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浮世絵を売るために欠かせない、版元とその役割

浮世絵は、デザインを描く浮世絵師と木版を彫る彫師、木版を紙に摺って完成させる摺師の3つの過程と職人によって作り上げられています。
そして、その浮世絵を販売するために欠かせないのが、版元という存在です。
版元は、浮世絵を大衆のもとに届けるために、企画・宣伝・販売を行う立場であり、浮世絵作品が今の時代まで人気を博しているのは、版元のおかげともいえるでしょう。

浮世絵職人をまとめた、版元の役割

誕生当初、浮世絵は、浮世絵師が一つひとつ手で描いていましたが、のちに木版を紙に摺るスタイルが確立されていきます。
浮世絵版画は、作業工程ごとに職人が置かれ制作されます。浮世絵師、彫師、摺師と彼らをまとめあげる版元と呼ばれる人物がいました。

版元とは

版元とは、浮世絵を売り出す店や人を指しています。
また、浮世絵作品の企画やプロデュースも行っていた版元は、現代の出版社のような存在といえるでしょう。
版元が企画した内容に沿って、浮世絵師が下絵を描き、彫師が下絵を木版に彫り、摺師が紙に摺り上げて、浮世絵は制作されていました。

版元の役割

版元は、浮世絵のプロデュースや制作工程のディレクションを担当していました。
企画や宣伝、販売など作品を実際に作る工程以外を担当する版元は、浮世絵の売れ行きを大きく左右する存在ともいえます。

制作した浮世絵が大衆から注目を浴びるためには、作品の企画や宣伝が欠かせません。
まず、江戸時代を暮らす町民たちの興味を引く題材やモチーフなどを考える必要があります。
そのため、版元は時代の流れを理解し、流行に敏感であることが求められました。新しいアイディアを創出して、人々の関心を引くためのスキルが必要な職業であったといえます。

また、流行を先取りしたアイディアにより制作した浮世絵も、宣伝がうまくいかなければ大衆の目に触れずに終わってしまいます。
そのため、版元には宣伝力も必要でした。現代で注目を浴びている浮世絵師は、版元の手腕があってこそともいえるでしょう。

 

歴史に名を残す、有名な版元たち

浮世絵の歴史の中では、絵師たちが注目を浴びがちですが、実は歴史に名を残している有名な版元も多くいます。
現代で名を連ねる有名浮世絵師は、版元の力があってこそ、その才能が世間に広がったともいえるでしょう。浮世絵師が活躍するきっかけを作った版元には、どのような人物がいたのかを知ることで、より浮世絵の歴史的な魅力を深められます。

松会三四郎

松会三四郎(まつえさんしろう)は、江戸最古の版元と呼ばれています。
幕府の御用達書肆(しょし・書物の出版や販売を行う店)であり、江戸出版業の初期から享保年間までに、約200点を刊行しました。
松会三四郎は、浮世絵の祖と呼ばれる菱川師宣(ひしかわもろのぶ)の絵本を出版したことでも有名です。
菱川師宣の『小むらさき』や『和国三女』などを出版しています。

蔦屋重三郎

蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)は、江戸時代の版元であり、数々の有名浮世絵師をプロデュースしてきた人物です。
蔦屋重三郎は、新吉原に生まれ、吉原で茶屋を営む喜多川家の養子となりました。成長した蔦屋重三郎は、新吉原で茶屋ではなく細見屋を営みます。細見とは、江戸時代から明治時代に出版されていた遊郭の案内書です。

当時、鱗形屋孫兵衛が独占していた吉原細見の改めを行い、出版権販売権独占を手に入れます。
その後、一流店が立ち並ぶ日本橋通油町に進出し、耕書堂という名の書店を創業し、洒落本や黄表紙など販売製品の幅を徐々に広げていきました。

