江戸時代に広がった浮世絵は、当時の風俗、特に役者や遊女などを題材に描かれた絵画で、庶民にまで広がった娯楽の1つです。
なかでも春画は、日本独自の風俗を反映している史料としても人気が高まっているため、近年注目を集めている浮世絵ジャンルの1つなのです。
目次
春画浮世絵は高価買取が期待できる!
浮世絵の中でも春画は、文化的な価値の高さからコレクターの間で人気が高く、その結果買取価格が上昇しています。
春画は、江戸時代の著名な画家がこぞって制作したため、骨董品店で販売されている商品が価値の高いものであることも少なくありません。
また、家族が所有していたコレクションなど、相続や遺品整理のタイミングで見つかることもあるため、査定を依頼した際には、高額な査定額がつく場合もあります。
春画とは
春画とは、浮世絵のジャンルの一つです。江戸時代の風俗模様や風景を描くことが多かった浮世絵の中でも、春画は庶民の営みを赤裸々に綴った作品として、有名無名に限らず多くの作家によって精力的な制作活動が繰り広げられました。
木版浮世絵の祖として知られる菱川師宣は、生涯手がけた作品の実に3分の1が春画だったといわれるほど、心血を注いで作品を制作していたことが知られています。
現代においては、歴史の風俗資料としてだけでなく、東洋のポップアートとして注目を浴びています。
国内外でも展示会が開催されるなど、アートとしての魅力にスポットがあたったことで、人気の高い一大コンテンツとして再注目されるようになりました。
春画浮世絵は高く売れる?
春画のアートとしての人気は年々高まっており、商品価値は高騰しています。
国内外とも展示会が開催されるほど注目を浴びているため、コレクターたちによる収集が盛んに行われていることは、想像に難くありません。
また、春画は庶民の生活に根ざした芸術作品だったため、意外と実家に眠っていることがよくあります。
祖父母から資産相続を受ける場合や、遺品を整理する場面で見つかることも多々あるため、もし春画がご自宅にあれば、買取査定を依頼してみてはいかがでしょうか。
春画をはじめとした浮世絵を専門に取り扱っている専門業者も多数いるため、実績があり信頼できる会社へ相談してみましょう。
人気浮世絵師がこぞって描いた、春画
春画は江戸時代の生活を描いた浮世絵として有名ですが、始まりは平安時代まで遡ります。内容は男女の営みであるため、しばしば公権力によって風紀良俗を乱すものとして弾圧されてきた過去をもちます。
しかし、江戸時代に至ると春画は、人々の娯楽や嫁入り道具になるほど人々の生活の奥深くに浸透してきました。
そのため、歴史で学ぶような有名な浮世絵師をはじめとする数多くの作家が、作品を残しています。
一流浮世絵師の証、春画
今人気の高まっている春画ですが、一流の浮世絵師も精力的に作品を残しています。
「性」に対しておおらかな時代背景だった中世の日本において、貴族から庶民まで春画は、大変人気を博していました。
ところが、第5代将軍徳川吉宗によって発布された「好色本禁止令」によって表立った制作は禁止されてしまい、一時存続の危機に陥っています。
しかし、裕福な好事家たちは、春画の入手を諦められなかったため、人気絵師たちに秘密裏に春画を作成させたのです。
その結果、人気絵師になると春画の制作を依頼されるようになるため、画家の間では「春画の制作=一流絵師の仲間入り」とまで称されるほど。
このような流れから、葛飾北斎や喜多川歌麿のような誰もが知る有名画家も多数の春画を残してきています。
『蛸と海女』葛飾北斎
葛飾北斎は『冨獄三十六景』をはじめとした名作を生み出した、江戸時代を代表する一流の浮世絵師です。
生まれは貧しい百姓の家に生まれた彼は、4歳のときに幕府御用達達磨師の中島家の養子として迎え入れられましたが、実子に家督を譲ることになったため、中島家を出ます。
