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京都に息づくペルシャ絨毯:豊臣秀吉を魅了し祇園祭を彩る

ペルシャ絨毯の歴史は長く、また日本に伝わってからも長い年月が経っています。今もなお日本では価値の高い織物製品として知られているペルシャ絨毯。歴史上の偉人である豊臣秀吉とも深いかかわりがあります。また、日本の伝統的な祭事である祇園祭ともかかわりを持っています。遠く離れたイランから日本へ伝わってきたペルシャ絨毯が、どのようにして日本人に受け入れられ愛されてきたかを知ることで、よりペルシャ絨毯への魅力を深めましょう。

 

秀吉の時代からペルシャ絨毯は日本にあった?!

ペルシャ絨毯が本格的に日本へ入ってきたのは、17世紀以降といわれていますが、16世紀ごろの桃山時代にはペルシャ絨毯が伝わっていたとされる記録もあります。京都市東山区の鷲峰山高台寺に豊臣秀吉が加工させた陣羽織が所蔵されています。『鳥獣文様陣羽織』と呼ばれ、秀吉の正妻である高台院が京都東山に開いた高台寺に伝来したとされる陣羽織で、日本の重要文化財の一つです。

当時日本に伝わってきたペルシャ絨毯を秀吉が気に入り、美しい絨毯を裁断し陣羽織にして利用したといわれています。厳密には、綴れ織りのキリムを加工したものですが、ウールではなく金糸や銀糸が使用されているのが特徴です。輸出用に製作されたポロネーズ絨毯と同じく、16世紀後半~17世紀初頭にイスファハンもしくはカシャーンの宮廷工房で製作された製品と推察されています。

『鳥獣文様陣羽織』は、連続したひし形の枠の中で2頭の動物が闘争する様子や獣の頭が綴れ織りで表現されているのが特徴です。本来は敷物や壁掛けとして利用するために伝わった製品ですが、色鮮やかな色調や動物の闘争本能がむき出しとなった独特の文様が戦場を思わせることから、陣羽織に利用されたと予想されます。キリストの布教と貿易のためにスペインやポルトガルから訪れた南蛮船から伝わったとされるキリムを利用しており、大航海時代の片鱗が日本にも伝わっていたことがわかる製品です。

なお、高台寺は秀吉の菩薩を弔うために北政所が建立した寺院であり、現在も秀吉の伝世品が多く収められています。

 

京都の祇園祭に受け継がれる、ペルシャ絨毯

ペルシャ絨毯は京都の祇園祭とも縁のある織物製品です。京都祇園祭で巡行する山鉾のうち南観音山の前懸として、ペルシャ絨毯が用いられていました。懸装品として使用されていたのは、17世紀中期ごろに製作されたと考えられるポロネーズ絨毯です。そのほかにも、懸装品としては18世紀中ごろに日本へ伝わってきたペルシャ絨毯がいくつも利用されていましたが、のちの研究によりその多くが、ムガール朝インドのデカン地方で製作された絨毯と判明しました。

南観音山の前懸として使われていた、17世紀中期ごろにイランのイスファハンで作られたとされるペルシャ絨毯は1978年の祇園祭を最後に使用されていません。2014年以降は金糸や銀糸を含む19色のシルク糸で幾何学文様を再現した絨毯が使用されています。

祇園祭は千年以上の歴史を持つ八坂神社の祭礼で、1か月にわたって多彩な祭事が行われます。前祭と後祭で行われる山鉾巡行は、祇園祭の見どころの一つです。祇園祭の山鉾巡行に曳山を本格復帰させようと考えている鷹山の保存会は、曳山の左右を飾る胴懸にイランで織られたペルシャ絨毯を用いると発表しています。右側の胴懸にはイランの遊牧民カシュガイ族のデザインである水の神のシンボルであるカニが連なる文様が施されています。左側の胴懸には、16世紀にカシャーンの宮廷工房で作られた絨毯をもとに、蓮の花や子孫繁栄のシンボルであるザクロを表現した文様が描かれているのが特徴です。

 

日本・京都でも長く愛でられてきた、ペルシャ絨毯

日本におけるペルシャ絨毯は高級品というイメージで、ヨーロッパほど一般には普及していません。しかし、その鮮やかで繊細な文様に魅力を感じた日本人は、古くから宝物としてペルシャ絨毯を扱ってきました。秀吉が陣羽織として転用したり、山鉾の前懸として用いられたりと、日本の歴史や文化と深いかかわりを持つペルシャ絨毯。今後、日本においても徐々に広まっていくと予想されています。実用品としてだけではなく、これまでの日本の歴史や文化とのかかわりを知ったうえで鑑賞し、ペルシャ絨毯を楽しむのもよいでしょう。

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