美人画の最も有名な作品と言えば、「見返り美人図」ではないでしょうか。江戸時代より多くの画家によって描かれてきた美人画は掛軸としても多数の作品を残されています。著名な画家の作品は現在も非常に人気があり、高額買取の対象となることも珍しくありません。その時々の時代の美しさを描いてきた美人画。その歴史や特徴などを見ていきましょう。
美人画とは
美人画とは女性の外見だけではなく、内面の美しさも含めて表現した絵画のことです。日本でいう美人画とは、江戸時代に確立された浮世絵とその流れを汲む絵画が該当します。美人画は日本の骨董品買取市場でも人気の高い美術作品です。
浮世絵の美人画はモデルとなる本人に似せて描かれることはあまりありません。多くの場合は様式化された表現が用いられます。そのためモデルの美人がどの浮世絵師のパターンで描かれているかが重要視されています。
美人画掛軸の種類や特徴とは
美人画は掛軸買取の中でも人気の美術作品の一つです。美人画とはその名の通り美人を描いた浮世絵のことです。実際の人物をモデルとすることもありますが、架空の女性を描くこともあります。絵柄の特徴は切れ長の細い目、細面、下膨れした顔などです。
美人画では花魁や太夫のような遊女、町娘などがモデルになっています。その後、多色で刷られた精巧な木版画が流行り始めると、華奢で少女のようなあどけなさを持つ女性も多く描かれました。江戸時代の美人画は、今でいうグラビアやファッション誌のような役割を持っています。ただ絵が美しいからだけではなく、着物の柄や着こなし、髪飾りなどの流行を取り入れることで、男性からだけではなくおしゃれの感度が高い女性からも一定の需要がありました。
美人画は顔のタッチや姿かたちが時代によって異なります。また、画風は作家の個性が出る部分でもありますが、その時代で流行りの描き方が生まれると、他の絵師も寄せて描く傾向もありました。そのため、絵柄によってその時代の流行りが判別できます。時代によって表情を変える美人の描き方を楽しむのも、美人画の醍醐味の一つです。
美人画掛軸の歴史とは
美人画掛軸の高価買取を目指すなら背景を把握して作品の価値を理解しましょう。美人画の誕生は江戸時代までさかのぼります。当時の町人たちが興味を寄せていた風俗を描いた浮世絵の一種です。江戸時代以前は、本のメインは文章で、絵はあくまでおまけのようなものでした。しかし、菱川師宣の描く美人画によって絵の価値が大きく変化します。有名な作品として見返り美人図があります。
師宣は一枚摺と呼ばれる本から絵を独立させた版画を作成し、人々に絵の魅力を広めました。これが浮世絵の始まりといわれています。浮世絵は画題によって武者絵・春画・役者絵・美人画などいくつかの種類に分類が可能です。
浮世絵の中でも美人画は、江戸時代前期から多くの人々に好まれていました。美人画は当初、絵師の理想の美人を具現化する手段でしたが、18世紀後半頃からは現実にいる花魁や遊女が名前とともに描かれるようになりました。その後は、芸者や水茶屋の看板娘、評判娘、町家の娘なども描かれています。看板娘の美人画は見て楽しむだけではなく広告的な役割も果たしていました。
多くの町人たちの間で楽しまれてきた美人画ですが、寛政の改革が起こった18世紀末に風紀を乱すものとして検閲されてしまいます。そして、自由に浮世絵を発行できなくなってしまいました。
浮世絵が人気を集めていたのは江戸時代だけではありません。明治時代にも新たな浮世絵が描かれていました。明治時代は貿易が盛んに行われていたこともあり浮世絵も近代化による西洋文化の影響を強く受けました。美人画も喪服だけではなく洋装などの新時代の文化風俗をまとった女性を描いた作品が登場し始めました。
江戸時代に引き続き美人画は、ただ見て楽しむだけではなく流行ファッションの情報源としての役割も担っています。当時の女性たちが美人顔を参考に着物の柄や着こなしを選んでいたのかもしれません。時代によって絵柄の変わる美人画を鑑賞してその時代の背景を知っていくのも醍醐味の一つです。
