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立体感のある浮世絵にはどんな技法が使われている?
浮世絵には、木版画と肉筆画の2種類があります。 肉筆画は、浮世絵師が直接筆をとって、紙に絵を描いていきます。 一方、木版画は、浮世絵師が描いた絵を、彫師が木の板に彫り、摺師が紙に摺り上げていく仕組みです。 木版画である浮世絵版画では、絵を描く浮世絵師だけではなく、彫師や摺師などの職人も重要な役割を担っています。 浮世絵に立体感を出す摺りの技法 浮世絵は、西洋から伝わった遠近法を取り入れてはいるものの、平面的な構成が特徴の絵画です。 立体感のある浮世絵に見せるためには、摺師の技法が関係してきます。 浮世絵に欠かせない、摺師の腕 浮世絵は分業制によって制作されている作品です。 摺師とは、浮世絵師が描き、彫師が彫った木版を、紙に摺り上げて作品として完成させる役割を担っています。 一般的に、色版のズレ予防のため最初に基準となる主版を摺り、後から色版を順番に摺り重ねていきます。 色版は、仕上がりが美しくなるよう、摺り面積の小さいものや薄い色から順に摺られていくのです。 摺師は、絵の全体バランスを見ながら、紙や絵の具などを微調整し、浮世絵師が想像していた完成形を具現化する重要なポジションです。 浮世絵を立体的に仕上げる摺りの技法 浮世絵師が描いた絵のイメージを、想像通り仕上げるためには、彫師や摺師の高い技術が欠かせません。 摺師の職人技として、空摺りやきめ出しなどがあります。 それぞれ、絵師の描いた絵の魅力を引き立たせるために必要な技術です。 空摺り 空摺りとは、版木に絵の具をつけないまま摺る技法です。 凸凹模様を紙につけるために用いられます。 風景画の雪や綿などの白くふわっとした質感や、人物画の衣装の文様や輪郭線などに立体感を持たせるために役立ちます。 きめ出し きめ出しとは、深く彫り込んだ色をつけない板に、色摺りの終わった版画をのせ、上から強い圧力をかけて画面に凸凹を表現する技法です。 雲や雪だるまのような色のない部分に立体感を持たせるために用いられます。 摺りの技術は実物を観賞すれば分かる 浮世絵を、斜めから見たり、単眼鏡などを用いて細部まで見たりすると、摺りの技術の細かさが分かります。 摺りの技法は、ほかにもいくつかあり、単に色を摺るよりも高度な技術であるため、摺りにこだわった作品は当時も価格が高くついていました。 浮世絵の奥深さは摺りの技術を知るとより分かる 浮世絵は、浮世絵師だけの力ではなく、彫師や摺師の職人技があって、魅力を放っています。 摺りによっては、色や立体感がまったく異なります。 高い技術を持った摺師による浮世絵は、より浮世絵師のイメージを具現化していたといえるでしょう。 摺師は、浮世絵制作において重要な仕事ですが、作品に名前が書かれることはほとんどありませんでした。 しかし、摺師が浮世絵の魅力を引き立たせていた存在であると知り、さらに摺りの技術を知ると、浮世絵鑑賞がより楽しくなるでしょう。
2024.12.01
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浮世絵が江戸時代に流行したのはなぜ?庶民の一大ブームに迫る
今では、希少価値の高い美術品としてのイメージが強い浮世絵。 江戸時代の初期から後期までの300年もの間、浮世絵は人々にとって身近な存在であり続けました。 浮世絵とひと口にいってもさまざまなジャンルが存在します。 浮世絵に描かれた題材を知ることで、流行の理由が見えてくるでしょう。 江戸時代に浮世絵が流行した理由とは ジャンルが多彩な浮世絵は、現在では芸術品として人々に親しまれていますが、江戸時代には、庶民も楽しめる娯楽でした。浮世絵が、日本だけにとどまらず海外でも人気を集めたのには、どのような理由があったか気になる人もいるでしょう。浮世絵が流行った理由を知ることで、より作品の魅力が深まります。 浮世絵に描かれた身近な題材 浮世絵が江戸時代の民衆から人気を集めた理由の一つに、身近な題材が描かれていたことが挙げられます。 浮世絵では、江戸時代の自然豊かな風景を描いた風景画、美しい花や鳥を描いた花鳥画、歌舞伎役者の姿を描いた役者絵、戦場で奮起する武士を描いた武者絵、力士の勇猛な姿を描いた相撲絵などが描かれていました。 