人生の岐路に立った葛飾北斎は、さまざまな仕事を経験しながら、木版彫刻家に弟子入りしたことで画家の道に興味をもちました。
浮世絵師の勝川春章に師事しながら画道を極めていた葛飾北斎ですが、浮世絵の上達のために、師が教える派閥を超えた画法も積極的に学んでいたことで破門されます。
その後、会派に属することなく自由に描く身分になったとき、オランダから来た風景画に出会ったことで、現代に残る独自のスタイルに行きついたようです。
その後も、北斎は後世に語り継がれるような作品を多く描いていきましたが、生活には困窮していたとのこと。
生活するための収入を得るために、春画をはじめとしたあらゆる絵図を描いたとされ、葛飾北斎の代表的な春画である『蛸と海女』は、彼が浮世絵師として生きるために描いた作品の1つだったとされます。
この2匹の蛸による海女の女性の快楽が描かれた『蛸と海女』は通称で原題はなく、『喜能会之故真通』(きのえのこまつ・全三巻)中の一場面にあります。画面いっぱいに書かれた詞書には、蛸や女から発せられる台詞や音が書かれており、これは北斎自身も当時の春画から影響を受けたとも考えられていますが、この作品ものちに国内外のアーティストたちに多くのインスピレーションを与え、映画や絵画などのモチーフとなっています。
『風流真似ゑもん』鈴木春信
鈴木春信は、浮世絵を語る上で外せない錦絵の祖です。
超一流の浮世絵師であることに変わりありませんが、鈴木春の生涯は謎に包まれている点も多く、現在までの研究によって、鈴木春信は1725年に京都で生まれたとされています。
浮世絵師としてのキャリアは京都で始まったとされており、西川祐信に師事し、その後江戸に拠点を移しました。
江戸に移ってからは、近所に住む平賀源内と親交を深めながら錦絵の技術開発に精を出したようです。
錦絵が開発されるまでは、紅摺絵の技法を用いて浮世絵を制作していましたが、江戸時代におけるパトロンの助力により、ついに錦絵の技法を完成させます。
錦絵は浮世絵の木摺り技法の中でも、複数の色を使うことで色鮮やかな作品に仕上がる点が特徴で、錦織のように美しいことから名づけられました。
鈴木春信の作品では、絵暦で錦絵の技法が多用されています。
絵暦とは、その年の歴を添えた絵のこと。そのうちの『夕立図』では、夕立の中で風に吹かれながらも、急いで干した浴衣を取り込んでいる女性が描かれています。
鈴木春信は、錦絵で有名な浮世絵師ですが、実は春画本も23冊出しています。
鈴木春信は描いた春画の代表作が『風流真似ゑもん』です。
小さくなった真似ゑもんと呼ばれる人物が、江戸に暮らすさまざまな人の情事を覗き見るという設定で描かれています。
『歌満くら』喜多川歌麿
喜多川歌麿もまた、浮世絵版画を語る上では外せない一流画家です。
浮世絵版画は、菱川師宣らにより興され、前述の鈴木春信らによって錦絵に昇華し、喜多川歌麿によって完成されました。
喜多川歌麿は、狩野派の鳥山石燕に師事し、絵画の道を極めました。当初は、木燕や燕岱斎、北川豊章と称して活動していましたが、天明の後半に至り喜多川歌麿の名を冠し、主に美人画を生み出していきます。
美人画を描き始めたはしりには、鈴木春信らの伝統を重んじた全身像を取り入れていますが、浮世絵師としてのキャリアを積むにつれ、上半身の美人画にシフトしていきました。
そして、寛政時代に至り大首絵と呼ばれる半身美人画を完成させます。
この大首絵は、のちの東洲斎写楽や歌川豊国の画風に取り入られるほど、ほかの作品に大きな影響を与えています。
このように、ほかの画家に多大なる影響を与えた喜多川歌麿でしたが、彼が生み出した作品のほとんどが春画だったようで、その中でもとりわけ有名なのが『歌満くら』ではないでしょうか。
喜多川歌麿が描いた春画に『歌満くら』があります。35歳ごろに描いた全12図からなる春画作品です。
大胆な構図と男性側の冷え切った目が印象的な作品で、喜多川歌麿が描いた作品の中でも最高傑作であるといわれています。
