浮世絵といえば、江戸時代から明治時代にかけて、庶民の娯楽として大流行した木版画です。
人気浮世絵師の手がけた作品は、状態が良ければ高値をつけてもらえる可能性があります。
東洲斎写楽や喜多川歌麿など、一世を風靡した浮世絵師たちの描いた「大首絵」などをお持ちの方は、プロの査定士に見てもらうことをお勧めします。
目次
人気浮世絵師も描いた大首絵は高価買取できるかも
歌舞伎役者を描いた「大首絵」を描いた浮世絵師は、数多く存在し、今でも多くの作品が残されています。
人気浮世絵師による「大首絵」を高価買取してもらうため、どのような点に注意すれば良いのでしょうか。
大首絵とは
「大首絵(おおくびえ)」とは、浮世絵版画の中でも特に、人物の顔または上半身を大きく描いた一枚摺りの作品です。
大首絵は、主に美人画や役者絵に見られ、被写体の特徴や表情が強調される点が魅力です。
役者の個性や役柄の持ち味を、個性的な表現で描写した作品が多数存在し、国内・国外を問わず高い人気を誇ります。
大首絵の中でも、顔だけを大きく描いた作品は「大顔絵(おおかおえ)」と呼ばれ、勝川春章や勝川春好ら、勝川派の絵師が起源とされます。
大首絵は、1716〜1736年ごろ、鳥居清信が描いた漆絵が起源と考えられていますが、当時はまだ作品数があまりありませんでした。その後、1772〜1781年ごろになると、徐々に大首絵が増えていきます。
1781〜1789年ごろには、大首絵を描く浮世絵師が多数登場し、役者絵では東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)、美人画では喜多川歌麿(きたがわうたまろ)が活躍。彼らの描いた浮世絵は、大首絵の人気を一気に押し上げたと言えるでしょう。
美人画の名作を多数残した喜多川歌麿と、突如登場して役者絵に革命をもたらした東洲斎写楽。
同じ時代に活躍したこの2人は、大首絵の世界で双璧をなす存在です。
大首絵の浮世絵は高く売れる?
大首絵の浮世絵は、喜多川歌麿や東洲斎写楽など、美人画や役者絵の人気浮世絵師によって数多く制作され、独特の魅力や芸術性が高く評価されています。
大首絵は、浮世絵の中でも特に人気の高いジャンルで、人気絵師の作品や保管状態の良いものは高価買取の可能性が十分にあるでしょう。
大首絵にはどんな浮世絵があった?
大首絵を代表する浮世絵師として、美人画の喜多川歌麿と、役者絵の東洲斎写楽を抜きにしては語れません。
大首絵の傑作として名高い作品には、具体的にどのような浮世絵があったのでしょうか。
美人画『寛政三美人』
作家名:喜多川歌麿(きたがわうたまろ)
喜多川歌麿は、1753年(宝暦3年)に生まれたとされる浮世絵師です。
しかし、生年や出身地は、はっきりとわかっていません。キャリア初期には、妖怪や幽霊の浮世絵で知られる鳥山石燕(とりやませきえん)に師事し、幅広いジャンルで才能を開花させ、特に美人画において名を馳せました。
1788〜1789年ごろに狂歌絵本の挿絵を手がけ、1790年頃から美人大首絵を描き始めてから、大きな人気を得るようになります。
喜多川歌麿の美人画は、当時一般的だった全身像だけでなく、顔を中心とした構図が特徴的でした。
喜多川歌麿の美人画として有名な『寛政三美人(かんせいさんびじん)』は、1793年(寛政5年)ごろの作品です。
当時の美人画としては珍しく、記号化された美人ではなく、3人それぞれの容貌が写実的に描き分けられている点が最大の特徴と言えるでしょう。
寛政三美人に描かれたのは、当時並ぶもののいない美人として評判だった、富本豊雛(とみもととよひな)、難波屋おきた(なにわやおきた)、高島屋おひさ(たかしまやおひさ)の3人です。
喜多川歌麿は、彼女たちの浮世絵をほかにもいくつか描いています。
役者絵(歌舞伎絵)『大谷鬼次の奴江戸兵衛』
作家名:東洲斎写楽
