毛筆で描かれた絵や書が一緒になった掛軸作品を美術館や博物館で見かけたことがある人も多いでしょう。
これらは書画と呼ばれ、古くから中国や日本で親しまれてきた芸術作品の一つです。
書画掛軸は歴史的価値が高く、作品や作家によっては高価買取が狙える作品といえます。
書画掛軸の価値をあらためて再認識するためにも日本や中国で描かれた書画の特徴や歴史を学びましょう。
書画とは
書画とは、毛筆で描かれた文字や絵の作品を指します。
書画は、文字だけが書かれた作品、絵だけが描かれた作品、書と絵の両方が描かれた作品の大きく3つの形に分かれています。主に中国や日本などの東アジア周辺諸国で発展していったジャンルです。
また書画作品は掛軸や巻物、書籍、屏風などに表装されるのが基本の形です。そのため、鑑賞目的ではない手紙や書簡は書画に該当しません。
ただし、もともとは鑑賞目的ではなくとも、書かれたのちに表装され飾られることもあります。歴史上の有名な人物が書いた書簡や、有名な人物に宛てられた手紙は歴史的価値が高いとされ、のちの時代で表装される場合があるのです。
資料としての価値のみの場合は古文書に分類されますが、芸術的・骨董的価値があると判断し、鑑賞を目的とすれば書画に該当する場合があります。
書画の中でも書と絵の両方が描かれた作品でよく見られるのは、描かれている絵画にちなんだ漢詩が書かれている作品です。
掛軸として表装されている作品を詩画軸または詩軸と呼びます。
書と絵の両方が描かれる書画は、作家自身が書を書き込む場合と、鑑賞した人が賛を送るために絵画に書を書き込む場合の2通りです。後者は画賛とも呼ばれています。
画賛は掛軸作品だけではなく、やまと絵や水墨画、肖像画などあらゆる絵画の余白部分に書き込まれる書です。
文字通り絵画に対して賞賛を送る目的で書かれるのが一般的ですが、絵に合わせた漢詩や和歌、俳句が後から書かれる場合もあります。
書画の歴史
書画は中国が起源とされています。
中国には詩書画一致や書画同源といわれる考え方があります。
詩・書・画はお互いに深い関係性でつながっており、3つが一体となって歴史を作ってきました。日本の書画は中国の作品に大きな影響を受けているため、奈良時代には釈迦の生涯と前世の物語を下方半分に書き、上方半分に物語をわかりやすく絵画で描いた『絵因果経』と呼ばれる絵巻物が制作されています。
『絵因果経』は日本に現存する一番古い絵巻物とされており、釈迦の生涯と前世の物語を描いた作品です。同じ画題の絵巻物は奈良時代以降も複数制作されています。
また書のみが書かれた書画作品も起源は中国にあります。
日本には仏教の教えとともに持ち込まれました。
仏教では経典を書写する写経と呼ばれる修行があり、墨で文字を美しく書くためとして書画が受け入れられたと考えられます。
その後、書は実用性だけではなく筆や墨の繊細な手法を用いて豊かな表現ができると広まり、芸術の一つとして捉えられるようになりました。
平安時代には『源氏物語』や『枕草子』、『伊勢物語』などさまざまな絵巻物が制作されています。
平安時代の絵巻物は、当時の中国から伝わった唐絵を日本独自にアレンジしたやまと絵で描かれました。
平安時代の絵巻物は、歴史的価値の高い作品として現代まで作品の内容が受け継がれています。
鎌倉時代には禅宗とともに水墨画が中国から日本に伝わってきました。
この時代から日本でも水墨画や墨彩画に書を入れた書画作品が多く輩出されています。
安土桃山時代から江戸時代にかけては、多種多様な画風の流派が多く誕生しています。
たとえば、やまと絵と水墨画を融合させ屏風や襖などに豪華絢爛な絵を描く狩野派や、同様に水墨画を基礎とした琳派、円山派、南画などです。水墨画に書を書くスタイルの作品が確立され、現代まで同様のスタイルが続いています。
特に有名な書画掛軸の作品や作家たち
中国や日本をはじめとした東アジア諸国で盛んに描かれていた書画掛軸。
もともと鑑賞用ではない手紙や書簡も、掛軸として表装され書画としての価値が生まれることもしばしばありました。中国や日本は書画掛軸を制作する有名な作家を多く輩出しています。
呉鎮(ご ちん)
作家名:呉鎮(ご ちん)