吉原周辺の文化人ネットワークを駆使して、才能ある浮世絵師や戯作者とつながり、優秀な若手作家を世間に広めていきます。
江戸時代に訪れた狂歌ブームにものっかり、絵入り狂歌本という新しい発想の出版物も刊行しました。
寛政の改革により、出版物に規制がかけられた時代に、出版した洒落本が風紀を乱すとして処罰を受け、財産を没収されてしまいます。
しかし、そのような不運にも負けず、蔦屋重三郎はのちに有名な浮世絵師を輩出するのでした。

 

蔦屋重三郎によって才能を見出された有名浮世絵師が、喜多川歌麿(きたがわうたまろ)や東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)です。

 

喜多川歌麿は、蔦屋重三郎からの助言を受け、女性の上半身に焦点を当てて大きく描写した「美人大首絵」と呼ばれる作風を確立しました。
喜多川歌麿が描いた『婦人相学十躰』『婦女人相十品』の揃物は、大ヒットを収めています。

 

東洲斎写楽は、現在でも謎の多い浮世絵師です。
役者の特徴を捉え、デフォルメした大首絵が有名で、個性的な作品は、当時から多くの人の目を惹きつけました。
喜多川歌麿が蔦屋重三郎のもとを去ってすぐに登場した東洲斎写楽は、蔦屋から28枚の役者絵を一挙に発表しました。誰も名前を聞いたことがない新人浮世絵師の絵を、背景がすべて黒雲母摺りの状態で発表するという挑戦的な出版を行っています。

その後、東洲斎写楽は蔦屋のもとで140点余りの作品を出版し、わずか10か月ほどで忽然と姿を消したのでした。あまりの神出鬼没ぶりに、実際は葛飾北斎に描かせたのではないか、役者の斎藤十郎兵衛をプロデュースしたのではないかと、さまざまな憶測が飛び交っています。
東洲斎写楽が誰であったのかは、いまだに解明されていません。

『市川鰕蔵の竹村定之進』東洲斎写楽[出典:大英博物館]
『市川鰕蔵の竹村定之進』東洲斎写楽[出典:大英博物館]

なお、現在書籍や音楽のレンタル・販売をメインに商売をしているTSUTAYAは、蔦屋重三郎の名前にあやかって付けられたともいわれています。

西村屋与八

西村屋与八(にしむらやよはち)は、鶴屋喜右衛門や蔦屋重三郎と肩を並べるほどの有力地本問屋で、浮世絵の中でも錦絵の代表的な版元です。
早くから鳥居派の浮世絵師とつながりを持っており、役者絵や美人画で有名な鳥居清長(とりいきよなが)の浮世絵作品を多く出版していました。
また、葛飾北斎(かつしかほくさい)の浮世絵も多く出版しています。
世界中で有名な『富嶽三十六景』シリーズも西村屋出版です。

 

浮世絵を見ると版元が分かる

浮世絵を描いた絵師は、署名や落款で判断できますが、出版社である版元は、浮世絵の何を見て判断するのでしょうか。
実は、浮世絵作品には絵師のサインのほかに、版元印が押されている場合があります。
版元印によってどの版元から出版された浮世絵であるかが確認できるのです。版元印のデザインは、版元によって異なり、たとえば、蔦屋重三郎の版元印は、山型に蔦の葉のマークが特徴です。

蔦屋重三郎 版元印-『市川鰕蔵の竹村定之進(一部)』東洲斎写楽
蔦屋重三郎 版元印-『市川鰕蔵の竹村定之進(一部)』東洲斎写楽

 

浮世絵職人をまとめた立役者・版元

浮世絵作品を大衆に広く知ってもらうためには、版元の存在が欠かせません。
版元とは、浮世絵作品の制作指揮をとる人のイメージです。
企画から宣伝、販売まで、実際の制作以外の部分を担って、浮世絵作品の売り上げを伸ばすために奮闘していました。版元あっての浮世絵作品ともいえるでしょう。

そのため、浮世絵作品には、版元印が入っているものも多く残されています。
浮世絵作品を鑑賞する際は、作品の芸術性とともにどの版元から出版されている作品化もチェックしてみると、よりさまざまな角度から浮世絵を楽しめるでしょう。

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