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七宝焼の歴史と特徴
七宝焼とは 七宝焼とは、窯で焼き上げる伝統工芸品で、素材は金属とガラスです。 2つの素材を組み合わせることで生まれる独特な風合いの美しさは、昔からアートの一つとしても親しまれてきました。 陶器のような光沢と鮮やかな色合いが特徴的な七宝焼は、その見た目から人がデザインできる宝石とも呼ばれています。 七宝は、仏教において貴重とされてきた、金、銀、瑠璃、玻璃、硨磲、珊瑚、瑪瑙の7つの宝が由来であり、美しい輝きにより多くの人々を魅了してきた宝になぞらえて七宝焼といわれています。 素材にガラスの釉薬を指して、約800度の高熱で焼成することで作られ、私たちの身近なものにも七宝焼が使われているのです。 たとえば、校章や社章、役職バッジ、花瓶や壷、銘々皿などに用いられています。 江戸時代までさかのぼると、刀のつばやサヤ、神社仏閣の釘かくし、ふすまの取っ手部分の装飾としても製作されていました。 七宝焼誕生の歴史 七宝焼の歴史は、古代エジプト文明までさかのぼり、あの有名なツタンカーメンの黄金のマスクにも七宝焼と同じ技法・技術で装飾が施されていたといわれています。 日本における最古の七宝焼とされているのは、古墳時代末期に作られた古墳から発掘された装飾品です。 また、奈良正倉院に保存されている鏡『黄金瑠璃鈿背十二稜鏡』の裏面に施されているのも七宝焼で、宇治平等院鳳凰堂の扉金具も七宝焼で作られています。 その後、江戸時代ごろからは七宝瑠璃と呼ばれる七宝焼が製作されるようになり、各地域の大名の持ち物や住まいを飾るために活用されていきました。 江戸時代末期には、尾張にて梶常吉が独学で七宝焼の技術を解明し、近代七宝が生まれたといわれています。 日本の七宝焼の特徴 現在、中国でお土産用として多く製作されている七宝焼のお皿は、泥七宝と呼ばれるもので、釉薬の光沢がほとんどなく、不透明でべったりとした質感が特徴です。 明治時代以前は、日本でも泥七宝焼がメインに製作されていました。 明治に入ると、日本で透明度の高い釉薬が開発されるとともに、並河靖之や涛川惣介など帝室技芸員となった人物の登場により、日本の七宝焼は花開いていきました。 1900年のパリ万国博覧会でも高く評価され、ほかに類をみない独特な美術工芸品として発展していくのです。 それ以降は、有線七宝をベースにさまざまな技法が誕生しており、有線技法に注目した製品や素地の素材に注目した製品、明治の終わりには七宝焼の技法がすべて誕生しました。 七宝焼の生産は、明治の終わりから大正の初めごろに技術的ピークを迎えたといわれており、現在では再現が難しい緻密な文様や、鮮やかな色彩の製品が数多く生み出されていました。 その後は、富裕層や皇室に向けて作られていた七宝焼は、庶民のアクセサリーとしても親しまれるようになっていき、現代では花瓶や額、仏具、アクセサリーなどさまざまな製品が作られています。 尾張七宝焼とは 伝統的な有線技法や本研磨技術などを活用し、古くから築き上げてきた歴史と伝統の技法をベースとして、愛知県の七宝町を中心に作られているのが尾張七宝焼です。 尾張七宝の始まりは、梶常吉といわれており、現在まで継承・発展してきた日本の七宝焼の本流といわれています。 1995年には、産業として製作されてきた経験やこれまでの歴史が認められ、日本の七宝焼として唯一、経済産業省が定める伝統工芸品に指定されています。 七宝焼がもつ魅力 七宝焼の魅力は、完成したときの美しさが長く続くことです。 ガラス質の釉薬を用いて作られた七宝焼は、一度完成すれば色や模様が色褪せることはほぼありません。 最古の七宝焼ともいわれているツタンカーメンのお面が、現代においても黄金の光を輝かせ続けているのは、七宝焼の技術をも用いているからといわれています。 七宝焼製品は、色褪せることなく親から子へ、また孫の世代へと受け継ぐことのできる製品といえるでしょう。 また、七宝焼には、有線七宝や無線七宝、省胎七宝など、さまざまな技法があり、多彩な表情を魅せてくれるのも特徴の一つです。 有線七宝とは、素地に下絵を描き、下絵に沿って細い金属線を立てて輪郭を作り、その間に釉薬を指して焼成し研磨したものです。 無線七宝とは、有線七宝と同様に植線により模様を描いて釉薬を塗りますが、焼成前に金属線を取り除く手法や、初めから金属線を利用しないで作られた七宝焼を指します。 省胎七宝とは、透明の釉薬を塗って焼成・研磨を施し、仕上がり後に銅の素地を酸で腐食させて除去し、表面の銀線と釉薬だけを残す手法により作られる七宝焼です。 多種多様な魅力をもつ七宝焼は、製作体験を実施している工房も多くあり、自分の手で製作した世界で一つだけの模様を施した七宝焼を手にできることも魅力といえるでしょう。 七宝焼の作り方 七宝焼は、銀や銅などの素地に、ガラスを粉状にした釉薬を用いて色や絵柄をつけていきます。 さまざまな技法があり、色の境目に純銀の線を引いたり、装飾として銀箔を散らしたりする方法もあります。 七宝焼では、素地の段階で一度焼き、絵柄を描いてからもう一度焼き、という工程を繰り返し、多いものでは10回以上焼き上げることも。 七宝焼を作るのに必要な道具 七宝焼を作るのに必要な最低限の道具は、銅板・釉薬・電気炉の3つです。 銅板 銅板とは、七宝焼の基礎となる金属のことで、市販でも購入が可能です。 銅以外にも、さまざまな金属がありますが、低価格で最も購入しやすいのが銅板といえます。 釉薬 釉薬とは、銅板の上から塗るガラス質の膜を指しており、色や透明度を自由に選択でき、自分の作りたいイメージにあわせて選ぶ必要があります。 基礎となる金属の種類によってマッチする釉薬が異なるため、素材を活かして美しい七宝焼を作るには釉薬選びが大切です。 電気炉 電気炉は、銅板と釉薬を焼き上げるための機材で、コンパクトなものから本格的な規模のものまでさまざまあります。 もっとも低価格なものだと6万円前後で入手でき、手作りする際は電子レンジやオーブントースターなどでも製作が可能です。 また、地域によっては公民館や文化センターなどで電気炉を貸し出している場合もあり、七宝焼を手作りしてみたい方は、近隣の施設に問い合わせてみるとよいでしょう。 七宝焼製作の流れ 伝統的な有線七宝焼の製作工程は、大きく4つの工程に分かれており、素地作り・植線・施釉・焼成の工程を重ねて完成します。 素地を作る 七宝焼づくりでは、まず土台となる素地を作っていきます。 作る製品の大きさにあわせて銅板を切り出し、木槌で叩きながらカーブをつけていくことで、施釉する際に割れにくくなります。 その後、裏部分に釉薬を塗る「裏引き」という作業を行うのが特徴です。 表側だけに釉薬を塗ってしまうと、バランスが悪くなり焼成時に割れやすくなってしまうため、素地の両面に釉薬を塗っていきます。 次に、「銀張」と呼ばれる銀箔を貼り付ける作業を行います。 植線 植線は、表現した模様の輪郭にあわせて銀線を立てていく作業です。 有線七宝のメインとなる工程で、最も手間のかかる作業といえるでしょう。 金属線は、ピンセットでつまんで形を変形させていき、定期的に熱しながら柔らかくして変形しやすくしながら作業を行います。 施釉 植線によりかたどった模様に釉薬の色を塗っていき、金属線の背を少し超えるところまで塗るのがポイントです。 手作業で行うため、塗り始めは表面に凹凸ができてしまいますが、最終的に表面の高さが均一になるよう研磨を施し、滑らかにしていきます。 焼成 焼成は、一度だけではなく釉薬を重ね塗りしたり、調整したりするときに繰り返し行い、納得のいく完成度になるまで行います。 七宝焼では、釉薬の色を塗り重ねていくほど色の深みが増していく特徴があります。
2024.12.13
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陶器と磁器の違いや共通点とは
