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月山貞一(1907年-1995年)刀工[日本]

人間国宝として刀を作る「月山貞一」とは

月山貞一(がっさんさだかず)
生没年:1907年-1995年

二代・月山貞一は、大阪にて刀匠である月山貞勝の子として生まれました。
1918年ごろからは、父の貞勝から作刀を学び、16歳になると月山貞光を名乗って大阪美術協会展に初入選し、刀匠界で一目置かれるようになります。

貞一は、戦時中の日本における重要な作刀を依頼される機会が多く、1929年には昭和天皇に贈呈するための『大元帥刀』を父の貞勝とともに作刀しました。
同年、父が亡くなると日本帝国陸軍の兵器製作所である「大阪陸軍造兵廠」と呼ばれる大阪工場の軍刀鍛錬所責任者に任命されます。
戦時中において、西日本の刀匠の最高峰となるのでした。

1945年、日本が第二次世界大戦に敗れ、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)により日本刀の製造が禁止されてしまい、日本の伝統である作刀の技術は衰退の危機を迎えます。
1954年に制定された武器製造法令により文化財保護委員会から作刀の許可を得るまでは、刀匠として不遇の時代を過ごしました。

作刀の許可を得てからは、精力的に作品を作り、1966年に刀匠として名高い祖父「月山貞一」の名を受け継ぎ、二代・月山貞一として作刀を続けていきました。
刀匠としての才能を天から与えられた貞一は、月山家伝統の綾杉鍛えを継承するだけに留まらず、五箇伝の技法すべてを習得したのです。
1971年には、作刀における卓越した技術が認められ、人間国宝の認定を受けました。

 

初代「月山貞一」は帝室技芸員に任命されている

 

二代・月山貞一の祖父にあたる初代・月山貞一は、帝室技芸員に任命された優れた刀匠でした。
1836年、初代・月山貞一は、現在の滋賀県にあたる近江国にて、塚本家の子として生まれました。

7歳になると、大阪で活躍していた刀匠「月山貞吉」の養子となり、刀匠としての道を歩みはじめます。
11歳ごろから刀工の修業を開始した貞一は、めきめきと技術を上げていき、1851年16歳のときには、『月山貞吉造之嫡子貞一十六歳ニ而彫之、嘉永四年八月吉日』と銘のある平造りの脇差を作刀します。
鍔には滝不動と呼ばれる滝と不動明王を描く日本伝統的な構図を彫り、この脇差の完成度の高さから、貞一は作刀における才能を持ち合わせていたことがうかがえるでしょう。

1876年、廃刀令が制定されると、日本刀の需要は急激に下がってしまい、多くの刀工職人たちは、転職を余儀なくされました。
しかし、初代・月山貞一は、刀工として作刀を続け、1906年、ついに当時の刀匠としては最高の名誉であった「帝室技芸員」に任命されるのでした。
帝室技芸員となった初代・月山貞一は、宮内省御用刀匠として、愛刀家であると有名な明治天皇の軍刀や、皇族、著名人の刀剣を作刀し、刀匠界で名を広めます。

初代・月山貞一が作刀する刀たちは、どれも豪快な造込みがされており、綾杉肌と呼ばれる大きく波を打っているように見える形状の鍛肌を得意としていました。
作刀だけではなく、刀身彫刻の技術も卓越しており、濃厚で緻密な彫物を刀身に行う月山彫りと呼ばれる技法で名をはせています。

 

二代・月山貞一が習得した「五箇伝」とは

二代・月山貞一が習得したとされている五箇伝とは、大和伝・山城伝・備前伝・相州伝・美濃伝の5つの地域に伝わる日本刀作りを指します。

大和伝は、現在の奈良県である大和国に伝えられた鍛錬法で、寺院と密接な関係をもっていました。
山城伝は、平安京に都が移された794年ごろから繁栄しはじめた鍛錬法で、優美で気品に満ちた刀剣が特徴です。
貴族の依頼によって作られていたため、実践の技術は問われず、姿や形の美しさに重点が置かれました。
備前伝は、987年の古備前鍛冶からはじまり、時代の波に乗るようにして名匠が誕生し、受け継がれていきました。
戦国時代には、数打ち物と呼ばれる大量生産をこなし、さらに反映していったのです。
相州伝は、現在の神奈川県である相模国に鎌倉幕府が誕生したことをきっかけに生まれた鍛錬法で、強く鍛えた鋼を高温で熱したあと、急速に冷却する難しい技術が取り入れられています。
美濃伝は、現在の岐阜県である美濃国に伝えられた鍛錬法で、五箇伝では最も新しい流派です。
大量生産する数打ちと高品質な注文打ちを両立させ、名をはせていきました。

 

年表:月山貞一

西暦(和暦) 満年齢 できごと
1907(明治40年) 0 大阪府に生まれる。父は刀工の月山貞勝で、本名は月山昇。
1929(昭和4年) 22 昭和天皇に贈呈するための大元帥刀を父と共に作刀。
1940年代(昭和期) 30 戦時中、大阪陸軍造兵廠の軍刀鍛錬所責任者を務める。
1954(昭和29年) 47 武器等製造法の施行により文化財保護委員会の許可を得て作刀を再開。
1966(昭和41年) 59 祖父の名を継いで月山貞一を名乗る。
1967(昭和42年) 60 新作名刀展で正宗賞、文化財保護委員長賞を受賞。
1971(昭和46年) 64 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。
1979(昭和54年) 72 勲四等旭日小綬章を受章。
1995(平成7年) 87 奈良県桜井市で死去。
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