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正阿弥勝義(1832年-1908年)彫金師[日本]

卓越した彫金技術をもっていた「正阿弥勝義」とは

生没年:1832年-1908年
彫金師である正阿弥勝義の彫金技術は、明治時代の職人の中でも群を抜いて優れていたといわれています。
精緻な彫金や高い写実性とともに、多彩な金属を使用して色数が多く、美しい光沢が表現されているとして高い評価を受けています。
評判は国内だけにはとどまらず、海外の展覧会で展示され、国内外問わず人気を集めている人物です。

彫金師の父をもち幼いころから彫金を学ぶ

勝義は、津山二階町に住んでいる津山藩お抱えの彫金師である中川五右衛門勝継の3男として誕生しました。
幼いころから父に彫金を学び、津山藩先手鉄砲隊小山家の後継ぎになった後は、江戸の彫金師に弟子入りを頼みますが、果たせずに江戸から帰郷し、養子関係を解消しています。
その後は、18歳のときに岡山藩お抱えの彫金の名家である正阿弥家の婿養子となり、正阿弥家の9代目を受け継ぎました。
正阿弥家は、藩主からの依頼を受けて刀装具を作り、安定した暮らしをしてきた名家です。

9代目となってからは、実の兄である中川一匠や、その師の後藤一乗などに手紙で下絵や脂型、作品をやりとりして指導を受けます。
兄の一匠は、代々徳川家に仕える彫金師である後藤家の門下であり、江戸幕府や宮中の御用職人を務めていました。
勝義の作品が多く所蔵されている清水三年坂美術館には、この時代に制作された刀装具や短刀拵もあり、作品のできばえから当時すでに高度な技術を有していたことがわかります。

技術を生かした美術工芸品づくりで成功

正阿弥家の9代目として刀装具などを作り、安定した暮らしを送ってきた勝義でしたが、明治維新後に薩摩藩主との雇用関係が解消され生活の保障がなくなると同時に、廃刀令によって刀装具の仕事もなくなってしまいました。
時代の流れにより多くの彫金家たちが廃業していく中、勝義は彫金師としての技術を生かして、新たに花瓶や香炉などの室内装飾品や、彫像などの美術工芸品、茶器などの制作を開始します。

1878年、30名あまりの当代随一の工芸家たちで輸出産業を立ち上げ、神戸の貿易商をしていた濱田篤三郎の紹介でイギリス商人と売買契約を締結。
しかし、不正な手段により利益を得ようとする奸商が、作りの粗い偽物を制作していたことで輸出を中止します。
その後、少数精鋭の職人で美術工芸に専念すると、イギリスから大衝立の注文を依頼され、加納夏雄・海野勝珉が十二支図案を作成し、勝義が金工彫、逸見東洋が木工を担当。
3年がかりで完成させて輸出し、現在はボストン美術館に所蔵されています。

勝義は、制作した作品を国内外問わず精力的に博覧会や美術展に出品し、世界各国で高い評価を得ており、受賞は30回以上、宮内省買い上げは13回にもおよんだそうです。

1899年、67歳になった勝義は、美術研究のために京都へ移り住みます。
京都の伝統文化に触れ、さらに才能を昇華させていき、高い評価を受けている作品の多くは、京都に移り住んでから亡くなるまでの10年間に制作されたものといわれています。

真面目で几帳面な彫金師であった

勝義は、真面目かつ几帳面であり、筆まめであったといわれています。
休みを取るのは正月と葵祭の2日だけで、それでも彫金の仕事に嫌気がさすこともなく、無心に制作に打ち込んでいたそうです。
ある日、成金から金の煙管を作ってほしいと頼まれ、一度は断ったもののどうしても欲しいと聞かないため、勝義は純金で煙管を作り依頼主に渡しました。
依頼主は大変喜びましたが、その様子を見た勝義はもう一度煙管を受け取り、金の上から鉄を巻いてしまいました。
そして、上から草花を彫ると、鉄の下から金の彫り物が浮かび上がり、依頼主に「金とはこうして使うものです」と言って返し、その依頼主は大変感心したそうです。

正阿弥勝義が制作した作品の特徴

勝義が作る作品は、超絶技巧と呼ぶほど高い技巧を誇っており、上品かつ精緻な作品は、多くの人の心を惹きつけました。
ときに生々しいほど写実性の高い表現もあり、一つひとつの作品を丹念に作り上げているとわかります。
また、巧みな技巧だけではなく色数の多さや鉄錆地の美しさも魅力の一つです。
勝義は、全体的に技術レベルの高い明治時代の彫金師たちの中でも群を抜いていたといわれています。

高い技術力に加えて、見る者の意表をつき想像を湧かせる遊び心や、粋な趣向なども盛り込み、複数の意匠を融合させることで、緊張感や物語性を生み出しているのです。

正阿弥勝義の代表作

『群鶏図香炉』は、銀地をベースに、金や銀、赤銅、素銅などのさまざまな金属を組み合わせてできています。
象嵌によりさまざまな鶏の姿を表現しており、ドーム状の火屋には、小菊を密集させ高肉彫で表現しています。
摘みの雄鶏は、丸彫で立体的に表されているなど、多彩な彫金技法を用いて作られた代表作の一つです。

『蓮葉に蛙皿』は、素銅地に鋤彫で葉脈を描き、緻密な槌目で葉の質感を巧みに表現しています。
虫食いの穴や枯れた葉の色調も細かく再現してあります。
ひときわ目を引くのが、巻いた葉の上に飛び乗った瞬間のアマガエルが表現されている部分です。
一瞬の動きを見逃さずに捉えた勝義の観察力の高さと、それを金属で表現する高い技術力がうかがえる一作品です。

 

年表:正阿弥勝義

 

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