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ペルシャ絨毯の歴史:織物の芸術が紡ぐ千年の物語

ペルシャ絨毯はイランの伝統的な織物製品です。イラン国内かつ手織りで作られている絨毯をペルシャ絨毯と呼び、国内外問わず多くの人を魅了しています。人気のあまり偽物も多く出回っており、本物のペルシャ絨毯の価値は今後も上がっていくでしょう。オールドやアンティークなどの古いものも現存するペルシャ絨毯。その歴史はいつごろから始まっているのか気になる方も多くいます。長きにわたる歴史の中で、技術と伝統を磨き上げて作られたペルシャ絨毯の原点を探っていきましょう。

 

ペルシャ絨毯の歴史

ペルシャ絨毯は古くから、実用的な敷物や鑑賞用のタペストリーなどとして多くの人に親しまれてきました。イランという国の歴史も古く、国内には世界遺産にも指定されている5大遺跡があります。歴史ある国イランの文化の中で手織りされた美しいペルシャ絨毯はどのように誕生したのでしょうか。はっきりとした始まりはわかっていませんが、起源は4000~5000年前にまでさかのぼるといわれています。

紀元前:いまも残る、最古の絨毯

ペルシャ絨毯は紀元前から製作されていたと考えられています。およそ4000~5000年前の当時の絨毯は、現在製作されているパイル織りの絨毯ではなく、獣の毛を固めたようなものでした。絨毯は実用的な織物で、日常的に使用されることから保存状態がよいまま残ることは少なく、当時の絨毯はほとんど残っていません。

現在発見されている中で、現存する最古のペルシャ絨毯は『パジリク絨毯』です。およそ2500年前に作られたとされています。発見したのはロシアの考古学者セルゲイ・ルデンコです。シベリアのアルタイ山脈中パジリク渓谷にあるスキタイ王族の古墳から発見されました。古墳には高価で貴重な品物が数多く眠っている可能性があるため、盗掘が発生することも。しかし、パジリク絨毯は盗掘をまぬがれ、さらには凍結状態であったために劣化が最小限で済みました。

研究結果からは、羊毛とラクダの毛をベースに羊毛のパイルが織り込まれているとわかりました。2本の縦糸に一つひとつ糸を絡ませて織っていくこのスタイルは、現在のペルシャ絨毯の同じ織り方です。サイズは約1.8m×2mで、中央部に格子と5列のボーダー文様が施され、シカや馬を引く人、騎馬などが表現されています。絨毯の文様がアケメネス王朝ペルシャ期のデザインと似ていることと、ペルシャ絨毯に共通する織り方から、当時のアケメネス王がスキタイ王国へ贈ったものではないかと考えられています。しかし、最近では中央アジアで織られたものという説も。

また、パジリク古墳よりも西方にあるバシャダル古墳からは、パジリク絨毯よりもさらに130年さかのぼった時代に作られたとされるペルシャ結びで織られた絨毯が発見されました。パジリク絨毯発見の数年後にセルゲイ・ルデンコにより発見された絨毯の断片は、パジリク絨毯よりもさらに密度の高い織り方がされていました。今後もさらに古いペルシャ絨毯が発見されるかもしれません。

7世紀:語り継がれる、ホスローの春

古代ペルシャでは、空気、水、火、地の4つを神聖な元素とたたえるゾロアスター教が広く浸透していました。アラブに侵攻されイスラム教が入ってくるまでは、宗教といえばゾロアスター教でした。この時代に作られたとされる幻のペルシャ絨毯が『ホスローの春』です。実物は現存しておらず、アッバス朝期のイスラム法学者であったアブー・ジャーファル・タバリーが書いた『諸使徒ならびに諸王の歴史』に記述があるだけの絨毯です。そのため、どのような構造をしていたかはわかっていません。

『ホスローの春』はササン朝の最盛期を築いた第21代君主ホスロー1世のもとで製作され、ササン朝ペルシアの都にあるクテシフォン宮殿に敷かれていたとされています。縦140m×横27mの巨大な絨毯で、シルク生地に金糸や銀糸さらには真珠やエメラルドなどの宝石や貴石を縫い付けたデザインであったとの話もあります。