陶器と磁器の特徴 焼きものには、陶器や磁器などの種類があり、それぞれ異なる特徴をもっていますが、一見すると違いがわかりにくく、どちらであるか判断が難しい場合もあるでしょう。 日本には、有名な陶磁器が多くあり、日常生活で使用するものから贈り物として重宝されるものまでさまざまです。 また、日本のみならず海外でも、日本を代表する伝統的な文化として、人気を集めています。 日本の各地域に産地が点在していて、伝統工芸品に認定されているものもあります。 「土物」と呼ぶこともある陶器とは 陶器とは、粘土に珪石や長石が混ざった陶土を材料に、窯によって800~1300℃の熱で焼いた製品で、土物と呼ばれるケースもあります。 珪石は、ガラスの材料になる石で、高温によって溶けて冷えると固まるため、耐久性が高まります。 長石は、焼いて溶けた珪石と粘土を接着させる役割があり、珪石と長石の分量の割合によって陶器の質感が決まるのです。 陶土で成形した器をそのまま窯で焼くと、表面に細かな穴が無数に開き、吸水性が高まります。 釉薬と呼ばれるガラス質の粉末をかけてから焼くと、器に色彩をもたらすとともに、表面がコーティングされ、吸水や水漏れの心配がなくなるのが特徴です。 陶器は、透明感が少なく厚みがあり、固いものでたたくと低く鈍い音がします。 陶器の外側の底である高台は、茶色くざらついた手触りが特徴で、これが陶器本来の質感です。 陶器は、素朴で温かみのある製品が多く、普段使いから抹茶茶碗といった工芸品までさまざまなものが作られています。 日本で作られている有名な陶器には、信楽焼・瀬戸焼・備前焼・丹波立杭焼などがあります。 「石物」とも呼ばれる磁器とは 磁器とは、陶石を砕いて粉末状にした石粉を材料に、窯によって1200~1400℃の熱で焼いた製品で、石物と呼ばれるケースがあります。 磁器は吸水性が大変低く、硬度は高く、熱伝導率は高くて熱しやすく冷めやすい特徴があります。 磁器は、表面が滑らかでつるっとした質感が魅力の一つです。 釉薬のかけ分けは、基本的に行われず高温で焼かれ、磁土中のケイ素と釉薬がガラス化するために、滑らかな質感が生まれます。 全体的に透明感があるため、色鮮やかで繊細な絵付けが映えるのも魅力です。 絵付けをする際は、一度釉薬をかけて焼き、表面を滑らかにしてから描くのが一般的です。 磁器は高台も白く、手触りは滑らかな特徴があります。 なお、日本で作られている有名な磁器には、有田焼・九谷焼・砥部焼・京焼などがあります。 陶器と磁器の違い 陶器と磁器は、どちらも土を窯で焼いて作られた製品で、似ていることからどちらであるか判断できない人もいるでしょう。 しかし、まったく同じ特徴をもっているわけではなく、それぞれに異なる魅力があります。 陶器と磁器では、原料・焼き温度・吸水性・外観・触感・強度のなどに違いがあります。 原料・焼き温度・吸水性の違い 陶器: 陶器には、陶土と呼ばれる土が使用されており、掘り出した陶土を乾燥させた後に、細かく砕いて粉末状にし、水に溶かして自然乾燥させると材料が完成します。 材料が陶土である陶器は、ガラス質が少なく多孔性です。 吸水性が高く、そのまま食器として使用すると汁気や油分が染み込みやすいですが、陶器は基本的に釉薬をかけて焼くため、実際の製品は水を通しにくいものがほとんどです。 窯で焼く際の温度は、一般的に800~1300℃といわれており、10~48時間ほど焼きます。 磁器: 磁器には、陶石と呼ばれる石が使用されており、掘り出した陶石を細かく砕いて粉末状にした後、水を混ぜて粘土状にしていきます。 材料が陶石である磁器は、固いガラス質で気孔が少ないのが特徴です。 原料が石のため、ほとんど水を通しません。 窯で焼く際の温度は、一般的に1200~1400℃といわれており、陶器よりも温度が高い傾向です。 また、磁器は絵付けをした後に再び低温で焼きます。 外観・触感・強度の違い 陶器: 陶器は、原料が土でありガラス質な珪石の割合が少ないため、ザラザラとした手触りが特徴です。 素地の陶器には、茶色やグレー、アイボリー、褐色などの色があり、釉薬をかけると透明なものから色鮮やかな色合いのものまで、幅が広がります。 釉薬は必ずかけるわけではなく、かけない焼締めと呼ばれるタイプの陶器もあります。 陶器は厚みがあり、光にかざしても透けないのが特徴です。 陶器は重く割れやすいため、取り扱いには注意が必要です。 磁器: 磁器は、原料が石でありガラス質なため、ツルツルとした手触りが特徴です。 固いもので軽くたたいてみると、キンッと金属音のような高い音が鳴ります。 素地は白で、釉薬をかけると透明もしくは青色になり、薄く光にかざすと透けてみえるのも特徴の一つです。 軽くて丈夫なため、陶器よりも割れにくい製品といえるでしょう。 陶器と磁器の歴史の違い 陶器: 陶器制作の始まりは、約1万2000年前といわれており、農耕や牧畜によって暮らしを支えてきた時代に、食料の調理や備蓄のための器として、土器が作られるようになりました。 土器といえば、縄文土器や弥生土器が有名でしょう。 その後、古墳時代から奈良・平安時代までは、土師器と呼ばれる器が制作されていました。 土師器の制作時期は諸説ありますが、江戸時代まで作られ続けていたともいわれています。 また、同じ時代には須恵器と呼ばれる陶質土器もありました。 飛鳥・奈良時代に入ると、素焼から釉薬を使用した陶器がよく作られるようになり、緑釉陶器や三彩陶器などが有名です。 鎌倉時代より、全国各地に窯が作られ、有名なものは六古窯と呼ばれており、窯の名称と産地は以下の通りです。 ・信楽窯:滋賀県 信楽町 ・備前窯:岡山県 備前市 ・瀬戸窯:愛知県 瀬戸市 ・常滑窯:愛知県 知多半島 ・越前窯:福井県 織田町 ・丹波窯:兵庫県 多気郡 安土桃山時代からは茶の湯が盛んとなり、日本の陶器は独自に進化していきました。 磁器: 磁器制作の始まりは、11世紀ごろといわれています。 中国に渡っていた僧が日本に戻ってきた際に、中国磁器を持ち込んだのが起源といわれています。 日本で磁器が取り扱われるようになってきたのは、江戸時代になってからで、朝鮮からきた陶工の李参平が佐賀県有田で陶石を発見し、初めて磁器の焼成が行われました。 磁器が広がり始めると、酒井田柿右衛門といった色絵磁器が作られるようになり、幕府や将軍などへの献上品としても重宝されるようになっていきます。 次第に色鮮やかな磁器が増えていき、江戸時代の後半から終わりにかけて、全国各地に磁器の生産が拡大していきました。 明治時代には、欧米文化が積極的に日本へ入ってきて、安価で高品質な陶磁器が大量生産できるようになり、陶磁器産業が発展していったのです。 陶器と磁器のお手入れ方法 陶器や磁器は、普段使いも楽しめる器ですが、長く使い続けるためには日ごろからお手入れを意識することが大切です。 陶器は、磁器と比較すると吸水性があるため、料理の水分や油分が染み込まないよう、目止めをする必要があります。 お米のとぎ汁に器を浸けて、15~20分ほど沸騰させると、器に水分や油分が染み込み汚れや臭いがつくのを防いでくれます。 また、上絵付けが施されている陶器や磁器は、洗う際にこすらないよう注意しましょう。 特に金や銀彩が装飾されている製品は、絵がはがれてしまうおそれがあります。 洗う際は、柔らかいスポンジを使って優しくなでるようにしましょう。 また、吸水率の高い陶器は、洗った後にカビが生えないよう、よく乾燥させてください。 もし、陶器や磁器を誤って割ってしまった場合は、金継ぎによって修復可能なケースもあるため、すぐには処分せず金継ぎができるか確認してもらいましょう。 金継ぎをすると、これまでとは異なる風合いが出るため、あらためて鑑賞を楽しめるメリットがあります。
2024.12.13
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かわいい信楽焼たぬきにはどんな意味がある?
