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草間彌生(1929年-)アーティスト[日本]

草間彌生は、世界的な知名度を誇る、近代アートの芸術家です。
独創的な技法とテーマで知られ「前衛の女王」とも呼ばれています。
代表作は、水玉やかぼちゃをモチーフにした作品たちで、現在も多数の作品を出品しています。
今もなお芸術の精をだしている彼女ですが、芸術家への道のりは長く険しいものだったそうです。

世界的な芸術家「草間彌生」の半生

生年:1929年〜
代表作:『かぼちゃ』『赤い靴』など

草間彌生は、長野県松本市出身の近代アーティストです。
幼少期を日本で過ごし、1957年にニューヨークへ渡米、1973年に日本へ帰国するなど、行動力とアクティブさがあることでも有名です。
草間彌生の作品といえば、水玉やかぼちゃをモチーフにした絵画やモニュメント。
見る人に衝撃を与える個性的な作品たちは、世界的な評価を獲得しています。
今も現役の芸術家として活動しており、有名ブランドとコラボしたアイテムも発売されています。

幻視・幻聴に悩まされた幼少期

草間彌生は幼少期よりスケッチを好んで描いていましたが「統合失調症」という精神病に悩まされ、頻繁に幻聴や幻覚の症状が起こっていたそうです。
彌生が絵を書いていたのは、そういった不安や恐怖を紛らわすためだったともいわれています。
幼少期から描き続けた彌生は、16歳になるとその才能が開花し始めます。
京都市立美術工芸学校に入学して日本画を学びましたが、彼女の前衛的な作品は、当時の画壇たちに理解されず、彼女もまたそのことに納得していませんでした。
もともと彼女の憧れは、女性画家の「ジョージア・オキーフ」。
憧れの人がいるところに行きたい気持ちと日本画壇たちへの失望もあいまって、27歳のころには単身でニューヨークへ飛び立ちます。

渡米により前衛芸術塚として開花する

今でこそ世界的な評価を受けている彼女ですが、渡米直後は苦労が多かったようです。
制作活動には旺盛でしたが、生活は困窮を極め、寒さと飢えをしのぎながら制作を行っていたといいます。
1959年には初の個展を開催しており、当時彼女は30歳でした。
『無限の網』という作品名の大型絵画を中心に計5枚を展示し、これがきっかけで芸術家としてのキャリアがスタートします。

その後、反戦運動を模した作品や男根状のオブジェなど、衝撃的なテーマを持った作品たちは、著名な評論家の目にも止まり、一躍有名芸術家として取り上げられていきます。
彼女自身も、このころに「単一のモチーフによる反復と増殖」という独自の芸術性を確立し始めたそうです。
その後、ニューヨークやヨーロッパを中心に数々の展覧会に参加、数々の受賞を果たします。
1960年代には「前衛の女王」の2つ名で呼ばれ、近代アートの代表格にまで上り詰めました。

帰国後は活動の幅を広げる

制作活動の全盛であった彼女ですが、1973年にパートナーのジョゼフ・コーネルが逝去したことに大きなショックを受け、体調を崩し帰国します。
しかし、当時の日本で彼女の作品は理解されず、不遇の時代を過ごしたそうです。
また、帰国は療養も目的の1つでしたが、当時のマスコミからスキャンダル的な扱いを受けていたといいます。
そのような中でも芸術活動が衰えることはなく、コラージュ作品や版画など別ジャンルにまで幅を広げ始めます。

また、このころから小説家として活動を開始し、1978年にデビュー作『マンハッタン自殺未遂常習犯』を発表しました。
80年代には東京を中心に定期的な個展を開き、作品を発表。
理解ある人たちが徐々に増え、また海外の評判が日本にも浸透し始めたことから人気を獲得していきます。
当時、彼女は50代でした。
1989年にはニューヨークで大規模なギャラリーを開催。
この個展をきっかけに、海外人気が再燃し始めます。
1993年には、国際美術展覧会「ヴェネツィア・ビエンナーレ」で初の日本代表として個展を開き、一躍世界的な芸術家に。
その後も数々の国際展に出品し、彼女の芸術家としての地位が決定付けられました。
なお、彼女の象徴ともいわれる野外彫刻作品『南瓜』が登場し始めたのは、1994年のことです。
彼女の野外彫刻が評価されるきっかけともいえる作品で、現在でも世界各地で彼女の野外彫刻が展示されています。

2017年に自身の作品を揃えた美術館を開館

2017年には、東京新宿に「草間彌生美術館」が開館。
こちらでは、彼女の主要な作品たちや制作資料が展示されており、芸術活動に精をだしていたその半生を見られます。
2024年現在、草間彌生当人は御年95歳です。
今も精神病院に通いながら、アトリエで制作に励んでいるといいます。
歴史的な芸術家の中には、晩年まで作品を作り続けた人物も珍しくありません。
草間彌生本人もまた、歴史に名を刻む生涯現役の芸術家といえるでしょう。

