江戸時代に庶民の間で大きな人気を誇っていた浮世絵。
描かれ始めた当初は、墨一色の作品がほとんどでしたが、時代が流れるにつれて色が使われるようになり、鮮やかな錦絵が誕生していきました。
その時代ごとの浮世絵の特徴を知り、時代の変化とともに発展していく浮世絵を楽しみましょう。
目次
初期の浮世絵は、墨一色だった
浮世絵が庶民からの人気を集めていた江戸時代、描かれ始めた当初は墨一色のシンプルなものでした。
その後、有名な絵師を輩出しながらカラーの浮世絵も描かれはじめ、進展していきました。
浮世絵版画の始まり
浮世絵版画の制作は、墨一色で摺られる墨摺絵から始まりました。
墨だけを用いて木版印刷をすることは、江戸時代以前にも行われており、技法的には墨一色で描かれた版本挿絵や絵本と変わりません。
そのため、広義の意味では版本挿絵や絵本も墨摺絵に含まれますが、一般的には、初期の浮世絵版画作品を指しています。
墨摺絵から始まった浮世絵版画は、その後、筆で彩色する丹絵や漆絵、紅絵と発展していきます。
さらには、草や黄、紅色を木板で摺って重ねていく紅摺絵も制作されるようになっていきました。多彩な色を用いる木版多色摺の錦絵ものちに誕生します。
浮世絵の祖、菱川師宣
墨摺絵から始まった浮世絵版画が発展するきっかけを作ったのは、浮世絵の祖と呼ばれる菱川師宣(ひしかわもろのぶ)です。
菱川師宣が初めて一枚絵の版画を発売したのは、1670年ごろでした。
当時は、まだ挿絵として使われていた版画を1枚の絵画として販売したのです。版画は、大量生産が可能なため価格を安く抑えられ、庶民の間にも広まっていきました。
また、浮世絵版画が発売された当初は、多彩な色で摺られた錦絵は存在していませんでした。当時は墨一色で描かれた墨摺絵が中心で、菱川師宣が制作した版画では、吉原遊郭の情景を12枚の組物版画として構成した『吉原の躰』が有名です。
紅絵や漆絵、錦絵などの今日私たちがよく知る色鮮やかな浮世絵は、菱川師宣の死後に確立されました。
浮世絵版画の始まり…墨摺絵を描いた浮世絵師たち
江戸時代、浮世絵版画を描く多くの人気絵師が誕生しています。
浮世絵がまだ墨摺絵だった初期のころから活躍した絵師には、菱川師宣や西川祐信、勝川春章などがいます。
菱川師宣
作家名:菱川師宣(ひしかわもろのぶ)
代表作:『見返り美人図』『北楼及び演劇図巻』
生没年:1618?年-1694年
菱川師宣は、浮世絵の祖と呼ばれる浮世絵師で、浮世絵というジャンルを確立させた人物です。
のちに登場する葛飾北斎(かつしかほくさい)や喜多川歌麿(きたがわうたまろ)などの有名絵師が活躍する時代になったのも、最初に菱川師宣が浮世絵版画を世に広めたからといっても過言ではありません。
菱川師宣は、版画だけではなく肉筆画も手掛けていました。
有名な作品として『見返り美人図』があります。郵便切手の図案にも採用されたため、この絵を見たことがある人も多いでしょう。
西川祐信
作家名:西川祐信(にしかわすけのぶ)
代表作:『絵本百人女郎品定』『女文書稽古』
生没年:1671年-1750年
西川祐信は、江戸には下らず上方で活躍したことから、京坂浮世絵界の第一人者といわれている人物です。
狩野派や土佐派の絵を学ぶとともに、菱川師宣や吉田半兵衛の画風を取り入れ独自の画風を確立させていきました。
西川祐信は、柔らかみのある筆使いで、落ち着きのある丸顔の女性を描き出す美人画に長けている特徴があります。
西川祐信は多くの好色絵本を描いており、これらの春画には「西川絵」の別称がつくほど人気を集めていました。
勝川春章
作家名:勝川春章(かつかわしゅんしょう)
代表作:『絵本舞台扇』『2代目 市川門之助』
生没年:1726年(1729年とする説もある)-1792年
勝川春章は、葛飾北斎の師匠であり、似顔絵の祖とも呼ばれています。
浮世絵のジャンルの一つである役者絵から、役者の顔や姿など個性をリアルに描く似顔絵のジャンルを新たに生み出しました。
勝川春章の作品は、墨摺と多色摺の両方が存在します。錦絵が登場し始めた時代にいち早く技術を習得していました。
それぞれ趣が異なるため、比較して鑑賞してみるのも楽しいでしょう。
浮世絵版画の始まりは墨摺絵からだった
江戸時代から現代まで、多くの人を惹きつける浮世絵版画は、墨摺絵から始まっています。
多くの浮世絵師に描かれながら変化していった浮世絵は、多彩な色を使って描かれる錦絵まで発展していきました。
浮世絵版画が広まるきっかけとなった墨摺絵を鑑賞し、浮世絵の魅力をあらためてかみしめましょう。