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浮世絵の祖と呼ばれる、菱川師宣の功績

歴史的文化遺産を残した偉人たちのなかでも菱川師宣は、「浮世絵の祖」とも呼ばれる著名な浮世絵師です。
江戸時代を生きる人々を描いた彼の作品たちは、浮世絵を大衆的な文化から芸術にまで昇華させた実績を誇ります。
当時は画期的ともいえる鮮やかな色彩と独特な構図は、後世に続く葛飾北斎や歌川広重らの作品にも受け継がれた技術です。
菱川師宣は、まさしく「浮世絵の祖」と呼ばれるにふさわしい人物といえるでしょう。

 

浮世絵の祖といわれた菱川師宣

作家名:菱川師宣
生没年:1630?年~1694年
代表作:『見返り美人図』『歌舞伎図屏風』など

菱川師宣は、浮世絵の歴史に大きな影響を与えた江戸時代初期の浮世絵師です。
後世に続く数々の版画技術を生み出した張本人であり、当時本の挿絵でしかなかった浮世絵を1つの芸術に昇華させた貢献者といえます。
代表作は、肉筆画の『見返り美人図』です。
そのほか、掛け軸や屏風絵など幅広いジャンルも手掛けており、なかでも『歌舞伎図屏風』は、国の重要文化財に指定されています。

菱川師宣の功績は、浮世絵の技法を確立しただけでなく、浮世絵を大衆文化にまで広めたことにもあります。
当時、絵画は高級品で、富裕層しか入手できない代物でした。
しかし、菱川師宣が浮世絵を1枚絵として木版画で大量生産することで、安価で入手できるようになり「一般の人々でも買える絵」として浮世絵が広まりました。
浮世絵が大衆文化として確立したのは、菱川師宣のおかげといえるでしょう。
菱川師宣は、1人の職人であると同時に、優秀なビジネスマンだったことがうかがえます。

菱川師宣とは

安房国平北郡保田村、現在の千葉県に位置する地域で誕生した菱川師宣は、第4子の長男でした。
彼の幼少期については情報がほとんどありません。
生年も明確にはわかっていませんが、1630年ごろ(寛永年間の中ごろ)と推定されています。しかし、生い立ちに関する記載が、1680年の絵手本『大和武者絵』の冒頭にて記されています。

以下は、大和武者絵から抜粋した記述です。

「ここに房州の海辺菱川氏という絵師、船のたよりをもとめて、むさしの御城下にちっきょして、自然と絵をすきて青柿のへたより心をよせ、和国絵の風俗三家の手跡を筆の海にうつして、これに基づいてみずから工夫して、あとこの道一流をじゅくして、うき世絵師の名をとれり」

『大和武者絵』より引用

「自然と絵をすきて青柿のへたより心をよせ」とあるように、幼少期から絵を描くのが好きな少年だったことが想像できます。また、代々家が縫箔師(金箔を布地に施す職人)であったことから、菱川師宣は当初、縫箔師として江戸に修行にでたといわれています。

しかし、絵を描くのが好きだった菱川師宣は、名門絵師である「狩野派・土佐派・長谷川派」の手法を独学で学び、オリジナルの画風を生み出しました。
菱川師宣の使う版画技法は、絵の真似ごとがルーツだったのです。特定の一派に所属せず、絵画手法を習得している背景から、抜群の描画センスを持っていたといえるでしょう。

その後、縫箔師から絵の道に転向したのがいつのことなのか、はっきりとした情報はありません。
しかし、1671年刊行の『私可多咄』に無記名で挿絵を描いていたことから、それより前に転向していたのは確かでしょう。
1年後の1672年には、墨摺絵本『武家百人一首』にて、正式に菱川師宣の名でデビュー。

当時、幕府のお抱え絵師である「御用絵師」以外で刊本に署名をしたのは、菱川師宣が初めてだったといわれています。江戸時代初期の刊本は、文章がメインで挿絵はあくまでおまけ程度でしたが、菱川師宣は挿絵主体の画期的な絵本を刊行し、その順位を逆転させました。
彼が挿絵主体で作った絵本『大和絵のこんげん』は、瞬く間に大ヒット。
江戸の中で着実に知名度を上げていきました。

菱川師宣の代表作・見返り美人図

菱川師宣の代表作とされる『見返り美人図』が描かれたのは、晩年の1688年ごろから1697年のことです。
江戸の町娘をモデルにしたといわれており、女性をあえて正面から描かない手法は、画期的なものでした。
また、著名な人物ではなく「どこにでもいる町娘」をモデルに取り上げたのも、江戸の人々を描く菱川師宣らしさが現れています。
なお、『見返り美人図』は、1948年発行の5年切手の図案に採用されています。

菱川師宣の作品は『歌舞伎図屏風』を始め、国の重要文化財とされていますが『見返り美人図』は指定されていません。
理由は定かではありませんが、ほかの作品たちが文化財に指定されている背景から、今後改めて重要文化財に指定される可能性はあります。
現在は、東京国立博物館にて保管されているため、気になる方は鑑賞しにいくのもおすすめです。
なお、歌舞伎図屏風も同じ場所で展示されています。

『見返り美人図』菱川師宣
『見返り美人図』菱川師宣

菱川師宣の作品

菱川師宣の作品といえば『見返り美人図』と『歌舞伎図屏風』が代表的ですが、そのほかにも文化遺産として大切に保管されている作品が数多くあります。
当人の作品のほとんどは、日本や世界中の博物館や美術館にて保管されており、鑑賞が可能です。
現物が残っていない、または行方がわからない作品もありますが、もしかしたらどこかの家の骨董品として残っているかもしれません。

菱川師宣が制作した作品のなかで、現存するものには『吉原の体』『北楼及び演劇図巻』『四季風俗図巻』『江戸風俗図屏風』などがあります。

このうち『吉原の体』『北楼及び演劇図巻』は、遊郭である吉原や歌舞伎の舞台裏を題材とした作品です。後世に残る浮世絵は、女性や遊郭をテーマにした作品が多数存在しますが、当時のなかでは非常に珍しいものだったそうです。

一方、『四季風俗図巻』『江戸風俗図屏風』では、江戸に住む人々の暮らしが描かれています。
見返り美人図も不特定の町娘がモデルだったように、その時代に生きていた人たちの「今」を記録した絵が、菱川師宣らしさといえます。
今でこそ国の重要文化財に指定されるほどですが、菱川師宣の作品は、常に大衆に向けて作られたものだといえるでしょう。

江戸の人々を生き生きと描いた、菱川師宣

菱川師宣は、浮世絵を世に広めた1人の職人であり、大量生産できる画期的な印刷手法や本を作り上げたビジネスマンでもあります。
浮世絵で有名な偉人のなかでも、菱川師宣は芸術家とビジネスの両立を達成した人物といえるでしょう。

後世に続く浮世絵文化でも、菱川師宣は重要な役割を果たしました。
菱川師宣の作品は、アメリカ・ワシントンDCにあるフリーア美術館や東京国立博物館など、さまざまな場所で鑑賞できます。
菱川師宣の作品をその目で見たい方は、一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

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