信楽焼とは 信楽焼は、鎌倉時代から始まった陶器で、備前・瀬戸・常滑・丹波・越前と並んで日本六古窯の一つです。 滋賀県甲賀市信楽を中心に制作されており、水瓶や種壺、茶壺、茶器、火鉢、植木鉢、徳利など大きなものから小さなものまで、さまざまな製品が制作されています。 信楽の土は、特に耐火性や可塑性に優れているといわれており、大物づくりに適しているそうです。 温かみのある焼締火色は、窯で炎にあたってできており、炎によって強烈に熱せられた部分には、自然釉による緑がかったビードロ釉、焼け焦げ灰かぶりといった風合いが表れ、信楽の魅力といえます。 信楽焼といえば、緋色や焦げ、長石なども特徴の一つです。 緋色とは、窯で焼くことで、ほのかな赤色に発色した焼き物の色を指しており、焚き方や湿度により少しずつ色が変化します。 緋色は、信楽の白味のある土質にマッチする色合いであり、人肌を感じさせてくれるとして重宝されています。 信楽焼とたぬき 信楽焼と聞くと、たぬきの置物を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。 昔ながらのお店の入口に、たぬきの置物が置かれているのを目にしたことがある人もいるでしょう。 信楽焼のたぬきは、縁起物として親しまれています。 たぬきの信楽焼の歴史 信楽焼のたぬきは、信楽焼そのものの歴史から考えると、比較的新しい時代にできた置物です。 最初のたぬきの置物は、明治時代に狸庵初代当主の藤原銕造が制作したといわれており、信楽焼たぬきの基礎を作ったともいわれています。 銕造が使用している「狸庵」という号にもたぬきの字が隠されています。 信楽焼のたぬきが全国区となったのは、1951年に昭和天皇が信楽町へ行幸した際に、歓迎の意味を込めて、信楽焼のたぬきに日の丸の小籏を持たせて道沿いに設置しました。 昭和天皇は、たぬきが沿道に並び歓迎している姿を大変気に入り、その様子を歌で詠んだというエピソードがマスコミによって報道され、信楽焼のたぬきは一躍有名になりました。 昭和天皇が詠んだとされる歌の石碑が、信楽町長野にある新宮神社に建っています。 縁起物として人気を集める 信楽焼のたぬきの置物は、たぬきの「他」を「抜く」という意味合いから、縁起物として人気を集めています。 他人より抜きんでるという願いが込められており、古くから商売繁盛の縁起物として、店先に置かれているパターンが多くあります。 たぬきには、商売繁盛や開運、出世、招福、金運向上などのご利益があるとされており、また、動物のたぬきは夫婦愛が強く、パートナーと一生添い遂げる生き方をするため、夫婦円満の意味も持っているのです。 たぬきの置物が多い滋賀県 たぬきの置物は全国各地で見かけますが、滋賀県甲賀市信楽を訪れてみると、あらゆる場所にたぬきの置物が飾ってあります。 たとえば、信楽高原鐵信楽駅を降りてすぐの電話ボックスには、大きなたぬきの置物が。 町中には、陶器や窯元が並んでおり、店先にはたぬきの置物が、小さいものからお店の屋根まであるほどの巨大なものまでさまざま並んでいます。 たぬきの置物が滋賀県に多いのは、滋賀県が信楽焼の産地である信楽地域があるためです。 また、たぬきの置物を制作した最初の人物とされている藤原銕造が信楽焼でたぬきの置物を制作していたこと、昭和天皇の逸話などから 信楽地域は、桃山時代から焼きものの産地として有名で、茶道具のたぬきや香合、墨入れなどが制作されるようになり、その中でたぬきが描かれた掛軸もお茶会で使用されていたそうです。 八相縁起を表すたぬきの置物 信楽焼のたぬきの置物が縁起物として人気を集めたのは、「八相縁起」という8つの縁起の意味を持ち合わせていることも理由の一つです。 ・笑顔 いつも笑顔でお互い愛想よくいることで商売繫盛につながる ・大きな笠 普段から準備をして、思いがけない災難を避け、身を守る ・大きな目 大きな目で周囲を見渡し、気を配って正しい判断をする ・大きなお腹 冷静さと大胆さを持ち合わせる ・徳利 商売がうまくいき、飲食には困らず人徳をもてるように努める ・通い帳 信用第一で世渡り上手になる ・金袋 自由に使えるお金をもてるほど金運に恵まれる ・太いしっぽ 何事もしっかり終わりを迎えることが、本当の幸せである 信楽焼のたぬきの置物は、単に愛くるしい表情が人気を集めているわけではなく、縁起物としての意味合いがあるのです。 日ごろから心がけたほうがよい8つの教えを、あの姿かたちで表現してくれています。 たぬきの置物をつくる信楽の土 信楽の土は、独特の質感をしており、ザラザラと粗めの手触りが素朴で温かみがあります。 信楽焼には、主にロット土・1号土・特漉土が使用されています。 ロット土は、乾式で粗めの質感をもっており、緋色が最もつきやすいといわれている土です。 緋色の表現を大切にしている信楽焼では、ロット土を多用しており、植木鉢やエクステリア製品など大きなものから食器などの小さなものまで、幅広い製品に使用されています。 1号土は、ロット土よりも細かい質感をしており、呈色は白を示すのが特徴です。 植木鉢や食器など幅広いジャンルの製品に使用されています。 特漉土は、ろくろでの製品づくりを中心に使用されており、花器や食器など幅広いジャンルに使用され、扱いやすいのが特徴です。 呈色は白を示し、粘土は細かめの質感で、釉薬の色調をきれいに表現してくれます。 信楽焼の土は、粗めの砂粒が骨材として働き変形を防ぐため、強度に優れています。 そのため、大きなサイズの製品を制作するのに適しており、大きなたぬきの置物も盛んに作られるようになったといえるでしょう。 耐久性の高さから、岡本太郎の『太陽の塔』背面の『黒い太陽』にも信楽焼の黒色陶器が使用されています。 たぬき以外に人気がある信楽焼の動物 信楽焼のたぬきの置物は、全国的に知名度が高く有名ですが、ほかにもさまざまな動物の置物が作られており、たとえば、かえるやふくろうがあります。 かえるは、「無事にかえる」「お金がかえってくる」などの意味合いがあり、縁起のよい生き物として知られています。 信楽焼のかえるの置物は「福かえる」と呼ばれており、大きな口で災いを飲み込み、おへそがないためお腹で落雷を守り、そろった前足から礼儀ある行動をとれるなどの意味が込められているのです。 また、ふくろうは「不苦労」の語呂合わせで、苦労しないという意味や、「福来郎」で幸せを運ぶとも考えられています。 ふくろうは、世界的にも幸福や知恵の象徴となっており、夜目がきくためにものごとを見通す力があるともいわれています。 信楽焼では、たぬき以外にもさまざまな縁起のよい生き物が制作されているのでした。
2024.12.13
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丹波立杭焼 買取 | 高額買取の条件や人気の作品とは
丹波立杭焼は価値ある骨董品 伝統ある丹波立杭焼の中には、歴史的価値や美術的価値のある作品が数多くあります。 丹波立杭焼の価値を正しく判断し、買取依頼をするためにも、特徴や歴史、有名な作家を知っておくとよいでしょう。 また、高価買取を狙うのであれば、丹波立杭焼の価値を見極められる骨董品買取業者を選ぶことも大切です。 独特の素朴な色あい「灰被り」、丹波立杭焼 丹波立杭焼とは、兵庫県篠山市今田を中心とした地域で作られている焼き物で、灰被りと呼ばれる独特の色と模様が特徴です。 約1300度まで上がる登り窯を使用して約60時間かけて焼かれ、燃料として使われている松の薪の灰が器に降りかかり、土に含まれる鉄分や釉薬と溶け合うことで化学反応が起き、独特の色や模様が表れます。 炎のあたり方や灰の降りかかり方は、その都度異なるため、模様や色あいもそのときどきで変化する楽しみがあります。 1611年ごろに作られていた製品は、丹波焼と呼ばれており、明治時代以降に丹波焼の中心が立杭地方に移ったことから、立杭焼の名で九州や東北地方に拡大していきました。 つまり、丹波焼と立杭焼は同じ製品を表している言葉です。 骨董品として価値の高い丹波立杭焼 丹波立杭焼は、穴窯時代と登窯時代の2つに大別され、平安時代の終わりから桃山時代の終わりまでの約400年間は、穴窯が使用されていました。 その後、江戸時代の初めごろからは現在と同じ登窯が使われるようになっていきます。 穴窯時代は、壷やかめがメインで製作されており、紐土巻き上げ作りの無釉が特徴でした。 登窯時代になると、蹴ロクロ作りがメインとなり、灰釉・石黒釉・赤土部釉などの釉薬も使用した作品も製作されるようになっていきました。 日本六古窯の一つでもある丹波立杭焼は、作家や時代によって作風や技法、様式が異なる点も特徴で、人気作家が製作したものや古い時代に製作されたものであれば、高価買取も期待できるでしょう。 自宅にある丹波立杭焼を高く売りたい 祖父母から譲り受けた焼き物を持っている、自宅を大掃除していたら古い陶器が出てきたなど、思わぬ形で骨董品を手にすることもあるでしょう。 もし、丹波立杭焼と思われる作品があれば、一度査定に出してみるのもお勧めです。 価値のわからないまま所有していても、宝の持ち腐れとなってしまいます。 自宅に飾ったり、買取を依頼したり、どのように活用するかを決めるためにも、まずは査定士にお願いして適切な価値を知りましょう。 高価買取が期待できる作家物や古丹波立杭焼 丹波立杭焼の中でも、特に作家物や古丹波立杭焼は、高価買取が望める作品です。 有名な作家には、森本陶谷や市野信水、清水一也、正元直作、大西雅文などがいます。 作家ものであるかどうかは、基本的に作品の底部分に押されている落款から判断できますが、素人目では落款があっても誰のサインなのかがわからない可能性があります。 そのため、落款を発見したら査定士に査定を依頼して、どの作家が製作した作品であるかを査定してもらいましょう。 また、古丹波立杭焼は希少性が高いうえに、歴史的付加価値が付くため、高価買取が期待できます。 丹波立杭焼の製作が始まった時代を考えると、最も古いものでは約800年以上前に作られた作品が新たに発見されるかもしれません。 古丹波立杭焼であれば、経年劣化により傷みが生じていても、高い価値をつけてもらえる可能性があるでしょう。 