山水画は日本のみならず海外からも高い評価を受けている美術品です。有名作家が描いた作品は現代でも高値で買取される可能性があります。自然の風景を独自の思想感で描いていく山水画は作家の精神性が表現された文学作品でもあります。山水画の特徴や種類、有名作家を知り、山水画への興味をより深めていきましょう。
目次
山水画とは
山水画とは、墨と水の濃淡のみで美しい自然の風景を描いた水墨画を指します。中国が起源の絵画で、人物画・花鳥画と並んで東洋絵画の三大ジャンルの一つでもあります。山水画に描かれる風景の多くは単なる自然の景色ではありません。山水画には山岳を霊的・精神的な存在と考える中国人の自然観が反映されており、幽玄な雰囲気で描いたり、想像上の風景を描いたりする特徴があります。
高い精神性に基づいて理想郷のような風景や普遍的な自然が好んで描かれました。画風は唐代の王維、李思・李昭道父子、呉道玄の時代に始まり、唐滅亡後の五代のころに確立されたといわれています。南宋時代には情緒的な表現がよく見られ、元代には北宋と南宋の特徴が合わさり文人たちから高い人気を集め南宋の山水画が誕生しました。その後、明清時代には文人山水画が主流になっていきました。
日本では飛鳥時代から山水画が描かれています。各時代で中国山水画の影響を大きく受けながら数々の有名作品が制作されました。日本には山水画と別に、四季折々の景色や自然の風景を描いたやまと絵と呼ばれる日本伝統の絵画があります。しかし、鎌倉時代に宋代の画家たちの山水画が多く日本に渡ってくるようになったころ、やまと絵よりも山水画がもてはやされるようになりました。
山水画掛軸の種類や特徴とは
山水画は中国から伝わった水墨画の一種で、主に山岳や河川をメインに描かれた絵画です。ただし、自然の風景を見たままに描いているわけではなく、想像上の景色が描かれている特徴があります。そのため、単なる風景画とは異なる作品といえるでしょう。山水画は写実性よりも芸術的かつ文学的な意味合いを重視し、作者の思想や精神性を表現するために幽玄な自然の風景を再構成して描く手法がとられています。
山水画には「水墨山水」「彩色山水」「四神山水」がある
山水画とひと口にいっても、「水墨山水」「彩色山水」「四神山水」など複数の種類があります。
水墨山水は、深い山々や流れる川などの風景を墨の濃淡だけで描いた山水画を指します。水墨山水は禅の教えとともに日本に伝わりました。そのため水墨山水には描き手の思いや物語が表現されています。また水墨山水は、下から近景・中景・遠景の3つに描き分けられています。そのため、下から上に向かって眺めていくと、近くから遠くへ風景が移動していくような感覚を味わえるのです。また、作品によっては距離感だけではなく時の流れを感じられる場合もあります。
彩色山水とは、水墨画とは異なり色を用いて描かれます。絵のモデルは水墨山水と同様に山々や河川です。彩色山水も遠近法が取り入れられており、1番手前に河川を描き、その奥が古家、真ん中には木々を、さらに奥には滝、一番遠い位置に描かれるのが山岳です。彩色山水は山水画に色を加えることで、より鮮やかで明るい印象の風景が楽しめる作品といえます。きらめく川は美しい水色で塗り、生い茂る木々にはやわらかな緑色を、山肌には淡い黄土色で色づけるのも特徴の一つです。彩色山水は自然そのものがもつ生命の息吹や躍動感を表現できる山水画といえます。
四神山水とは四神相応の土地が描かれた山水画です。四神相応とは古来中国から伝わる風水の一種で、方位に関連する思想の一つです。東西南北にはそれぞれ方角を守る四神がおり、良い条件である土地の状態を四神相応と呼びます。四神は青龍・白虎・朱雀・玄武からなります。青龍は川を好み住むとされ、白虎は道を走り、朱雀は低地に溜まる大きな池に降り立ち、玄武は山で逆風の盾になるとされており、四神に相応する土地に都市や家を築けば期の流れが整い、幸に恵まれると古くから伝えられていました。四神山水はこの四神相応にあてはまる風景を描いた絵画で、開運、厄除け、家運隆盛をもたらすよう願いが込められているのです。
日本独自の美しい特徴のある山水画
日本の山水画には、四季を感じられる山や川など自然の風景が多く描かれています。その時代に入ってきた中国山水画の影響を受けながら描かれており、鎌倉時代に最盛期を迎えました。鎌倉時代では、雪舟によってこれまでの中国の模倣的作品を脱した日本独自の山水画文化が確立されていきました。日本独自の山水画は実景描写が特徴的です。また、他の花鳥画や人物画などと同じように装飾的となり、やまと絵との融合により日本独自の山水画様式が生まれていきました。
