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1970年の大阪万博ってどんなものだった?

2024.12.13

1970年に開催された大阪万博とは

1970年に開催された大阪万博は、日本初・アジア初の国際博覧会で、当時史上最大の規模を誇っていました。
当時の日本は終戦25周年で、戦後の高度経済成長を成し遂げてアメリカの次となる経済大国にまでのぼりつめた日本。
終戦記念として日本の象徴的な意義をもつイベントとして、大阪万博は開催されました。
大阪万博は、1964年の東京オリンピック以来の国家プロジェクトで、企業や研究者、建築家、芸術家などさまざまジャンルの専門家が、パビリオン建設や映像・音響などのイベント・展示物制作に採用されました。

「人類の進歩と調和」をテーマとした博覧会

1970年に大阪で開催された万国博覧会は、「人類の進歩と調和」をテーマに、新しい発明品や未来の製品が展示されました。
1851年にロンドンで開催された第1回万国博覧会以降、さまざまな機械文明の発展が展開されていましたが、20世紀後半ごろからは、交通機関や情報手段が発達し、未来の製品として紹介されていたものが現実のものとなっていきました。
人類の創造的活動を単に展示するだけの博覧会では、魅力が薄れてきてしまったため、テーマに基づいた博覧会を設計する傾向が強まっていったのです。

大阪万博のテーマ「人類の進歩と調和」では、技術文明の進化を紹介するだけではなく、社会の発展が同時に自然や人間性にどのような影響をおよぼしているかを訴え、問題を解決するためにはどうするべきか、人と自然の調和をとった進歩をどのように実現するかを問いかけてします。

出展者に向けたテーマは、さらに具体的な展示内容を決めやすくするために、4つのサブテーマが設定されていました。
1.より豊かな生命の充実
生命の起源や神秘、医療、心理、出産・育児、趣味などの展示

2.よりみのりの多い自然の利用
栽培植物、養殖、開拓、エネルギー、海底資源の利用、気象などの展示

3.より好ましい生活の設計
食料、住宅、衣類、乗り物、時計、公害防止などの展示

4.よし深い相互の理解
報道、通信、言語、教育、家族、文化交流、芸術などの展示

シンボルマークは桜を表現している

1970年に開催された大阪万博では、日本を代表する花である「桜」がモチーフになっています。
マークを制作したのは、グラフィック・デザイナーかつ、日本グラフィックデザイナー協会の理事を務めたことのある大高猛で、万博テーマの「人類の進歩と調和」を視覚化したデザインが考えられました。
5つの花びらは、世界を表現しており、世界が手を取り合って日本の大阪万博へ参加しよう、という意味合いを表現しています。
中央の小さな円は、日本の日の丸を表しており、周辺の白抜き部分は発展と進歩への余裕を表現。
安定した全体の印象は、日本の品位と調和を示しており、大阪万博が世界的なイベントであると力強く表現されています。

大阪万博の象徴『太陽の塔』に込められた想い

大阪万博が開催された1970年、日本は当時高度経済成長期で、アメリカに次ぐ2位の経済大国でした。
さらに、世界の状況を見てみると、世界初の月面着陸に成功したアポロ11号空もわかるように、テクノロジーが大きく発展していた時代といえます。
さまざまな技術が発展して便利な世の中になっていくと同時に、大気汚染や水質汚染などの環境問題や、新幹線による騒音・振動などの問題も浮き彫りになっていきました。
目まぐるしく環境が変化していくとともに、解決すべき問題も山積みになっていったのです。

そのような世界的状況の中開催された大阪万博では、人類の知恵と協力を社会の発展だけではなく、地球規模の問題解決にも役立てるべく、さまざまな展示が行われました。
自然と進歩の調和を図る意志の象徴となったのが、現在万博記念公園に設置されている岡本太郎デザインの『太陽の塔』です。

『太陽の塔』は、内部がテーマ館と呼ばれるパビリオンの一部になっています。
高さ約41mの生命の樹をメインに、生物の進化の過程や生命の大切さ、人々の生き方の多様さなどを展示にて追求しています。
万博といえば、近未来的なテクノロジーの展示物が注目されがちですが、大阪万博は、人類の原点を振り返る高度経済成長期ならではの万博となりました。

準備から開幕までの軌跡

日本が国際博覧会条約に加盟したのは、1965年で、その年の9月には、大阪での万国博覧会の開催が正式に決定しました。
財団法人日本万国博覧会協会が発足し、1か月後には本格的な準備が始まりました。
高い理想を掲げ開幕した日本万国博覧会の式典に出席した内外の貴賓・招待者は約8000人で、開会式の感動は、宇宙テレビで全国に中継されましたのでした。
世界各国の子どもたちによるかわいらしい踊りによって、進歩と調和の願いが世界中に届けられました。

ナショナル・デー、スペシャル・デーの式典やイベントは、国境、宗教、民族、ことばの壁を越えて世界中の人類が一つとなる祭典であり、会期中のナショナル・デーは73回、スペシャル・デーは15回です。
6月29日の日本の日の式典には、皇太子や同妃両殿下もご出席され、各国の代表たちと会場を埋め尽くす約1万人の観客に、日本を強く印象付けました。
大阪万博開催にあたって、世界中から多くの貴賓が訪れ、その数は約4800人を超えていたそうです。

大阪万博で開催されていたもの

大阪万博では、「人類の進歩と調和」をテーマにしたさまざまな展示やイベントが行われており、訪れた多くの人に感動や衝撃を与えました。

過去・現在・未来をテーマにした展示

大阪万博では、77か国の国際機構や政庁、州、都市、企業などを含めた合計116の展示館が建設され、過去や現在、未来などのテーマに基づいて、さまざまな展示を繰り広げました。
各展示館では、入館者が長い列を作り大盛況となり、若い世代からお年寄りまでさまざまな人々が、万博で表現された新しい世界に感動。