古びていてもその古さが価値になることも 古丹波立杭焼であるかの判断を自身でするのは難しいかもしれませんが、割れや欠けがあって保存状態がよくない作品であっても、古丹波立杭焼の可能性があると頭に入れておきましょう。 通常、作品に損傷があると価値が大きく下がってしまいますが、古丹波立杭焼であれば製作された時代が大変古いため、多少の劣化はつきものと捉えられる可能性があります。 それよりも歴史的価値が上回り高価買取が狙えるでしょう。 不用品買取業者やオークションで失敗する前に 丹波立杭焼の買取査定は、焼き物に詳しい専門家のいる買取業者に依頼しましょう。 遺品整理などでさまざまな不用品が出てきたとき、一つひとつ確認するのを手間に感じ、不用品買取業者にまとめて依頼する人もいます。 しかし、不用品買取業者は骨董品の専門家ではないため、万が一価値ある丹波立杭焼が紛れ込んでいても気付いてもらえず、本来の価格よりも低い値段で回収されてしまう可能性があるでしょう。 オークションでは、自身が適切な価値を把握し、価格をつける必要があります。 しかし、購入者側が価値を知らない可能性もあるため、値段が高いと購入者がなかなか現れないケースも。 丹波立杭焼を適切価格かつスムーズに買取してもらうためには、経験や知識のある専門家への査定依頼がお勧めといえます。 丹波立杭焼の高価買取は実績ある買取業者へ相談を お手持ちの丹波立杭焼の買取を検討している方は、高価買取の実績を持つ買取業者へ相談しましょう。 骨董品関連は、専門知識を持っていなければ適切な価値を判断できません。 そのため、骨董品買取業者かつ焼き物に関する専門的な知識が豊富な査定士のいる場所へ査定依頼を出す必要があります。 査定を依頼するときは、複数の業者を利用し、価格を比較して相場を知ることも大切です。 価値ある丹波立杭焼を正しく見極めてもらうためにも、業者選びが重要です。
2024.12.13
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信楽焼 買取 | 高額買取が期待できる条件や買取業者とは
信楽焼は価値ある骨董品 信楽焼は、温かみのある発色と土の独特な質感が特徴的な作品で、信楽焼によって作られた生き物たちは、幸運を運んでくれる縁起物として知られています。 福を呼ぶ信楽たぬきや福帰る信楽かえる、福をはこぶ信楽ふくろうなど、さまざまな生物が信楽焼によって製作されています。 わびさびを感じられる信楽焼は、日本のみならず海外からも高い人気を誇っている作品です。 たぬきだけじゃない、信楽焼 信楽焼は、鎌倉時代中期ごろから製作が始まったといわれており、聖武天皇が紫香楽宮の造営に着手した際に、布目瓦、汁器の須恵器が製作されたそうです。 信楽焼はたぬきの置物で有名ですが、それ以外にも水がめ、茶壷、種壷、茶器、徳利、火鉢、植木鉢など、大きいものから小さいものまで、さまざまな焼き物が製作されています。 骨董品として価値の高い信楽焼 信楽焼は、滋賀県甲賀市信楽を中心に生産されている焼き物を指します。 古くからの伝統を引き継いで製作されている信楽焼は、1976年に国から伝統工芸品として指定されたことで、より全国に知れ渡るようになりました。 信楽焼は、優れた耐火性と粗い土質が特徴で、陶土に木節粘土をあわせているため可塑性があり、コシにより大物や肉厚の焼き物を作る際にも適しています。 焼き上がりは、肌色やピンク色、赤褐色系の美しい色合いが表れ、表面にビード口釉や焦げをつけて他産地にはない個性を表現しています。 温かく人間味あふれる柔らかな表情は、信楽焼作品の特徴の一つです。 信楽焼は、良質な陶土によって土の質感を楽しめるとして、多くの人気を集めています。 そのため、有名な作品や保存状態のよい作品では、高価買取も期待できるでしょう。 有名な信楽焼作家 信楽焼には有名な職人が多くおり、作品によっては高価買取が期待できます。買取市場の相場を調べるためにも、人気作家の名前や作品の特徴を把握しておくことが大切です。 北大路魯山人 京都生まれの北大路魯山人(1883-1959)は、信楽焼だけではなく数々の芸術分野で活躍した人物です。 20歳で実母のいる東京に移り住んでから、最初は書や篆刻分野で活動をしていましたが、30代後半ごろからは、料理の器作りに没頭するようになり、ついには自分で窯を作り器を製作するまでになりました。 陶芸家としても活動を広めていた魯山人は、信楽の良質な土を大変気に入り、たびたび信楽を訪れていたそうです。 魯山人は、信楽焼独特の明るい緋色を活かした深みのある作品を製作し続け、人々を魅了しました。 人間国宝の認定を2度受けていますが、芸術家に勲章はいらないという信念を持っており、どちらも辞退しています。 多彩な芸術家である魯山人が製作する信楽焼は、高価買取が期待できる作品です。 高橋春斎 高橋春斎(1927-2011)は、20世紀を代表する信楽焼職人の1人で、父である3代目高橋楽斎に師事し、1968年に自らの窯を開いています。 信楽陶芸展や滋賀県文化賞などさまざまな賞を受賞しており、滋賀県の指定文化財保持者の認定も受けています。 荒々しさの中にも温かみを感じられる高橋春斎の作品は、素朴で味わい深い魅力が人気の理由の一つです。 骨董品市場でも独特の味わいに魅了される人が多く、高価買取が期待できるでしょう。 辻清明 辻清明(1927-2008)は、信楽焼の職人でありながら東京都名誉都民にも推挙された人物です。 10代のころから陶芸に興味を持ち、陶工のもとで学びを得ていました。 清明の作品は、自然釉を使用した信楽焼が特徴で、光風会展の出品工芸賞や日本陶磁協会賞など、数々の賞を受賞しています。 有名な作品には、土で羽を表現している『信楽フクロウ』があり、「明る寂びの美」と呼ばれる独特の世界観を表現した数多くの作品は、骨董品市場でも人気を集めています。 大谷司朗 滋賀県生まれの大谷司朗(1936-)は、信楽焼職人として信楽町の重要無形文化財に認定されている人物です。 第2回朝日陶芸展にて初入選後、数々の賞を受賞しており、信楽焼の匠として一目置かれる存在でもありました。 中世以降の陶芸家に好まれた、黄瀬戸と呼ばれる長石や石英粒の混じった粗い信楽の土を用いると、火色や灰被りなどの文様が表れます。 その黄瀬戸を用いた司朗の作品は、明るい緋色やまろやかな器形などと表現されています。 自宅にある信楽焼を高く売りたい 遺品整理により、名前も知らない骨董品を譲り受けることもあるでしょう。 手元に信楽焼と思われる作品がある場合、一度査定に出してみてはいかがでしょうか。 有名職人が手がけた作品であれば、思わぬ高価買取が期待できるかもしれません。 売却するにしても、自宅で使用するにしても、作品の価値を知っておくことで、適切な扱いができるようになります。 高価買取が期待できる作家物や古信楽焼 信楽焼の中でも、有名な職人が製作した作品や古信楽焼は、特に高価買取が期待できます。 古信楽とは、鎌倉時代から室町時代ごろに製作された信楽焼を指しており、古い作品では多少保存状態がよくなくとも、高い価値をつけてもらえる可能性があります。 有名職人の作家物も高価買取が期待できる作品で、今回紹介した作家以外でも高価買取のチャンスはあるでしょう。 所有している信楽焼が作家物であるかを確認するためには、作品本体の裏面に押されているケースの多い、落款をチェックしましょう。 ただし、本物であるかどうかは、専門家に確認してもらわなければ判断が難しい部分もあります。 落款と思わしきものを発見したら、一度査定に出してみるのも一つの手段です。 古びていてもその古さが価値になることも 信楽焼の中でも特に古い時代に作られた古信楽は、琵琶湖層から採れた細かい石粒を使用しており、土の風合いをより感じられる作品です。 独特の風合いを好む人も多く、古さゆえの希少性も相まって、骨董品市場でも大変人気の高い作品です。 そのため、骨董品としての価値が高い古信楽は、高価買取が狙えるといえるでしょう。 不用品買取業者やオークションで失敗する前に 信楽焼をはじめとした焼き物の買取は、専門知識が豊富な査定士への依頼がお勧めです。 不用品買取業者やオークションで買い取ってもらうと、適切な価値が判断できずに適正価格よりも安い値段で引き取られる可能性があります。 価値ある作品を適切な価格で買い取ってもらうためにも、骨董品や焼き物に関する知識や経験が豊富な鑑定士に査定を依頼しましょう。 手放す前に、まずは正しい価値を知ることが大切です。 信楽焼のたぬきにはどんな意味や歴史がある? 信楽焼のたぬきは、縁起物として有名な作品で、商売繁盛や福を招く、金運アップなどの効果があるといわれており、開店祝いや引っ越し祝いの贈り物として人気の高い作品です。 信楽焼のたぬきは、信楽焼作品の中では比較的歴史が浅く、明治時代に狸庵初代である藤原銕造が製作した作品が始まりといわれています。 信楽焼のたぬきが縁起物といわれる理由は、たぬきの名前にあります。 たぬきは「他を抜く」とも捉えられ、商売繁盛の縁起物として店先によく置かれるようになりました。 また、信楽焼のたぬきは八相縁起と呼ばれる8つの縁起を持つ姿で製作されています。 8つの縁起物とは、大きな笠・大きな目・顔・徳利・通い帳・大きなお腹・大きなしっぽ・大きな金袋です。 信楽焼の高価買取は実績ある買取業者へ相談を 手元にある信楽焼の価値を正しく知りたい方は、高価買取の実績がある買取業者に相談しましょう。 実績が豊富な業者は、信楽焼をはじめとした焼き物の知識や経験が豊富であると考えられます。 専門的な知識を持っている査定士に依頼すれば、適切な価値を判定してくれるでしょう。 お手持ちの信楽焼を売却しようか迷っている方は、まずは一度無料査定を受けて価値を知ることをお勧めします。 価値を知ったうえで、自宅で普段使いするのか飾るのか、または買い取ってもらうのかを判断しましょう。
2024.12.13
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常滑焼 買取 | 高額買取が期待できる条件や買取業者は?
