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美人画浮世絵を買取してもらおう | 誰もが知る名作・名絵師なら高額査定も期待大

浮世絵の中でも特に美しい女性の姿を描いたものを美人画と呼びます。
美人画は人気が高く、さまざまな作家が取り組んできたため、誰もが知る名作も多数あります。『見返り美人図』は美人画の代表例です。
高価買取が期待できる作品もあるため、美人画を持っている方は、査定してもらうのがお勧めです。

美人画の概要や主な人気作品についての知見を深め、所有する美人画の価値を確認できるようにしましょう。

 

人気の美人画浮世絵を買取してもらおう

身の回りのさまざまなものを題材とした浮世絵は、いくつかのジャンルに分けられます。
中でも美しい女性をテーマとしているのが美人画です。
美人画は、浮世絵が誕生したころから一貫して人気のジャンルだったため、さまざまな作家により数々の名作が残されています。

美人画浮世絵とは

美人画とは、美しい女性を描いた浮世絵です。
遊女や歴史上の人物、お店の看板娘などの美しいと評判だった女性をモデルとすることが多いものの、本人そっくりに描かれるとは限りません。むしろ、女性個人をありのままに描くよりも、理想の女性像を表現することが美人画の主流でした。
当然、美人と言われる基準は、時代によって少しずつ異なります。
時代や絵師による表現の違いを比べるのも、美人画の楽しみと言えるでしょう。

美人画浮世絵は今でも人気が高い

美人画は、浮世絵の中でも特に人気の高いジャンル。
日本国内だけでなく海外にも愛好家がいる浮世絵は、芸術作品として買取してもらえる可能性があります。
特に有名作家の作品であれば高く売れると期待できます。

遺品整理や相続で得た浮世絵を手放すのであれば、一度査定してもらうとよいでしょう。
作家名が分からないものも相談してみるのがお勧めです。専門知識を持つ査定士が査定した結果、高い価値が付くかもしれません。

 

有名すぎる美人画『見返り美人図』

浮世絵の美人画における代表作と言えば、菱川師宣(ひしかわもろのぶ)の『見返り美人図』。
17世紀に描かれた『見返り美人図』は、かつて切手の図柄として採用されたり、教科書に掲載されたりしたため、浮世絵の中でも特に知名度の高い作品ではないでしょうか。赤い着物を着た一人の若い女性が、ふと振り返った瞬間を捉えたこの作品は、構図の巧みさなどの点で、後世にまで大きなインパクトを与えたと言われています。

浮世絵の祖といわれる菱川師宣

『見返り美人図』を描いた菱川師宣は、浮世絵の祖と言われています。
そもそも浮世絵とは、人物や風景など身近なものを題材とする風俗画のこと。
現代では、浮世絵と言えば版画形式の浮世絵版画を指しますが、始めは他の絵画と同様に浮世絵も筆で紙や布に描かれていました。これを肉筆浮世絵と言います。

肉筆浮世絵は一枚ごとに絵師が手描きするため、制作に時間やお金がかかります。そのため、初期の浮世絵は庶民が気軽に手に取れるものではありませんでした。

しかし、菱川師宣が木版画の技術を使い、一枚の絵を大量に擦る方法を発明したことで、状況は大きく変化しました。
本の挿絵を描く仕事をしていた菱川師宣が、絵だけを観賞用として別に擦り、それが大衆に受け入れられたのが、浮世絵版画が生まれたきっかけです。
大量生産が可能になったことで一枚あたりの価格が下がり、庶民でも浮世絵を入手しやすくなりました。
これがきっかけで浮世絵は、大衆文化の一つとして大きく発展を遂げることになったのです。
同時に、浮世絵版画を生み出した菱川師宣は「浮世絵の祖」と呼ばれるようになりました。

なお、菱川師宣が活躍したころは白黒のみだった浮世絵版画は、その後、技術の発展により何色も重ねた色鮮やかな表現が可能になりました。
18世紀に活躍した葛飾北斎(かつしかほくさい)の『富嶽三十六景』のような多色擦りの浮世絵版画は「錦絵」と呼ばれています。

