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塩田千春(1972年-)現代画家[日本]

ベルリン在住の現代美術家「塩田千春」とは

塩田千春は、1972年、大阪府岸和田市生まれ、ベルリン在住の現代美術家です。
生と死や、存在とは何か、など人間の根源的な問題をテーマに、糸を紡いだ大規模インスタレーションをメインに制作しています。
そのほか、立体や写真、映像など多彩な手法を用いて作品を制作しています。
空間に糸を張り巡らせた迫力のあるインスタレーションを、直接はなくともSNSで見かけたことがある人も多いのではないでしょうか。

高校から美術系の学校へ進学した千春は、京都精華大学洋画科に進学します。
在学中に、オーストラリア国立大学キャンベラスクールオブアートへ留学。
その後、ブラウンシュバイク美術大学やベルリン芸術大学でもアートを学び、ベルリンを拠点に活動するようになりました。
2008年に芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞すると、2015年には第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館代表に選ばれています。
2008年に国立国際美術館、2012年に丸亀猪熊源一郎現代美術館、2013年に高知県立美術館、2018年に南オーストラリア美術館、ヨークシャー彫刻公園、2019年に森美術館と、国内外問わず数多くのギャラリーで個展を開催しており、国際的な活躍を見せています。

2001年の横浜トリエンナーレ、2010年の瀬戸内国際芸術祭、2012年のキエフ国際現代美術ビエンナーレ、2016年のシドニー・ビエンナーレにも参加しており、世界各国に活動の幅を広げているといえるでしょう。

 

塩田千春の思想と世界観

千春は、記憶や不安、沈黙、夢など、カタチのないものを表現したインスタレーションやパフォーマンスを行っています。
これらの作品は、個人的な体験を出発点にしているのが特徴です。

作品制作は足りない何かを埋めるための行動

ガンにより療養していた期間、千春は、自分に何かが足りていないという感覚を常に持っていました。
自身には足りないものばかりであり、その満たされない何かを埋めるために作品を制作しているのです。
そのため、千春の作品はちょっとした欠けやズレがきっかけで始まることが多いといいます。

ベルリンに3年ほど住み、久しぶりに日本へ帰ると、さまざまな違和感を覚えたそうです。
靴のサイズは、昔と変わらないはずなのに履き心地がしっくりこなかったり、昔の友人と会っても何かが違う感覚があったり、人や物、風景などすべてが3年離れている間に想像していたものとズレてしまっていました。
しかし、この想像と実際のギャップにより生まれた「なぜ」が、作品制作につながっていくのです。
千春は、想像したものをすぐにカタチにするのではなく、自分の中で温める期間があるといいます。
心で感じたことと向き合い、イメージを膨らませてからカタチにしていきます。
想像から制作までの間に、新しいアイディアが浮かんでも、スケッチはあえてしないそうです。
絵にしてしまうと、絵という作品になってしまうため、言葉だけで書きだすことが多くあります。

自由な時間がクリエイティブな発想を生む

数々の作品を生み出していく中で、千春が特に大切にしているのが自由な時間です。
ヨーロッパには、カフェ文化がありますが、何をして暮らしているのかわからないような人々が、昼間からカフェでお茶を飲んでいる姿をよく見かけていたそうです。
クリエイティブな発想を生み出すためには、何もない、何にもならない時間をただぼーっと過ごすことが大切だと考えています。

自由な空気のベルリンに惹かれる

千春は、ベルリンに住み制作活動を進めていますが、最初からベルリンに住もうと決めていたわけではありませんでした。
美大を卒業した後、すぐにギャラリーで個展を開催したり美術館で展覧会を開催したりするのは難しいため、さらにアートを学ぼうと留学を考えたそうです。
当時、ドイツに留学の受け入れ先があったこと、たまたま訪れたベルリンの街が魅力的だったことから、移住を決意しました。