常滑焼は価値ある骨董品 常滑焼は、伝統ある陶器で、基本的には職人が一つひとつ丁寧に作り上げています。 生産の地である常滑には、招き猫や土管が並び、レンガで作られた煙突といった景観を楽しめるやきもの散歩道があります。 常滑焼に興味を持って、生産地を訪れたいと感じた方は、ぜひ現地で散策を楽しんでみてはいかがでしょうか。 使い込むことで味わいの増す、常滑焼とは 常滑焼とは、日本の伝統工芸品の一つで、愛知県の知多半島中央部の伊勢湾に面した常滑市を中心に作られている製品です。 酸化鉄を多く含んでいる朱泥と呼ばれる土を使用しており、赤褐色の独特の風合いに焼きあがる特徴があります。 そのため常滑焼は昔、赤物とも呼ばれていました。 釉薬を使用しない素焼きで製作されるのが一般的で、焼成温度が高いため固く締まり、素焼きでありながら強度に優れている点も特徴の一つです。 骨董品として価値の高い常滑焼 常滑焼の歴史は、約900年前の平安時代末期までさかのぼります。 当時、酒や油などを貯蔵するための壷や鉢、かめなどが焼かれており、この時代に焼かれたものは、古常滑と呼ばれています。 室町時代に入ると、常滑で製作された壷やかめなどの大きな器は、船で日本全国に輸出されるようになりました。 江戸時代以降は、以前から製作されていた真焼けと呼ばれる高温で焼き締めた吸水性の少ない焼き物のほかに、赤物と呼ばれる低温で焼いた吸水性のある赤褐色の焼き物も製作されるようになりました。 明治時代には、欧米の技術を取り込み機械化され、常滑焼が大量生産されるようになります。 技術も高まったことで製作できる焼き物の種類も増え、質の高い常滑焼が製作できるようになりました。 また、常滑焼は2017年に日本遺産へ登録されています。 有名な常滑焼作家 愛知県常滑市を中心に製作されている常滑焼には、優れた職人が多く存在します。 常滑焼の買取を検討するとき、有名作家であるか確認できるようにするためにも、代表的な作家の名前や概要を知っておくとよいでしょう。 森下宗則 森下宗則は、1954年、愛知県常滑市生まれの職人で、朱泥の急須や湯のみを多く製作しており、桜や梅などの花や幾何学文様を彫った美しい作品が特徴です。 1981年には、第10回長三賞陶業展最高賞を受賞、2000年には、第29回長三賞陶業展・長三賞受賞、2003年には、第17回日本煎茶工芸展にて日本煎茶工芸協会賞を受賞するなど、数々の優れた作品で結果を残しています。 吉川雪堂 吉川雪堂は、精巧な急須を製作する常滑焼職人で、遠方から雪堂の急須を求めて常滑を訪れる人がいるほど、人気を集めています。 一般的な急須は、遠目から見たときはきれいでも、よく見ると細かな線や凹凸が入ってしまっています。 雪堂の作品は、無地でシンプルな急須で、一見特徴があまりないように感じますが、近くで見てみても凹凸や線が一切ありません。 高い技術によって、滑らかで美しいフォルムの急須を製作しており、この精巧さは唯一無二といわれています。 三代 山田常山 三代 山田常山は、1924年、愛知県常滑市生まれの職人で、1946年から二代 山田常山である父に師事します。 1961年に三代を襲名後、フランスで開かれた第3回ビエンナーレ国際陶芸展で名誉最高大賞を受賞しています。 日本でも、日本陶磁協会賞を受賞し、数々の功績を残しました。 さらに、1994年には朱泥急須で愛知県指定無形文化財保持者に指定され、1998年には常滑焼の急須で、愛知県初となる人間国宝に認定されました。 山田宝生 山田宝生は、1950年、愛知県常滑市生まれの職人で、1971年に宝生陶房を設立し、常滑焼を製作。 1987年には、第一回日本煎茶工芸展にて文部科学大臣奨励賞を受賞し、第三賞陶芸展では入選を果たしています。 宝生が製作した急須は、細かく彫刻された花鳥風月のデザインが有名で、端正でこだわりのある作品が特徴です。 自宅にある常滑焼を高く売りたい 自宅の大掃除で常滑焼が発見されたとき、どのくらいの価値があるのか知りたい方も多いでしょう。 有名作家や年代物の常滑焼を知っておくと、査定価格を確認するための判断材料になります。 高価買取が期待できる作家物や年代物の常滑焼 常滑焼は、ほかの焼き物と同様に、有名な作家が製作した作品ほど価値が高い可能性があります。 製作した作家を知るためには、落款や銘、共箱、作品の底などに名前が記されていないかチェックしましょう。 また、多少保存状態がよくなくとも、年代物であれば高い価値が付く可能性があります。 まずはどのようなものでも査定に出すことをお勧めします。 ひびや欠けは自分で直さない方がいい 常滑焼は、ほかの焼き物や骨董品と同じように、保存状態がよいほど高価買取が期待できます。 しかし、ひびや欠けがあるからといって価値がゼロになるわけではありません。 有名作家の作品や年代物は、それだけで価値が高いため、傷みがあっても高値での買取が期待できるでしょう。 そのため、ひびや欠けは修理せず、一度査定に出して価値を把握しましょう。 鑑定が難しいからこそ信頼できる買取業者へ相談を 常滑焼の価値を正しく判断するためには、骨董品や焼き物に関する専門的な知識が必要です。 素人目で価値を判断するのは難しいため、価格を知りたい場合は、実績や経験が豊富な査定士に査定を依頼しましょう。 急須から置物まで…日常になじむ常滑焼 常滑焼は、日常的に使用される食器だけではなく、急須や置物までさまざまな作品があります。 誰もが一度は目にしたことのある急須 常滑焼は、強度に優れている焼き物で水が漏れにくいため、急須に適しているとして江戸時代後期から製作されるようになりました。 また、常滑焼の急須を用いると、お茶の味がまろやかになるともいわれています。 これは、土に含まれている鉄分が、お茶のタンニンと反応して、渋みを打ち消すためです。 急須によって用いる土の配合が変わり、作品が違えばお茶の味も変化するため、淹れてみて初めて味がわかるという楽しみもあります。 実は招き猫もたくさん 常滑焼は急須で有名ですが、招き猫も数多く製作されており、常滑系と呼ばれています。 招き猫製作の始まりは、江戸時代後期ごろといわれており、常滑の招き猫は、大きな丸い目と二頭身のフォルムが特徴的です。 常滑焼の高価買取は実績ある買取業者へ相談を 常滑焼は、現在でも職人が丹精込めて手作りしている作品が多くあります。 急須や招き猫など多彩なジャンルの作品が製作されており、有名作家が作ったものであれば、高価買取が期待できるでしょう。 常滑焼の価値を適切に査定してもらうためには、骨董品や焼き物に関する知識が豊富な査定士への依頼がお勧めです。
2024.12.13
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瀬戸焼 買取| 専門業者に相談して最高額で買取を
相続によって受け取るものはさまざまで、中には瀬戸焼をはじめとした陶磁器を受け取ることもあるでしょう。 なかなか自宅で利用する機会がない場合、売却しようと考える人もいます。 瀬戸焼を売却したい方は、事前に特徴や有名作家などを把握しておくと、買取相場をチェックしやすいでしょう。 瀬戸焼は価値ある骨董品 瀬戸焼は、陶器と磁器の両方が作られているという特徴があります。 また、時代の変化にあわせて新しい技術や文化を柔軟に取り入れている点も魅力の一つです。 瀬戸焼の買取相場は、作家や作品の種類、保存状態などさまざまな要素によって変動が起こります。 有名作家の作品であったり、保存状態が大変良かったりすると、高価買取が期待できるでしょう。 白く美しい素地をもつ、瀬戸焼 瀬戸焼とは、愛知県瀬戸市を中心に製作されている焼きものを指します。 瀬戸は、良質な陶土が豊富で、中国の青磁や白磁を思わせる白く美しい焼きものが製作できる世界有数の産地です。 陶土として利用される瀬戸の木節粘土や蛙目粘土は、耐火性が高く可塑性に優れており、年度中には鉄分がほとんど含まれていません。 そのため、白い焼きものを製作することが可能なのです。 この性質を活かした多彩な施釉製品が古くから作られ、瀬戸焼の特徴となりました。 特性を生かすために、白い素地に鮮やかな青を発色するコバルト顔料を絵付で施し、上から透明な釉薬をかけて焼く瀬戸染付の技法が発展していきました。 骨董品として価値の高い瀬戸焼 瀬戸焼は、約1000年前から一度も途切れることなく生産が続けられてきた伝統的な焼きものです。 瀬戸焼の起源は、5世紀後半ごろから現在の名古屋市・東山丘陵周辺で須恵器の生産を行っていた猿投窯にあるといわれています。 