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「二科展(二科美術展)」とは?日本の洋画や新たな芸術作品を鑑賞できる貴重な展覧会

二科展(二科美術展)とはどのような展覧会?

二科展(または二科美術展)は、公益社団法人二科会が主催する重要な美術展で、日本の美術界において長い歴史を誇ります。
二科会は、1914年に新進の作家たちによって創設され、当時の主流であった「文展(文部省美術展)」に対抗する形で誕生しました。
創設当初から掲げられた理念は、「流派にとらわれず、新しい価値を尊重し、創造者の制作の自由を守る」といったもので、これにもとづいて二科展が始まりました。

二科展は、単なる展示会にとどまらず、日本の洋画や新しい芸術表現の発展を支える重要な役割を果たし続けています。
その特徴的な活動の一環として、作家たちに自由な表現を提供し、従来の枠に縛られない斬新な作品を展示することを推進しています。
これにより、二科展は日本の美術界において、現代美術の先駆けとして重要な地位を確立しているのです。

毎年秋に開催されている

二科展は毎年秋に開催され、今年で100回以上の歴史を誇る伝統的な美術展です。
毎年9月から10月にかけて開催され、これまでに数多くの美術愛好者に親しまれてきました。
初回の開催は上野竹の台陳列館で行われ、第2回から三越や東京府美術館など、さまざまな場所で展示が行われました。
2007年からは、東京・六本木にある国立新美術館での開催が定番となり、その規模と影響力はますます大きくなっています。

また、東京展の後には全国各地で巡回展が開催されるのも大きな特徴です。
東海、関西、北陸などの都市を巡り、大阪、富山、京都、広島、鹿児島、福岡など、各地で多くの人の目に触れる機会を提供しています。
二科展の持つ魅力は全国各地で広がり、毎年多くの人々に新しい芸術の可能性を感じさせています。

部門は4つ用意されている

二科展は、広く一般からの作品公募を行い、会員による熟練した作品の発表の場としても重要な役割を果たしています。
展覧会には、絵画や彫刻などの作品が展示され、参加者の幅広い表現を促進しています。
二科展は、通常の秋の展示に加えて、会員や新進作家のために春季展も開催され、こちらは会員による実験的な作品発表や、若手作家の育成を目的としているものです。

展覧会は、主に絵画・彫刻・デザイン・写真の4つの部門に分かれており、これにより多様な芸術形式が集約されます。
これらの部門は、各作家が表現するテーマや技法に応じた多様な視点を提供し、観客にとっては幅広い選択肢が魅力です。
二科展は、各部門が互いに刺激し合い、芸術の発展を後押しする場としても機能しており、参加する作家にとっては重要な発表の機会となっています。

二科展(二科美術展)の歴史

二科展は、1914年に誕生した「二科会」によって主催され、現在に至るまで長い歴史を持つ日本の重要な美術展です。
日本の洋画壇の黎明期は、1889年に創立された「明治美術会」や、1896年に東京美術学校に設置された洋画科の発展に始まりました。
この時期、フランスに留学していた新進の芸術家たちが帰国し、文部省展覧会(文展)の審査において、従来の価値観と新しい価値観が衝突するようになりました。
新旧の価値観を分ける必要性が求められたものの、政府の対応は遅れ、結局却下されてしまいます。

その後、1914年には、文展の洋画部に対抗して、新進作家たちによって「二科会」が結成され、芸術の自由と新しい美術の確立を掲げて活動を開始しました。
「流派の如何にかかわらず、新しい価値を尊重し、創造者の制作上の自由を擁護する」という理念のもと、二科会は1世紀にわたる歩みを続けています。
二科会は、常に時代の新しい傾向を取り入れ、数多くの著名な芸術家を輩出し、革新的な美術を牽引してきました。

二科展は、現在、絵画・彫刻・デザイン・写真の4部門で開催されており、絵画部と彫刻部は1979年に法人化され、社団法人二科会として発足しました。
2007年からは、上野の東京都美術館から六本木の国立新美術館に会場を移し、新たな歩みがスタートします。
そして、2012年には公益社団法人として認定され、広く社会に貢献する活動を続けています。

また、春には東京都美術館で開催される春季展が、会員による実験的な作品発表と新進作家の育成の場として注目されているのです。
一方、秋の二科展は、全国から広く作品を公募し、会員が研鑽を重ねた完成度の高い作品を発表する場として、年々多くの来場者を集めています。
さらに、東京展の後には主要都市を巡回し、全国の美術愛好者に新しい芸術を届けています。