安く大量生産が可能になった浮世絵版画は、写真の技術がなかった江戸時代には、マスメディアの役割も果たしていたと言われています。
例えば、葛飾北斎の『富嶽三十六景』、歌川広重の『東海道五十三次』といった風景画は、絵葉書や旅行ガイドの代わりでもありました。

また、遊女や看板娘などを描いた美人画は、広告の役割も担っていたと考えられています。

『見返り美人図』の見どころ

江戸時代から昭和に至るまで数多くの美人画が描かれてきた中で『見返り美人図』が特に有名なのには、いくつかの理由があります。

その理由の一つが、構図です。

実は菱川師宣より前まで、美人画と言えば一枚の絵の中に複数の女性が描かれるのが一般的でした。複数人を描くほうが、風俗が伝わりやすいためです。

一方、『見返り美人図』では一人だけを描くことで、女性に視線が集中する効果を狙ったのでしょう。
この作品以降、女性一人だけを登場させる構図は浮世絵の定番となりました。

また、体勢や視線の向きに細かく気を配った構図も『見返り美人図』の見どころです。
現実には、やや無理のある体勢だと言われていますが、女性の美しさを際立たせています。そして、あえて背景に何も描かなかったのも、女性の動きや美を強調するためだと言われています。

『見返り美人図』は当時から人気が高く、「師宣の美女こそ江戸女」と言われるほどでした。
その理由は、女性のファッションにあります。
当時の美人画は実在する女性をありのままに描くというより、理想の美女を具現化することに重きが置かれていました。
そのため、『見返り美人図』に登場する女性は高級な着物に身を包み、髪型や帯の結び方は当時の流行に沿っています。見るだけで最先端の流行が分かる美人画は、江戸時代の人にとってファッション誌の代わりでもあったのでした。
また、現代の私たちにとっては、当時の風俗を伝えてくれる資料としての価値もあります。

なお、『見返り美人図』は、菱川師宣が直接描いた肉筆浮世絵であり、版画ではありません。
菱川師宣は浮世絵版画を生んだ絵師として有名ですが、同時にさまざまな肉筆浮世絵も手掛けています。
『見返り美人図』は同じものが存在しない肉筆浮世絵であるという点も、評価が高い理由として挙げられます。

 

一世風靡した、鳥居清長の美人画

18世紀末の天明年間に美人画で一世風靡したのが鳥居清長(とりいきよなが)。
江戸出身の絵師である鳥居清長の作品では、すらっとした8等身の美女が目を引きます。また、儚げというよりは堂々として健康的な女性たちを多く描いたことも特徴です。

鳥居清長の美人画にはもう一つ、背景が描かれているという特徴があります。
美人画では美女のポーズや着物、表情などに注力し、『見返り美人図』のようにあえて無背景とするものは少なくありませんでした。

一方、鳥居清長の美人画では、背景として江戸の風景が写実的に描かれており、このように美人画の背景に江戸の風景を細かく描写したのは、鳥居清長が初めてだと言われています。

彼の描く長身で健康的な美女は、背景に描かれた江戸の風景から江戸のヴィーナスまたは天明のヴィーナスと呼ばれることも。
代表作は『美南見十二候』、『風俗東之錦』。
鳥居清長の作品は、特に海外でも高い人気を誇っており、外国の美術館にも多くの作品が収蔵されています。

 

誰もが一度は見たことがある『ポッピンを吹く娘』

喜多川歌麿(きたがわうたまろ)は、江戸時代中期にあたる、18世紀半ばに活躍した絵師です。美人画を得意とし、彼がモデルにした女性は、あっという間に江戸中で有名になったと言われています。

『婦女人相十品 ポッピンを吹く娘(ビードロを吹く娘)』は、1790年ごろに発表されました。
『婦人人相十品』という、女性がさまざまな仕草をしているシーンを切り取った10枚の大判錦絵から構成されているシリーズのうちの一枚です。