ホスロー1世の死後、ササン朝ペルシアはアラブのイスラム教徒によって支配されました。その際に『ホスローの春』はバラバラにされ戦利品として兵士たちに分配されたとのことです。そのため『ホスローの春』は現在までに断片すら発見されておらず、幻のペルシャ絨毯といわれています。

16世紀:ペルシャ絨毯の黄金期

16世紀のサファヴィー朝は、ペルシャ絨毯の黄金期と呼ばれています。サファヴィー朝は1501年に神秘主義教団の指導者であったイスマーイールによって創始され、都をタブリーズに置きました。サファヴィー朝では建築や絵画、絨毯などが盛んに作られ、工芸と文化が発展した時代でもありました。

なかでも、シャーアッバース1世の時代にはイスファハンに都を移しモスクを建築しています。その後も新しい王宮、庁舎、邸宅などの建設ラッシュが巻き起こります。建築の増加にあわせて絨毯の需要も増え、数多くの絨毯工房が設立されました。宮廷工房も設立され、絨毯の素材となる羊の飼育から染料に使用する植物の栽培まで、宮廷内で一貫して行われるようになりました。

宮廷工房では、国内だけではなく海外の王族や高官への贈り物としての絨毯も織られています。また、輸出用の絨毯はイスファハンやカシャーン、ジョウシャガーンなどの工房でも多く製作されました。当時製作された海外向けの絨毯はポロネーズ絨毯と呼ばれ、現在世界で230枚発見されています。ポロネーズ絨毯は金糸を使用したシルクの美しい文様が特徴で、のちにインドのムガル朝やトルコのオスマン朝などにも影響を与えました。

18世紀以降:時代とともに受け継がれるペルシャ絨毯

18世紀以降もアフシャール朝やガージャール朝、パハラヴィー朝とペルシャ絨毯の伝統は受け継がれていきました。アフシャール朝に製作されたペルシャ絨毯はあまり現代に残されておらず、資料も限られています。1722年のアフガーンの侵略や1727年のナーデル・シャーの挙兵によりイランの絨毯製作は一度終焉したともいわれています。しかし、実際には宮廷の豪華な絨毯や海外向けの絨毯の製作が行われなくなっただけで、実用性のある遊牧での絨毯づくりは変わらず続いていたとする説が有力です。

ガージャール朝の時代ではペルシャ絨毯の伝統的な体制や方向性、絨毯そのものに大きな変化が見られました。とくに変化が顕著だったのが1870年代から第一次世界大戦までの織り機と輸出量が急増した時期です。ヨーロッパ市場でペルシャ絨毯のブームが巻き起こり需要が急激に増加しました。その影響で絨毯工場が次々に設立されていき、商業的生産の基盤が構築されました。

パハラヴィー朝ではガージャール朝から引き継がれた絨毯の振興策により、ナインやゴムなどの新興産地も登場し、都市工房での絨毯づくりが活性化されていきます。

近代:世界三大財産となり、偽物も増えつつある…

1979年のイスラム革命により王制が終焉を迎えた後も、絨毯産業は継続され輸出も続き、現在に至ります。時を経ても価値の高いペルシャ絨毯は、近年でも人気であり「世界三大財産」といわれています。しかし、技術の進歩からコピー品なども増えてきているのが現状です。

 

ペルシャ絨毯の受け継がれる伝統と美しさ

イランで作られるペルシャ絨毯には、古くから受け継がれてきた伝統的な美しさがあります。長い歴史の上に立つ技術や手法により織られるペルシャ絨毯は何にも代えがたい魅力があるといっていいでしょう。しかし近年、需要の増加とともに不足する織り子の賃金上昇が注目され、ペルシャ絨毯そのものの価格も年々上昇しています。ペルシャ絨毯は高価で希少価値が高い織物製品ですが、織り子の賃金問題解決により、これからも伝統を受け継いで製作されていくでしょう。

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