浮世絵は、墨一色から始まり多彩な色使いが行われるようになり、多くの名作を生んできました。
墨の濃淡で表された浮世絵と、多色摺りによって鮮やかな表現がされた浮世絵。
それぞれ違った良さがあります。
墨一色から鮮やかな錦絵に至るまで、どのような過程を経ていったのかを知ることで、より浮世絵の魅力が深まるでしょう。
目次
浮世絵はもともと墨一色だった
江戸時代、町民の間で大きな流行りを見せた浮世絵。
現代に残っている作品を見てみると、色鮮やかに表現された浮世絵が目を引くのではないでしょうか。
しかし、浮世絵が誕生した当初は、色は使われておらず墨一色で描かれていました。
浮世絵は、浮世絵師が一つひとつ手書きで描く肉筆画から、大量印刷が可能な木版画に移行していきますが、挿絵と同様に墨一色で制作されています。
一つの絵柄から大量の作品を作り出せるようになった浮世絵は、庶民も気軽に楽しめる芸術作品として親しまれていました。
この墨一色で制作された初期の浮世絵は、黒摺絵とよばれています。
カラーになった浮世絵「丹絵」「紅絵」
墨一色で描かれていた浮世絵は、時代とともにさまざまな発展を遂げていき、のちに木版画に手で色を付ける浮世絵も誕生します。
色の付け方によって浮世絵の呼び名が異なり、朱色系の丹色をメインにした「丹絵」といいます。一方で、紅色をメインとしていた作品は、「紅絵」とよばれ区別されていました。
丹絵と紅絵は、原画を紙に摺った後に筆で色付けを行う手法ですが、のちに木版を摺る際に色付けを行う紅摺絵が誕生します。
紅摺絵は、紅や緑など補色関係にある2色をメインとして数色の色付けを行う手法です。
紅摺絵では使用する色の数は数種類程度と少なく、濃淡やグラデーションなどを付ける技術もまだありませんでした。
また、紅摺絵の制作が進み始めたころから、原画を描き色の指定を行う浮世絵師、木版画の板を彫る彫師、和紙に絵と色を摺っていく摺師の分業体制が確立されていきました。
錦絵の誕生でさらに表現の広がりを見せた浮世絵
紅摺絵の誕生により浮世絵作品に彩が生まれ、その後さらに制作技術が進んでいくと、より多くの色を使った錦絵が制作され始めるようになります。
多くの色を用いて描かれた浮世絵は、中国で作られた錦織の布地のように華やかで美しかったことから、錦絵とよばれるようになりました。
多色摺りが可能になったのは、複数の版木の位置を正確にあわせるための見当(けんとう)の技術が発展したためといわれています。
見当の位置に和紙を置くことで、色を重ねてもズレが生じることなく正確に摺れるようになりました。
そのため、多くの色を重ねられるようになったのです。
錦絵と浮世絵の違いが何かわからない方も多いでしょう。
錦絵は浮世絵の中の技法の一つです。
浮世絵は、江戸時代に描かれ始めた風俗画全般を指しており、その中でも多色摺りで制作されたものを錦絵といいます。
錦絵を初めて描いた、鈴木春信
作家名:鈴木春信(すずきはるのぶ)
代表作:『風流四季歌仙』『風流やつし七小町』
浮世絵の中でも、鮮やかな色使いで多くの人の目を惹きつけた錦絵。
最初に錦絵を描いたのは、鈴木春信であるといわれています。
鈴木春信は、錦絵の手法を活用して多くの美人画を制作しました。彼の浮世絵では、男女ともに華奢な姿で描かれているのが特徴。当時の江戸にはなじみが少なかった上方文化や、中国美人画に影響を受けた画風であったといわれています。
構図や構成は、京都で師事した西川祐信を参考にし、人物の描き方は、明朝時代に活躍した版画家「仇英」(きゅうえい)に影響を受けていたと考えられています。
鈴木春信は、版元からの資金援助を受けながら、錦絵の手法を発展させるために尽力を尽くしました。
デビュー作が1760年とされており、亡くなったのが1770年とされているため、わずか10年で浮世絵師としての活動を終えたと考えられています。
しかし、錦絵の発展に貢献した鈴木春信が浮世絵の世界に与えた影響は、大きなものであったといえるでしょう。
最盛期を迎えた錦絵
色鮮やかな錦絵は、富裕層だけではなく、庶民の間でも人気を集めていました。
錦絵は1804~1830年ごろに最盛期を迎えます。
浮世絵をスピーディーかつ大量に摺る技術が発展していったため、華やかな錦絵も庶民が手ごろな価格で購入できるようになったのです。
大判の錦絵は、そば1杯ほどの価格で販売されていたといわれています。
錦絵の中でも、とくに歌舞伎役者を題材とした役者絵や、美人を描いた美人画、相撲絵、武者絵などは人気が高く、現在でいうブロマイドのような扱いを受けていました。
また、全国各地の景勝地を描いた風景画の錦絵は、旅行のガイドマップのような役割を担っており、自分で旅行へなかなか行けない人にとっては、絵で旅行をした気分になれるとして親しまれていました。
名所絵で人気を博した歌川広重
作家名:歌川広重(うたがわひろしげ)
代表作:『東海道五十三次之内』『富士三十六景』
歌川広重は、江戸時代の後期に活躍した浮世絵師で、四季折々の美しい自然や表情豊かな天気を表現している点が特徴です。
とくに、雨や雪の表現に長けていて、歌川広重を超える浮世絵師はいないといわれるほど。
歌川広重が制作した錦絵として有名な作品の一つが『名所江戸百景』です。
人生の集大成といわれている作品で、118図もの作品を手がけており、弟子が手がけた作品も含めると、すべてあわせて120図での構成です。
春夏秋冬の季節に分けられていて、江戸時代ごろ有名だった江戸や近郊の名所、景観が優れている地域などの風景を描いています。また、風景とあわせて行事や人々の暮らしも描き、歌川広重ならではの画風が確立されている作品といえるでしょう。
江戸末期から明治にかけて多くの作品を残した歌川房種
作家名:歌川房種(うたがわふさたね)
代表作:『蚕の養殖』『幡隨意長兵衛 河原崎権十郎』
歌川房種は、江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した浮世絵師です。
歌川貞房の門人で、幕末には『近江八景』などの風景画や、芝居絵、源氏絵シリーズなどを手がけ、明治に入ってからは、開化風俗画や西南戦争関連の錦絵などを制作していました。
色鮮やかな着物や美しい景色などを鮮やかな錦絵で表現している浮世絵師です。
浮世絵独自の色、「ベロ藍」
錦絵のような多色摺りによって、浮世絵が色鮮やかになっていく時代の中で、あえて単色で摺られた浮世絵もありました。
中でもベロ藍一色で摺られた葛飾北斎(かつしかほくさい)の『冨嶽三十六景 甲州石班澤』は、有名な作品の一つです。
ベロ藍とは、のちにジャパンブルーとも称される人工顔料で、鮮やかで透明感のある藍色の特徴があります。『冨嶽三十六景 甲州石班澤』では、ベロ藍の濃淡によって絵が表現されています。
時代とともに進化し、色合いも表現豊かになった浮世絵
墨一色から始まった浮世絵は、時代とともに発展していき、丹絵や紅絵のように筆で色付けが行われるようになり、その後、版木自体に色を付けて摺っていく紅摺絵、10色以上と多彩な色を用いる錦絵へと進化していきました。
多色摺りにより色彩豊かになった浮世絵は、多様な表現が可能となり、多くの人の心を惹きつける作品が多く誕生していったといえるでしょう。