世界のお祭りを再現

大阪万博の広場やホールでは、世界各国の祭りを再現したイベントが繰り広げられていました。
その公演数は、2880回にもおよび、人類交歓の場であったお祭り広場では、内外27万人が出演。
1000万人以上の観客が、イベントに感動し拍手や喝采を送りました。

大阪万博のお祭り広場では、「見たことのないものを創る」をコンセプトに、新しい表現方法を模索してきた具体美術協会もパフォーマンスを行っています。
大阪万博がクライマックスに近づいてきた8月末の3日間、具体美術まつりと称して、具体メンバーがアイデアを持ち寄り、いくつかのプログラムを上演しました。
真っ赤な衣装を着たメンバーが、バルーンを付けて飛び跳ねたり、オリジナリティあるパフォーマンスを披露したり、個性的な演出が行われたそうです。
ユニークなパフォーマンスに、子どもから大人まで、幅広い層の観客の喜ぶ姿がみられるイベントになりました。

子どもの国・エキスポランド

エキスポランドとは、大阪万博開催時にアミューズメントゾーンとして作られた遊園地で、アメリカ館やソ連館、太陽の塔などと並んで人気を集めた施設の一つで、万博に訪れた約6400万人のうち、4割ほどにあたる2600万人ほどが入園したそうです。
エキスポランドは、子どもたちから大人気で、6つの地区に分かれた約17万2500㎡の遊園地は、連日若者や家族連れで賑わいました。

大阪万博で披露されたテクノロジー

大阪万博では、現在私たちが当たり前のように使用している技術や製品が、未来の製品として展示されていました。
大阪万博での発表を機に、開発や普及が進み、現在でも親しまれているものがたくさんあるのです。

ワイヤレステレホン

現在、多くの人々が当たり前に使用しており、日常に欠かせない製品となっているスマートフォンも、大阪万博で初めて一般の人々の目に触れました。
NTTのパビリオンであった電気通信館にて展示されていたワイヤレステレホンが、現在のスマートフォンの原型といわれています。
また、オンライン会議やオンライン飲み会などで利用されているビデオ通話は、大阪万博でテレビ電話として登場。
大阪万博では、迷子や落し物の確認にテレビ電話が用いられていました。

ピクトグラム

ピクトグラムも大阪万博で注目を集めました。
ピクトグラムが初めて日本で活用されたのは、1964年の東京オリンピックといわれています。
しかし、当時はデザインが統一されておらず、大阪万博の際には、グラフィックデザイナーである福田繁雄がデザインしたピクトグラムが採用され、統一化が図られました。
現在日本や世界各国で使用されているピクトグラムは、大阪万博で福田繁雄がデザインしたものをベースにしているといわれています。

プレーンヨーグルト

日本でプレーンヨーグルトが普及するきっかけを作ったのが大阪万博であるといわれています。
それまでも日本でヨーグルト製品は販売されていましたが、本格的なプレーンヨーグルトはありませんでした。
大阪万博では、ブルガリア館が本場のヨーグルトの試食を提供しており、当時試食した明治の社員が本場の味に感動。
日本の食卓に本物のヨーグルトを届けたいという想いが生まれ、開発を決めたといわれています。
その後、試行錯誤を重ねプレーンヨーグルトは商品化され、現在販売されている製品のロゴは、大阪万博のブルガリア館のロゴにインスパイアされたものになっています。

人間洗濯機

大阪万博で、話題を集めた展示の一つに人間洗濯機があります。
直径2mほどのカプセルのような造りをしていて、上部から顔が出せるようになっており、超音波を使って発生させた気泡によって身体を洗い、最後に温風で全身を乾燥させる装置です。
乾燥させる際には、赤外線と紫外線によって血行を良くし、殺菌も行える仕組みであったそうです。
突起の付いたカラフルなマッサージボールによって、洗浄と同時に身体をほぐす効果もありました。

リニアモーターカー

現在、最高時速500kmで東京と大阪を約1時間で結ぶとして話題を集めているリニアモーターカー。
大阪万博では、日本の歴史や文化、技術を展示する日本館にて、未来の乗り物として紹介されました。
リニアモーターカーの模型が展示され、会場に設置されたレールを走行して注目を集めたそうです。

電気自動車

電気自動車は、大阪万博開催中に会場内の交通機関の一つとして活躍しました。
来場者用のタクシーや放送用機材を運ぶプレスカー、施設管理用のパトロールカーなど、万博内のあらゆる移動が電気自動車で行われました。
万博を通じてすぐに普及とはいきませんでしたが、現在の電気自動車につながる確かな歩みになっていたことでしょう。

エアードーム

大阪万博の展示物ではなく、会場そのものも訪れた人々が注目する展示となっていました。
その一つが、アメリカ館のエアードームです。
塩化ビニール樹脂製の膜材を建築物にかぶせて空気を送り込み、空気圧で支えて屋根にしたものです。
一般的な大型テントとは異なり柱が必要ないため、大きな空間を確保するために重宝されました。

大阪万博ではさまざまな記録が生まれた

1970年に開催された大阪万博は、日本だけではなく世界各国から大変注目された展覧会でした。
183日間の開催で会場に訪れた人は、約6421万人で、1日の平均入場者数は約35万人、最も多かった日には、83万5832人が訪れたそうです。
その日は、会場全体が大混雑となり、訪れた人々は身動きが取れないような状況でした。
消費電力は1日平均90万kw、排出されたごみの量は合計40万㎥、迷子は4万8190人、救急車の出動は1万664回など、さまざまな記録が残されています。

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