江戸時代から人々の人気を集めていた浮世絵と歌舞伎は、現在でも多くの人々から愛されています。
しかし、多種多様な娯楽がある現代では、浮世絵や歌舞伎に触れる機会が減り、詳しく知らない人も多いでしょう。
浮世絵や歌舞伎、またその関係性や歴史を知ることで、より両者の魅力を感じられます。
目次
浮世絵と歌舞伎の関係とは
浮世絵のジャンルの一つに、役者絵があります。
役者絵とは、歌舞伎役者を描いた作品。
浮世絵と歌舞伎には深い関係があり、当時の人の浮世絵師が歌舞伎の人気役者を描くことで、相乗効果により浮世絵と歌舞伎が繁盛しました。
江戸時代、浮世絵は安く販売されていたため、人気歌舞伎役者が描かれた役者絵は、多くの歌舞伎ファンを魅了していたといえるでしょう。
浮世絵・歌舞伎はいつ始まった?
浮世絵と歌舞伎はともに、江戸時代に始まった娯楽です。
歌舞伎は、江戸時代に絶大な人気があった男性俳優による古典演劇です。当時、歌舞伎小屋は、遊郭とあわせて江戸の二大悪所といわれていました。歌舞伎小屋や遊郭は、貴族や武士、町人などの身分に関係なく、誰もが自由に楽しめる空間として扱われていたのです。
一方、浮世絵も江戸時代の町人から大変人気を集めていた絵画です。
木版画による大量生産で安価に入手できたため、大衆へ広まったといわれています。浮世絵の中でも、初めて役者絵を描いたとされているのは、鳥居派初代当主の鳥居清信です。
役者絵は、舞台に上がる役者1人を描いた1枚絵からはじまり、のちに2~3人の歌舞伎役者を描くために、サイズが大きい大判が使用されるようになっていきました。
また、2枚以上の絵がセットになっている続絵と呼ばれる作品も多く残されています。
江戸時代の庶民文化、浮世絵と歌舞伎
江戸時代に庶民の娯楽として注目を集めていた歌舞伎に出演する役者もまた、高い人気を誇っていました。
人気のあまり役者たちのファッションを真似する人も現れ、庶民への影響力が大変大きかったといえるでしょう。
役者のファッションや持ち物などに注目が行くきっかけを作ったのは、浮世絵ともいえます。
歌舞伎を見に行く人もそうでない人も、役者絵として描かれた歌舞伎役者のファッションを真似ていたと考えられます。
役者絵は主に、歌舞伎役者の全身を描いた全身絵と、役者の上半身を描いた大首絵、役者の顔を強調して描いた大顔絵の3種類です。
人気の役者絵は飛ぶように売れた
歌舞伎とともに人気となった役者絵には、人気役者の舞台姿を描いたものだけではなく、楽屋の様子や日常の姿を描いたものもあります。
それゆえ、現代にあるブロマイドのような存在でした。
役者絵が最も流行したのは、1789年~1801年といわれています。
人気浮世絵師が人気役者を描くと、相乗効果で役者絵は飛ぶように売れました。
浮世絵の中の役者と歌舞伎
浮世絵の中で表現される役者と歌舞伎は、多くの歌舞伎ファンを魅了したことでしょう。
その中でも、歴代の市川團十郎を描いた作品や、水滸伝ブームを引き起こした『通俗水滸伝豪傑百八人之一個』、謎の絵師が描いた『三代目大谷鬼次の江戸兵衛』は、当時絶大な人気を誇っていました。
市川團十郎
市川團十郎といえば、歌舞伎の宗家である成田屋の名跡です。
初代市川團十郎は、荒事という人並外れた力で敵を倒す家芸を確立しました。
隈取という顔を紅、藍、墨で彩ったメイクを始めたのも、初代市川團十郎です。
のちに、2代目が隈取を完成させています。
3代目は、将来を期待されていましたが、22歳と若くして亡くなりました。
実力派と呼ばれた4代目、華やかで人気のあった5代目、花形俳優と賞賛された6代目、歌舞伎十八番を確立した7代目と、それぞれ異なる活躍をみせています。
歌舞伎界一の人気と美貌を持ち合わせていた8代目は、謎の自殺を遂げています。
歴代の市川團十郎を描いていた浮世絵師は、当時の人気トップばかりでした。
初代と2代目を描いたのは、鳥居清倍。4代目を描いたのは、勝川春章です。
5代目は勝川春章、勝川春好、東洲斎写楽によって描かれています。
6代目を描いているのは、歌川豊国、歌川国政、7代目を描いているのは、歌川豊国、歌川国貞です。
9代目は月岡芳年、豊原国周によって描かれています。
歴代の市川團十郎も市川團十郎を描いた浮世絵師も人気が高かったため、当時役者絵は大人気でした。
通俗水滸伝豪傑百八人之一個
『通俗水滸伝豪傑百八人之一個』は、浮世絵木版画で歌川国芳が描いた連作です。
最初の刊行は、1827年といわれています。
初出版では、智多星吴用、九紋龍史進、行者武松、黒旋風李逵、花和尚魯智深の5人が描かれています。
1830年まで出版されていたとされる一方で、1836年ごろまで出版されていたともいわれており、出版時期は定かではありません。
通俗水滸伝豪傑百八人之一個は、歌川国芳の出世作で、版元の加賀屋吉兵衛に注目されて水滸伝ブームを生み出しました。
悪がはびこる世の中で、108人の世間からはじき出された英雄たちが集結し、国を救うために活躍するストーリーです。
しかし、現代においては、108人の全図は確認されていません。
三代目大谷鬼次の江戸兵衛
『三代目大谷鬼次の江戸兵衛』は、東洲斎写楽が描いた有名作品です。
東洲斎写楽とは、1794年5月に彗星のごとく現れわずか10か月の活動期間で姿を消した謎の絵師といわれています。
スマートに描かれた全身絵が一般的だった役者絵を、顔を大きく役者の顔の特徴を強調しデフォルメした大首絵で表現したのです。
贔屓にしている役者の顔が大きく描かれているため、歌舞伎役者ファンに人気の作品となりました。
流行猫の狂言づくし
歌舞伎と浮世絵の人気はとどまることなく、その自由さや刺激的な面があるゆえに、たびたび規制がかけられることがありました。
1841年~1843年に行われた天保の改革では、庶民の娯楽・贅沢が厳しく取り締まられ、歌舞伎だけでなく役者絵も規制の対象となり、価格や色数までに制限がかかるほどでした。
しかし、人気絵師たちは泣き寝入りすることなく、ユーモアと反骨心で政府を煙に巻きます。
人気の役者を猫やうさぎなどの動物に例えて、パロディ画として表現したのです。
代表的なパロディ画は、歌川国芳が描いた『流行猫の狂言づくし』です。
幕府から役者絵であると指摘された際に「これは猫です」といい、幕府の規制をかいくぐっていました。
タイトルや構成に過去の有名な物語である『忠臣蔵』や『勧進帳』などを借りることで、「昔話です」と、幕府の目から逃れ、規制がかけられていた時代も庶民を楽しませていました。
江戸時代に生まれ、今も日本文化として残る浮世絵と歌舞伎
江戸時代に生まれ、400年ほどの歴史ある歌舞伎や浮世絵は、現在も日本の文化として残っています。
浮世絵と歌舞伎は、海外でも人気が高い娯楽です。
歌舞伎と浮世絵の歴史や関係性を理解すると、より浮世絵や歌舞伎の鑑賞が楽しくなるでしょう。