一方で、中国の山水画は、山や川、渓谷などの単なる風景画にはとどまらず、自然の風景を創造的に描いたり、霊獣が住む理想郷として描いたりします。また多くの中国山水画は、力強くはっきりした印象を与えます。にじみやぼかしがあまり見られないのも特徴的です。また中国掛軸の特徴として、中国には古来より「書画同源」「詩画一如」という考え方があります。書と画を一つの掛軸におさめ、一体的な芸術を楽しむことが多く、山水画にも絵だけではなく書が描かれている作品が多く生まれているのです。
特に有名な山水画掛軸の作品や作家たち
山水画は中国から仏教の教えとともに日本へ伝わり、多くの日本画家の手によって描かれている作品です。室町時代には雪舟によって日本独自の山水画が確立されていき、明治時代に入っても狩野芳崖をはじめとした山水画家により、多くの有名な作品が描かれていきました。中国を起源としながらも独自の発展を遂げていった日本山水画は、現代においても多くの作品が高値で買取されています。特にその時代を象徴する有名画家の山水画は、人気が高く高価買取が狙える作品といえるでしょう。
ご自身でお持ちの山水画作品の価値を知るきっかけとして、有名な山水画家の名前をおさえておくことも大切です。
雪舟
作家名:雪舟(せっしゅう)
代表作:『四季山水図』『山水長巻』
生没年:1420年-1506年
雪舟は1420年に備中国で生まれ、禅宗の僧侶になるため10歳のころには臨済宗の寺院である宝福寺に預けられました。当時から絵をかくのが好きだった雪舟は、相国寺にいた室町幕府御用達絵師で日本水墨画を代表する画僧である周文のもとで水墨画を学び、才能を開花させていきます。京都で名の知られる画家となった雪舟は中国で本格的に水墨画を学びたいと考えます。周防国の守護大名に頼み込み、48歳のときに明と交易を行う遣明船に乗り中国へ渡りました。雪舟は、山水画のように美しい中国各地の風景を写生したり、中国の名画を模写したりと修行に励みます。雪舟の絵は明でも称賛され、天童山第一座の称号を獲得しています。
狩野芳崖
作家名:狩野芳崖(かのうほうがい)
代表作:『溪山幽趣』『雪景山水』
生没年:1828年-1888年
狩野芳崖は1828年生まれの江戸時代後期から明治にかけて活躍した画家のひとりです。19歳のころ江戸へ出て、木挽町の狩野勝川院雅信に教えを受け、雪舟を中心に諸派絵画の研究に努めました。3年勉強したのちに師である雅信の助手として絵画を描いていましたが、師と色彩について意見が食い違うこともしばしばあり、破門の危機が繰り返し発生していました。狩野芳崖は減筆体で簡略化を図る江戸狩野派よりも雪舟の空間表現を手本としていたため、狩野派である師との衝突が頻繁に起こっていたと考えられます。
明治維新が進む当時の日本では、狩野芳崖が描く前衛的な絵画は長らく評価されませんでした。評価されない理由の一つに狩野芳崖の国粋主義に対する反発があります。明治維新後、急速に進む欧米化から日本の文化を守ろうとする国粋主義が前衛的な芸術をも否定したのです。狩野芳崖の作品には欧米の構図を取り入れたものもあり、日の目を浴びない日々が続きます。しかし、近代化が進み欧米文化が日本にも浸透してくると徐々に狩野芳崖の作品も評価されていき、日本画近代化の作品として受け入れられるようになりました。
山水画の掛軸買取はプロの買取業者へ相談を
山水画は中国が起源といわれており、日本には禅の教えとともに伝わりました。日本画家によって描かれた多くの山水画は中国山水画からの影響を受けています。しかし、室町時代に活躍した雪舟の手によって日本独自の山水画が確立されていきました。また、山水画と一口にいっても「水墨山水」「彩色山水」「四神山水」とさまざまな種類があります。それぞれ違った楽しみ方ができるのも魅力の一つです。
山水画の掛軸は作品によって高価買取が狙える美術品です。自宅の蔵を掃除したときに山水画が出てきて、価値を知りたいと考えている方もいるでしょう。山水画掛軸の価値を知りたい方は専門分野の査定士への査定依頼をお勧めします。長く放置して汚れや傷が付いた山水画も、まずはそのまま査定してもらいましょう。下手に修繕を行い汚れや傷が広がれば、価値を下げることにつながりかねません。有名作家の作品はもちろん、名前の知らない山水画もぜひ一度価値を確かめてみましょう。