川合玉堂は、日本画壇を盛り上げた日本画家の1人です。
玉堂が亡くなった後も、作品は高く評価され続けています。
玉堂の作品を愛した人々が寄附を募り、死後4年が経ったとき、玉堂が亡くなるまでの期間を過ごした御岳渓谷の地に玉堂美術館が設置されました。
また、玉堂には、長野草風、池田輝方、池田蕉園など多くの門下もいました。
目次
日本の自然を愛した画家「川合玉堂」とは
川合玉堂は、明治・大正・昭和と時代をまたいで活躍した日本画家です。
近代日本画壇の巨匠ともいわれています。
玉堂は、日本の自然をこよなく愛しており、多くの風景画作品を残しています。
少年期は岐阜で過ごし京都で絵を学ぶ
川合玉堂は、本名・川合芳三郎で、愛知県にて生まれました。
少年期は岐阜で過ごしており、そのときに見た風景は、思い出の地として玉堂作品にもたびたび登場しています。
玉堂は、12歳ごろから絵を学び始め、14歳になると京都にて望月玉泉の門下となりました。
玉泉門下では、「玉舟」の号を授かります。
その後は、幸野楳嶺に入門し、四条派や円山派からも画術を学びます。
1890年、17歳のころより「玉堂」の号で活動を始め、その年に『春渓群猿図』を『秋渓群鹿図』を制作しました。
この作品は、第3回内国勧業博覧会にて入選を果たしました。
1896年には京都を離れ東京に移住し、橋本雅邦に師事します。
また、岡倉天心や横山大観、雅邦らが創立した日本美術院に当初から参加します。
私塾や展覧会の審査員などで日本画壇を盛り上げる
1900年ごろ、私塾「長流画塾」を開設し、1907年には第1回文部省美術展覧会の審査員に任命されました。
1915年からは、東京美術学校日本画家の教授に就任。
日本画壇の代表人物となり活躍を続けます。
1931年には、フランスからレジオンドヌール勲章を受賞しています。
また、1933年に赤十字第一等名誉賞をドイツ政府から贈られています。
1940年には、文化勲章を受賞するなど、玉堂は日本だけにとどまらず海外からも高く評価された日本画家です。
川合玉堂の3人の師
川合玉堂には、望月玉泉・幸野楳嶺・橋本雅邦の3人の師がいます。
川合玉堂は、3人の異なる流派から学んだ画術を、自身に取り込み独自のスタイルを確立させたといえるでしょう。
最初の師・望月玉泉
望月玉泉とは、明治から大正にかけて活躍した日本画家です。
望月派と呼ばれる江戸時代から続く京都絵師の家系に生まれました。
父・望月玉川、玉泉の息子・望月玉渓もまた日本画家として活躍しています。
望月玉泉は、円山派・四条派・岸派の画法を学んでおり、写実的な画風を確立しました。
山水画や花鳥画にて京都画壇で名を広め、望月派の四代目当主となっています。
川合玉堂の写実的な画風は、望月玉泉のさまざまな流派から学びえた画風が影響していたとも考えられるでしょう。
幸野楳嶺
幸野楳嶺は、江戸時代の終わりから明治時代にかけて活躍した日本画家です。
変化の大きい時代に、数多くの優れた作品を残しています。
また、画家としてだけではなく京都府学校と呼ばれる日本初の近代的な美術教育機関の設立にも携わり、京都画壇の進展に貢献しました。
楳嶺は、円山派や四条派の師を持ち、それぞれの画法を受け継いでいるといえます。
楳嶺の作品は、写生をベースにした情感漂う穏やかな花鳥画が特徴です。
私塾を開き、更新教育にも熱心であった画家です。
川合玉堂の情緒あふれる自然の風景は、楳嶺の画法を学び得たからであると考えられるでしょう。
橋本雅邦
橋本雅邦は、江戸時代の終わりから明治時代に活躍した日本画家です。
雅邦は、狩野派の画家であり、東京美術学校の発足にもかかわりをもつ人物です。
第一次の帝室技芸員のメンバーにも選ばれており、日本画壇の重鎮でもあります。
日本美術の教育面においても大きく貢献しました。
川合玉堂は、雅邦の狩野派の画法を取り入れることで、温和な日本の風景を表現したといえます。
玉堂は、円山派や四条派の画法も取り入れつつ、あくまでも狩野派の伝統的な線描を基本とした作品を多く手がけています。
川合玉堂が描く作品の特徴
23歳で東京画壇に転じたのちに、橋本雅邦から学びを得て狩野派の画術を極めました。
円山派と四条派、狩野派の画風を見事に調和させ、日本特有の四季折々の美しい景色を風景画で表現しています。
独自の視点から写実的かつ情緒豊かな自然の風物詩を描き、風景画の境地を開きました。
穏やかで柔らかな光で描かれた、平穏な日常風景は、見た者の心に思い浮かぶ故郷の情景を表現しているかのようです。
また、玉堂は西洋画や琳派からも影響を受けており、これまでの山水画とは一線を画した作品を手がけているのも特徴です。
玉堂は、写実的な日本の風景と、そこに暮らす日本人の生活を好んで描いていました。
川合玉堂の代表作
川合玉堂は、日本の風情ある景色を大変愛しており、穏やかな自然を表現した風景画を多く残しています。
代表作には『行く春』『夕月夜』『春雨』などがあります。
『行く春』
『行く春』は、川合玉堂が秋と春に秩父へ旅行し、長瀞から4里ほど川下りを楽しんだときの、自然風景を参考に描かれたといわれています。
対岸の大きな岩肌には、淡い光が差し込み、水面の照り返しからは水の輝きや流れが感じられる作品です。
桜の花びらが散る様子から春の始まりを思わせる作品であると伝わります。
川下りという激しい川の流れをイメージさせる題材ですが、この作品では、雄大な自然の穏やかさが感じられる点も魅力の一つです。
『夕月夜』
『夕月夜』は、1913年に制作された作品で、第7回文展に出品し高評価を得ています。
夕方になり始めたころの水郷の様子を描いており、木橋の上を家路へと急ぐ漁夫と子どもが歩いています。
また、2人を月の光が淡くそして暖かく照らしているかのような表現からも、自然の穏やかさを感じられる作品です。
川合玉堂の温和な性格と、追い求めていた平和な自然観がマッチした情緒あふれる作品といえるでしょう。
『春雨』
『春雨』は、1942年ごろに描かれた作品です。
春の雨で煙る景色が表現されており、水を引くための筧の向こうには、山桜がぼんやりと浮かんでいます。
雨に濡れた木々や若葉が美しく描かれており、写実的ながらも幽玄な情景を思わせる作品です。
水車や草叢、小路を歩く農婦の姿から、自然の中で暮らす人々の生活も目に浮かびます。
日本人の感性に語りかけ、どこか懐かしい気持ちにさせてくれる作品といえるでしょう。