代表作:『洞庭漁隠』『蘆灘釣艇図巻』
生没年:1280年-1354年
呉鎮は元時代に活躍した中国の文人画家です。
黄公望・倪瓚・王蒙と並ぶ元末四大家の一人としても有名なため、名前を耳にしたことがある人も多いでしょう。また、元の山水画様式を確立させた人物でもあります。現在の浙江省嘉興市嘉善県である嘉興府嘉興県魏塘出身で、字は仲圭、号を梅花道人・梅花和尚といいます。
呉鎮は漢詩や書にも通じていましたが、一生のうちに仕官することなく易卜(えきぼく:易を使用した占い)や売画を行ったり、村塾を開いたりして生活を送っていました。
決して裕福ではありませんが、世俗を離れた生活を楽しんでいたとされています。
五代南唐・宋初の画家である巨然の点描法を学び、墨で竹を描く墨竹は北宋の文人である文同から学びを得ています。
雪舟
作家名:雪舟(せっしゅう)
代表作:『破墨山水図』
生没年:1420年-1506年
雪舟は室町時代に活躍した日本の水墨画家です。
10歳のころに禅宗の僧侶となるために臨済宗の寺院に預けられ、その後は相国寺にて修行を行っています。相国寺には室町幕府の御用絵師であり、日本の水墨画を代表する画僧の周文がいました。
当時から絵を描くことが好きだった雪舟は、周文から水墨画を学び才能を開花させていきます。
京都で名の知られた水墨画家となった雪舟は、日本での学びだけでは足りず、中国で本格的な水墨画を学びたいと考えるようになりました。
山口の守護大名大内氏の庇護を受けていた雪舟は、48歳のときに明と交易を行う船に同乗させてもらえることになり、待ち望んでいた中国での修行を開始します。中国各地を旅して幽玄で美しい風景を写生したり、本場中国の名画を模写したり、技術や感性に磨きをかけていきました。
やがて雪舟の作品は明でも評価されるようになり、天童山第一座の称号を取得しています。
以後の雪舟作品には天童山第一座の称号が書き入れられています。
2年の修行を終え帰国した雪舟でしたが、京都は応仁の乱により焼け野原となっていました。そのため雪舟は全国を旅しながら創作活動を続け、周防国や豊後国、石見国、美濃国など場所を転々としながら明の水墨画に独自の手法を取り入れた画風の作品を制作し続けました。
画家としての創作意欲は80代半ばを過ぎても衰えることを知らず、1506年に描いた山水画を生前最後の絵として87歳の生涯に幕を閉じています。
雪舟が描いた作品の一つである『破墨山水図』は、雪舟が描いた絵に対して6人の有名な詩僧が詩を書いた書画です。抽象的な風景表現が特徴的で、墨面のいきいきとした表情が楽しめます。
富岡鉄斎
作家名:富岡鉄斎(とみおかてっさい)
代表作:『楽此幽居図』『仙縁奇遇図』
生没年:1837年-1924年
富岡鉄斎は明治・大正時代の文人画家であり儒学者です。
世界的に評価されている近代日本画家であり、日本最後の文人とも謳われています。
遺作展は日本のみならず、イギリスやフランス、イタリアなどの西欧諸国からアメリカやブラジルなどの諸外国で開催されるほど世界的に人気の高い画家です。しかし、富岡鉄斎自身は生涯儒学に力を注ぎ、自らを画家と呼ぶことを嫌っていたとされています。
町人道徳哲学を家学とした家系に生まれた富岡鉄斎は、幼いころより町人道徳哲学を学び、少年のころに家を出て六孫王神社に弟子入りしています。
修業時代は儒学を学びつつ、大角南耕と窪田雪鷹から画の教えを受けていました。
師は自由な流派であったとされ、富岡鉄斎はやまと絵、琳派、浮世絵、大津絵などの学びを得たとされています。この学びが富岡鉄斎の描く作品に影響しているといえるでしょう。
書画掛軸の買取を相談してみよう
書のみの作品や絵のみの作品、書と絵が融合した作品のどれもが書画と呼ばれます。
また書画の特徴として、絵を描いた作家自身が書も書く場合と、絵を鑑賞した人が賛として書を書き入れる場合の2パターンがあります。
どちらも作品によっては高価買取が可能です。自宅にある書画の価値を知りたい方は、経験豊富な査定士に査定を頼みましょう。
査定を依頼する際は修繕を行わず、そのままの状態で出すことをお勧めします。作家や真贋が不明な場合でもまずは気軽に相談してみましょう。