうには 風俗画とは主に庶民の日常生活を描いた絵画作品で、現代でも高い評価を受けている作品が多くあります。 自宅の倉庫に保管していた風俗画掛軸を見つけたら、一度査定に出してみてはいかがでしょうか。 古い風俗画掛軸の場合、作者や作品名がわからない場合もあるでしょう。しかし、詳細がわからないからとあきらめずに経験豊富な査定士に依頼すれば、適切な評価を付けてもらえる可能性があります。 また、古い掛軸ほど状態が悪く破れやシミがあると買取をしてもらえないのではと不安に思う方もいるでしょう。 しかし、掛軸自体がボロボロでも有名作家の作品であれば高価買取を狙える可能性もあります。そのため、自分で下手に修繕をせずまずはプロの査定士に正しい評価を付けてもらいましょう。
2024.09.15
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南画掛軸買取を査定士へ相談しよう
南画掛軸は現在でも人気の高い掛軸作品の一つで、作家や作品によっては高値でやり取りされる芸術品です。 有名な作家には与謝蕪村や池大雅などがいます。江戸時代から南画は盛んに描かれるようになり、現在でも多くの名作が残っています。南画掛軸の価値を知るためには、南画の歴史や特徴とともに有名作家とその作品を知ることも大切です。 南画掛軸の魅力を追求し、その価値を再認識しましょう。 南画とは 南画とは、日本の江戸時代後期に誕生した画派の一つです。 中国の元・明の絵画に影響を受けています。 中国絵画の一つに南宗画と呼ばれる画風があり、それに影響を受けたため南画と呼ばれています。南宗画は明の時代に生まれた言葉で、中国の江南地方の平坦な地形と温暖な気候風土の中で誕生した山水画のことです。 南画は江戸幕府の御用絵師であった狩野派の保守的な傾向に物足りなさを感じた絵師たちが、新たな表現や自由な創造、創作を求めて独自に中国の絵画を学んだことから始まっています。 南画の第一世代とされる作家は、祗園南海・服部南郭・柳沢淇園・彭城百川などです。 彼らは中国絵画を模写したり、中国から渡ってきた画譜を参考にしたりして中国風の山水画を描きました。 南画を文人画と呼ぶこともありますが、まったく同じ意味をあらわしているわけではありません。 文人画とは、中国の文人が描いた絵画を指します。 中国でいう文人とは、日本では学者を指していますが、学者たちが絵画を描くことはなかったため、真の意味での文人画は日本では生まれていないといえるでしょう。 しかし、日本の南画を描いた作家が文人画を手本にしたことで、南画が文人画と呼ばれることもあったようです。 南画を大成させた、与謝蕪村と池大雅 中国の南宗画をもとに誕生した南画を大成させたのは与謝蕪村と池大雅といわれています。 どちらも江戸時代中期に活躍した画家です。また二人は合作で作品を制作しており、当時からたくさんの人の目を引く作品を残しています。 与謝蕪村 作家名:与謝蕪村(よさぶそん) 代表作:『奥の細道図巻』『夜色楼台図』 生没年:1716年-1783年 与謝蕪村は池大雅とともに南画の大成者の一人として広く知られています。 また、画家として制作活動をする傍ら、俳人としても活躍していました。 松尾芭蕉や小林一茶と並び、江戸時代の俳諧の三大巨匠としても有名です。 与謝蕪村は、22歳で俳人が立ち上げた夜半亭に入門し俳句の修行をスタートさせました。当時から画家と俳人の両立を目指していたとされています。 27歳のときに早野巴人が亡くなり、同門の友人を頼って下総国結城に移り住んでから約10年間、絵画と俳句の基礎を固めながら関東から奥羽を旅しています。 諸国行脚を終えた与謝蕪村は、36歳のときに京都へ移り住みました。 本格的な障壁画や古典絵画などに触れ、絵画の技術と感性を磨いていきました。 39歳から3年間は、京都に滞在し画業に専念しています。天橋立に近い見性寺は与謝蕪村が仮住まいに定めた場所で、現在もなお与謝蕪村の作品が多く残されています。 また、与謝蕪村の作品の多くは重要文化財に指定されていることで有名です。 与謝蕪村の『奥の細道図巻』は、俳句と絵画を織り交ぜた俳画と呼ばれる独自のジャンルを確立した作品の一つです。 