江戸時代から明治時代にかけて、浮世絵は庶民を中心に親しまれた文化でした。
その浮世絵の中でも、歌舞伎役者の姿を描いた作品が「役者絵」と呼ばれ、多くの人気作品が存在します。
目次
人気の浮世絵・役者絵は高価買取が期待できる?
浮世絵にはいくつかのジャンルがありますが、役者絵はその中でも人気ジャンルの一つです。
役者絵の買取価格は、作者や作品の状態・希少性などさまざまな要素で決まるため、適正な価値を正しく知っておく必要もあります。
役者絵(役者浮世絵)とは
役者絵とは、浮世絵の中でも特に、歌舞伎役者を描いた作品を指します。
1603年(慶長8年)、出雲の阿国が京都で「かぶき踊り」を創始、1624年(寛永元年)に京橋に中村座ができたことが歌舞伎の始まりです。当初は女性も出演していましたが、風紀を乱すという理由で幕府により禁止され、その後は男性俳優による古典演劇へと発展していきました。
その歌舞伎役者の舞台姿や似顔を版画にしたものが役者絵です。
最初の役者絵は、鳥居派の浮世絵師によって描かれました。当時はまだ役者の顔に似せて描かれてはおらず、類型的な表現にとどめられていました。
その後、勝川派の勝川春章(かつかわしゅんしょう)によって「似顔(にがお・実際の役者の顔に似せて描く)」が考案され、役者絵の形が次第に出来上がっていきます。
さらに、東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)が、役者の個性をデフォルメした「大首絵」を描いたことが話題に。
歌川豊国(うたがわとよくに)や歌川国貞(うたがわくにさだ)など、歌舞伎役者をより魅力的に描き出す浮世絵師たちが、次々に頭角を現しました。
役者浮世絵は高く売れる?
役者絵は人気が高く、鳥居派や勝川派・歌川派など、多くの有名浮世絵師によって手がけられてきました。
また、美術品としての価値が高いため需要があり、高価で取引されることも珍しくありません。役者絵の買取価格は、作者や作品の状態・付属品の有無などさまざまな要素で変動します。
役者絵を高価で買取して欲しい場合は、専門的な知識と経験を持つプロの査定士に依頼するのが良いでしょう。
人気歌舞伎役者の浮世絵
人気の歌舞伎役者の役者絵は、江戸時代から数多く残されています。
なかでも、歌舞伎界で現代まで続く人気を持つ「市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)」の役者絵は、多くの人々を魅了していました。
市川團十郎とは
市川團十郎は、歌舞伎役者の名跡(みょうせき) であり、江戸歌舞伎の始祖と言われる初代から現在の13代目まで、300年以上にわたって続いています。
歌舞伎における名跡とは、血縁や師弟関係により代々受け継がれてきた芸名です。
名跡の大きさや歴史の長さに応じて、役者の格や地位が決まりますが、市川團十郎の名跡は、歌舞伎界で最も権威ある大名跡だと言えます。
初代・市川團十郎は、ダイナミックな演技である「荒事(あらごと)」を得意とし、市川宗家の礎を築きました。
その後を継いだ歴代の市川團十郎も、写実的な演技である「実事(じつごと)」や優しく柔和な演技「和事(わごと)」など、個性に応じてさまざまな芸風を磨き上げ、歌舞伎の発展に貢献したのです。
市川團十郎は、歌舞伎の名跡としてだけでなく、浮世絵の題材としても非常に人気が高く、多くの浮世絵師によって役者絵が描かれました。
東洲斎写楽が大首絵(歌舞伎役者や遊女などの上半身を描いた浮世絵版画)を描いた5代目。歌舞伎十八番(初代から4代目までが得意とした18の作品)を定め、敵役である「色悪(いろあく)」の芸を確立させた7代目。上品で美しい容姿により多くのファンを魅了した8代目などが浮世絵に描かれています。
なかでも8代目市川團十郎は、「死絵(しにえ)」という、役者を追悼する浮世絵が多数描かれたことでも有名です。
市川團十郎を描いた、浮世絵師たち
初代から続く市川團十郎の名跡は、歌舞伎界で圧倒的な影響力を持ち、彼らを描いた浮世絵は、時代を超えて名演を今へと伝える貴重な資料です。
当時、役者絵として市川團十郎をはじめとする歌舞伎の世界を描いたのは、どのような浮世絵師たちだったのでしょうか。
歌川豊国
作家名:歌川豊国(うたがわとよくに)
代表作:『役者舞台之姿絵 まさつや』『三代目市川高麗蔵の佐々木巌流』
歌川豊国は、1769年(明和6年)に木彫り人形師の子として生まれました。
幼少期に歌川派の創始者である歌川豊春(うたがわとよはる)の門人となっています。
絵師としてのキャリアは、1786年(天明6年)に発表した絵暦『年始の男女』や、1788年(天明8年)に描いた黄表紙(絵を主体とした滑稽文学)である『苦者楽元〆(くわらくのもとじめ)』の挿絵から始まったと言えます。
歌川豊国が浮世絵師として出世する転機となったのが、『役者舞台之姿絵(やくしゃぶたいのすがたえ)』でした。
この役者絵のシリーズは、当時の人気役者の姿を爽やかで清々しいタッチで描写したことから、大変好評を博しました。
衝撃のデビューから10ヶ月で姿を消した東洲斎写楽や、役者絵の大御所・勝川春英の引退もあり、歌川豊国は役者絵の世界を代表する存在となります。
歌川豊国は、美人画においても優れた作品を世に残しており、当時の人気絵師・喜多川歌麿(きたがわうたまろ)と並ぶほどの人気を得ました。