瀬戸の丘陵地帯には、瀬戸層群と呼ばれる地層があり、焼きもの製作において原料となる良質な木節粘土や蛙目粘土、ガラスの原料となる珪砂の確保ができました。 山間地帯には、松をはじめとした樹林が広がっており、瀬戸の恵まれた自然が窯業の発展を大きく支えたといえるでしょう。 12世紀後半、古瀬戸と呼ばれる新たな施釉陶器の生産が始まり、国内唯一の施釉陶器生産地として四耳壺、瓶子、水注が作られ、日本全国に流通していきました。 15世紀後半ごろからは、丘陵斜面を利用した地下式の窖窯から地上式の大窯に変化していき、17世紀の初めには連房式登窯が利用されるようになりました。 19世紀に入ると磁器の生産もスタートし、アメリカへ輸出したり万国博覧会へ出品したりと、海外とも盛んに交流するようになっていきます。 また西洋の技術も取り入れられるようになり、染付けの顔料となる酸化コバルトや石膏型を用いた成形法などが伝わりました。 現在では、時代の移り変わりとともに変化していく生活様式に合うよう、食器やノベルティ、陶歯、自動車の部品など、さまざまな製品を製作し続けています。 瀬戸焼は、買取市場でも価値の高い作品が多く、高価買取が期待できる陶磁器の一つです。 瀬戸窯を開いた「陶祖」 鎌倉時代に瀬戸窯を開いた「陶祖」と呼ばれている人物が、加藤四郎左衛門景正 (藤四郎)です。 1223年、道元に命じられ中国に渡り、陶磁の技法を伝えたといわれています。 瀬戸で初めて釉薬を使って焼きものを製作し、古瀬戸焼を伝えたことで、せとものが全国の市場に流れていったと考えられています。 しかし、加藤四郎左衛門景正に関する史料は、江戸時代以前からのものがほとんどなく、瀬戸窯の始まりが平安時代までさかのぼることが考古学調査によって判明するにつれ、瀬戸窯を開いた人物という説が疑問視されるようになっていきました。 現在では、加藤四郎左衛門景正が実在した人物であるかも論争されており、伝説の人物となっています。 有名な瀬戸焼作家 瀬戸焼を製作する職人は数多くいますが、有名な職人が製作した瀬戸焼は、高価買取が期待できるでしょう。 瀬戸焼の買取を検討している方は、有名作家を把握し、自宅にある作品が誰のものか確認してみることをお勧めします。 加藤唐九郎 生没年:1897年-1985年 愛知県瀬戸市で生まれた加藤唐九郎は、父が半農半陶で窯業を営んでいたこともあり、幼いころから陶芸と触れ合う機会が多くありました。 父から窯を譲り受けたあとは、製作に取り組む一方で、志野・織部・黄瀬戸などの桃山時代に使われた陶器である桃山古陶の研究と復元にも尽力しています。 加藤唐九郎は、1929年に瀬戸市で築窯したあと、志野茶碗の『氷柱』や『魚文花瓶』で注目を集めるようになりました。 海外でも精力的に活動しており、パリの陶芸展に出品もしています。 また、1952年には織部焼の技術が評価され、国の無形文化財有資格者に認定されました。 力強く風格のある作品は、絵付けや形の両方で高い評価を受けています。 原憲司 生没年:1947年~ 東京の下町で生まれた原憲司は、1969年から幸兵衛窯5代の長男である加藤卓男から13年間にわたって技術を学び、1982年に美濃大平の地で独立しました。 原憲司は、桃山古陶の研究もしており、材料に強いこだわりをもち復元を成功させました。 その功績が称えられ、2018年には、可児市重要無形文化財「黄瀬戸」技術保持者第一号の認定を受けています。 黄瀬戸だけではなく、志野・瀬戸黒・総織部なども手がけており、茶碗や花入、鉢などをメインに製作を続けています。 加藤梅太郎 生没年:?年-1885年 加藤梅太郎は、幕末から明治時代にかけて活躍した陶芸家で、瀬戸焼の陶工である加藤春岱の弟にあたる仁十郎の長男です。 つまり、加藤春岱はおじさんにあたります。 赤津窯卸窯屋における最後の名工とも呼ばれた春岱が、1838年に罪を得て卸窯の職を免じられたとき、長男の光太郎が継いだものの病弱のため、最終的に加藤梅太郎が譲り受けることに。 1866年、春岱が罪を許され御窯屋に復帰するまでの期間、加藤梅太郎は赤津窯卸窯屋を守り切りました。 その後は、赤津の自窯に戻り製作を続けたといわれています。 自宅にある瀬戸焼を高く売りたい 自宅を整理しているときに、見慣れない焼きものが発見されることもあるでしょう。 発見された焼きものが瀬戸焼だったとき、自宅で使用する人もいれば、買取査定に出してなるべく高価買取してもらいたいと考える人もいます。 高価買取が期待できる作家物や古越前焼 瀬戸焼の中でも、有名作家が作った作品や古瀬戸などが特に高価買取を期待できる作品です。 例えば、人間国宝に認定されている加藤土師萌や、日展で入賞している加藤重高、瀬戸市指定無形文化財に認定されている加藤作助などが製作した作品は、価値が高く高価買取が期待できるでしょう。 また、一般的に室町時代以前に作られた瀬戸焼が該当する「古瀬戸」も価値が高く、高額査定が狙えます。 古瀬戸は、釉薬で作品全体が覆われており、高級感あふれる見た目の印象から、人気を集めています。 一見傷に見える瀬戸焼特有のカセも、価値として捉えられる傾向です。 カセとは、釉薬の表面に細かいヒビが入り、水分が染み込んだり、温度差によって膨張や収縮を起こしたりすると発生する釉薬の剥離です。 傷ものとして扱われてしまうイメージですが、カセは古瀬戸の魅力の一つでもあります。 ひびや欠けは自分で修復しないで、まず相談を 瀬戸焼にヒビや欠けがあっても、独断で修理するのは避けましょう。 有名な作家ものや、古瀬戸であれば、完璧な保存状態ではなくとも、高値で買い取ってもらえる可能性があります。 また、器のヒビに見えるものが、実はカセである可能性も考えられます。 むやみに修理してしまうと、かえって価値を下げてしまうことにつながりかねません。 そのため、まずは修理に出す前に、査定依頼をしてどのくらいの価値があるかを確認しましょう。 本物の価値が分かる買取業者へ相談を 瀬戸焼を買取に出す際は、作品の価値が分かる買取業者に依頼しましょう。 骨董品や瀬戸焼に関する知識のない業者に買取査定を依頼すると、本来の価値を正しく査定できない可能性があります。 有名作家の作品で、大変価値があるにもかかわらず一般的な瀬戸焼の価格を提示されることもゼロではありません。 適正価格で買い取ってもらうためには、焼きものや瀬戸焼の買取実績が豊富な業者に依頼しましょう。 瀬戸焼と黄瀬戸、瀬戸黒は違うもの? 黄瀬戸と瀬戸黒は、美濃焼きの種類を指しており、黄瀬戸は室町時代から作られている朽葉色の陶器です。 希少価値が高く重宝されているのは、桃山時代の美濃産と考えられるでしょう。 一方、瀬戸黒は、黒釉陶器を指しており、茶碗としてよく用いられています。 美濃の瀬戸黒は、千利休の好みによって作られたともいわれています。 黄瀬戸や瀬戸黒も、瀬戸焼同様に須恵器によって発展した焼きものです。 現在では、和食器や洋食器などさまざまなジャンルで活用されています。 「せともの」の語源になった瀬戸焼 せとものとは、陶器や磁器などの器を指しており、瀬戸焼が語源になったといわれています。 瀬戸焼は、普段使いできる作品が多く、一般の人々にとって身近な器であったため、器全体を指す言葉として「せともの」が使われるようになったそうです。 また瀬戸焼は、信楽・越前・備前・丹波・常滑と並んで日本六古窯の一つに数えられる陶器です。 江戸時代の後期には、磁器も製作されるようになり、一つの地域で陶器と磁器の両方を作る珍しい産地といえます。 瀬戸焼は、時代の移り変わりにあわせて新しい技術や文化を取り入れ進化し続けていったため、知名度が高く陶磁器全体を表す言葉としてせとものが定着したとも考えられるでしょう。 瀬戸焼の高価買取は実績ある買取業者へ相談を 伝統ある瀬戸焼を買取に出したいと考えている方は、瀬戸焼をはじめとした陶磁器の買取実績が豊富な業者を探しましょう。 瀬戸焼や古瀬戸は、骨董品や芸術品に分類されることもあります。 骨董品に詳しくない業者では、本来の価値を見出せない可能性があるでしょう。 そのため、骨董品を取り扱っており、経験豊富な査定士がいる買取業者への依頼がお勧めです。
2024.12.13
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越前焼 買取 | 骨董品価値の高いものは高額査定も