春画は「ポルノ」ではない?なぜ多くの人に支持されたか
春画は描かれている題材が性にまつわるものであるため、しばしば「ポルノ」と捉えられることが少なくありません。
明治時代においては「わいせつだ」として禁止されています。
しかし、春画が多くの人に楽しまれていた江戸時代においては「笑い絵」として、人々の生活の一部として根付いてきました。
日常生活の中で春画はどのように取り入れられていたのでしょうか。
嫁入り道具
春画は嫁入り道具として重宝されていたようです。
主に男女の営みを題材にした作品が多かったため、江戸時代中期には、婚礼仕様書としての役割をもった作品が多数制作されています。
婚礼に関する心得や、新婚生活における新郎新婦の振る舞い方がイラストとともにわかりやすく表現されていたため、これから結婚を控えている男女や、新婦として嫁ぐ際の事前勉強をかねて楽しまれていたようです。
火除け
また、イメージが湧かないかもしれませんが、春画は火除けとしての役割も担っていました。
この理由として、明和期に京都で発生した火災が原因とする説があります。このとき、京都市中で発生した火災は、広範囲を焼き尽くしましたが、一棟のみ倉庫が焼け残っています。鎮火後に倉庫内を見てみると月岡雪鼎作の春画が小箱に入っており、火災の被害から免れたことがわかりました。
その結果、月岡雪鼎作の春画は、火の手から守ってくれる火伏せの効果があるとして大変な人気を誇ったといわれています。
験担ぎ
春画が験担ぎとされる謂れは、なんと平安時代まで遡ります。
平安時代の貴族の嗜みとして催された絵合わせにて、春画がほかの絵に勝ったことが説の発端です。
その絵は、当時のとあるモテ男の寝室をモチーフに描かれていたようですが、参加者の注目を浴び華々しい戦績をあげました。その結果、「勝絵」という縁起の良いものとしての別名が春画につきました。
このように、単なる娯楽の一つとして春画は消費されず、人々の生活や文化に根ざしてきたことで、今に至るまで多くの人に愛されるコンテンツとして普及しています。
近年人気が再燃する、春画浮世絵
単なる「ポルノ」ではなく、日本を代表する文化やアートとして現代に受け継がれてきた春画であるからこそ、近年人気が再燃しています。
再燃のきっかけとなったのは、2013年にイギリス・大英博物館で開催された春画展でした。
開催期間は、2013年10月から2014年1月まで催され、イギリスをはじめ世界中の国々から来場者を動員するなど大きな賑わいを残しています。
入場に年齢制限を設けるなど異例な措置がとられた春画展でしたが、「人類史上、最もきわどくて素敵」(英紙・インディペンデント)と評価されるなど、各国のメディアからも高い評価を得たことは、記憶に新しいでしょう。
また、2015年には国内で初めて大規模な春画展が開催されました。
国内外の美術館や個人コレクターの所持品から「春画の名作」を集めた壮大な展示会です。
木版画が多かった浮世絵ですが、肉筆画も多数展示されており、鈴木春信や葛飾北斎、喜多川歌麿をはじめとした浮世絵絵師の大家たちの作品が一堂に会した会場は、荘厳な雰囲気に包まれていました。
人気の春画浮世絵の買取は、プロの査定士へ相談を!
春画は当時の風俗を知る歴史的な史料としても、人々の生活の一部だった娯楽としても非常に価値の高い作品です。
一方で、当時の人々が気軽に楽しめたコンテンツだったからこそ、実家の蔵や箪笥の中に眠っているほど作品点数が多く、十分に流通していたことが伺えます。
そして、その中に非常に価値の高い作品や希少性の高い作品が眠っているかもしれません。
春画を手放したい方はもちろんのこと、所持品の価値を知りたい方も、まずはプロの査定士へ相談してみてはいかがでしょうか。
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