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ジャポニズムあふれるゴッホの名作『タンギー爺さん』

ゴッホは、ヨーロッパを代表する有名な画家の1人であり、日本の浮世絵作品に魅了された海外画家の1人でもあります。
ゴッホが描いた作品の背景を知ることで、日本の浮世絵作品の素晴らしさを再認識していきましょう。

 

ゴッホの名作『タンギー爺さん』の魅力

ゴッホは数多くの名作をこの世に残しており、その一つが『タンギー爺さん』です。
この作品には、ゴッホらしい作風が表現されているとともに、日本の浮世絵に対する敬意も表現されているのです。

ジャポニズムあふれる名作『タンギー爺さん』

ゴッホの有名作品である『タンギー爺さん』は、1887年に描かれた油彩画で、鮮やかな色彩と自信に満ちたモチーフのデザインが特徴的です。
『ペール・タンギーの肖像』とも呼ばれており、現在は、パリのロダン美術館に所蔵されています。

ゴッホが魅せられた、ジャポニズム

ゴッホは、日本の浮世絵に大きな影響を受けたといわれています。
たとえば、安藤広重や葛飾北斎などの作品です。
題材はもちろん影のないフラットな色彩やパターンが、これまでのヨーロッパ美術にはなかった技法であったため、ゴッホをはじめとしたヨーロッパの画家たちは、大きな衝撃を受けました。
ゴッホは、日本画は平穏の探求を表していると述べています。

ゴッホは、パリにいた時代、浮世絵への興味がピークに達しており、弟のテオと一緒に日本の浮世絵作品を400点以上収集したといわれています。
また、集めるだけでは物足りず、コレクションを利用して浮世絵の展覧会も開催していたのです。
これらの行動からゴッホがどれほど浮世絵に傾倒していたかがわかるでしょう。

 

『タンギー爺さん』を観賞する

ゴッホが描いた有名作品の一つ、『タンギー爺さん』。
このタンギー爺さんが誰であるか、詳しく知らない人も多いのではないでしょうか。
タンギー爺さんという人物を知るとともに、作品に描かれた題材からゴッホの浮世絵に対する興味や愛がどれほどのものであったかを見ていきましょう。

『タンギー爺さん』フィンセント・ファン・ゴッホ [引用元:wikipedia]
『タンギー爺さん』フィンセント・ファン・ゴッホ [引用元:wikipedia]

タンギー爺さんとは誰なのか

『タンギー爺さん』に描かれている人物は、ジュリアン・フランソワ・タンギーと呼ばれる画商のことです。
画商であるとともに、画材を販売する絵具挽き屋でもありました。
当時、ゴッホの絵をいち早く売り出した人物として知られています。

性格は陽気で、人望の厚い人柄と芸術や芸術家に対する敬意・熱意から、タンギーのお店はパリでは最も好まれていた画材店でした。
タンギーは、周囲の人々から「ペール・タンギー」の愛称で呼ばれていたそうです。

実は同じ構図の絵画が2作ある

ゴッホが描いた『タンギー爺さん』は、ほぼ同じ構図の作品が2つ存在しています。そのため、タンギーを題材にした作品は、別の肖像画を含めて合計3点です。
最初の肖像画は、1886~1887年の冬に描かれました。
この作品には、鮮やかな色彩は使われておらず、茶色をメインとして唇に赤、エプロンに緑が使われている程度でした。
一方、1887年に描かれた2点の『タンギー爺さん』では、鮮やかな色彩が用いられています。

タンギー爺さんの背後にある浮世絵作品

『タンギー爺さん』の作品の背景には、日本の浮世絵作品をモチーフにした絵が多く描かれています。
タンギーは、画商でもありますが、自分のお店で浮世絵の取り扱いはしていませんでした。そのため、『タンギー爺さん』の背景に描かれた数々の浮世絵作品は、ゴッホ自身の浮世絵に対する愛やこだわりであったと考えられます。
『タンギー爺さん』の背景に描かれている『雲龍打掛の花魁』は、渓斎英泉の有名な美人画です。

 

ゴッホとタンギー爺さんは画家とモデルを超えた関係だった

ゴッホとタンギー爺さんは、単なる画家と画商の関係だけではなく、ゴッホの理解者でもあったと考えられます。タンギーは、貧しい芸術家の生活をサポートするために、画材代の支払いを絵画の売却ですることを認めていました。

そのため、当時まだ無名であった画家が多く出入りしており、ゴッホもその画家の1人でした。
タンギーは、ゴッホが亡くなったとき、葬儀に参列した数少ない人物です。
『タンギー爺さん』には、浮世絵への愛だけではなく、タンギー爺さんに対する愛も込められている素晴らしい作品といえるでしょう。

 

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