水墨画掛軸には山水画や花鳥画、詩画軸などさまざまな種類があります。国宝に指定されている作品も多く、作家や作品によっては高価買取が期待できるでしょう。中国の水墨画、日本の水墨画問わず、価値の高い作品が多く現存しています。水墨画の魅力や価値を理解するためには、それぞれの特徴や歴史、有名な作家、作品などを知ることも大切です。
目次
水墨画とは
水墨画とは墨の濃淡で描かれた絵画を指します。
ぼかしやかすれ、にじみ、グラデーションなどによって表現されます。
また、筆使いによってもさまざまな表現が可能で、筆を運ぶ際の強弱や筆圧などを用いて繊細な表現を行う絵画です。
筆と墨だけのシンプルな作品でありながら細かい描写が可能です。
またモデルとするものをすべて描くのではなく、無駄をそぎ落とし描かれる水墨画は、自然や人生の奥深さ、わびさび、静寂、哀歓、素朴さなどを伝えるのに適した芸術作品で、見るものの心を魅了します。
中国水墨画掛軸とは
中国の水墨画掛軸は力強い線と筆使いが特徴的です。
筆を重視した手法を用いて描かれる水墨画は迫力のある絵が人気を集めています。
また、中国では書画同源や詩書画一致の思想があります。この思想は、詩と画は切り離すことはできず根本的に同じであるという考え方です。そのため中国水墨画掛軸には画だけ、書だけではなく画と書が一緒に描かれた作品が多く存在します。
たとえば、山水画や文人画の中には作家や鑑賞した人の詩文や感想が組み合わされた作品もあります。詩とそれに見合う書や詩で世界観を表現する中国水墨画掛軸は、芸術と文学を結び付けた独自の芸術品といえるでしょう。
中国水墨画掛軸の歴史
墨の一色のみを用いて描かれる絵画は、唐の時代から描かれていたとされています。
水墨画である山水画が多く描かれるようになったのも唐の時代です。
墨を活用すること自体は中国の殷の時代からありました。
墨を利用して描かれた絵画は漢の時代にもありましたが、当時の絵画は墨一色ではなく、墨の線に着色が施されていました。
その後、宋代では文人官僚の遊びとして水墨画が描かれるようになり、禅宗が広まっていった時代には禅宗にかかわる人物画が水墨画で描かれています。
また宋代では花卉雑画が水墨画のジャンルとして確立されるとともに宮廷では画院が設立され、花鳥画を中心として写実表現が追求されていきました。
宋代で山水画・文人画・花鳥画の3つのジャンルが確立されたといえるでしょう。
中国の水墨画は当時から現代にいたるまで長い間親しまれ続け、掛軸としても多くの人を魅了しています。
中国水墨画掛軸の特徴や魅力
中国の水墨画は、写実表現を追求する中で生まれた絵画とされています。
写実的表現を極めていった結果、色を足さずに墨の濃淡だけでモチーフを表現する方法が生まれました。
また、写実的表現といっても写真のような精密な描写は追及していない点や西洋絵画のような影を表現せずに描かれていることも特徴の一つです。
西洋画の写実的表現は、見たままの自然な姿をありのままに描写することに重きをおいていますが、中国の水墨画はモチーフとするものの本質を描こうとしているため、目的の違いから表現方法の違いが生まれたといえるでしょう。
また、中国水墨画は筆の水分量を調節し濃淡を活用することで一筆の中にグラデーションを作り出しています。線表現にも特徴があり、古くから描かれている仏画では抑揚の少ない均一な線で描く手法が用いられていたのに対し、山水画では輪郭線の中に線を引く皴法が積極的に活用されています。また、輪郭線を用いない没骨法と呼ばれる技法も生まれ、模索が繰り返されてきました。
中国水墨画掛軸の有名作品や作家
五代・北宋期に活躍した中国水墨画で有名な作家は以下のとおりです。
・荊浩(けいこう)
・関同(かんどう)
・董源(とうげん)
・巨然(きょねん)
・李成(りせい)
・郭照(かくき)
荊浩の代表作といえば『匡廬図』や『雪景山水図』などです。
初期の水墨山水画を描いた代表的な作家で、その後の山水画に大きな影響を与えたとされています。
関同の代表作といえば『秋山晩翠図』や『山谿待渡図』などです。
シンプルな筆さばきでありながら雄大な山水画を描き、宋代の山水画に大きな影響を与えました。
董源の代表作といえば『瀟湘図巻』や『寒林重汀図』などです。
江南山水画の創始者としても知られており、淡い墨を重ねて江南地方の景色を描いています。また、麻の繊維をほぐしたように波打たせて山や岩を表現しており、立体感を演出した披麻皴と呼ばれる筆法を生み出した作家としても有名です。
巨然の代表作といえば『煙嵐暁景図』や『層巌叢樹図』などです。
巨然の師は董源であり、董源の画風を受け継いだ作品が特徴的で、董巨と称される江南山水画家として人気を集めていました。
李成の代表作といえば『喬松平遠図』があります。