例えば、日本特有の四季折々の景色を描いた風景画。 春には華やかで美しい桜が、夏には海や川のせせらぎとともに生き生きとした新緑が、秋には眩しいくらいの紅葉や収穫の様子が、冬には真っ白な雪が人々の暮らす町に降り積もる様子などが描かれており、日本の四季の美しさと人々の暮らしがよりリアルに伝わるでしょう。 当時を生きる人々の身近にあったものが題材となっていたことで、多くの人が親しみを感じられたといえます。 平和なときが長く続いた江戸時代は、町民文化が栄え、人々は娯楽を求めていました。 そこに登場した浮世絵は、時代にあった楽しみの一つであったといえるでしょう。 木版画技術の向上 浮世絵が民衆の間で流行した理由として、木版画技術の向上が挙げられます。 江戸時代、木版画技術が発展したことで、浮世絵は大量生産が可能になりました。そのため、浮世絵が安価で出回るようになり、庶民が入手しやすい状況が生まれました。 また、木版画が開発された当初は、墨一色を使った白黒で摺られています。 時代とともに技術が向上していき、墨絵に筆を使って着色していく丹絵や紅を使用した紅絵が描かれるようになり、その後、絵具に膠や漆を混ぜた漆絵も登場し、多様な手法が誕生していきました。 さらに技術が発展していき、多色摺りの錦絵が開発され、浮世絵の流行はピークに達しました。 錦絵は、浮世絵師の鈴木春信が研究を重ね完成させた技法といわれています。多色摺りが可能になったことで、浮世絵の表現方法が一気に広がったといえるでしょう。 多彩な表現が可能になった浮世絵は、より人々の興味を引きつけ、大衆から人気を集めていました。 庶民に広がった絵画鑑賞 芸者や歌舞伎役者などを描いた役者絵は、浮世絵の中でもより庶民の身近にありました。 歌舞伎は、当時のエンターテイメントの中心であり、歌舞伎役者は、現代でいうアイドルのような存在です。 浮世絵では、歌舞伎役者の華やかな衣装や表情が生き生きと描かれており、江戸時代の大衆を魅了していました。 浮世絵には、ブロマイドやファッション誌のような役割もありました。 木版画技術の発展により安価で手に入るようになったことから、人気歌舞伎役者の絵を自宅で鑑賞したり、描かれた人物のファッションを真似したりと、さまざまな楽しみ方が生まれたといえます。 浮世絵は、流行の最先端を知るための資料であったともいえるでしょう。 なお、現代では10,000円ほどで購入できる浮世絵が、江戸時代では20文前後で販売されていました。 当時、蕎麦1杯が16文程度であったため、現代の価格に直すと数百円から1,000円ほどで浮世絵が購入できたと考えられます。 現在まで高い人気である「ジャポニズム」 ジャポニズムとは、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、西洋の芸術や文化に日本の要素が取り入れられ、西洋社会に影響を与えたことを指します。 この期間、日本の浮世絵や陶磁器、木工品などの美術品がヨーロッパや北アメリカで注目され、西洋の芸術家やデザイナーたちに大きな影響を与えました。 ジャポニズムの特徴は、日本の美術や工芸品に見られる独特のデザインや技法が西洋の芸術作品に取り入れられたことです。 特に、浮世絵の影響は顕著で、その明るく繊細な色彩や平面的な表現、独特な構図が、印象派やポスト印象派などの西洋の芸術に影響を与えました。 ゴッホたちも惚れ込んだ浮世絵 ゴッホは、パリで浮世絵を鑑賞し、その鮮やかな色彩や構図に魅了されたといわれています。 当時の西洋では、肖像画や宗教画、戦争画などの題材が多く描かれていました。 日本の浮世絵は風俗画と呼ばれるジャンルで、人々の暮らしをメインにした絵画です。 西洋にはなかった題材を描いていた点も、西洋の画家たちに大きな衝撃を与えたと考えられるでしょう。 西洋画家の中でもゴッホは特に、熱狂的な浮世絵愛好家であったといわれています。 ゴッホの大胆な構図や鮮やかな色使いは、浮世絵からインスピレーションを受けているといわれるほどです。 弟のテオに向けた手紙の中には、葛飾北斎の名が度々登場したり、浮世絵の話題がよく綴られていたりしました。 ゴッホの作品である『タンギー爺さん』の背景にも、浮世絵が登場しています。 弟と2人暮らしをしていた際には、浮世絵の収集を熱心に行っており、浮世絵への大きな愛が伝わってきます。 