自宅の整理をしていると、覚えのない焼きものが出てくることもあるでしょう。 それは、もしかしたら有名な作家が製作した備前焼かもしれません。 備前焼をはじめとした陶磁器類を処分するなら、売却も検討しましょう。 作品によっては、高額査定が期待できるため、まずは信頼のおける査定士への査定依頼がお勧めです。 越前焼は価値ある骨董品 越前焼は、現在でも素朴で頑丈かつ風情ある日用品として、人々に親しまれています。 古くに製作された越前焼で、歴史的価値のある作品は、骨董品として高価買取が期待できるでしょう。 現代でも越前焼は、温かみのある土と灰釉の味わいが美しい民芸品としての魅力を持っており、古くからの伝統を守りながら多くの人々に引き継がれています。 温かみがあり素朴な、越前焼とは 越前焼とは、福井県中北部の越前町を中心に製作されている陶器を指しています。 越前焼は主に、壺・甕・すり鉢の3器種をメインに、生活雑器として使用されていました。 使用される土には、鉄分が多く含まれているのも特徴の一つで、耐火性が強い製品です。 鉄分により表面が赤黒・赤褐色の焼き上がりとなり、土が焼き締められます。 これらの特性により、越前焼は水漏れが起こりにくいため、水やお酒、藍染といった染色液の保管などに用いられていたほか、穀物の貯蔵や保存にも適しています。 骨董品として価値の高い越前焼 越前焼の歴史は古く、焼きもの自体の起源は約1300年前までさかのぼるといわれています。 越前町の産地としての始まりは、約850年前の平安時代末期ごろです。 もともとは、須恵器を製作していた地域ですが、平安時代末期に常滑の技術を導入し、焼締陶の製作が行われるようになっていきました。 現在、越前陶芸村のある越前町小曽原で最初の窯が築かれ、その後、熊谷・平等など各丘陵地に広がっていったそうです。 常滑焼から伝播した越前焼 越前焼に似ているといわれている常滑焼は、東海地方で製作されている製品です。 もともと北陸の越前焼は、広大な白山連峰の反対側に位置している常滑焼に強い影響を受けたといわれています。 そのため両者は非常に似ており、鎌倉時代に作られた2つの作品を見比べてみても、外形から区別するのは難しいといわれるほどです。 越前焼と常滑焼を区別するためには、壺や甕の内面の継目を確認する必要があります。 成形は、輪積み成形かつ数段を継ぎはいで作られますが、越前焼は丁寧になでられているのに対して、常滑焼は粘土同士の継目が粗い特徴があります。 室町時代の作品になると、越前焼は地域独特の個性がみられるようになり、口造りで常滑焼との違いが表れてくるようです。 常滑焼は、口の折り返しがきつくN字形であるのに対して、越前焼は、上に折り曲げるだけのシンプルな構造をしています。 また越前焼には、壺や甕、すり鉢の内部にヘラ描きされた文様である刻文があり、種類や量が多い特徴があります。 初期の作品に入っている文様は、宗教上の印形のようなものと推測されていますが、桃山時代以降は、窯印として入れられていたそうです。 自宅にある越前焼を高く売りたい! 自宅の大掃除をしていると、思わぬ掘り出しものが見つかることもあるでしょう。 もし、自宅から越前焼が発見されたら、処分方法を決める前に価値を知りたいと考える人もいます。 価値の高い作品であれば、買取を依頼するケースもあるでしょう。 高価買取が期待できる作家物や古越前焼 越前焼は、ほかの焼きもの同様に、有名作家が製作した作家物や昔に作られた古越前焼などであれば、高価買取が期待できます。 また、越前焼の価値を知るための手がかりとして「印」があります。 越前焼には基本的に装飾が施されませんが、鎌倉末期以降では押印が装飾的に使われているのです。 線のみで構成された格子目や菊花文、「大」「本」などの文字をあわせたものがあり、江戸時代まで利用されました。 また、装飾とは異なりますが、鎌倉時代の終わりごろから室町時代の始めにかけては、壺底に「下駄印」や、記号のような「窯印」、宗教印形としても用いられる「刻文」などがみられます。 越前焼が製作された時代や価値を知るためには、多彩な「印」をチェックしてみるとよいでしょう。 保存状態が良ければ、さらに高額査定の可能性も 越前焼を高価買取してもらうためには、作られた時代や作家が誰であるかとともに、保存状態も大切な要素です。 作品に割れや欠けがあると、マイナス評価を受けやすいでしょう。 ただし、割れや欠けがあるからといって価値がゼロなわけではありません。 有名な作品や古くに作られた作品であれば、多少保存状態が悪くても、高額査定を十分期待できます。 そのため、手元にある備前焼が少し傷ついていても諦めず、まずは一度査定に出してみましょう。 その業者は信用できますか? 越前焼を売却するときは、信頼できる業者選びをしましょう。 越前焼は、骨董品や美術品のような扱いとなるため、骨董品関連の知識が豊富な業者への依頼がお勧めです。 また、買取実績が豊富な業者も、適切な査定をしてくれる可能性が高いといえます。 知識や経験の少ない業者に依頼してしまうと、越前焼の適切な価値を把握していないケースがあります。 相場よりも低い価格での引き取りになる可能性もあるため注意が必要です。 お勧めできない処分方法は、以下の通りです。 ・リサイクルショップ ・不用品回収業者 ・遺品整理業者 ・ネットオークション ・フリマアプリ 越前焼を売るなら、知識や経験が豊富な骨董品買取業者に依頼しましょう。 現代の生活にも根付く、越前焼 備前焼は、味わい深い見た目も魅力的ですが、強度の高さもメリットの一つです。 水漏れが起こりにくいため、古くから水瓶として利用されてきました。 現在では、茶碗や皿など一般的な食器類だけではなく、コーヒーカップやワインカップなども作られています。 和食で利用するイメージが強い備前焼ですが、洋食のシーンでも利用しやすい製品も増えています。 越前焼は、瀬戸焼の登場により江戸時代中期ごろから少しずつ勢いを失っていきました。 明治時代には、勢いを取り戻そうと信楽や瀬戸、美濃、九谷などから陶工を招いて食器や花瓶作りを始めたり、磁器や色絵陶などを取り入れたりもしましたが、どれも定着せず、明治の終わりから大正時代にかけて、多くの窯元が廃業に追い込まれました。 しかし、越前焼は戦後に再び注目を集めるようになります。 日本六古窯の一つとして数えられるようになったことや、越前陶芸村の建設によって全国から多くの陶芸家が集まってきたことなどがきっかけとなり、多くの人から人気を集めるようになりました。 現在では、焼締陶の伝統を守りながらも、新しい作品を生み出そうと試行錯誤が繰り返されています。 現在でも人気の高い越前焼は、製品の種類や品質によっては高価買取が期待できるでしょう。 備前焼の高価買取は実績ある買取業者へ相談を 素朴でシンプルなデザインが特徴の備前焼を売却したいと考えている方は、買取実績が豊富な業者へ相談しましょう。 越前焼は、自然釉がみられることや、鉄分の多い土を用いるため、赤褐色から黒色までさまざまな変化を見せてくれることが魅力の一つです。 所有している備前焼の保存状態を確認し、割れや欠けが少なく品質が良好であれば、高額査定も狙えるかもしれません。 まずは、一度経験豊富な査定士に査定を依頼しましょう。
2024.12.13
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備前焼 買取 | 骨董品価値の高いものは高額査定も
備前焼は、陶芸品の一つで、よく料亭で使用されているのを見かけたことがある人もいるのではないでしょうか。 また、自宅を整理しているときに備前焼が出てきて、どのくらいの価値があるのか気になることも。 備前焼を買取に出す際は、備前焼の特徴や高価買取が狙える作品の特徴を把握するとともに、適切な業者へ依頼することが大切です。 備前焼は価値ある骨董品 備前焼や焼き物の一種で、一つひとつ手作りされているため、一つとして同じ色や模様が存在しません。 備前焼は、高温で約2週間焼き締めるため、投げても割れないといわれるほど丈夫です。 そのため、すり鉢や壺、大きなカメなどとしてよく用いられています。 素朴で奥深い、備前焼とは 備前焼とは、岡山県備前市伊部地区周辺で作られた焼き物を指します。 陶磁器の表面を覆うガラス質の膜となる釉薬を一切使用せず、1200~1300度の高温で焼くのが特徴です。 質の良い陶土を使用して一点ずつ成形し、乾燥させ、絵付けせずに焼くため、土味がよく表現されている魅力があります。 また、作品の詰め方や燃料となる松割木の焚き方により、焼き味が胡麻・棧切り・緋襷・牡丹餅などに変化します。 現在では、細かな気孔があり、通気性に優れているため、切り花が長持ちするとして花びんとして活用されたり、微細な凹凸によりきめ細かな泡ができるため、ビールグラスとしてもよく用いられているのが特徴です。 