五代・北宋の画家で、夢幻的な雰囲気の煙林平遠と呼ばれる山水画を描き、淡い墨で霧を表現している特徴があります。
郭照の代表作といえば『渓山秋霽図巻』や『早春図』などです。
北宋の宮廷画家、理論家の一人で、豊かな変化が魅力の自然風景を写実的かつ壮大な画風で表現している特徴があります。李郭とも呼ばれ、李成とともにその後の山水画に大きな影響を与えました。
日本水墨画掛軸とは
日本の水墨画掛軸の始まりは鎌倉時代に禅とともに受け入れられた中国の水墨画であるとされています。
当初は禅僧が修行の一環として禅林画や禅宗画を描いていましたが、その後、高僧の肖像画や山水画も描かれるようになっていきます。
日本の水墨画は中国の水墨画を模倣した作品が多く、特に人気のあった中国水墨画家には牧谿や夏珪、馬遠などがいます。
貴族や大名たちの間では、牧谿風の水墨画、夏珪風の水墨画といったように模倣作品が広く親しまれていました。
その後、室町時代に登場した雪舟の影響により、日本独自の水墨画の画風が確立されていきます。
日本の水墨画は、現代においても歴史的価値があるとされ、多くの有名作品が美術館に所蔵されたり、高価買取されたりしています。
日本水墨画掛軸の歴史
日本の水墨画は、奈良時代に唐から墨や墨で描かれた絵画の技法が伝わり始まったとされています。
当時は掛軸ではなく木簡や壁画などに墨で描いた文字や墨画が主流でした。
水墨画の大きな特徴である墨の濃淡だけでモチーフを表現する水墨画技法は、鎌倉時代に入ってから確立されていきました。
鎌倉時代に当時の中国から入ってきた水墨画は、禅の思想を表現する『達磨図』『瓢鮎図』などです。
禅宗が武士から広く支持を集めたことにより、水墨画も多く描かれるようになっていきます。
室町時代に入ると中国の模倣作品としての水墨画ではなく、日本独自の水墨画が発展していきます。室町幕府では足利家が禅宗を庇護したことにより禅宗の思想や文化が栄えていき、水墨画で有名な作品を残している如拙、周文、雪舟など多くの水墨画家を輩出しました。
日本では、中国の水墨画家である牧谿の作品が広く知られており、一番優れた絵師と評され牧谿の作品を模写した作品が多く制作されています。
初期の水墨画は人物画や花鳥画も多く描かれていましたが、15世紀ごろの戦国時代からは日本でも本格的な山水画が描かれるようになりました。
また、詩画軸が描かれ始めたのも戦国時代ごろからです。
詩画軸とは詩・書・画が一体となり作品の下方に絵が描かれ、余白部分を埋める形で漢詩文が書きこまれた作品を指します。
日本の水墨画は中国から伝わった当初から現在にいたるまで多くの人々を魅了し続けている芸術作品です。掛軸としても親しまれており、現代でも歴史的価値の高い作品が数多く現存しています。
日本水墨画掛軸の特徴や魅力
日本の三大巨匠と呼ばれる水墨画掛軸の有名作家は以下のとおりです。
・雪舟(せっしゅう)
・牧谿(もっけい)
・狩野探幽(かのうたんゆう)
雪舟の代表作といえば『四季山水図巻(山水長巻)』や『天橋立図』などです。
雪舟は突出した画家としての才能から画聖とも呼ばれています。48歳で中国に渡り本場の水墨画を学んだ雪舟は、約3年の修行の中で中国各地の山岳や河川などの景勝地で写生を行い、中国の雄大な自然から創作意欲を得たことで、躍動感ある山水画を描いています。
牧谿の代表作といえば『観音猿鶴図』や『漁村夕照図』などです。
牧谿は中国の僧侶で日本の水墨画に大きな影響を与えた中国画家でもあります。伝統を重視した写実的な院体画を描いており、中国ではあまり有名な画家ではありませんでした。中国から日本へ渡ってきた水墨画の主流が院体画であったため、日本で広く知れ渡ったと考えられます。
狩野探幽の代表作といえば『四季松図屏風』や『東照宮縁起』などです。
16歳のころには江戸幕府の御用絵師として活躍した天才水墨画家として有名です。探幽独自の技法は探幽様式と呼ばれ、画面の余白をそのままに余韻を残し、景観に続きがあるかのように表現した手法が多くの人々を魅了しました。
日本と中国、いずれの水墨画掛軸も人気
中国の水墨画と日本の水墨画は異なる表現方法で描かれており、それぞれに独自の良さがあります。
現代においても、各水墨画掛軸は芸術作品や歴史的資料として価値のある作品として人々の興味を引いています。家族代々受け継がれてきた水墨画掛軸を所有していて、作品の価値を知りたいと感じている方は、一度査定を依頼してみましょう。
適切な価値を知りたい方は水墨画家を専門とする経験豊富な査定士への依頼がお勧めです。また、古くなった水墨画掛軸は傷や汚れがついている場合もあります。しかし、自身の判断だけで修繕を行うことはお勧めできません。かえって傷や汚れを広げてしまう恐れがあります。
まずは気軽に専門の買取業者へ相談してみてはいかがでしょうか。