ドイツを東西に分けるベルリンの壁が壊されたのは1989年、千春がドイツに留学したのは、その数年後のことでした。
さまざまな場所で改装工事が行われており、アーティストたちは次々と現場に入り、自由な空気が流れていたそうです。
世界中から集まったアーティストがアトリエを構え、多種多様な国々の芸術家が混じり合い、個性を主張しながら創造を広げている空間に魅了されたのでした。

国境のない現代美術を目指す

千春は、本来自由であるはずの現代美術の世界にも国境やナショナリズムの意識が残っていると感じているそうです。
たとえば、グローバリゼーションの展覧会として開催されていても、日本人作家、アフリカ人作家、アメリカ人作家など、数カ国の芸術を集めただけの展覧会が多く、ナショナリズムが残っていると感じたそうです。
千春が、ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館で展示を行った際「日本の代表としていかがでしょうか?」と質問され、違和感があったといいます。
千春は、日本の文化を伝える作品を制作しているわけではなく、国籍や性別などに関係なくわかりあえる現代美術を目指しています。

 

ガンにより死と向き合い個展を開催する

2017年、千春は2度目の卵巣がんを発病し、死と向き合いました。
6時間にもおよぶ大手術の末、卵巣を摘出し、5か月にわたり抗がん剤治療を続けることで、ガンを克服しました。
病に打ち勝った千春は、2019年に「魂がふるえる」という個展を森美術館にて開催します。
展示された『Cell』シリーズは、細胞をテーマにした作品群で、生と死を命題に作品を制作しました。
心と身体が引き裂かれるような苦しい体験をした千春が、人間としての尊厳や自我を、再び自分の身体へと取り戻すために作られたのが『Cell』です。

 

塩田千春が制作した作品たち

千春の作品は、作品の中を歩き回れるほど大規模なものも多く、そのインパクトに圧倒される人も多くいます。

『不確かな旅』

真っ赤な糸が展示室全体に広がる大規模なインスタレーション作品で、千春といえば「糸」シリーズを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
もつれあったり、絡まりあったりしている赤い糸は、体内をめぐる血液を表現しているようでもあり、人と人とのつながりを表現しているとも捉えられます。
「舟」も千春がよく活用するモチーフの一つで、骨組みだけで作られた舟は、行く先がわからない不安や不確かさなどを象徴しているように感じられます。

『静けさのなかで』

黒い糸が張り巡らされた空間で、焼けたピアノと椅子が静かに佇んでいる様子が印象的な作品です。
空間とモチーフを覆いつくす黒い糸は、見る者に不穏な気持ちや不安を感じさせます。
『静けさのなかで』は、千春が幼いころに見た近所の火事と、焼け跡から見つかったピアノという実体験の記憶をもとに制作されています。

『内と外』

2004年ごろから制作を開始した「窓」シリーズの一つで、『内と外』には旧東ベルリンで使用されていた古い窓枠が約250枚も使われています。
すべての窓に歴史や生活感が残っていて、住んでいた人たちの記憶を覗き込んでいるかのような感覚を味わえます。

 

年表:塩田千春

西暦(和暦) 満年齢 できごと
1972(昭和47年) 0 大阪府岸和田市に生まれる。
1993(平成5年) 21 京都精華大学在学中、オーストラリア国立大学に交換留学。大規模ドローイングや糸を使った作品を制作。
1996(平成8年) 24 ハンブルク美術大学に入学。
1997(平成9年) 25 ブラウンシュヴァイク美術大学でマリーナ・アブラモヴィッチに師事。
2000(平成12年) 28 ベルリンを拠点に国際的な展示活動を開始。
2008(平成20年) 36 平成19年度芸術選奨新人賞、咲くやこの花賞美術部門を受賞。
2015(平成27年) 43 56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本代表として「掌の鍵」を展示。
2019(令和元年) 47 森美術館で個展「魂がふるえる」を開催。過去25年間の活動を回顧。
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