東洲斎写楽は、1794年(寛政6年)に突如現れ、約10か月の間に140点あまりの作品を発表した生没年不明の浮世絵師です。
東洲斎写楽は、江戸の版元である蔦屋重三郎(つたやじゅうさぶろう)の下で、歌舞伎役者の大首絵28図を一挙に出版し、一躍注目を集めました。
しかし、鮮烈なデビューからの短い活動期間の後、東洲斎写楽は表舞台から忽然と姿を消し、彼の詳しいプロフィールや正体はいまだ明らかになっていません。
東洲斎写楽の描く役者絵の特徴は、役者の個性を大胆にデフォルメして描き出すことにあります。
役者絵は、役者を美化して描くことがあたり前でしたが、東洲斎写楽はあえて役者の個性や人間的な魅力を大胆に表現しました。役者の特徴的な顔立ちをリアルに捉え、誇張して描くことにより、内面的な魅力や演技力までもが表現されているかのように見える点が、東洲斎写楽の役者絵の魅力です。
東洲斎写楽の代表作として『大谷鬼次の奴江戸兵衛(おおたにおにじのやっこえどべえ)』を挙げる方は多いのではないでしょうか。
この作品に描かれた人物は、中村仲蔵(なかむらなかぞう)という江戸時代後期の歌舞伎役者ですが、歌舞伎役者としてではなく、東洲斎写楽の浮世絵で特に有名な人物です。
『大谷鬼次の奴江戸兵衛』にも顕著ですが、東洲斎写楽の作品には、緻密に計算された役者の身体表現が見られます。役者の表情や手の動きの一つひとつに、彼らの内面や緊張感、そして魂までが映し出されているかのようです。
大首絵の魅力…繊細に描かれた、髪の毛やまつ毛
美人画や役者絵などの浮世絵で、特に美しく繊細に描かれている部分が、髪の毛やまつ毛などの毛です。
特に顔周りが大きく描かれる「大首絵」の場合、髪の毛やまつ毛が非常に細やかに描写されており、注目して見るとそのあまりの繊細さに魅了されてしまうでしょう。
美人画を中心に用いられる、この表現技法は「毛割(けわり)」と呼ばれます。
毛割は、髪の毛一本一本を細い線で表現する版画の技法で、髪の生え際やまつ毛の微かな描写に用いられることの多いテクニックです。
毛割には主に「通し毛」・「八重毛」と呼ばれる2つの技法があります。
「通し毛」は、髪の毛を長く彫る方法で、滑らかに髪の毛を表現する方法です。
一方で「八重毛」は、生え際や襟足を櫛で梳いたように、複雑かつ美しく表現できます。
髪の毛の一本にまで気を配る毛割の技法は、特に喜多川歌麿の美人大首絵が描かれていたころに発展しました。
髪の毛に対する毛割の技法は、女性の表情を自然に、そして魅力的に描く上で重要な技法であると言えるでしょう。この技法は非常に難しいものでしたが、彫師にとっては腕の見せどころであり、親方格の「頭彫(かしらぼり)」と呼ばれる立場の人物が担当したようです。
毛割の技術は、喜多川歌麿の全盛期である1790年代ごろに、大首絵ならではの技法として確立し、浮世絵師たちは、さらなる芸術性と美の追求の道へと進んで行きました。
人気の大首絵浮世絵の買取は、プロの査定士へ相談を!
美人画や役者絵の中でも顔を大きく描いた「大首絵(おおくびえ)」は、1789年(寛政元年)ごろに登場した浮世絵のジャンルです。
美人画で有名な喜多川歌麿や、歌舞伎の役者絵で有名な東洲斎写楽なども、大首絵を多数残しており、誰しもが思い浮かべる有名な作品も多数あります。
大首絵は、被写体の細かな表情や動き、髪の毛やまつ毛などの細部まで繊細に表現されており、浮世絵の高度な技術と美意識の現れと言えるでしょう。
浮世絵の中でも人気の高いジャンルとして知られ、高価で取り扱われている作品も多いのが特徴です。
大首絵の買取価格は、作者や作品の状態、希少性や描かれた時期など、さまざまな要素によって変動します。
適正な買取価格を求めるならば、知識と経験豊富なプロの査定士に依頼することが重要。
高価買取の機会を逃さないためにも、大首絵浮世絵の買取は、プロの査定士へご相談ください。