国内外の展覧会も人気 浮世絵は、国内のみにとどまらず、海外でも高い評価を受けており、コレクターも多くいるなど、その人気は、国内外で常時展覧会が開催されるほどです。 浮世絵人気が高まる中、ひときわ注目を集めているのが「春画」です。 葛飾北斎が描いた『蛸と海女』は、グロテスクな内容といわれることもある作品ですが、19世紀後半にフランスの美術批評家であるエドモン・ド・ゴンクールが評価して以来、ヨーロッパの美術界では、有名な作品となっています。 日本における春画は、19世紀ごろからタブー視されていました。 しかし近年、海外で春画を題材にした研究書が多数出版されたことをきっかけに、春画コレクションを対象としたリサーチが行われています。 このことから、春画に対する興味が人々の間に広がりつつあるともいえるでしょう。 時代を超え世界へ広がる、浮世絵の人気 日本の代表的な文化である浮世絵は、時代を超えて世界中で愛される芸術品です。 海外からの評価が高いとはいえ、日本でも古くから親しまれている作品であるため、国内で鑑賞する機会も多くあります。 浮世絵の時代背景を知ると、より楽しく鑑賞できるでしょう。
2024.11.15
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浮世絵に描かれたかわいい猫・怖い猫・面白い猫たち
浮世絵のモチーフとしてもよく用いられている猫。 現在では多くの人々に愛されている動物です。 人と暮らし、人々の生活に溶け込んでいる猫は、いったいいつごろから日本でなじみ深い動物になったのでしょうか。 その歴史は、奈良時代にまでさかのぼります。 猫と人間の深い関係 現代では、自宅で猫を飼う人もいれば、一方で人懐っこい野良猫もいます。 人々が暮らす街中に溶け込んでいる猫たちは、古くから人々と生活をともにしてきていたようです。 歴史をさかのぼって人々と猫の関係性を見ていくとともに、猫がモチーフになっている芸術作品にも触れていきましょう。 猫は昔から人間のそばにいた 一般的に、奈良時代に中国から仏教が伝えられた際に、経典をネズミから守るため、船に一緒に乗せられたのが、日本に猫が伝わった始まりとされていました。 しかし、近年、長崎県壱岐市のカラカミ遺跡で、イエネコとみられる動物の骨が発掘されたのです。貯蔵していた穀物をネズミや昆虫から守るために飼われていたと考えられています。 この発見により、今からおよそ2100年前の弥生時代には、日本に猫がいたのではないかとする説が濃厚になりました。 どちらにせよ古代日本では、愛玩目的ではなく書物や食料を守るために猫が飼われていたようです。 その後、平安時代には、現在の猫と同じように愛玩動物として飼われるようになりましたが、まだ数が少なく貴重な存在であったため、高貴な身分の人のみが猫を飼っていました。安土桃山時代から江戸時代にかけては、ネズミによる食料被害を減らすべく、猫を放し飼いにする作戦が実行されました。 猫による対策効果は高く、ネズミによる被害は減ったそうです。 しかし、猫が貴重な存在であることには変わりなかったため、本物の猫の代わりに猫の絵が重宝されていたとする史料もあります。 その後、縁起の良い動物として招き猫が誕生したように、猫は守り神としても親しまれていきました。庶民でも手の届きやすい存在になったころ、ネズミ駆除として多くの人々によって猫を飼うことが習慣化していきました。 江戸時代には、猫がモチーフになった浮世絵作品が多数制作されています。縁起物として親しまれてきた猫は、芸術のモチーフにもなり、長く人々から愛されてきたことがわかるでしょう。 猫を愛した浮世絵師、歌川国芳 歌川国芳は、浮世絵界きっての愛猫家として知られています。 明治期の浮世絵研究者・飯島虚心が書いた『浮世絵師歌川列伝』でも、歌川国芳の猫への溺愛ぶりが記録されています。 『浮世絵師歌川列伝』によると、歌川国芳は常に5・6匹の猫を飼っており、1・2匹の猫を懐に入れて暮らすほど、猫好きだったようです。 また、猫が亡くなったときは、供養を行うだけではなく、自宅には猫の仏壇が置かれていました。 猫への愛情が伝わる弟子とのエピソードがあります。 ある日、亡くなった猫の供養を弟子である歌川芳宗にお金を渡して頼みました。しかし、歌川芳宗は猫の亡骸を橋から捨てて、もらったお金を吉原の遊郭で使い果たしてしまいました。 