菱川師宣
作家名:菱川師宣(ひしかわもろのぶ)
代表作:『江戸雀』『和国諸職絵つくし』『北楼及び演劇図巻』
菱川師宣は、安房国保田(現:千葉県鋸南町保田)で7人兄弟の4番目として生まれました。幼いころから絵を描くのが好きで、家業の手伝いで刺繍の下絵などを描きながら、漢画や狩野派、土佐派などの諸流派と接点を持ちつつ独学で画を学んでいきます。その後、江戸に出ると版本の版下絵師として活躍。これまでの本とは大きく異なり、文章を少なく挿絵を大きく描いた絵本が江戸の町人の間で話題になり人気を集めました。手軽に見て楽しめる木版摺りの一枚絵を手掛け、絵画文化の大衆化に貢献した人物です。日本が世界に誇れる絵画文化「浮世絵」は菱川師宣の手によって始まったといっても過言ではありません。
代表作には『見返り美人図』があります。切手のデザインとしても有名な作品です。江戸時代前期の流行りのファッションやヘアスタイルが反映されている特徴があります。髪は玉結びスタイルで、着物は当時高級品であった紅で染められており、帯も当時の流行である吉弥結びが施されています。美人画は当時のファッション誌的役割を担っていたことが伺えるでしょう。
喜多川歌麿
作家名:喜多川歌麿(きたがわうたまろ)
代表作:『潮干のつと』『当時三美人』『美人大首絵』
喜多川歌麿は美人画の名手と呼ばれており、海外では、葛飾北斎と並び知名度の高い浮世絵師で、北尾重政や鳥居清長から作風を学び修業を重ねています。
当初は風景画・役者絵、黄表紙・洒落本の挿絵、錦絵などを描いていました。その後、美人画に専念すると女性の官能的な美しさを描いて、歌麿をしのぐ画師は存在しなかったといわれるほどの作品を残しています。
画中に政治批判が見られたという理由で、寛政の改革の際には入牢3日、手鎖50日の刑を受け、芸術生命を絶たれてしまいました。実際は、幕府が歌麿の影響力や版元蔦屋の急成長を警戒して実施したとされています。
代表作には『婦女人相十品 ポッピンを吹く娘』があります。
この作品は、婦女人相十品と呼ばれる大判錦絵十枚の揃物の1枚で、当時の江戸を生きる人気町娘を描いた美術作品です。ポッピンとは、息を吸ったり吹いたりすると「ポピン」可愛らしい独特な音を鳴らす舶来品のガラス玩具で、江戸時代に流行していました。町娘のあどけない表情が魅力的に表現されている一方で、赤い市松模様の着物とポッピン、花扇柄の簪を付けている様子から、町娘の豊かな暮らしぶりがうかがえる作品です。
竹久夢二
作家名:竹久夢二(たけひさゆめじ)
代表作:『黒船屋』『長崎十二景』『女十題』
竹久夢二は明治17年、岡山に生まれ画家としての道を進むために18歳で上京し、当初は雑誌や新聞にコマ絵を寄稿していました。独特の情感をたたえた美人画の『夢二式美人』によってスタイルを確立しています。叙情あふれる画集を続々と発表して人気作家になると、雑誌の表紙や広告から、千代紙、便箋、封筒、うちわ、半襟、浴衣などさまざまな日用品のデザインも手掛けるようになりました。画家の枠を飛び越え、イラストレーター、グラフィックデザイナー、アートディレクターのような働き方を実現した人物です。
人気の美人画掛軸には驚きの査定額がつくことも
江戸時代から高い人気を集めている美人画掛軸には、予想できない高価買取価格がつく可能性もあります。
お持ちの美人画の価値が気になる方は、手入れを行う前に査定士へ査定を依頼してみることをお勧めします。古い美人画掛軸は傷みや破れなどの損傷がひどい場合もあるでしょう。査定で価値をつけてもらうためにまずは修復をしたいと考える方も多いですが、下手に修復を行ってしまうとかえって価値を下げてしまうことにもなりかねません。まずは、倉庫から出てきた状態のままで査定に出してみましょう。
親族から譲り受けたり、倉庫の奥から出てきたりした美人画掛軸は、価値をチェックするためにもまずは実績豊富な査定士へご相談ください。