敬愛する松尾芭蕉の奥の細道を全文書き写し、そこに挿絵を入れた作品で、風景や風物の描写を文章に委ね人物のみを描くシンプルな魅力があります。 池大雅 作家名:池大雅(いけたいが) 代表作:『陸奥奇勝図』『白雲紅樹図』 生没年:1723年-1776年 池大雅は文人画の巨匠と呼ばれる人物です。 京都の町人の子として生まれ、7歳のときに万福寺で書を披露し絶賛され、早くから画家としての才能を開花させました。 禅僧と交流を深める中で大陸の文物に触れ合い、文人趣味の扇絵を描いていたとされています。その前後には柳沢淇園と出会い、絵の教えを受けています。 柳沢淇園が南画を得意としていたため、南画の基本を学んだほか、琳派からも技法を取り入れて絵の技術を磨いていきました。 旅行や登山が好きだった池大雅は、自らさまざまな場所に赴き、実際に見た景色を数多く描いていきました。 中国絵画の模倣だけでは終わらない独自の画風を確立して人気を集めていったとされています。 池大雅は特定の流派に属しておらず、自分が好むさまざまな技法を取り入れていたため、独自のスタイルを確立できたといえるでしょう。 自由を愛する清廉潔白な人柄であったとされる池大雅は、その人柄が垣間見える数多くの作品を世に残しており、多くの絵が国宝や重要文化財に指定されています。 『白雲紅樹図』は池大雅の傑作として古くから評価されている掛軸作品で、早い時期から重要文化財に指定されていました。 描法は緻密でありながらもゆったりとした雰囲気が失われないよう描かれたこの作品は、池大雅の特徴がもっともよく発揮されているといわれています。 南画掛軸買取は実績ある査定士へ相談を 中国の南宗画の影響を受けて江戸時代に登場した南画掛軸。 多くの有名作家が南画の作品を残しており、とくに有名なのが与謝蕪村や池大雅です。2人はそれぞれでも精力的に南画を制作して数々の名作を残しています。また合作でも『十便十宜』と呼ばれる名作を世に生み出しました。 南画掛軸は独自の画風で描かれている作品も多く、個性あふれる絵が魅力の掛軸です。作家や作品によっては高価買取も狙えるでしょう。 もし、自宅に南画掛軸が保管されている方は一度査定に出してみることをお勧めします。作品名や作家が不明で、どのような人が描いたか気になるという方も、査定士に依頼することでどのような作品か判明する場合があります。まずは気軽査定士へ相談してみましょう。
2024.09.15
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唐画掛軸は高額買取してもらえる?
唐絵とは、中国で描かれた作品と中国のものがモチーフの作品、中国風の作品などを総称したジャンルの絵画です。 中国が隋や唐と呼ばれる時代までは、色を付けた色彩豊かな絵画が好まれ、宋の時代からは墨の濃淡によって描く水墨画が盛んに制作されるようになりました。唐絵の掛軸は人気の作家や作品であれば高価買取も目指せる芸術品です。 所有する唐絵掛軸の価値を見極めるためには唐絵の特徴や歴史を知ることも必要でしょう。 唐絵とは 唐絵とは中国で制作された絵画と、日本で制作された中国風の絵画をまとめて指している言葉です。中国で描かれた作品だけだと思いがちですが、実は日本で描かれたものであっても中国の絵画に寄せた画風で描かれた作品は唐絵と呼びます。室町時代には当時の宋・元から伝わってきた水墨画を中心とした宋元画を唐絵と呼びました。 江戸時代に入ると、狩野永納(かのうえいのう)が元禄6年(1693)に刊行した『本朝画史』に狩野土佐氏是倭画之専門也、雪舟子是漢画之祖筆、狩野家是漢而兼倭者也と書かれているように、狩野派で漢画という名前を使い、このころからは日本人が描いた中国風の絵画は、漢画の呼び方で統一されています。 唐絵の歴史や特徴 唐絵が指す絵画は時代とともに変化してきました。 平安時代では中国から渡ってきた絵画だけではなく、中国の文化や風景をモチーフにして描かれた日本の絵画も唐絵と呼んでいます。 唐絵に対する呼称として、やまと絵と呼ばれる絵画があります。 やまと絵は、日本の文化の発展に合わせて生まれた絵画。