目次
日本を代表する現代美術家の「横尾忠則」とは
生没年:1936年-
横尾忠則は、兵庫県生まれのグラフィックデザイナーです。
1956年に神戸新聞社へ入社し活動後、1959年に独立しています。
独立後は、唐十郎、寺山修司、土方巽など舞台芸術のポスターデザインを数多く手がけています。
1969年には、パリ青年ビエンナーレ版画部門大賞を受賞しました。
1972年には、ニューヨーク近代美術館で個展を開催。
1980年に同じくニューヨーク近代美術館で行われていたピカソ展を鑑賞し衝撃を受けた忠則は、画家宣言を発表し、その後は画家としての作品を制作するようになりました。
洞窟や滝などの自然風景から、町中のY字路に注目したシリーズ作品、俳優、ミュージシャンなど、多彩なジャンルの作品を手がけているのが特徴です。
幼いころから漫画雑誌へ投稿する
横尾忠則は、幼いころから絵を描くことを好んでいました。
手本を再現する模写を得意としており、絵本や漫画を大量に描き写していたそうです。
忠則は、呉服屋の養子として育ったため、身近に華やかな反物や、デザインの見本帳などがありました。
それらが、忠則の構図やデザインセンスに影響をおよぼしたともいえるでしょう。
小学校高学年になると、漫画雑誌や漫画にポートレートを投稿するようになりました。
当時、将来は漫画家か挿絵画家になりたいと考えていたそうです。
一方で、戦時中の体験も鮮明に覚えており、義母と闇市に商売に出かけた際に遭遇した、大阪市内の空襲跡の様子に衝撃を受けたといわれています。
20歳からグラフィック・デザイナーとして活動
横尾忠則は、20歳のときに神戸新聞社の宣伝技術研究所へ入社し、グラフィック・デザイナーとしての活動を開始しました。
その後、忠則は上京し、日本のトップデザイナーが集まって設立された日本デザインセンターに入社します。
仕事をしていく中で、徐々にイラストやデザインが業界の中でも評価されるようになり、1964年には独立を果たします。
独立後、さらに腕を磨いていくために、同時代に活躍していたさまざまなジャンルの才能ある人物と交流を重ね、キャリアを積み重ねていきました。
交流を重ねた人物には、三島由紀夫や高倉健、寺山修司、篠山紀信、唐十郎、土方巽などがいます。
ジャンルを超えた交流の中でインスピレーションを受けた忠則は、グラフィック・デザイナーの範囲を越えて、さまざまな領域へ活動の幅を広げていきました。
画家として個展を開催する
1960年代後半から1970年代にかけて、横尾忠則は日本だけではなく海外からも高い評価を受けるようになっていきました。
展覧会に並んでいた忠則のポスターを、ニューヨーク近代美術館がすべて買い上げるできごともありました。
海外でも才能を認められた忠則は、ニューヨーク近代美術館で個展を開催します。
それをきっかけに、各国の美術館で個展を開催しました。
グラフィック・デザイナーとして活躍していた忠則に転機が訪れたのは、1980年のことでした。
ニューヨーク近代美術館で開催されていたピカソ展を鑑賞した忠則は、大いに衝撃を受け、今後は絵画制作に専念したいと、画家宣言をしたのです。
新表現主義の画家として活動をスタートさせた忠則は、制作を続けていく中で独自の絵画表現を確立させ、現代美術からも逸脱したさまざまな絵画作品を生み出し続けています。
横尾忠則が表現する世界観
独自の世界観を持つ横尾忠則は、「生と死」を生涯のテーマとして作品を制作しています。
忠則といえばポップアートが思い浮かぶ人もいるでしょう。
忠則は、1960年代のポップカルチャーを反映した作品も多く制作しており、鮮やかでサイケデリックな作風が特徴です。
個性的なデザインは、アンチモダンの思想を反映しており、異素材の融合や自己反復などにより自身の作品の模写も積極的に行っています。
忠則の作品には、過去の作品や日本神話、精神世界、夢などあらゆる世界観が取り込まれているのが魅力の一つです。
また、三島由紀夫に勧められて行ったインドで、オカルティズムや神秘主義に興味を持ち始めたことも作風に大きな影響を与えたといわれています。
横尾忠則のデザインはさまざまなグッズになっている
横尾忠則が手がけたデザインは、さまざまなグッズになって販売されています。
コラージュデザインが施された美濃焼のミート皿や、どくろのデザインが施されたお猪口など、食器類のグッズも制作されています。
また、スーツケースやスカジャンなどのグッズも販売されており、実際に使用しながら忠則の世界観を楽しめるでしょう。
横尾忠則の代表作品
独自の世界観でオリジナリティあふれる作品を多く残している横尾忠則。
多彩なジャンルで作品を制作しているため、飽きのこない点も魅力といえるでしょう。
作風の異なる作品が多く存在しますが、忠則本人はバラバラなものを制作するのがアイデンティティであると語っています。
『腰巻お仙』
『腰巻お仙』は、グラフィック・デザイナー時代の作品で、1966年に発表されたポスターの一つです。
唐十郎が率いる状況劇場のポスターとして制作されました。
1970年に開催された世界のポスター展では、1960年代を代表するポスター作品として選ばれ、世界的に高い評価を受けました。
このポスターには、中央より少し下に大きな桃が描かれています。
第二次世界大戦時、日本が鬼退治をした桃太郎をアイコンに威信を奮い立たせたことから、桃は悲劇と敗北の象徴であると、横尾忠則は語っています。
『TADANORI YOKOO』
『TADANORI YOKOO』は、1965年に東京で開かれたペルソナ展に出品されたポスターです。
中央より少し上に首を吊った男性の姿が描かれているインパクトのある作品です。
めでたいことや景気が良いことの象徴でもある旭日をバックに、男性が首を吊る様子を描いた作品は、鮮やかな色彩によりポップな印象を受けますが、見たものの心に衝撃を与える作品といえるでしょう。
『Y字路シリーズ』
『Y字路シリーズ』は、横尾忠則が故郷の兵庫県西脇市のY字路の写真を撮影したことがきっかけとなり、描き始めたシリーズです。
現在、『Y字路シリーズ』は150点以上制作されています。
初期に制作されたY字路は、写実的な表現の作品が多く、後期に制作されたものでは、色彩豊かで自由に描かれた作品が多いのが特徴です。
初期の作品は自身で撮影したY字路を題材にしていましたが、後期の作品では他人が撮影した写真を使用しており、題材との距離感が遠くなったことで、自由な展開をするようになったといわれています。