二科展(二科美術展)に出展(受賞)した有名作家・作品

二科展は、数多くの才能ある芸術家が自身の作品を発表する舞台であり、美術史に名を刻む作品を生み出してきた展覧会です。
その長い歴史の中で、国内外で高く評価される多くの著名作家がこの展覧会にかかわり、新しい表現の可能性を切り開いてきました。

岸田劉生

岸田劉生は、日本の近代美術を代表する画家の一人であり、その芸術は西洋と東洋の美の融合によって独特の境地を切り開きました。
後期印象派に影響を受けながらも、のちに決別してからは写実性を追求するようになります。
彼の描く写実は単なる現実の再現にとどまらず、モチーフが持つ内なる神秘や存在感を引き出すことを重視したものでした。
東洋美術にも深く影響を受けており、京都や奈良を訪れた経験を通じて、東洋の美が持つ奥深さに魅了され、独自の美的概念である「卑近美」という言葉でその特質を表現しました。
東洋の美の隠れた部分に渋さや神秘、厳粛さを内包していると考え、それを自身の作品に反映させています。

岸田劉生が二科展に出展した作品の一つには『静物(湯呑と茶碗と林檎三つ)』があります。

藤田嗣治

藤田嗣治は、フランスを拠点に活動しながら、日本と西洋の技法を融合させた独自の画風を確立した画家です。
彼はキュビズムやシュルレアリスムなど、当時フランスで流行していた前衛的な美術運動に触発されるとともに、日本画の伝統技術を油彩画に取り入れるという斬新な試みを行いました。
その結果、彼の作品は独自性を増し、「エコール・ド・パリの寵児」と称されるほどの成功を収めます。

二科展への出展作品には『メキシコに於けるマドレーヌ』があります。
藤田嗣治は、日本美術の伝統と西洋美術の革新を巧みに融合させ、国内外で高く評価される作品を数多く残しました。
その中で二科展での発表は、彼の才能が広く認められる契機の一つとなり、現代でもその影響を感じさせるものです。

東郷青児

東郷青児は、「青児美人」や「東郷様式」と呼ばれる独自の美人画スタイルを確立し、日本の近代美術界で大きな影響を与えた画家です。
彼の美人画は、艶やかな曲線や洗練された色使い、シンプルながらも印象的な構図で知られています。
限られた色数を用いながらも豊かな表現力を発揮し、女性像に独特の魅力を与えました。
大胆なフォルムや構図には、ピカソの影響も見られますが、そこに日本的な繊細さを加えることで独自のスタイルを築き上げました。

二科展に出品した作品の一つに『超現実派の散歩』があります。
東郷青児の作品は、女性の魅力をただ写実的に描くだけでなく、そこに時代性や独自の美学を加えることで、唯一無二の世界観を作り上げています。

岡本太郎

本太郎は、絵画のみならず彫刻やパフォーマンス、建築デザインなど多岐にわたる分野で活躍し、日本の近代美術史に強烈な印象を残した芸術家です。
彼の作品には一貫して反骨精神が息づいており、既成概念や権威に挑む姿勢がその根底にあります。

二科展に出展された『重工業』は、岡本太郎の初期の活動を象徴する作品の一つです。
また、岡本はその後も『森の掟』や『明日の神話』など、強烈なメッセージ性を持つ作品を発表。
岡本太郎は、「芸術は爆発だ」という彼の名言に象徴されるように、見る人に衝撃と問いを投げかける作品を生み出しました。

萬鉄五郎

萬鉄五郎は、日本近代洋画の発展において重要な役割を果たした画家の一人です。
『裸体美人』や『もたれて立つ人』といった作品で知られ、その表現力や視点の独自性が高く評価されています。
彼の作品は、単なる西洋絵画の模倣にとどまらず、独創的な手法で日本美術の可能性を広げました。

西洋美術の動向にも敏感だった鉄五郎は、ポスト印象派やフォーヴィスム、キュビスムなど当時最先端の芸術潮流からも刺激を受けました。
しかし、それらの影響に満足することなく、自らの価値観を反映した独自のスタイルを確立しています。

二科展に出展された『もたれて立つ人』は、鉄五郎の創作姿勢を象徴する一作です。
萬鉄五郎の作品は、伝統と革新、西洋と日本という異なる要素を内包しながら、新しい美術の可能性を追求したものです。
その革新的な姿勢は、二科展をはじめとする発表の場を通じて、多くの人々に刺激を与え続けています。

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