掛軸は古くから日本人の間で楽しまれてきた芸術品の一つです。
一般的に床の間にかけて飾られている掛軸をよく目にします。
また、日本では茶席でも掛軸を飾る文化が古くからあります。掛軸作品には花鳥画や山水画、浮世絵、仏画、書画などさまざまな種類がありますが、茶の湯とともに普及した茶掛掛軸にはどのような作品が用いられるのか気になる方もいるでしょう。
茶道は禅文化とのかかわりが深く、茶掛掛軸としてよく禅語が書かれた作品が用いられています。
目次
茶掛掛軸とは
茶掛掛軸は日本のお茶の文化を味わうために欠かせない芸術品です。
日本では古くから茶の湯の席で掛軸作品を飾る文化がありました。
茶道と聞くと、茶碗や茶筅などを思い浮かべる人が多いでしょう。しかし、実際に茶道に触れて親しむようになってくると、掛軸が茶室の雰囲気を作っていることに気づきます。
実は、掛軸は茶道において最も大切な道具ともいわれているのです。
茶掛掛軸には茶道の根本にある禅の文化を表す禅語が書かれています。
また、円相と呼ばれる悟りや心理など禅の心を象徴的に表現した掛軸が飾られることもあります。
また、何が書かれているかも大切ですが、誰が書いたかも重要視するのが茶掛掛軸の特徴です。そのため、文字の上手い下手や好みで掛軸の良し悪しを図ることはありません。それだけ誰が書いた作品であるかを重視しているのです。
茶道は流派を大切にする日本の伝統的行為のため、家元が自ら書いた書で制作された掛軸は、何代にもわたって大切に飾られています。
ほかにも茶掛掛軸として天皇家ゆかりの人物や歌人、武将、文化人などさまざまな人物によって描かれた作品が掛軸として用いられています。
茶掛掛軸として用いられる禅語
茶道の心と禅の心を知るための拠り所として飾られる茶掛掛軸。
茶席ではお客さまをどのようにおもてなしするかを掛軸に書かれている言葉で表現することもあります。
そのため、茶道にとって茶掛掛軸は単なるインテリアではなく、客人をおもてなしするための重要な役割を果たしているのです。
茶掛掛軸によく書かれている禅語とは、禅僧が自らの悟りの境地や宗旨を表した語句を指します。掛軸に書かれている禅の心を表す言葉を読み解くのも茶道の楽しみ方の一つといえるでしょう。
一期一会
一期とは一生を表し、一会とは唯一の出会いを意味しています。
つまり、一生において一度きりの出会いということです。
一期一会という言葉は茶道の世界で生まれました。茶席で同じ客人に何度もお茶をたてることはあっても、今日のお茶会は二度とない一度きりの茶会。そのような気持ちで客人を全身全霊おもてなしできるよう茶会に臨むという茶人の心から生まれた言葉です。
人と接するときは一生で一度きりの出会いだと思うと、その一つひとつの機会がとても貴重なものに見えてくるでしょう。
和敬静寂
和敬清寂とは、茶をたてる主人と茶をいただく客人がお互いの心を和らげて敬いあい、さらに精神だけではなく茶道具や茶室、露地を清らかな状態に保つことで澄み切ったこだわりのない境地に達することができる、という意味を持っています。
考え方や価値観の異なる人々が一緒に生きていくためには、お互いを尊敬しあう心が必要です。そのような心は清らかで静かな心境からしか生まれないとされています。
日々是好日
日々是好日とは、過去をむやみに悔いたり、未来を必要以上に期待したりせず、いま現在を精一杯生きることに努めるよう説いた禅語です。
「昨日は嫌な一日だった」「今日はいつもよりいい日だった」というのは自分で作り上げた気持ちでしかなく、本来はいつの日でもかけがえのない尊い日であるはずということを示しています。
喫茶去
喫茶去も禅語の一つで、喫は飲むこと、茶はお茶、去は去ることを示しています。
もともとは「お茶を飲んできなさい」「お茶を飲んで目を覚ましてきなさい」といった相手の怠惰を叱責するための言葉でした。
しかし、のちに「お茶を召し上がれ」という意味に解釈され、相反する意味を持った禅語となりました。
拈華微笑
拈華微笑とは、仏教を説いたブッダと弟子の摩訶迦葉との間で交わされたやり取りを表した言葉です。言葉を使わずに心から心へ教えを伝えることを意味しています。
福寿海無量
福寿海無量とは、幸せの集まった海が無限に広がっている様子を表した言葉です。
禅の教えでは、幸福というのはいま自分がいる場所に広がっていると考えます。この考え方は禅の中でも最も重要な考え方の一つです。つまり、禅の考え方では禅語の福寿の海とはどこか知らない遠くの場所にあるのではなく、いま自分がいる場所に広がっているのです。
平常心是道
平常心是道には、日常に働く心の在り方がそのまま悟りであるという意味があります。
一般的に使われている平常心は、落ち着いて普段通りかつ冷静に努めることを意味していますが、禅語における平常心とは真っさらなありのままの心を素直に受け止めるという意味です。
和顔施
和顔施とは「人と接するときはいつも笑顔でいましょう」という意味があります。
仏教では眼施、和顔施、言辞施、身施、心施、床座施、房舎施という教えがあります。見返りを求めず人によい行いをすると自分も他人も幸せな気持ちになるというものです。
本来無一物
本来無一物とは六祖慧能大師の言葉で、事物はすべて本来空であり、執着するものは何一つないという意味があります。
人は何も持たずに生まれてきますが、地位や名誉、物欲、承認欲求などいろいろな執着に悩まされます。しかし、本来は何も持っていないのだから執着を捨ててありのままに素直に生きてみましょう、という教えです。
禅語が書かれた掛軸は、茶の湯の必需品だった
茶の湯の席では、茶道の根底にある禅の心を表すために禅語が書かれた掛軸を飾る文化があります。
禅語が書かれた茶掛掛軸は、茶道を極める重要な道具として、古くから丁重に扱われてきました。また、茶道では禅語以外にも季節にあわせた掛軸を飾り茶室を彩るなど、掛軸と密接な関係を築いているといえます。
茶道で用いる掛軸に決まりはなく、茶の湯の主人が目的にあわせ飾ることが多いようです。
茶掛掛軸として用いられている一期一会などの禅語は、茶の湯の席に限らず私たちが日常的に大切にしている言葉の一つでもあります。茶道を楽しむ際は、重要な役割を果たしている茶掛掛軸にも目を向けて、禅語の意味を考えながらお茶を楽しむのもよいでしょう。