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行書の掛軸買取なら | 日本・中国の有名作品を高額査定

中国で生まれた行書を利用した掛軸である行書掛軸。

なかでも日本・中国の有名作品は高額査定で取引されることもあります。

また、日本では、行書掛軸は茶道とも深い関係があります。

行書掛軸の魅力を知るためにも、まずは行書掛軸の特徴や歴史、茶道との関係性、有名な作家の概要を見ていきましょう。

 

行書掛軸の種類や特徴とは

行書掛軸とは、文字が書かれた書画の中でも、行書体で書かれた掛軸を指します。

行書とは、草書と同様に隷書がもとになり誕生した書体の一つです。楷書を略した形のように見えますが、楷書よりも歴史が古く後漢時代に生まれたとされています。

楷書とは異なり文字の点がつながっていたり、省略されていたりしますが、草書のように楷書からまったく離れている書体というわけでもありません。そのため、速筆向きでありながら読みやすさも兼ね備えている書体といえます。

行書はその読みやすさから古代中国では荘重な式典や格式の高い場などの公務文書や祭礼の文書として使われていたようです。

行書は、一つの文字に対して複数の文字の崩し方が存在します。

そのため、同じ書き順で書いた字でも崩し方によってさまざまな雰囲気を楽しめるでしょう。

また行書は曲線的で丸みのある字形が特徴です。

行書には複数の崩し方があるように、厳格なルールが存在していません。そのため形が流動的で書き方次第でさまざまな表現が可能です。書く人の個性が反映されやすいため、美術品にもよく利用され多くの行書掛軸が書かれています。

 

行書の歴史

行書は後漢時代に隷書をもとに生まれたとされています。

行書の誕生を知るうえで、まずは中国で生まれた漢字の歴史を見ていきましょう。

漢字は約3300年前の中国で誕生しました。最初に書かれたのが甲骨文字とされています。殷の末期から周の初期に利用されていた漢字で、現存する最古の漢字といわれています。甲骨文字はどちらかというと絵に近いデザインをしていました。

その後、殷の末期から三国時代頃には金文が使われ、甲骨文字や金文をもとにして篆書が作られます。篆書には数種類の書体があり、中でも代表的なのが小篆です。

秦の時代では大篆とよばれる書体が利用されていましたが、形が複雑で書くのに時間がかかる上に、各地域で独自の発展を遂げ、地域ごとに全く異なる字体が生まれてしまいました。

そのため、中国統一を果たした始皇帝は字体の統一を図りました。字体統一のために誕生したのが小篆です。

しかし、小篆も字体が複雑かつ難解で実用性が高いわけではなかったため、人々はより書きやすい形に小篆を簡略化していきました。曲線を直線にして書くようになり、やがて隷書とよばれる書体が誕生します。

そして、この隷書から草書・行書・楷書の3つの書体が作られました。

分岐としては、隷書→草書のルートと、隷書→行書→楷書のルートに分かれて作られたとされています。

行書は隷書と草書の間の書体として誕生し、後漢時代から利用され始めています。行書と楷書の成立時期は諸説ありますが、行書が先とする考えが多いようです。

 

行書の名作・「蘭亭序」

掛軸ではありませんが、有名な行書の美術作品として『蘭亭序(らんていじょ)』があります。東晋時代に王義之(おうぎし)が蘭亭の会のときに作られた詩集『蘭亭集』に行書で書いた序文です。書聖と評される王義之が書いた『蘭亭序』は最高傑作として後の書家や書人に大きな影響を与えました。

 