骨董品として価値の高い備前焼 備前焼は、古墳時代の須恵器の製法が変化して誕生した焼き物で、平安時代に熊山のふもとで生活用器の皿や椀、盤、瓦などが南大窯跡で生産されていたのが始まりといわれています。 鎌倉時代に入ると、壺や甕・すり鉢がよく製作され、このころから現在の備前焼に共通する赤褐色の焼肌の作品が作られるようになりました。 室町時代の終わりごろからは、伊部の地から採れた「ひよせ」と呼ばれる粘土が用いられるようになり、成形にもろくろが使われるように。 さらに、量産ができるよう半地下式の大形の穴窯も作られ始めました。 江戸時代になると、藩の保護や統制のために小規模の釜がまとめられ、南・北・西に大規模な共同窯が作られ、窯元六姓による製造体制が整えられたのです。 しかし、江戸時代末期になると、京都・有田・瀬戸などで磁気の生産が盛んになり、備前焼は圧迫されるようになっていきました。 現在では、備前焼の職人が人間国宝に指定され、低迷期を脱したといわれています。 また、純日本的であるとして国内だけではなく海外からの人気も高まっており、伝統を守りつつ個性豊かな作品が製作されています。 備前焼の価格は幅広く、有名な職人が手がけた作品であれば、買取においても高値が期待できるでしょう。 有名な備前焼作家 備前焼の職人は、人間国宝に指定されている人が何人もいます。 人間国宝や、有名な職人が製作した備前焼は、骨董品としての価値が高い傾向です。 -金重陶陽 生没年:1909年-1995年 金重陶陽は、備前焼の職人として初めて人間国宝になった人物です。 「備前焼中興の祖」とも呼ばれており、文化賞の受賞や紫綬褒章の受章など、さまざまな功績を残しています。 陶陽は、優れた職人であると同時に、多くの弟子を育成して人間国宝を何人も輩出しました。 土の良さを引き立たせたダイナミックな作品には、現在でも多くのファンが存在します。 買取市場では、新品未使用の作品が20万円ほどで買取されるケースもあるようです。 -藤原啓 生没年:1899年-1983年 藤原啓は、もともと小説家を目指しており、陶芸を始めたのは40歳ごろと遅咲きの職人ですが、人間国宝にまでのぼりつめた人物です。 同じく備前焼の職人で人間国宝であった金重陶陽や、多彩な芸術に精通していた北大路魯山人から指導を受け、技術を磨いていきました。 シンプルでありながら味わい深い作品は、お酒をたしなむ人たちから人気を集めています。 作品によっては、15万円ほどで買取されるケースもあります。 藤原雄 生没年:1932年-2001年 藤原雄は、備前焼の職人として人間国宝にのぼりつめた藤原啓の長男で、同じく人間国宝に認定されている人物です。 視力が弱く、右目が0.03、左目はまったく見えないというハンデを背負いながらも、父の強い薦めで普通学校に進学しており、大学まで卒業して就職したあと、父親に師事し備前焼の職人として活躍するようになりました。 日本のみならず世界各国で個展を開いており、藤原雄の作品は海外の博物館にも展示されています。 買取価格は、作品によって変動はありますが、なかには10万円以上での買取事例もあるようです。 山本陶秀 生没年:1906年-1994年 山本陶秀は、人間国宝の備前焼職人で、「ろくろの名人」や「茶陶の陶秀」と呼ばれるほど高い技術を持ち合わせています。 美しい白色が印象的な土肌の作品が人気を集めており、スペイン国王に献上されたこともあり、国際的に認められている人物です。 備前焼の伝統である独特な自然の風合いを守りつつ、現代的にアレンジした大胆な作風が多くの人を魅了しています。 作品への評価は国内外問わず高く、1959年にはブリュッセル万国博覧会でグランプリ金賞を受賞しています。 買取価格は、小ぶりな作品は数万円台から、大きな作品では10万円以上になることもあるようです。 伊勢崎淳 生没年:1936年~ 伊勢崎淳は、備前焼の職人で、2004年に人間国宝に認定されました。 父の伊勢崎陽山も、同じく備前焼職人で、岡山県重要無形文化財保持者に認定されています。 イサムノグチや池田満寿夫をはじめとした現代アーティストとも親交があり、2002年には新総理官邸の陶壁を制作し、話題を集めました。 備前焼の伝統に、独創的な世界観を織り交ぜた作風は、多くの人から高い評価を受けています。 土の良さを感じさせてくれる作品が多く、料亭でも愛用されています。 市場にはあまり出回っておらず希少価値が高いとされており、買取価格は数万円台から10万円以上になる作品もあるようです。 そのほかの人気作家 朴訥で野性味あふれる作風が特徴の中村六郎や、土そのものの特徴を生かしたデザインで製作する赤井夕希子、備前焼ならではの質感や味わいに重きをおいた平川忠なども人気の高い備前焼職人で、現在でも多くのコレクターから支持されています。 歴史ある古備前焼 古備前焼とは、製作年代の古い備前焼を指しており、一般的には平安時代から室町時代に製作されたものを、古備前焼と呼んでいます。 時代の範囲には諸説あり、鎌倉時代から桃山時代までを古備前とするケースや、江戸時代末期までを古備前とするケースもあり、明確な区切りがありません。 備前焼の中でも、昔に作られた古備前焼は、価値が高いといわれています。 自宅にある備前焼を高く売りたい! 自宅で備前焼を発見した人の中には、使用せず買取に出したいと考える人もいるでしょう。 備前焼の黄金期は、桃山時代といわれており、その時代に製作された備前焼は骨董的な価値が高く、高値での買取が期待できます。 また、一般的に古備前焼に分類されている室町時代ごろまでの作品は、特に価値が高いとして珍獣されています。 なかでも、黒備前焼と呼ばれる古備前焼は、現存数が少ないこともあり、買取価格も大変高くなる傾向です。 高価買取が期待できる作家物や古備前焼 備前焼の中でも、有名な作家物や、古備前焼は高値の買取が期待できます。 有名な職人が製作したかどうかは、サインによって見極めるため、自宅から備前焼が出てきたら、まずは製作した作家がわかるサインが残されているかを確認しましょう。 また、有名作家の作品には偽物がつきものであるため、真贋を見極めるためにも有名作家のサインの特徴を捉えておくことも大切です。 高価買取を目指すのであれば、作品だけではなく陶印や共箱、栞、鑑定書などがあるかも確認しましょう。 ひびや欠けがあってもまずは査定を 買取価格は、保存状態の良し悪しにも左右されるため、なるべく割れや欠けが発生しないよう適切に保管しておくことが大切です。 割れや欠けは、マイナス評価となりますが、決して査定額がつかないわけではありません。 有名作家の作品や古備前焼であれば、多少コンディションが悪くとも、高値がつく可能性もあります。 そのため、保存状態が良くない作品であっても、まずは買取査定を依頼してみましょう。 リサイクルショップや不用品買取業者への相談は慎重に 備前焼を買取に出す際は、業者選びが大変重要で、作品に対する知識がない業者を選んでしまうと、本来の価値で査定してもらえない可能性があるでしょう。 備前焼の高価買取を狙うなら、価値のわかる骨董品買取業者への相談がお勧めです。 お勧めできない業者としては、リサイクルショップ、不用品回収業者、遺品整理業者、ネットオークション、フリマアプリなどがあります。 今も昔も人気の備前焼 備前焼は、越前焼・瀬戸焼・常滑焼・信楽焼・丹波立杭焼とあわせて、日本六古窯として日本遺産に認定されています。 また、備前焼は釉薬を使用していないため、土本来の性質が活かされており、表面の微細な穴によって通気性に優れている特徴があります。 この穴によって、水を新鮮に保つことが可能なため、お茶やコーヒーなど水から作られる飲み物と相性が良いとされているのです。 また、微細な穴によってビールの泡のきめが細かくなり、口当たりをまろやかにしてくれる特徴があります。 ウイスキーやワイン、ブランデー、日本酒、果実酒などのほかのお酒も、穴のおかげで薫りが増すといわれています。 現在でも備前焼は人気があり、市場価値も高い作品です。 備前焼の高価買取は実績ある買取業者へ相談を 備前焼は、日本の伝統的な陶芸品で、有名作家が製作したものや、古い時代に作られたものでは、高い価値がつく可能性もあります。 備前焼の高価買取を狙うなら、骨董品や陶芸品の買取実績が豊富で、価値を適切に判断してくれる業者に査定依頼しましょう。
2024.12.13
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