さらに、版本の挿絵では葛飾北斎とも人気を争ったことから、歌川豊国がいかに幅広い画力を持っていたかがうかがえるでしょう。
歌川国貞
作家名:歌川国貞(うたがわくにさだ)
代表作:『東海道五拾三次之内 京 石川五右衛門』『東海道坂下土山間 猪の鼻 勘平』
歌川国貞は、1786年(天明6年)に現在の東京都墨田区にある材木問屋の家に生まれ、少年時代から歌舞伎に魅了された歌川国貞は、役者絵を多数複写していました。その後、初代歌川豊国に認められ、彼の弟子としてすぐに才能を開花させたのです。
歌川豊国に弟子入りしたのは15歳のころでしたが、次の年には本の挿絵を描くようになり、その後も精力的に作品を発表していきました。
1815年には、役者の錦絵を出版することとなり、美人画や合巻(ごうかん:黄表紙を数冊綴じたもの)の挿絵など、幅広い分野で活躍しました。
歌川国貞が生涯で描いた作品は、20,000点以上に及ぶとされ、浮世絵師の中でも特に多作な絵師として知られています。
1844年(天保15年)に、師匠である歌川豊国の名を継ぎ「2代歌川豊国」を名乗りましたが、2代はすでに歌川豊重が襲名していたため、歌川国貞は一般的に「3代歌川豊国」と呼ばれています。
歌川国貞は、浮世絵に対する幕府の規制が厳しい中、独自のスタイルを確立しました。
歌川国貞の役者絵は「面長猪首」と呼ばれる特徴的なもので、役者の細長い顔と太く短い首を強調した手法が魅力の一つです。
東洲斎写楽
東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)は、1794年(寛政6年)の浮世絵界に突如として現れた正体不明の絵師です。
東洲斎写楽のプロフィールはほとんど知られていませんが、10ヶ月という短い活動期間の中で140点あまりの作品を残し、人々に強烈なインパクトを与えました。
東洲斎写楽の役者絵は、役者本人の特徴を誇張し、役者の人間性や演技力を鮮明に表現する点です。
歌舞伎役者を単純に美しいもの、煌びやかなものとして描くだけではなく、個性や内面に迫る表現手法をとり、革新的な役者絵で人々を魅了しました。
東洲斎写楽の代表作とも言える『市川鰕蔵の竹村定之進(いちかわえびぞうのたけむらさだのしん)』は、市川鰕蔵(のちの5代目市川團十郎)の姿を描いた作品です。市川團十郎の堂々たる風格や豊かな表情が、特徴をデフォルメした形で描かれており、役者の魅力を際立たせる作品と言えます。
東洲斎写楽は、浮世絵界に出現したときと同様に、突然その姿を消してしまいました。
東洲斎写楽が誰で、どのような背景を持つ人物だったのかについては、現在になっても明らかになっていません。しかし、彼の作品が美術史上で重要な位置を占めていることは間違いありません。
役者絵はなぜ人気だったのか
庶民の間で大人気となった役者絵は、どのような理由でそれほどの人気を得ていたのでしょうか。
役者絵の人気について考えるためには、歌舞伎が庶民の間でどのような位置づけ出会ったかを知る必要があります。
庶民最大の娯楽・歌舞伎
歌舞伎は、江戸時代に庶民の間で大流行した伝統芸能であり、江戸の文化風俗を語るために欠かすことのできない存在です。
歌舞伎の始まりは、京都で「出雲阿国(いずものおくに)」という巫女出身の女性が奇抜な服装で踊った「かぶき踊り」とされています。
かぶき踊りは、遊女や若者たちに広まりますが、風紀を乱すとの理由で幕府から禁止されてしまいました。その後、成人男性が演じる「野郎歌舞伎(やろうかぶき)」が登場し、今も受け継がれる歌舞伎へと発展していったのです。
歌舞伎は、江戸の町人文化や気質を反映した演目や役者・演出によって、観客の心を掴むことに成功しました。歌舞伎役者は、庶民にとってのアイドルとも言える存在で、ファッションの参考や憧れの対象であったようです。
歌舞伎の舞台装置や派手な演出も、庶民の目を大いに惹きつけました。
歌舞伎の興行は、1回の演目を観るのに半日かかる長丁場ですが、その舞台の迫力と臨場感に、庶民たちは飽きることなく魅入っていたのでしょう。
「ブロマイド」の役割だった役者絵
歌舞伎は庶民の間で大流行しており、歌舞伎役者たちは、庶民の憧れるスターやファッションリーダーたる存在でした。そのため、歌舞伎役者たちを描いた浮世絵である「役者絵」も、庶民がこぞって買い求めるアイテムとなったのです。
役者絵は、歌舞伎役者が舞台で演じる姿や、日常での様子などを描き、現代でいうブロマイドのような役割を果たしていました。舞台の一場面を描いたものは「芝居絵」と呼ばれ、役者絵の中でも興行を広告するチラシのようなものだったようです。
役者絵の分野では、特に歌川派が江戸の浮世絵界をリードしました。歌川派の中でも、歌川豊国は一世を風靡し、活躍する歌舞伎役者たちの姿や魅力を広く人々に伝えました。
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役者絵は、江戸時代から明治時代にかけて国内外で愛好されてきた浮世絵の中でも、特に人気の高い。役者絵は、歌舞伎の舞台で活躍する役者を、個性豊かな浮世絵師たちがさまざまに描いた作品で、美術史上でも重要な位置を占めています。
役者絵の買取価格は、作者や状態の良し悪し、作品の希少性や描かれた時代など、さまざまな要素により変動します。
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