草間彌生の作品が見られるアートスポット

「前衛の女王」と呼ばれるほど独特な世界観・衝撃的なテーマ性で人々を魅了する草間彌生ですが、著名な作品は『南瓜』だけではありません。
この作品は彼女が60歳以降のときに制作されたもので、作品類の中でも比較的新しい部類といえます。
そのような彼女の作品が見られるのは、東京新宿の「草間彌生美術館」や国際展だけではありません。
例えば、東京都庁舎に設置してあるグランドピアノは、草間彌生監修で黄色と黒の水玉模様のデザインがあしらわれています。
また、千葉の木更津にある「クルックフィールズ」には、彼女の空間芸術の代表作である『無限の鏡の間- 心の中の幻』が展示されています。
野外彫刻作品においては、青森県十和田市現代美術館・長野県松本市美術館・三重県TAOYA志摩でもその作品を閲覧可能です。

草間彌生の作品たち

草間彌生の作品は、絵画・空間芸術・野外彫刻など、幅広いジャンルのものが存在します。
水玉やかぼちゃを始めとした彼女の作品たちは、見る人に衝撃を与えるほどの独創性が魅力です。
特に、水玉のデザインは有名ブランドアイテムのデザインに用いられることもあり、高い価値を誇っています。

南瓜

1994年以降、全国各地に展示されている『南瓜』は、草間彌生を象徴するともいわれる作品です。
水玉模様である点は共通していますが、デザインやカラーリングは各地のかぼちゃによって違います。
『南瓜』が野外彫刻として初めて登場したのは1994年ですが、実はかぼちゃの作品自体はこれが初めてではありません。
そのルーツは、京都市立美術工芸学校時代に全信州美術展覧会へ出品したものともいわれています。
草間彌生本人もかぼちゃに対して強い愛着があり、そのフォルムに芸術的要素を見出したそうです。
どこかの施設で水玉模様のかぼちゃを発見したら、まず草間彌生の作品とみてよいでしょう。

ナルシスの庭

『ナルシスの庭』は、1966年に開催されたヴェネツィア・ビエンナーレにゲリラ参加したときの空間芸術作品です。
突如として会場に現れて作品を展示し、その後通行人へ作品に使ったミラーボールを販売したとのこと。
展示だけでなく販売も作品の内と解釈されており、これは芸術を商業化する世間の風潮に対する批判がテーマだったといわれています。
当時の草間彌生は、反戦運動を始めとした挑戦的なテーマを扱うことが多く、ナルシスの庭はメディアでも大きな話題を呼びました。
これをきっかけに彼女の名がヨーロッパ中に広まったともいわれています。
ナルシスの庭はゲリラ的に作られたため、現在では見られない作品です。
しかし、2000年代に何度か披露されたこともあるため、今後、国内もしくは海外で見られる機会があるかもしれません。

黄樹

『黄樹』は、1994年に長野県信濃美術館で展示された絵画作品です。
鈍い黄金色の根と思わしき物体が、複雑に絡み合っています。
細部をよく見ると、根の一つひとつにこまかな水玉模様が。
不気味な雰囲気と生命力を感じさせる本作品は、何をモチーフにした作品なのかは、いまだ明かされていません。
『黄樹』という作品名からおそらく根っこであると予想されますが、実際のところは判明していないのです。
本作品は、思慮をめぐらすものではなく、直感的に眺める作品といえるでしょう。

赤い靴

『赤い靴』は、2002年に制作された彫刻作品です。
鹿児島の「霧島アートの森」に、今もなお展示されています。
赤いハイヒールをモチーフにした本作品は、大人ほどの高さがある巨大なアートです。
赤と水玉のカラフルな模様は、ガラス張りの施設内で一際目立ちます。
草間彌生にとってハイヒールは「女性の象徴」として扱われることが多く、アクリル画作品にもいくつか登場します。
単身でニューヨークに行き波瀾万丈の人生を歩んできた彼女にとって、ハイヒールは強い思い入れのあるモチーフといえるでしょう。

今もなお現役で活動し続ける草間彌生

草間彌生は、今もなお現役の芸術家です。
90歳を超えてなお芸術に人生を捧げる彼女は、歴史に名を刻む人物といっても過言ではありません。
彼女の作品は全国の美術館で見られますが、代表作や新作を見るのなら草間彌生美術館に行くのがよいでしょう。
気になる方は、全国にある数々の前衛的な作品を見て回ってはいかがでしょうか。

 

年表:草間彌生

西暦(和暦) 満年齢 できごと
1929(昭和4年) 0 長野県松本市に生まれる。幼少期から水玉模様や幻覚的なイメージに魅了される。
1948(昭和23年) 19 京都市立美術工芸学校(現・京都市立銅駝美術工芸高等学校)絵画科に入学。
1957(昭和32年) 28 渡米し、ニューヨークを拠点に活動開始。前衛的な作品で注目される。
1962(昭和37年) 33 ソフトスカルプチャー作品『無限の網』シリーズを発表。ミニマリズムやポップアートの先駆者として評価される。
1973(昭和48年) 44 日本に帰国し、松本市に移住。執筆活動や文学的作品にも挑戦。
1993(平成5年) 64 ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館代表として出展。
2000年代(平成期) 70 国際的に評価が高まり、多くの回顧展が開催される。代表作『南瓜』シリーズやインスタレーション『魂の灯』を発表。
2016(平成28年) 87 東京・新宿に草間彌生美術館を設立。
2020年代(令和期) 90 世界各地で大規模展覧会が開催され、現役アーティストとして活動を続ける。

 

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