土佐派から派生した住吉派。
土佐派同様に伝統的なやまと絵を継承した作品が多く残されています。住吉派は代々幕府に仕え、多くの作品を制作しました。屏風絵や障子絵などを担うかたわら、絵巻や掛軸作品も描いています。日本の伝統様式であるやまと絵をベースとしていますが、土佐派や漢画に影響を受けている作品もあります。
掛軸作品はその芸術の裏にある背景や歴史を知ることで、当時の出来事や心情に思いを馳せることができ、より作品を楽しめるでしょう。住吉派の作品を楽しんだり価値を知ったりするにあたって、その歴史や特徴、活躍した絵師たちへの理解を深めていきましょう。
目次
繊細な作風で一世を風靡した、住吉派とは
住吉派とは、江戸時代に土佐派から枝分かれした流派を指します。
きっかけとなった住吉如慶(すみよしじょけい)は、土佐派の正系土佐光吉(とさみつよし)の子どもとも弟子とも言われています。如慶が後西天皇の勅によって住吉家を名乗ったのが住吉派の始まりです。如慶の長男である住吉具慶(すみよしぐけい)の時代に江戸に招かれ、幕末まで幕府に仕えることになりました。
住吉派は京都で活躍する土佐派のやまと絵を江戸に広める役割を果たしています。18世紀後半には門人が派生させた板谷派や粟田口派が作られています。住吉派は、土佐派の画風と狩野派や琳派の技法の両方を取り入れた表現方法が特徴です。
住吉派の歴史
住吉派の歴史をたどると土佐派が枝分かれしたのが始まりといわれています。
土佐派とは、室町時代の初期から始まった流派で、伝統的な絵画様式であるやまと絵を継承しています。土佐派は、宮廷絵所預として宮廷の屏風や障子の絵画制作を任されていましたが、その後土佐光元の戦死をきっかけに宮廷絵所預の地位を失ってしまいます。
家系維持に努めた弟子の土佐光吉の子もしくは弟子が、住吉派を作ったとされる住吉如慶です。土佐光吉の下で絵を学んでいるときは、土佐光陳と名乗っていました。日光・和歌山・岡山・川越喜多院の各東照宮に奉納された4点の『東照宮縁起絵巻』を描き、この活動ぶりが幕府との関係を深め、住吉如慶は後西天皇の勅によって住吉派の再興を担い、住吉派を名乗り始めました。その後、代々幕府の御用絵師を務め、住吉派は明治時代まで続いていきました。
住吉派の有名絵師や作品
住吉如慶
作家名:住吉如慶(すみよしじょけい)
代表作:『東照社縁起』『堀河夜討絵巻』
生没年:1599年-1670年
住吉如慶は江戸時代前期に活躍した絵師で、住吉派を作った人物です。
旧姓は土佐で、画風は土佐派の様式。堺で土佐光吉や土佐光則のもとで学び、その後京都に移っています。後西天皇の勅によって住吉絵所の再興を行い、1662年に住吉派の祖となった。天海僧正に仲を取り持ってもらい徳川家康に拝謁。江戸にやまと絵を広める役割を務めました。
住吉具慶
作家名:住吉具慶(すみよしぐけい)
代表作:『筥崎八幡宮縁起』『洛中洛外図』
生没年:1631年-1705年
住吉具慶は江戸時代前期に活躍した絵師で、如慶の長男です。京都から江戸に移り住み、幕府の奥絵師となります。やまと絵を江戸に広める役割を果たしました。また、やまと絵系統の画家で幕府に仕えた最初の1人といわれています。これ以降住吉派は幕末まで代々幕府の御用絵師を務めました。
住吉廣行
作家名:住吉廣行(すみよしひろゆき)
代表作:『御屏風之記』『源氏物語須磨絵巻』
生没年:1755年-1811年
住吉廣行は江戸時代後期に活躍した絵師で、住吉派の板谷桂舟の長男にあたります。住吉廣守の養子となり、1781年に幕府の御用絵師となりました。寛政の内裏新造のため、急逝した狩野典信に代わり最も格式の高い紫宸殿の賢聖障子を描いた。この功績により住吉派の名がより高まっています。
住吉弘貫
作家名:住吉弘貫(すみよしひろつら)
代表作:『太平記図屏風』『秋草鶉図』
生没年:1793年-1863年
住吉弘貫は江戸時代後期に活躍した絵師で、廣行の次男といわれています。兄の広尚が亡くなった後に跡を継ぎ、住吉家の7代目当主となります。幕府の御用絵師として活躍する中、1842年に奥絵師下命を願い出て承認されました。禁裏御所造営で紫宸殿の賢聖障子を修繕し、小十人格となります。優れた技術や才能により、幕府の御用絵師が旗本と同格になりました。住吉弘貫は江戸時代後期の住吉派の名手と呼ばれ、オランダをはじめとする外国の国王への贈答屏風の制作も担いました。
住吉派の画風、特徴
住吉派の画風は土佐派から受け継がれており、線密画法が特徴的です。さらに鎌倉時代の絵師である高階隆兼から構想を得た構築的な画面構成や濃密な色彩も目を引きます。これらを掛け合わせて住吉派独自の画風が作り上げられていきました。
一方、漢画を学び描かれたであろう作品も存在します。
住吉広通が描いた『東照宮縁起絵巻 』は、東照大権現としてまつられた徳川家康の伝記を絵画にした作品です。紀伊藩初代藩主徳川頼宣が命じて描かせた作品で、全部で5巻制作されています。
『洛中洛外図巻 』は住吉具慶が描いた作品です。前半に春夏の市中を描き、後半に秋冬の郊外を描き、その風景を細密な筆致で描いたとして有名です。
住吉派の作品は掛軸としても残されている
住吉如慶から始まった住吉派。後西天皇の勅によって再興を任せられ、江戸にやまと絵を広める役割を果たしています。
代々幕府の御用絵師として多くの作品を制作し、その中には掛軸作品も存在します。住吉派は江戸時代から明治時代まで長く続いた流派のため、掛軸作品が多く残されていますが、有名な作品が多い分、贋作も存在します。
自宅の倉庫や蔵を整理していて掛軸作品が見つかることがあるでしょう。また、祖父母が大切にしていた掛軸を譲り受けることもあります。そのようなときに、掛軸にどのくらいの価値があるのか知っておくことが大切です。価値を知ることで、さらに自分の子どもや孫に受け継いでもらうために大切に保管する意識がもてたり、買取をしてもらう際に適切な金額での売却ができたりします。
もし、住吉派の作品と思われる掛軸が手元にある場合、まずは掛軸に関する知識や経験が豊富な査定士に査定を依頼してみましょう。贋作の多い住吉派の掛軸の真贋を自分で見極めることは難しいといえます。偽物に高い費用の修繕を行ってしまったり、本物に対して適切な方法での保管を怠ったりと不都合が生じてしまう可能性があります。そのため、プロの査定士にお願いして本来の価値を知ることが大切です。
あるいは、掛軸作品の価値をより高めようと、査定前に修繕に出してしまうケースをよく耳にします。しかし、修繕によって現状より掛軸が傷んでしまう場合や、贋作で作品の価値より修繕費が高くついてしまう場合などのリスクが発生してしまうでしょう。そのため、発見したりもらい受けたりした状態のまま査定に出すことをお勧めします。