鎌倉時代には中国の宋や元の絵画が日本に広く知れ渡っていき、新しい様式の中国画と中国画の影響を受けて描かれた日本画を総称して唐絵と呼んでいます。 中国の王朝が唐から宋・元へ変わっていったタイミングで、中国の絵画も宋元画と呼ばれるようになりましたが、鎌倉時代後半の日本では唐絵で統一して呼ばれていました。中国の唐絵は室町時代以降盛んに描かれるようになった水墨画に大きな影響を与えたといわれています。 いつの時代であっても、中国から伝わってきた絵画は唐絵と呼びますが、それ以外で唐絵に該当する絵画は時代によって多少の差があるといえるでしょう。 平安時代では中国を題材としていたら日本の作家が描いていても唐絵と呼びます。 鎌倉時代以降ではモチーフが中国と関係しているかどうかにかかわらず、中国の絵画に影響を受けて描かれたすべての作品を唐絵と呼びます。このように違いがありますが、唐絵は中国の影響を受けている作品であることに間違いはありません。 唐絵の主なモチーフは自然の風景や人物、花、鳥などです。 墨の濃淡を活用した美しい画風が特徴的です。 唐絵というと、中国の荒々しくも幽玄な山岳や河川が描かれた山水画をイメージする方も多いでしょう。しかし、唐絵の中にも人物や花鳥を描いた作品は多く存在します。また、唐絵は掛軸作品だけではなく、屏風や襖など多くの形で残されています。 唐絵の代表作『樹下美人図』 唐絵の有名な作品として『鳥毛立女屏風図』があります。 正倉院に伝わる屏風作品で六扇からなる作品です。 樹木の下に唐風の絵で美人をおいていることから、別名『樹下美人図』とも呼ばれています。 古代の美人画としても人気の高い作品で、ふくよかな出で立ちの女性が木の下に座った状態あるいは立った状態で描かれています。 そして、作品名の通りもともとは墨で描いた輪郭の内側に山鳥の羽毛が貼り付けられていました。 しかし時代が過ぎていき経年劣化が進んだ影響もあり、現在の『鳥毛立女屏風図』には羽毛がほとんど残っていません。しかし、顔や手に施された淡彩からは、いまだに少し色彩の名残が見られるでしょう。 樹下に人物を描く構図はインド起源の様式とされています。 そしてこの様式は、インドから中国、中国から日本へと伝わっていったと考えられています。 この『鳥毛立女屏風図』は作者不明とされていますが、唐で描かれた舶来品ではないかと推測されています。しかし、第五扇の下に天平勝宝四年の年号の記録があることと、わずかに残っている羽毛が日本産の山鳥のものであることがわかり、日本で描かれた作品という説も、長年の研究からその信ぴょう性が高まってきています。 唐絵掛軸の高額買取をしてもらうには 唐絵掛軸は中国で描かれた作品だけではなく、中国風の作品や中国のモチーフを描いた作品も該当します。 そのため、日本人が描いた絵画であっても、「やまと絵」ではなく「唐絵」と呼ぶ作品も多く存在します。中国で描かれた作品だけではないことが特徴的です。唐絵のモチーフには自然の風景や人物、花、鳥などがあります。中国の画というと、荒々しくも幽玄な山岳や河川など、中国の風景が描かれた山水画を想像する方もいるでしょう。しかし、唐絵は中国ならではの風景の絵画だけではなく、人物や花、鳥などが描かれた作品も多く現存しています。 唐絵掛軸は作品によって高額買取が可能な芸術作品です。 自宅に唐絵掛軸がある場合で価値を知りたい方はプロの査定士へ査定を依頼しましょう。 作家や作品の名前がわからなくても問題ありません。まずはそのまま持ち込んで相談してみてください。下手に修繕を行ってしまうと傷や汚れを広げてしまうリスクがあり、かえって掛軸の価値を下げてしまう可能性があります。 古くて傷みが激しい唐絵掛軸でもまずはそのまま査定に出してみましょう。
2024.09.15
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書画掛軸買取なら | 日本・中国の有名作家がのこした書画も多数
