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日本画掛軸は買取市場でも人気!プロの査定士へ買取相談を

日本国内のみならず世界からも高い評価を受けている、日本画。

古くから掛軸としても親しまれている、日本ならではの繊細なタッチや美しい色合いを楽しめる日本画掛軸は、骨董品・美術品市場でも人気の品です。

特に歴史に名を残している著名作家の作品は、非常に希少性が高いこともあり、今でも高額で買取されています。日本画にはどんな種類や歴史があるのか、またどんな日本画掛軸が残されているのかを見ていきましょう。

 

日本画とは

日本画とは、日本の伝統的な絵画全般を指します。中国や朝鮮からの影響を受けながら独自に発達した芸術です。日本画の名称は、明治以降に西洋から入ってきた油彩画と区別するために生まれた言葉です。明治20年代から30年代までは日本画という概念はありませんでした。日本画は伝統に基づく技法や感覚、美意識、表現などを時代とともに変化させながら常に進化し続けています。また、一般的に岩絵具や膠、和紙、絹などを使用した絵画全般を日本画と呼ぶケースもあります。

 

日本画掛軸の種類や特徴とは

日本画掛軸にはいくつかの種類があり、それぞれ特徴や意味合いが異なります。高価買取が可能な日本画掛軸を判断するためにも詳しい内容を把握していきましょう。

 

祝儀掛け

結婚や結納、お正月などお祝い事の日に飾る掛軸で、描かれる絵はお祝い事の内容に合わせてふさわしいものを飾ります。

例えば、子供が生まれた時は健やかに成長するよう願いを込めて鯉が滝を登る画の掛軸を飾るでしょう。

その他おめでたい意味を持つ絵には松竹梅、鶴亀、旭日、高砂などがあります。

 

節句掛け

季節の節目となる節句に飾られる掛軸です。

例えば桃の節句、端午の節句などがあります。桃の節句は女の子を祝う行事で、雛人形や桃などの絵柄があります。端午の節句は男の子の健やかな成長を祈る行事で、兜やトラ、菖蒲などが描かれた掛軸を飾るのが一般的です。飾られるのは節句の時期だけに限定されます。

 

花鳥画

元々は中国で描かれていました。日本に伝わってからは独自の進化を遂げ、日本らしい大和への手法を取り入れた画がよく見られます。花や鳥はもちろん虫や猫、木々など季節に咲く花や見かける鳥と一緒に、多くの生き物が描かれています。

日常生活の中で季節を楽しめることが魅力の一つです。玄関や客間に飾ればお客さまを迎える時にも季節を感じてもらえる素敵な空間づくりが可能です。季節ごとに掛軸を入れ替えて楽しむ人もいれば施設にはこだわらず好みの自然がを飾る楽しみ方もあります。

花鳥画の中に4枚揃えて飾る四季花鳥というものがあります。4つの絵柄に特別なルールはありません。お気に入りの絵柄を4つ選んでも良いですし、同じような雰囲気の花鳥画を季節ごとに選択すると、まとまりのある美しい空間の演出が可能です。

 

動物画

動物画の掛軸は、魔除けやお守り、運気向上の役目を期待して飾られます。

描かれている動物はさまざまで、日本画では虎 や龍が多く描かれています。迫力と力強さが人気の一つです。

例えば、虎の鋭い眼光は魔除けの意味を持つとされています。

また、龍は伝説上の生き物であり、神の使いや霊獣として崇められています。そのため、龍を飾ると家に大きな力を呼び込むとされています。

その他にも鯉は運気が上昇するといわれており、選挙や昇進祝いなどで飾られる掛軸です。

 

山水画

山水画は、山や川などの自然の風景が描かれている掛軸です。

比較的落ち着いた印象のある掛軸で、1年中飾っておいても問題ありません。上品な絵柄が多く万人受けしやすい掛軸のため新築祝いとしてもお勧めです。山水画の絵柄として特に好まれるのは日本の象徴でもある富士山の絵です。

幸運を招く縁起物として、外国の方にも人気があります。富士山だけでもさまざまな表情の絵柄が存在します。例えば夕日で赤く染まった赤富士、富士山と言われて多くの方が想像する雪化粧の富士山など、時間帯や季節、見る方角、構図などによりさまざまな表情を見せてくれる魅力的な掛軸です。

 

日本画掛軸の歴史とは

日本画掛軸の買取価格の相場を把握するためにも、歴史や背景を理解しておくことは大切です。こちらでは、日本画掛軸の誕生から現在に至るまでの流れを紹介します。

掛軸は中国で誕生し日本へ伝わってきました。中国の晋王朝(265年~420年)では、仏教を伝えるために仏画が使われていました。当時の仏画は持ち運ぶ時に壊れやすかったため、破損防止を目的に掛軸の原型となる巻物の仏画が作られています。