供養に行ったふりをして帰ってきた歌川芳宗に対して、歌川国芳が猫の戒名を訪ねたことで、嘘がばれてしまいます。その後、芳宗は破門されたといいます。 無類の猫好きである歌川国芳は、猫をモチーフにした浮世絵も多数制作していました。 『其のまま地口猫飼好五十三疋』は、歌川広重の『東海道五十三次』をオマージュした作品です。 53の宿場町にちなんだダジャレとともに猫の姿が描かれており、思わず笑ってしまうユーモアあふれる作品です。 猫の描写や表現が豊かな作品たちは、いまもなお多くの人々に愛されています。 浮世絵に描かれた猫たち 江戸時代に流行した浮世絵には、猫を題材にした作品も多く存在します。 愛らしい猫が描かれた親しみのある作品から、浮世絵の世界を深めていくのもお勧めです。 豊原周延 作家名:豊原周延(とよはらちかのぶ) 生没年:1838年-1912年 豊原周延は別名・楊洲周延(ようしゅうちかのぶ)ともいい、戊辰戦争で幕府側について戦った異色の浮世絵師として知られています。 幼少のころは狩野派で絵画技法を学び、その後は、渓斎英泉の門人から浮世絵を教わりました。のちに、歌川国芳や歌川国貞にも師事し、師の他界後は、歌川国貞の門人であった豊原国周から学びを受けます。 絵の学びを続ける中、幕末の戊辰戦争が勃発。 豊原国周は、江戸の高田藩士で結成された神木隊として上野戦争に参戦しました。 その後、箱館戦争を戦うなど激動のときを過ごしたのでした。そのため、本格的に浮世絵師として活動できたのは、40歳を過ぎてからでした。 優美な美人画や躍動感ある役者絵、戦争絵、時事画題、歴史画などさまざまなジャンルを描き、明治という時代を彩っていきます。 色鮮やかな着物を着た女性と子ども、そしておもちゃに戯れる猫の姿が描かれています。猫は、紐でくくられているようにも見え、おそらく飼い猫であることが分かります。 一筆斎文調 作家名:一筆斎文調(いっぴつさいぶんちょう) 生没年:不詳 一筆斎文調は、1760年ごろから浮世絵を描いていた浮世絵師といわれています。 もとは狩野派の石川幸元の門人とされており、のちに浮世絵へ転向した絵師です。 勝川春章と『絵本舞台扇』を共作し、これまでの形式化した役者絵に新しい風を吹かせたとして高い評価を受けています。 浮世絵作品の数は少なく、とりわけ肉筆画は、ほとんど残されていません。 一筆斎文調の描いたこの絵には、足元に小さな子猫がいます。江戸の暮らしには、猫が人々とともにいたことが分かる作品といえるでしょう。 鈴木春信 作家名:鈴木春信(すずきはるのぶ) 生没年:1725?年-1770年 鈴木春信は、錦絵の誕生や発展に大きく貢献した浮世絵師として知られています。錦絵が誕生するまでは、紅摺絵の技法を用いて浮世絵を制作していました。 鈴木春信は、浮世絵を制作しながら、近所に住む発明家の平賀源内と交流を持ち、ともに錦絵の技術研究を行っていたといわれています。版元からの資金援助も受け、錦絵の手法の発展に力を注いでいきました。 多色摺りの技術向上を続けていた鈴木春信の版木を譲り受けた版元は、暦や依頼者の名前を削り取り印刷して販売します。 この浮世絵が錦織のように鮮やかで美しかったことから、錦絵と呼ばれるようになりました。 鈴木晴信もまた、江戸の人々と暮らす猫を描いています。この作品では、子どもが猫を抱える様子が。猫の首には首飾りらしきものがつけられており、飼い猫であろうことが想像できます。 歌川國貞 作家名:歌川國貞(うたがわくにさだ) 生没年:1786年-1865年 歌川国芳は、江戸時代末期に活躍を見せた絵師で「奇想の絵師」とも呼ばれています。 小さいころから絵の才能があり、7・8歳ごろには、江戸中期の浮世絵師である北尾重政や北尾政美の絵を集めた本を好んで読んでいたそうです。 このころから絵の勉強は始まっており、著名な絵師の作品を模写する中で、浮世絵の技術を身に付けていきました。 歌川国芳が大衆からの人気を集めたのは、決して早くなく30歳のころでした。 明代中国の小説・水滸伝をモチーフにした連作浮世絵『通俗水滸伝豪傑百八人之一人』が大ヒット。 その後も、ユーモアあふれる作品を数多く生み出していきました。
2024.08.13
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