毛筆で描かれた絵や書が一緒になった掛軸作品を美術館や博物館で見かけたことがある人も多いでしょう。 これらは書画と呼ばれ、古くから中国や日本で親しまれてきた芸術作品の一つです。 書画掛軸は歴史的価値が高く、作品や作家によっては高価買取が狙える作品といえます。 書画掛軸の価値をあらためて再認識するためにも日本や中国で描かれた書画の特徴や歴史を学びましょう。 書画とは 書画とは、毛筆で描かれた文字や絵の作品を指します。 書画は、文字だけが書かれた作品、絵だけが描かれた作品、書と絵の両方が描かれた作品の大きく3つの形に分かれています。主に中国や日本などの東アジア周辺諸国で発展していったジャンルです。 また書画作品は掛軸や巻物、書籍、屏風などに表装されるのが基本の形です。そのため、鑑賞目的ではない手紙や書簡は書画に該当しません。 ただし、もともとは鑑賞目的ではなくとも、書かれたのちに表装され飾られることもあります。歴史上の有名な人物が書いた書簡や、有名な人物に宛てられた手紙は歴史的価値が高いとされ、のちの時代で表装される場合があるのです。 資料としての価値のみの場合は古文書に分類されますが、芸術的・骨董的価値があると判断し、鑑賞を目的とすれば書画に該当する場合があります。 書画の中でも書と絵の両方が描かれた作品でよく見られるのは、描かれている絵画にちなんだ漢詩が書かれている作品です。 掛軸として表装されている作品を詩画軸または詩軸と呼びます。 書と絵の両方が描かれる書画は、作家自身が書を書き込む場合と、鑑賞した人が賛を送るために絵画に書を書き込む場合の2通りです。後者は画賛とも呼ばれています。 画賛は掛軸作品だけではなく、やまと絵や水墨画、肖像画などあらゆる絵画の余白部分に書き込まれる書です。 文字通り絵画に対して賞賛を送る目的で書かれるのが一般的ですが、絵に合わせた漢詩や和歌、俳句が後から書かれる場合もあります。 書画の歴史 書画は中国が起源とされています。 中国には詩書画一致や書画同源といわれる考え方があります。 詩・書・画はお互いに深い関係性でつながっており、3つが一体となって歴史を作ってきました。日本の書画は中国の作品に大きな影響を受けているため、奈良時代には釈迦の生涯と前世の物語を下方半分に書き、上方半分に物語をわかりやすく絵画で描いた『絵因果経』と呼ばれる絵巻物が制作されています。 『絵因果経』は日本に現存する一番古い絵巻物とされており、釈迦の生涯と前世の物語を描いた作品です。同じ画題の絵巻物は奈良時代以降も複数制作されています。 また書のみが書かれた書画作品も起源は中国にあります。 日本には仏教の教えとともに持ち込まれました。 仏教では経典を書写する写経と呼ばれる修行があり、墨で文字を美しく書くためとして書画が受け入れられたと考えられます。 その後、書は実用性だけではなく筆や墨の繊細な手法を用いて豊かな表現ができると広まり、芸術の一つとして捉えられるようになりました。 平安時代には『源氏物語』や『枕草子』、『伊勢物語』などさまざまな絵巻物が制作されています。 平安時代の絵巻物は、当時の中国から伝わった唐絵を日本独自にアレンジしたやまと絵で描かれました。 平安時代の絵巻物は、歴史的価値の高い作品として現代まで作品の内容が受け継がれています。 鎌倉時代には禅宗とともに水墨画が中国から日本に伝わってきました。 この時代から日本でも水墨画や墨彩画に書を入れた書画作品が多く輩出されています。 安土桃山時代から江戸時代にかけては、多種多様な画風の流派が多く誕生しています。 たとえば、やまと絵と水墨画を融合させ屏風や襖などに豪華絢爛な絵を描く狩野派や、同様に水墨画を基礎とした琳派、円山派、南画などです。水墨画に書を書くスタイルの作品が確立され、現代まで同様のスタイルが続いています。 特に有名な書画掛軸の作品や作家たち 中国や日本をはじめとした東アジア諸国で盛んに描かれていた書画掛軸。 もともと鑑賞用ではない手紙や書簡も、掛軸として表装され書画としての価値が生まれることもしばしばありました。中国や日本は書画掛軸を制作する有名な作家を多く輩出しています。 呉鎮(ご ちん) 作家名:呉鎮(ご ちん) 代表作:『洞庭漁隠』『蘆灘釣艇図巻』 生没年:1280年-1354年 呉鎮は元時代に活躍した中国の文人画家です。 