中国の仏教の影響を受けて、日本でも飛鳥時代から平安時代には掛軸タイプの仏画が礼拝で用いられました。この時代の掛軸はまだ庶民の手に渡ることはありませんでした。主に僧侶や貴族の間で利用されていたようです。平安時代に入って、現代で使われるような表装を施した掛軸が日本に入ってきたとされています。

鎌倉時代に入ると、禅宗とともに水墨画が日本に伝わり、庶民の間にも広がり始めました。当初は禅的思想の強い水墨画でしたが、少しずつ「枯山水」や「花鳥風月」などの画題が取り上げられ、鑑賞として楽しむ水墨画も描かれていきました。

江戸時代中期に入ると、職業画家とは別に画を専門としているわけではない文人が描いた文人画が流行し始めます。文化人や町人も自分で描いた画に表装を施し、楽しむ習慣ができていきました。

明治時代以降は日本が開国した影響もあり、急速に西洋の文化が伝わり多くの画家が影響を受けることになります。そして、技術が進歩していき日本画が世界でも評価される日本を代表する芸術となりました。

また、庶民の住宅にも床の間が設けられる建築様式が一般的になり、掛軸を飾る庶民が増えていきました。しかし、戦後は住宅の欧米化が進み、床の間のある住宅が減少しています。そのため、一度は庶民に親しまれた日本画掛軸ですが、日本人の掛軸離れが加速していきました。

自宅で飾る機会が減少した影響で美術的価値が高まっていき、美術館や寺院で楽しむ美術品として変貌を遂げました。現代では、美術品として楽しむ一方で洋間のインテリアとして和風の掛軸を飾り、アンバランスさを楽しむ人もいるようです。

 

特に有名な日本画掛軸の作品や作家たち

日本画掛軸の買取価格を把握するためには、有名な作家やその代表作などもぜひ知っておいてください。

狩野芳崖

作家名:狩野芳崖(かのうほうがい)
代表作:『不動明王』『悲母観音』

狩野芳崖は、1828年生まれ山口県出身の日本画家です。家は長府藩の御用絵師でした。

1846年に江戸へ上京し、木挽町狩野家に入門しています。アメリカ人御雇教師フェノロサと出会い、西洋絵画を勧められ空間表現や色彩などを学び、日本画の革新に努めました。

 

円山応挙

作家名:円山応挙(まるやまおうきょ)
代表作:『朝顔狗子図杉戸絵』『幽霊図』『雪松図屏風』

円山応挙は、1733年生まれ丹波国桑田郡穴太村(現:京都府亀岡市)出身の絵師です。10代のころに京の都へ行き、画技の研鑽に努めています。一時は狩野派の絵師のもとで学びましたが、中国画まで含めたさまざまな流派で画風を確立させました。

 

伊藤若沖

作家名:伊藤若沖(いとうじゃくちゅう)
代表作:『仙人掌群鶏図障壁画』『釈迦三尊像』

伊藤若沖は江戸時代中期に京都の錦市場で生まれました。幼少期から優れた画才を発揮しています。10代半ば過ぎから狩野派の流れを汲む大岡春卜に教えを受け、その後は、中国から伝わった宋元画に魅了され熱心に模写して技術を習得しました。自宅で飼っている鶏や、農家の野菜、錦市場の魚など身近にある物を注意深く観察し、写生を続けることで技術を磨いていきました。花鳥画を得意とし、40歳で最高傑作との呼び声が高い『動植綵絵』を完成させます。

 

上村松園

作家名:上村松園(うえむらしょうえん)
代表作:『四季美人図』『花ざかり』『月かげ』

上村松園は1875年、京都府生まれで、京都府画学校(現:京都市立芸術大学美術学部)を中退しています。鈴木松年、幸野楳嶺、竹内栖鳳に教えを受けました。四条派の技法に近代感覚をとり入れた優雅な作風が特徴です。1948年には女性初の文化勲章を受章。

 

掛軸買取を相談しませんか?その日本画掛軸、実は高い価値があるかもしれません

中国から伝わり日本で独自の発展を遂げた日本画掛軸には、高価買取の対象となっているものもあります。

自宅で見つかった日本画掛軸の価値を知りたい方は、経験豊富な査定士にまずは相談してみましょう。

長く放置されていた日本画掛軸には汚れやシミが生じていることもありますが、完全な状態ではなくとも価値がつく場合もあります。その反対に、無理に補修を行いより傷みが増してしまうと、作品の価値を下げてしまう恐れがあります。

まずは、発見したそのままの状態で査定してもらいましょう。裸のままの掛軸よりも箱があると価値が上がる場合もありますので、倉庫で掛軸を発見したら箱もセットでしまわれていないかチェックすることをお勧めします。また落款、署名なども掛軸の価値を高めてくれるでしょう。

自宅の大掃除で発見された価値のわからない日本画掛軸をぜひ査定に出してみてください。

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