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ルネ・マグリット(1898年-1967年)画家[ベルギー]

シュルレアリスムの画家「ルネ・マグリット」とは

ルネ・マグリット
生没年:1898年-1967年

ルネ・マグリットは、ベルギー出身のシュルレアリスムの画家で、イメージの魔術師とも呼ばれています。
岩が空中に浮かんでいる様子や、青空が鳥の形に切り抜かれている様子、靴に指が生えた様子など、独創的で不思議な作品が多く、鑑賞した者が再考する必要があるのが特徴です。
マグリットの不思議な世界観は、本来世界がもっている神秘をイメージとして表現したものといわれています。
マグリットの作風は、のちのポップ・アートやミニマリスト・アート、コンセプチュアル・アートなどにも影響を与えました。

母の自殺が子どもだったマグリットに大きな影響を与える

マグリットは、ベルギーのレシーヌという町で、仕立て屋兼繊維商の父レオポルド・マグリットと帽子職人の母レジーナ・ベルタンシャンの間に生まれました。
マグリットの作品には、スーツを着た男性や帽子をモチーフにしたものが多く登場します。
両親の仕事柄、子どものころからスーツを着た人や帽子に囲まれて育ったのではないかと考えられるでしょう。
また、マグリットは1910年ごろに家族とともにレシーヌからシャトレに移り住み、絵画教室に通い油絵やデッサンなどの美術教育を受けていたといわれています。

1912年、マグリットの芸術感に大きな影響を与えるできごとが起こります。
母がシャトレのサンブル川で入水自殺をしてしまうのです。
母の自殺衝動は数年前からあり、何度も自殺未遂を図っており、父は母が自殺しないよう寝室に閉じ込めたこともあったそうです。
しかし、母は自宅を飛び出し、数キロ離れた河川敷で遺体となって発見されました。
葬儀の日、母の顔にかけられた布とドレス姿は、マグリットの目と記憶にしっかりと焼き付き、現実と幻想が混ざり合ったマグリットの芸術は、この体験が反映されているのではないかといわれています。
1927年から1928年に描かれた『恋人たち』では、描かれた人物の顔に布がかけられています。

学生時代は印象派に影響を受ける

母が亡くなった後、マグリットと兄弟は下女と家庭教師に引き取られ、生活することになりました。
1913年、マグリットと家族はシャルルロワに移り住み、高校へ入学します。
マグリットの作品は、1915年ごろのものから残されており、当時は印象派のスタイルで制作していました。
1916年から1918年まで、ブリュッセルの美術学校に通い、ベルギー象徴主義のコンスタン・モンタルドに師事しますが、授業にはあまり身が入らなかったそうです。
また、画家でありポスターデザイナーでもあるジスベール・コンバッツからも学び、グラフィックデザインや広告ポスターなどの仕事をしながら絵画を勉強していました。
学校に通い絵を学んでいく中で、マグリットの作品は印象派以降の近代美術に影響を受けるようになっていきます。

未来派やキュビスムに大きな影響を受ける

1918年、詩人のピエール・ブルジョワーズや抽象画家のピエール・フルケをはじめとしたベルギー前衛芸術家の仲間と共同アトリエにて短期間制作を行っています。
このころから、イタリア未来派のダイナミズムに興味をもつようになり、その後、雑誌デ・ステイルの創始者テオ・ファン・ドゥースブルフと出会います。
ドゥースブルフは、ブリュッセルにオランダの純粋主義理論について講演するために来ており、講演を聞いたマグリットの創作意欲に火をつけました。
1918年から1924年にかけての作品は、未来派やキュビスムに大きな影響を受けており、女性をモチーフにした魅力的な肖像画を多く残しました。

幼なじみとの結婚とジョルジョ・デ・キリコ作品との出会い

1920年、ブリュッセルの植物園で幼なじみのジョルジェットと再会し、1922年に結婚します。
1920年から1921年まで、マグリットはベルギーのベヴェルーに従軍し、地図製作や指揮官の肖像画を制作しました。
兵役を終えたマグリットは、1922年から1923年まで壁紙工場の製図工として働きます。
1922年は、マグリットの画家人生に大きな影響を与えるできごとが起こります。
詩人のマルセル・ラコントからジョルジョ・デ・キリコの『愛の歌』の複製を見せられ、マグリットは、「私の人生の中で最も感動的な瞬間の一つであった。私は初めて思考を目の当たりにした」とのちに語っています。

1923年から1926年ごろまでは、ポスターや広告デザイナーとして働いており、このころは、ロベール・ドローネやフェルナン・レジェなど、ピュリスムやキュビズムに影響を受けた作品を制作していました。
その後、ブリュッセルのル・サントール画廊と契約を結び、本職を画家としたキャリアをスタートさせました。

シュルレアリストとしての活躍

1926年、マグリットはキュビスムから決別し、初めてとなるシュルレアリスム絵画『失われた騎手』を制作し、1927年にはル・サントール画廊にて初個展を開催しました。
しかし、個展デビューは批評家の厳しい評価を受け、マグリットは落ち込み、パリへと向かいます。
パリでは、シュルレアリスムの創始者であるアンドレ・ブルトンやほかの芸術家たちと交流を重ねるようになり、シュルレアリスムグループに参加し本格的に絵画制作にのめり込んでいきました。
マグリットの描く作品は、ほかの芸術家たちと比べると幻想的で夢の中にいるようなイメージをもっていました。
その後、シュルレアリスムグループのリーダー的な存在となり、パリには3年間ほど滞在します。
1924年から1929年までは、マグリットの最も充実した時代といわれており、この期間に描かれた作品は、幻想的というよりもどこか不気味な雰囲気が漂っていました。
1929年には、パリのゴーマンズ・ギャラリーにて、サルバドール・ダリ、ジャン・アルプ、ジョルジョ・デ・キリコ、ジョアン・ミロ、パブロ・ピカソ、イヴ・タンギー、フランシス・ピカビア、マックス・エルンストらとともに展覧会を開催しています。