黄公望・倪瓚・王蒙と並ぶ元末四大家の一人としても有名なため、名前を耳にしたことがある人も多いでしょう。また、元の山水画様式を確立させた人物でもあります。現在の浙江省嘉興市嘉善県である嘉興府嘉興県魏塘出身で、字は仲圭、号を梅花道人・梅花和尚といいます。 呉鎮は漢詩や書にも通じていましたが、一生のうちに仕官することなく易卜(えきぼく:易を使用した占い)や売画を行ったり、村塾を開いたりして生活を送っていました。 決して裕福ではありませんが、世俗を離れた生活を楽しんでいたとされています。 五代南唐・宋初の画家である巨然の点描法を学び、墨で竹を描く墨竹は北宋の文人である文同から学びを得ています。 雪舟 作家名:雪舟(せっしゅう) 代表作:『破墨山水図』 生没年:1420年-1506年 雪舟は室町時代に活躍した日本の水墨画家です。 10歳のころに禅宗の僧侶となるために臨済宗の寺院に預けられ、その後は相国寺にて修行を行っています。相国寺には室町幕府の御用絵師であり、日本の水墨画を代表する画僧の周文がいました。 当時から絵を描くことが好きだった雪舟は、周文から水墨画を学び才能を開花させていきます。 京都で名の知られた水墨画家となった雪舟は、日本での学びだけでは足りず、中国で本格的な水墨画を学びたいと考えるようになりました。 山口の守護大名大内氏の庇護を受けていた雪舟は、48歳のときに明と交易を行う船に同乗させてもらえることになり、待ち望んでいた中国での修行を開始します。中国各地を旅して幽玄で美しい風景を写生したり、本場中国の名画を模写したり、技術や感性に磨きをかけていきました。 やがて雪舟の作品は明でも評価されるようになり、天童山第一座の称号を取得しています。 以後の雪舟作品には天童山第一座の称号が書き入れられています。 2年の修行を終え帰国した雪舟でしたが、京都は応仁の乱により焼け野原となっていました。そのため雪舟は全国を旅しながら創作活動を続け、周防国や豊後国、石見国、美濃国など場所を転々としながら明の水墨画に独自の手法を取り入れた画風の作品を制作し続けました。 画家としての創作意欲は80代半ばを過ぎても衰えることを知らず、1506年に描いた山水画を生前最後の絵として87歳の生涯に幕を閉じています。 雪舟が描いた作品の一つである『破墨山水図』は、雪舟が描いた絵に対して6人の有名な詩僧が詩を書いた書画です。抽象的な風景表現が特徴的で、墨面のいきいきとした表情が楽しめます。 富岡鉄斎 作家名:富岡鉄斎(とみおかてっさい) 代表作:『楽此幽居図』『仙縁奇遇図』 生没年:1837年-1924年 富岡鉄斎は明治・大正時代の文人画家であり儒学者です。 世界的に評価されている近代日本画家であり、日本最後の文人とも謳われています。 遺作展は日本のみならず、イギリスやフランス、イタリアなどの西欧諸国からアメリカやブラジルなどの諸外国で開催されるほど世界的に人気の高い画家です。しかし、富岡鉄斎自身は生涯儒学に力を注ぎ、自らを画家と呼ぶことを嫌っていたとされています。 町人道徳哲学を家学とした家系に生まれた富岡鉄斎は、幼いころより町人道徳哲学を学び、少年のころに家を出て六孫王神社に弟子入りしています。 修業時代は儒学を学びつつ、大角南耕と窪田雪鷹から画の教えを受けていました。 師は自由な流派であったとされ、富岡鉄斎はやまと絵、琳派、浮世絵、大津絵などの学びを得たとされています。この学びが富岡鉄斎の描く作品に影響しているといえるでしょう。 書画掛軸の買取を相談してみよう 書のみの作品や絵のみの作品、書と絵が融合した作品のどれもが書画と呼ばれます。 また書画の特徴として、絵を描いた作家自身が書も書く場合と、絵を鑑賞した人が賛として書を書き入れる場合の2パターンがあります。 どちらも作品によっては高価買取が可能です。自宅にある書画の価値を知りたい方は、経験豊富な査定士に査定を頼みましょう。 査定を依頼する際は修繕を行わず、そのままの状態で出すことをお勧めします。作家や真贋が不明な場合でもまずは気軽に相談してみましょう。
2024.09.15
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