禅寺を訪れたとき、ぎょろっとした大きな目がこちらを睨んでいるような、奇抜な人物画を見かけたことがある人も多いのではないでしょうか。
この人物画は、達磨図と呼ばれています。
達磨図は、禅を描く・悟りを描くための表現方法として用いられていたといわれています。
目次
かわいい?こわい?!達磨の掛軸
達磨の掛軸というと、赤くて丸い達磨を想像しますが、実際に掛軸として描かれている多くの達磨は、達磨大師をモデルにしたものです。
縁起物として重宝された達磨
達磨は、古くから縁起物として知られていますが、なぜ縁起物として親しまれるようになったのか知らない方も多いでしょう。
達磨のルーツは、中国のおもちゃです。
唐の時代に酒胡子(しゅこし)と呼ばれるおもちゃが流行り、明の時代になると代わって不倒翁(ふとうおう)と呼ばれる転がしても倒れない人形が登場しました。
この不倒翁(ふとうおう)は、室町時代に日本に伝えられ、起き上がり小法師(こぼし)に発展していきました。
江戸時代に入ると起き上がり達磨が誕生します。
達磨が縁起物といわれる理由は、達磨がえらいお坊さんであったことや倒れてもすぐに起き上がることから、倒産せず商売繁盛するとされていたためです。
願い事をして達磨の目を書く風習は、達磨大師のようにいかなる困難も克服して、願い事が成就するよう願掛けのために行われています。
また、達磨は赤いイメージがありますが、さまざまな色があり、色によって縁起物としての意味が異なる特徴があります。
達磨大師とはどんな人だったのか
達磨の名前の由来でもある達磨大師は、実在した高僧の名で、ほかにも菩提多羅や達磨祖師などの名があります。
達磨大師は、4世紀の終わりごろに南天竺の香至国の第三王子として生まれました。
父である国王の死をきっかけに般若多羅尊者のもとで出家し、40年余り修行に努めています。
修行を終えた後は、インド各地を渡り歩き67年間布教を続けたといわれています。
その後は、中国各地で10年間布教しました。
また、崇山少林寺では壁に向かい9年間座禅を続け、悟りを開いたといわれています。
この姿から、人々は達磨大師のことを壁観婆羅門僧と呼んでいたそうです。
達磨大師は、反発する僧たちに毒を6回も盛られ、西暦528年10月5日に150歳で入寂したといわれています。
達磨大師の死後であるとされる613年12月に、聖徳太子が奈良の片岡山で飢えた人に出会い、食べ物や自分が身に付けていた紫の衣を与えました。
しかし、その人は亡くなってしまい、聖徳太子は墓を作り手厚く葬りました。
数日後に墓をあけると遺体はなく、紫の衣だけが残されていたのです。
この逸話は『日本書紀』や『元亨釈書』に記されており、この飢えた人が達磨大師の化身であったといわれており、片岡山に達磨寺が建設されました。
掛軸に描かれている「達磨」は「達磨大師」の姿であることが多く、今日縁起物として見かける達磨の置物とは少しイメージが異なるでしょう。
達磨掛軸を描いた有名作家たち
達磨掛軸は、多くの有名作家たちが描いています。
代表的な作家は、白隠慧鶴 (はくいんえかく)、仙厓義梵(せんがいぎぼん)、長沢芦雪(ながさわろせつ)、宮本武蔵(みやもとむさし)などです。
白隠慧鶴 (はくいんえかく)
作家名:白隠慧鶴
代表作:『達磨図』『半身達磨図』
生没年:1685年-1768年
白隠慧鶴は、500年にひとりと称えられた高僧で、臨済宗中興の祖でもあります。
称津駿州原宿(現在の沼津)で生まれ、全国を行脚した後に再び駿河で教えを説いた白隠は、その功績は富士山にも匹敵するともいわれました。
徳の高い高僧でありながらも、白隠慧鶴が描く禅画は、破天荒なインパクトがあるといわれています。
禅僧であり、達磨大師をはじめとした禅画を描く絵師でもあった白隠慧鶴の有名な作品は、『半身達磨図』です。
デフォルメされた菩薩達磨が座禅している姿が印象的です。
仙厓義梵(せんがいぎぼん)
作家名:仙厓義梵
代表作:『達磨図』など
生没年:1750年-1837年
仙厓義梵は、禅僧でありながらユーモアあふれる書画を描く絵師でもあります。
その自由奔放な絵画をとおして、禅の教えを広く伝えました。
江戸時代に九州で活動していた仙厓は、日本最古の禅寺である聖福寺の第123世(および125世)の住持でもあります。
臨済宗の古月派を代表する名僧としても有名です。
60歳代で虚白院へ隠棲してからは、晩年まで数多くの書画を描いたとされています。禅僧であり、達磨大師をはじめとした数多くの禅画を残しています。
長沢芦雪(ながさわろせつ)
作家名:長沢芦雪
代表作:『隻履達磨図』
生没年:1754年-1799年
長沢芦雪は、江戸時代に活躍した絵師で、円山応挙の弟子でもあります。
師匠とは対照的に、大胆な構図や斬新な着眼点で奇抜な絵画を多く描いていたため、奇想の絵師とも呼ばれていました。
常に新しい表現や技法を追求し、精力的に活動していた芦雪は、200年以上経った今も、名作が多くの人々に親しまれています。
芦雪は、達磨掛軸も手がけており、有名な作品は、『隻履達磨図』です。
宮本武蔵(みやもとむさし)
作家名:宮本武蔵(みやもとむさし)
代表作:『蘆葉達磨図』
生没年:1584年-1645年
二刀流の剣豪として有名な宮本武蔵。
実は画人でもあり、「二天」と号して絵画作品を多く制作しています。
個性豊かな水墨画を多く手がけており、禅にかかわる達磨図や布袋図などを多く描いていました。
本格的に絵を描き始めたのは、二天一流を創始した後の寛永17年ごろからといわれており、中国の梁楷や同じ武人であり画家の海北友松などから減筆体を学んだと考えられています。
達磨掛軸は縁起物として人気が高い
達磨掛軸は、縁起物として現代でも人気の高い掛軸作品です。
達磨と聞くと赤くて丸いものをイメージしますが、掛軸では達磨大師が多く描かれています。
高僧である達磨大師が描かれた掛軸は、縁起物として親しまれているため、高値での買取も期待できる作品です。
商売繁盛や開運出世などの願いが込められた達磨掛軸をお持ちの方は、自宅に飾るもよし、一度査定に出して価値を確認して見るのもよいでしょう。