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モネの描いた”見返り美人図”…浮世絵の影響が垣間見える名作とは

クロード・モネとは、19世紀後半に活躍した印象派を代表するフランスの画家です。
代表作の『印象・日の出』は、印象派と呼ばれる名前の由来ともなっています。
生涯を通して多くの美しい絵画を残したモネは、多くの画家に影響を与えました。

実は、風景画を多く手がけてきたモネは、浮世絵に大きな影響を受けた画家の一人。30代のころに浮世絵収集をしており、231点もの浮世絵コレクション を集めるほど日本美術に高い関心を持っていました。
浮世絵に魅せられていたモネは、『ラ・ジャポネーズ』という作品を残しています。
『ラ・ジャポネーズ』をとおして、モネが浮世絵をはじめとした日本美術にどのような関心を持っていたのか紐解いていきましょう。

 

モネの描いた『ラ・ジャポネーズ』とジャポニズム

熱心な浮世絵コレクターとしても知られているモネは、ジャポニズムの影響を受けて『ラ・ジャポネーズ』という油彩画を制作しています。
『ラ・ジャポネーズ』は、1876年4月に開催された第2回印象派展に出品され、注目を浴びました。
会場で購入はされませんでしたが、衣装の繊細な表現に対して多くの賛辞が寄せられていたそうです。
なお、『ラ・ジャポネーズ』は、同月に行われた競売で2010フランという高値で落札されています。

モネが『ラ・ジャポネーズ』を制作した当時のフランスでは、ジャポニズムが大流行していました。
ジャポニズムは、19世紀後半にヨーロッパで流行していた日本趣味を指しています。
ヨーロッパで活動する多くの画家が、日本の美術作品に衝撃を受けインスピレーションを得ており、モネもその一人でした。

 

『ラ・ジャポネーズ』クロード・モネ [引用元:wikipedia]
『ラ・ジャポネーズ』クロード・モネ [引用元:wikipedia]

『ラ・ジャポネーズ』は、ジャポニズムのブームが始まった当初に制作された作品です。この作品では、日本的なモチーフを取り入れるのみにとどめられていますが、のちのモネ作品では、モチーフだけではなく技法も取り入れて制作が行われています。

『見返り美人図』 を彷彿とさせる、モネの『ラ・ジャポネーズ』 とは

モネが描いた『ラ・ジャポネーズ』は、日本の着物を着た金髪の女性が描かれた油彩画です。
作品の構図や色彩をよく見てみると、日本の浮世絵師である菱川師宣が描いた『見返り美人図』を彷彿とさせます。
『見返り美人図』を描いた菱川師宣は、「浮世絵の祖」とも呼ばれている人物です。
本の挿絵としての役割を担っていた浮世絵版画を一つの作品と捉え、メインで制作することで、浮世絵と呼ばれるジャンルを確立させました。
その菱川師宣が描いた肉筆画が、『見返り美人図』です。

『ラ・ジャポネーズ』は、『見返り美人図』からインスパイアを受けて描かれたと考えられており、フランスと日本のモチーフが混じり合って描かれている点が印象的です。鮮やかな赤の着物には、猛々しい武士の姿が描かれています。
また、背景の壁に貼りつけられている多くの団扇の中には、日本の風景画や浮世絵などが描かれています。
『ラ・ジャポネーズ』はまさしく、フランスで大流行したジャポニズムの影響により生まれた、西洋と東洋の文化が混じり合ったユニークな作品といえるでしょう。

鮮やかな色彩が多くの人の目を引き、印象派の繊細な筆使いで光と影を巧みに表現している点も魅力の一つです。

印象派・モネは有名な浮世絵コレクターだった

フランスの印象派を代表する画家クロード・モネは、日本の文化に魅了された海外芸術家の一人でもあります。
特に浮世絵を好んでおり、生涯にわたって浮世絵を収集していました。
ノルマンディー地方のジヴェルニーに、モネが晩年を過ごした家があります。

季節の移り変わりとともに、さまざまな花を咲かせる庭園を持ち、家の中には青と白の陶器で作られたタイルが目を引く台所や、黄色で統一されたダイニングルームなどがある家です。
また、庭にある竹やぶを抜けると池にかかる一つの橋が目に飛び込んできます。
自宅の様子から、モネが日本の文化をこよなく愛していたことが伝わってくるでしょう。

さらに多くの人を驚かせていたのは、自宅内に所狭しと飾られている浮世絵の数々です。
その数は、およそ231点。
モネは、特定の浮世絵だけではなく、さまざまな浮世絵師の作品を集めていました。

 

『ラ・ジャポネーズ』で描かれた妻・カミーユ

『ラ・ジャポネーズ』は、ジャポニズムの影響を受けたモネによって描かれた作品ですが、絵の中の人物が誰であるか、知らない人も多いでしょう。
実は、『ラ・ジャポネーズ』に描かれている赤い着物を着た女性は、モネの妻カミーユです。
カミーユは本来褐色の髪であるため、この作品では金髪のカツラをかぶせて描いたといわれています。

また、『ラ・ジャポネーズ』には、『緑衣の女』と呼ばれる対になる作品があります。
モデルは『ラ・ジャポネーズ』と同様にカミーユが務めました。なお、『緑衣の女』が描かれた当時、まだモネとカミーユは結婚前でした。

モネは、妻であるカミーユをモデルにした作品を数多く制作しています。
カミーユは、結婚前からモデルを務めており、その中で恋に落ちていったといわれています。

カミーユは、モネとの間に長男のジョンと次男のミシェルの2人の息子を授かりますが、32歳という若さで亡くなりました。モネは、カミーユの死に際を描いた『死の床のカミーユ』という作品を残しています。

 

有名画家モネの描いた”見返り美人”を観賞しよう

モネが描いた絵画は、ジャポニズムの影響を受けている作品も多くあります。
絵画を鑑賞する上で、作品から日本の文化を探してみるのも面白いでしょう。
モネの歴史や日本文化との関係性を知ると、よりいっそう親しみが湧き、これまでとは違った視点で作品を楽しめるのではないでしょうか。

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