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芸術に漫画・アニメ・特撮映画などを取り入れた「ヤノベケンジ」とは
ヤノベケンジが制作する作品は、ユーモラスがあり、子どもから大人まで親しみのもてる作品でありながらも、その奥には社会的メッセージが込められています。
多くの作品は、ヤノベケンジが構想を練った壮大なストーリーにもとづいて作成されており、そのストーリー性が、人々を魅了する要因の一つともいえるでしょう。
幼いころに大阪万博会場跡地で遊んだ体験が原動力に
ヤノベケンジを創作の道へと突き動かさせたのは、幼いころに遊んだ大阪万博会場跡地での経験といわれています。
ヤノベケンジが6歳で大阪府茨木市に引っ越してきたときには、すでに大阪万博は終了し、跡地は再利用の計画が頓挫し更地工事が続いている状況でした。
大阪万博跡地でみた近未来的なパビリオンの残骸や、巨大ロボットが放置されているお祭り広場で遊んだヤノベケンジは、未来の廃墟をイメージしたそうです。廃墟と聞くと、寂しい気持ちや悲しい気持ちになりそうですが、ヤノベケンジはむしろこの場所から何でも創り出せると胸が高鳴ったのを覚えているそうです。
このできごとをきっかけに、子どものころから特撮に夢中になり、怪獣のイラストを描いたり造形したりしてSF雑誌『宇宙船』に投稿していました。
ユーモラスな作品を次々に制作していく
1989年に京都市立芸術大学美術学部彫刻専攻を卒業後、ヤノベケンジは短期留学で、イギリスの国立大学であるロイヤル・カレッジ・オブ・アートへ行き、その後1991年に京都市立芸術大学大学院美術研究科を修了しています。
ヤノベケンジは、1990年に京都のアートスペース虹にて、生理食塩水を入れたタンクの中に鑑賞者が浸かり瞑想する体験ができる『タンキング・マシーン』を制作しました。
この作品は、第1回キリンプラザ大阪コンテンポラリーアワードで最優秀作品賞を受賞しています。
1992年には、水戸芸術館で個展「妄想砦のヤノベケンジ」を開催し、美術館に住み込んで「サバイバル」をテーマに、放射能汚染された環境でも生き抜ける機能を備えたユーモラスのあるデザインのスーツや、サバイバル用の機械一式、それらを収納して移動するための車などを発表しました。
以後、ヤノベケンジは「サバイバル」をテーマに、世界の終末のような環境下でも使える機械彫刻シリーズの制作を続け、1994年以降は拠点をベルリンに移して、欧米でも精力的に活動を続けました。
海外では、日本のサブカルチャーと関連して取り上げられることが多く、大きな注目を浴びています。
「アトムスーツプロジェクト」でチェルノブイリを訪問
1990年代の後半から、史上最後の遊園地計画「ルナ・プロジェクト」の構想を練り、その一環として「アトムスーツプロジェクト」をスタートさせました。
どこか鉄腕アトムを思わせる、ガイガーカウンター付き放射能感知服を制作・着用し、チェルノブイリ原発やその周辺の放置された都市の廃墟を歩き回ります。
また、スーツを着用して大阪万博跡地にある万博記念公園や砂漠、海岸なども歩き回り、幼いころに感じていた未来の廃墟への時間旅行を行いました。
チェルノブイリの激しい放射線量や開催後30年を経て朽ちていく様子、遊園地や保育園、軍用車の残骸など、現実の廃墟を目のあたりにしたヤノベケンジは、そこで生きる人々たちとの出会いや体験を通して、以後「廃墟からの再生」をテーマにした作品制作に移行していきました。
チェルノブイリの保育園でみた人形と大阪万博跡地の廃墟でみたロボットからインスピレーションを受け、大型ロボットや子どもの命令のみによって歌い踊り火を吹く巨大な腹話術人形型ロボットなどを制作します。
また、2003年には、大阪万博の美術館であった国立国際美術館にて集大成的展覧会『メガロマニア』を開きます。
解体されたエキスポタワーの朽ち果てた展望台の一部分を使用し、展望台内で生えていた苔を生育する作品の制作も行いました。
精力的な活動でさまざまな領域に表現を広げていく
ヤノベケンジは、1990年に芸術家としての実質的なデビューを果たし、約30年間創作活動を続けてきています。
移り変わっていく社会の状況をみながら、彫刻や絵画、インスタレーション、絵本、映像、CG、映画、舞台など、表現の幅を広げその時々にあった創作活動を行っています。
また、イッセイ・ミヤケ、パパ・タラフラマ、ビートたけし、宮本亜門、増田セバスチャン、堀木エリ子など、さまざま分野で活躍しているクリエイターやアーティストともコラボを果たし、多くの芸術を創作してきました。
近年は、全国各地に巨大彫刻やパブリックアートを設置し、作品が一般の人々の目に触れる機会も多くなっています。
年表[ヤノベケンジ]
西暦(和暦) | 満年齢 | できごと |
1965年(昭和40年) | 0歳 | 大阪府茨木市に生まれる。 |
1989年(平成元年) | 24歳 | 京都市立芸術大学美術学部彫刻専攻を卒業。 |
1990年(平成2年) | 25歳 | 作品『タンキング・マシーン』を発表。第1回キリンプラザ大阪コンテンポラリーアワード最優秀作品賞を受賞。 |
1991年(平成3年) | 26歳 | 京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。 |
1992年(平成4年) | 27歳 | 水戸芸術館で個展「妄想砦のヤノベケンジ」開催。サバイバルマシーンのコンセプトを発表。 |
1994年(平成6年) | 29歳 | ベルリンに移住し、活動拠点を置く。 |
1997年(平成9年) | 32歳 | 「アトムスーツプロジェクト」を開始。チェルノブイリ原発や万博記念公園で撮影を行う。 |
2003年(平成15年) | 38歳 | 国立国際美術館で展覧会「メガロマニア」を開催。大阪万博のエキスポタワーの一部を使用した作品を展示。 |
2005年(平成17年) | 40歳 | 豊田市美術館で個展「KINDERGARTEN」を開催。大型ロボット『ジャイアント・トらやん』などを発表。 |
2011年(平成23年) | 46歳 | 東日本大震災と福島第一原発事故の影響を受け、『サン・チャイルド』を制作。 |
2012年(平成24年) | 47歳 | 福島市や茨木市に『サン・チャイルド』像を設置。 |
2016年(平成28年) | 51歳 | 第29回京都美術文化賞を受賞。 |
2018年(平成30年) | 53歳 | 福島市に設置された『サン・チャイルド』が、批判を受け撤去される。 |
2021年(令和3年) | 56歳 | 岡山県倉敷市の大原美術館で作品『サン・シスター(リバース)』を一般公開。 |