哲学と芸術の融合

1929年、マグリットは最後のシュルレアリスム革命展に、代表作となる『イメージの裏切り』を出品しました。
展覧会では、エッセイの『言葉とイメージ』も配布しており、平面作品と文字言語、視覚言語の関係性を挑発的に探求する今までにない革新的な作品を発表しています。
『イメージの裏切り』には、パイプの絵が描かれており、その下に「これはパイプではありません」と言葉が書かれています。
一見、タバコ屋の広告のようにも見えるこの作品に描かれているのはパイプの絵ですが、あくまでパイプを表現した絵であり、パイプそのものではありません。
マグリットは、イメージと対象の根本的な違いを強調したかったと考えられます。
このように、マグリットの芸術は、日常的なモチーフを採用しながらもそのものの一般的な使い方や見え方とは異なる状態になっているのが特徴の一つです。

ブリュッセルに戻り広告代理店を開業

1929年末、世界恐慌の影響を受けたル・サントール画廊は活動を停止してしまい、マグリットの収入も途絶えてしまいます。
また、パリでシュルレアリスムから関心のない態度をとられパリの芸術に幻滅したマグリットは、ブリュッセルに戻り、1934年に弟のポールとともに広告代理店「ドンゴ」を開業しました。
経済的に苦しい状況を立て直すために開業した広告代理店により、マグリットは安定した収入を得られるようになり、1934年から1937年にかけては「エメア」というペンネームで絵を描き、音響映画の配給会社トビス・クラングフィルムの広告にも採用されています。
1936年には、ニューヨークのジュリアン・レヴィ画廊にてアメリカで初となる個展を開催し、1938年にはロンドン画廊でも個展を開催しました。
この展覧会によりマグリットの名は世界中に注目されるようになり、評価が高まっていきました。
ロンドン滞在中には、建築も学んでおり、いくつか作品を制作するとともに、ギャラリーでは画家として講演を行い、芸術家としての地位を高めていったのです。

 

ルネ・マグリットの世界観と作風

マグリットは、シュルレアリスムの画家とも呼ばれていますが、シュルレアリスムの中でもさらに独特な作風が特徴の一つです。
現実と幻想を巧みに融合させ視覚的な驚きをもたらす作品を多く残しています。

シュルレアリスム

シュルレアリスムとは、1920年代に巻き起こった芸術運動で、夢や潜在意識の世界を表現することを目的とした芸術です。
マグリットは、シュルレアリスムの運動に参加し、日常的な物体を通常とは異なる文脈で描き、鑑賞する者に現実の再考を促すような作品を制作しています。
そのため、マグリットの作品には不条理・矛盾したイメージ・シーンが多く登場し、観る者に大きなインパクトを与えています。

古典的な描法

マグリットは、古典的な描法を用いて絵画を制作しています。
筆触を残さないよう繊細に筆を使い、まるで写真のような精密さのある絵画を描いていました。
この技法により、作品に現実感を与えることで、奇妙な文脈のインパクトがさらに大きくなり、印象を強めていると考えられるでしょう。
マグリットの作品は、細部まで丁寧に描かれているのが特徴で、現実世界の物体や風景を精密に再現しています。

視覚的なパラドックス

多くのマグリット作品には、視覚的なパラドックスが登場します。
たとえば、同一人物が複数の場所に同時に存在しているようなシーンや、モチーフを実際とは異なる形状や大きさで描かれていることなどです。
このようなパラドックスは、鑑賞する者の視覚的認識に強い印象を与え、現実と幻想の境界をあいまいにしているといえます。

言葉とイメージの関係性

マグリットは、絵だけではなくイメージと言葉の関係性についても深く探求していました。
『イメージの裏切り』が有名ですが、それ以外にも『テーブル、海、果物』でも言葉とイメージを巧みに利用して作品を描いています。
絵を観てみると、通常であれば左からテーブルが木の葉、海がバター、果物がミルク壺と考えてしまうでしょう。
また、言葉も現実を表してはおらず、海といえば広大な青い水面をイメージしますが、マグリットの作品では、海の下にバターの塊が描かれているのです。
この作品も、マグリットの言葉とイメージの問題を再考させる代表的な作品の一つです。

 

年表:ルネ・マグリット

西暦 満年齢 できごと
1898 0 ベルギー、レシーヌにて誕生。
1910 12 母が自殺し、遺体が川で発見される。この出来事が彼の作品に影響を与える。
1916 18 ブリュッセルの美術学校に入学し、絵画を学び始める。
1926 28 初めての個展を開催。シュルレアリスム的な作品を発表し、注目を集める。代表作には『眠れる者たちの館』がある。
1929 31 『イメージの裏切り』を制作。この作品には「これはパイプではない」という有名な言葉が描かれており、視覚と言葉の関係について考察を促す。
1936 38 アメリカでの展覧会に出展し、作品が国際的に注目を集める。代表作『大家族』『光の帝国』などを制作。
1940年代 40 第二次世界大戦中に様々な画風を試し、明るい色彩の作品を制作。
1954 56 ベルギー王立美術アカデミーで回顧展が開催され、ベルギーを代表する画家として広く認識される。
1967 68 ブリュッセルで死去。生涯を通じてシュルレアリスムを追求し、多くの後世の芸術家に影響を与える。
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