日本の伝統的な芸術品である掛軸。
掛軸と一口にいっても書が書かれているものや絵が描かれているものなどさまざまです。
掛軸に丸い円が描かれている作品を見たことがある人もいるでしょう。
掛軸に描かれている円は、円相と呼ばれます。
禅の文化と深くかかわりのある図形で、茶道において掛ける茶掛け掛軸として欠かせない作品の一つ。円相の意味を知ることは禅の心を知ることにもつながるでしょう。また茶道の心にまで通ずるものがあります。
円相や禅宗、さらには茶道との関係性を理解し、掛軸への興味をより深めていきましょう。
目次
掛軸の「円相」とは
円相とは、大乗仏教の一派である禅宗における書画の一つ。
円形の図を一筆で描いたものを指します。別名、一円相や円相図などとも呼ばれています。
禅では、悟りの境地を説明したり文字で表現したりすることを禁じられているため、見た人の心を映し出す円を悟りや真理の象徴として描かれていました。円相の書き方に決まりはなく、心でとらえるものとして書くことが大切とされています。
円相に込められた意味
円相は先述したように、禅における悟りや真理の象徴とされており、空・風・火・地を含む世界全体の究極の姿です。
「円窓」と書いて己の心を映す窓の意味で使われることも。
円相はよく臨済宗の位牌や塔婆の1番上に描かれています。また始まりも終わりもなく、角に引っかかることもない円の流れ続ける様子は、仏教の教えである捕らわれのない心や執着から解放された心を表しているともいわれています。
円相にはさまざまな意味が込められており、見る人によって解釈が異なるものといえるでしょう。
円相の掛軸が掛けられるシーン
円相が描かれた掛軸は、よく茶の湯の席の茶掛け掛軸として用いられています。
茶道で円相の掛軸が飾られるのは、茶道の根底に禅の文化があるためです。
茶道と禅宗のかかわりは鎌倉時代から続いており、当時宋で修行をしていた栄西が帰国した際に、一緒に抹茶を持ち帰ったとされています。禅宗の臨済宗を日本に伝えた僧である栄西により、抹茶と禅宗が広まっていきました。
また、道元によって曹洞宗が伝わり禅宗文化が徐々に根付いていきました。
その後、修行によって自らの心を鍛える武士たちが禅の文化を受け入れていき、あわせてお茶の文化も武士の間で親しまれていきます。
その後、千利休によって茶の湯が大成されました。
利休が思い描いていた茶の湯の理想は、禅宗が目指すすべての欲望や煩悩を消し去り、悟りの境地に至ることと同じでした。この理想をきっかけに、より禅の思想が強く反映された茶道が確立されていったと考えられます。
このように茶道と禅は密接な関係にあり、禅の思想を表す円相もまた茶道と密接な関係にあるため、茶掛け掛軸において円相が描かれた掛軸が良く用いられるといえるでしょう。
円相を描いた有名作家・作品
禅文化において、悟りや真理の象徴とされる円相はさまざまな作家によって描かれています。
円形の単純明快な図形でありながら、最も理解するのが難しい円相。そのような円相を高僧や有名作家はどのように表現しているのか気になるところです。
南陽慧忠
作家名:南陽慧忠(なんようえちゅう)
生没年:675年-776年
南陽慧忠は、中国の唐時代の禅僧です。
越州諸曁の人で姓は冉氏、名は虎茵。円相を初めて示したのが南陽慧忠といわれています。幼いころから仏法を学び経典に堪能だった南陽慧忠は、慧能の門下に入り悟りを得ました。慧能の入寂後は五嶺や四明山、天目山などを遊覧して回りさらに学びを深めていきました。
南陽慧忠の禅のスタイルは、五大禅匠の中でも異彩を放っており、無情説法を初めて説き禅の教学的理解を深めていくことの必要性を説いています。彼が初めて示した円相は耽源に伝授され、さらに潙仰宗の仰山慧寂に伝えられていき、以後潙仰宗によって後代まで示されることとなりました。
沢庵宗彭
作家名:沢庵宗彭(たくあんそうほう)
生没年:1573年-1646年
沢庵宗彭は江戸時代初期の禅僧です。
但馬国出石出身で、出石の宗鏡寺や堺の南宗寺、京都の大徳寺などの住職を歴任しています。大徳寺の住持を3日で去ったという逸話を残しています。
江戸幕府が成立すると、寺院諸法度により寺社への締め付けが厳しくなりました。
大徳寺の住持職を幕府が決め、幕府が認めた者にのみ天皇から賜る紫衣の着用を許可しない定めが作られると、沢庵宗彭は反対運動を行い出羽国へ流罪となってしまいます。紫衣とは、紫色の法衣や袈裟を指し、古くから宗派問わず高い徳を積んだ僧侶が朝廷から受け取るもので、僧侶の尊さを表すと同時に朝廷の収入源でもありました。
赦免後は家光の教えに従い、柳生宗矩の屋敷に仮住まいを置き、剣禅一味の境地を説きました。その後は品川の東海寺の創建に協力し、73歳で亡くなっています。沢庵宗彭が描いた『円相像』は、手書きとは思えない完璧な円です。
仙厓義梵
作家名:仙厓義梵(せんがいぎぼん)
生没年:1750年-1837年
仙厓義梵とは江戸時代後期の禅僧で、ユーモアに富んだ書画を通して禅の教えを広く伝えました。
仙厓義梵は11歳のときに臨済宗清泰寺で古月派に属する空印円虚のもとで悟りを得ます。19歳で武蔵国永田の月船禅慧の東輝庵の門下となり、印可を受けました。32歳のときに月船の遷化を契機に諸国行脚の旅に出ます。39歳で九州博多の聖福寺の盤谷紹適に招かれ、40歳で住職となりました。
仙厓義梵は『一円相画賛』を描いた禅僧です。
円相とは悟りの境地を表現するものでありますが、仙厓義梵はこれを「茶菓子だと思って食べよ」と謳っており、禅において大切にされてきた円相を簡単に捨て去ろうとする態度が読み取ることができます。
円相の掛軸は、描いた人・見る人の心を映す
円相は禅における悟りや真理の象徴とされている図です。
禅宗では悟りの境地を言葉で説明したり文字で表現したりしてはいけないとされているため、見た人の心を映し出す円を、悟りや真理の象徴として描いています。
円相の掛軸は、主に茶の湯の席で飾られます。
茶道の心と禅の心は通ずるものがあり、茶道の根底に禅文化があるとされていました。
そのため、茶道を行う茶室では円相の掛軸が好んで掛けられました。禅の心を表す円相の掛軸は描いた人や見る人の心を映すものとされており、現在でも掛軸に描かれる題材の一つです。茶道をたしなむ際は、茶室に円相の掛軸が掛けられているか確認してみるのも良いでしょう。