ポッピンとは、長くて細い首を持ったフラスコのようなガラス製のおもちゃのことです。
江戸時代後期にオランダから伝わり、ビードロとも呼ばれ、首の部分から息を吹き込んで音を鳴らして遊びました。

喜多川歌麿の美人画の特徴は、胸から上を大きく描く構図だと言えます。この『ポッピンを吹く娘』でも、あえて全身を描かずに上半身だけにフォーカスしています。
喜多川歌麿はこうした「美人大首絵」と呼ばれる構図の作品を多く残しています。

また、この作品では女性が着ている衣装や小道具であるポッピンも見どころです。
市松模様は、当時流行していた柄で、振袖を着ていることから若い未婚の女性であることが分かります。また、舶来品であるポッピンを持っていることや、ガラス細工のついたかんざしから裕福な家の娘であることも示されています。

江戸時代後期には美人画浮世絵にも変化が…

江戸時代後期に入ると、美人画にも従来とは異なる傾向が見られるようになりました。
当時、主に遊女をモデルとする美人画で人気があったのが、絵師の渓斎英泉(けいさいえいせん)です。

渓斎英泉は絵師としてのキャリアの前半では、師匠に倣って細い線で優美な女性像を制作していました。しかし、徐々に独特の美人画を発展させていきます。
大首絵を得意とした彼の美人画では、女性たちがみな猫背で下唇を突き出すような姿で描かれるという特徴がありました。
その表情は、どこか思い詰めているような、厭世的な雰囲気を感じさせます。
渓斎英泉が活躍した19世紀前半は、次々と来航する外国船やそれに刺激された尊王攘夷運動などにより、人々は不安定さを感じていたと考えられています。そうした世相にマッチしていたことが、渓斎英泉の美人画が人々の心をつかんだ理由だったのでしょう。

 

また、彼の画風に影響を受けた絵師として、歌川国貞(うたがわくにさだ)が挙げられます。
同時代に活躍した二人は、幕末の退廃的な美を描いた絵師として評価されています。

しかしこの頃に起きた「天保の改革」の一つとして、1842年頃からの数年間にわたって浮世絵の制作が厳しく制限されるという事件が起こりました。美人画を含む浮世絵は、風紀を乱すものとして処罰の対象となるおそれがあったのです。
これをきっかけに渓斎英泉は、文筆業に専念するようになり、浮世絵作家としての活動を終えたのでした。

 

大正の浮世絵師、竹久夢二

竹久夢二(たけひさゆめじ)は、明治時代末から大正時代にかけて活躍した画家です。
日本画の技法を用いた竹久夢二の作品は、厳密に言えば浮世絵ではありません。しかし、多くの美人画を描いたため、「大正の浮世絵師」と称されることもありました。

竹久夢二の美人画は、白いうりざね顔にやや離れた大きな目、曲線を強調したボディラインなどが特徴です。
その女性像は「夢二式美人」と呼ばれ、大正ロマンの象徴ともなりました。

竹久夢二は、絵画だけでなく、書籍の装丁や広告宣伝、日用雑貨などのデザインも多数手掛けていました。そのため、彼の美人画は当時から大衆の間で絶大な人気があり、「夢二式」という言葉が美人の代名詞として使われるほどでした。

 

美人画浮世絵の買取は実績ある買取専門業者へ相談を

美人画は江戸時代から現代に至るまで浮世絵の人気ジャンルの一つ。
菱川師宣の『見返り美人図』を始め、これまでに多くの名作が生まれてきました。

それぞれの時代の理想の女性を描いた美人画には、当時の流行や世相が反映されていることも魅力です。
人気の美人画は、高く買取してもらえる可能性があります。
ただし、浮世絵は作家や作品によって買取価格が異なるため、実績ある買取業者へ相談することが大切です。
鳥居清長や喜多川歌麿などの有名作家のものや、保存状態のよい作品、肉筆浮世絵などが特に買取価格が高くなりやすい浮世絵の例です。

シミやカビなどの汚れがあっても買取してもらえるケースもあります。
処分予定の美人画は、査定を依頼してみてはいかがでしょうか。

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