行書掛軸が用いられる場面とは

行書掛軸をはじめとした掛軸は茶道と深い関係があります。

茶道といわれ連想するものとしては、茶碗や茶室などが多いのではないでしょうか。

しかし、掛軸こそ茶席において最も大切な道具ともいわれています。

茶室にはよく茶道の根底にある禅の文化を表現する禅語が書かれた掛軸が飾られています。

描かれる主な禅語は、日日是好日・和敬清寂・一期一会・松無古今色など。円相とよばれる円形を一筆で描いた書画もよく掛けられています。

禅の思想を表す書画で、悟りや真理、仏性、宇宙全体を表している掛軸で、一円相や円相図とも呼ばれています。

また、掛軸は茶道の世界観や精神的なメッセージを伝える手段としても利用されています。

文字や詩の引用で茶道の世界観やテーマを表現し、茶会に訪れた人に深い印象を残すでしょう。

茶室に掛けられた掛軸により、空間の雰囲気や趣が印象付けられます。行書掛軸は茶席の雰囲気を引き立て、茶会の趣向やテーマを表現する役割もあるといえるでしょう。

茶道と書道は日本の伝統文化として密接に結びついており、お互いの価値を高めあう存在でもあります。そのため、行書をはじめとした書画が茶掛としてよく用いられています。

 

行書掛軸の作品や作家たち

和室を彩る装飾品として重宝される掛軸。

特に行書掛軸は茶道の禅の文化を表す一つの道具としても用いられています。行書掛軸は日本や中国をはじめとしたさまざまな作家の手によって描かれています。中には歴史的価値が高い掛軸も存在するでしょう。

 

頼 山陽

作家名:頼 山陽(らい さんよう)

頼 山陽は1780年生まれ、没年1832年の日本を代表する歴史家兼漢詩人・漢学者です。

大阪江戸堀で生まれ、1781年には広島藩藩儒に就任した父・頼春水(しゅんすい)とともに広島に移住します。1797年に江戸幕府直轄の学校へ入学するものの約1年で広島に戻り、数年後に脱藩をはかり京都へ逃亡しました。叔父の春風(しゅんぷう)に見つかり広島へ戻された後、5年間屋敷内の座敷牢へ幽閉されました。

謹慎中に没後ベストセラーとなる『日本外史』の初稿を完成させています。その後、後藤松蔭をはじめとする優秀な弟子を育てながら多くの優れた書画や詩文を残しています。1826年には20年以上歳月をかけた『日本外史』が完成し、翌年に元老中松平定信へ献上。結核により53歳という若さで亡くなっています。

 

勝 海舟

作家名:勝 海舟(かつ かいしゅう)

勝海舟は江戸時代末期である幕末から明治時代初期にかけて活躍した武士・政治家です。勝海舟が書をしたため始めた理由は諸説あります。一説によると、蘭学を学ぶときに辞書「ドゥーフ・ハルマ」を筆写した経験から書を作成するようになりました。漢詩を元にした作品が多く、一行書や五行書、詩書などさまざまな作品が残されています。

 

顔真卿

作家名:顔 真卿(がん しんけい)

顔 真卿は中唐時代の政治家です。王羲之風の書が主流となっていた時代に異議を唱えた人物とされています。

顔真卿の書は素朴で太く力強い印象があります。また、蔵鋒とよばれる書かれたときに毛筆の穂先の形が現れないよう書かれた線の中に隠す技法を生み出しました。

これまでの書にはなかった新たな書風を生み出したとして王羲之に並ぶ書の第一人者とよばれることもあれば、書の破壊者と評されることもあります。また、顔真卿の書風は別名弘法大使とよばれていた空海にも大きな影響を与えました。

 

行書掛軸には歴史的価値が高いものも。買取相談は”価値の分かる”プロへ

自宅で大切にしている行書掛軸の価値を知りたい方は、一度査定に出してみるのも良いでしょう。自分で作家や作品について調べ、有名な掛軸ではないからと置いたそのままにしておくのは勿体ありませんもったいないです。掛軸の知識や実績が豊富な査定士に依頼して、本来の価値を確かめて置くことをお勧めします。シミや汚れがあっても作品によっては価値がつくため、まずは気軽に相談してみてはいかがでしょうか。

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