有田焼の窯元である今泉今右衛門とは
今泉今右衛門とは、江戸時代から受け継がれている、現在の佐賀県である肥前国の陶芸家の名跡です。
名跡とは、代々継承される名前のことで、今泉今右衛門は現在14代まで続いています。
370年の歴史と伝統を誇る窯元で、江戸時代に鍋島藩から将軍家へ献上する品として造られた色鍋島の御用赤絵師を継承した家系です。
また、調合や技術は一子相伝の秘宝として保護されていました。
明治になると藩からの保護を失い、当時の当主である10代今泉今右衛門は、生地から赤絵付けまでを一貫して制作する体制を作り、経済的・技術的に苦しみながらも、12代まで3代かけて江戸時代の色鍋島の復興を成功させました。
そして、のちに今右衛門窯の技術は、国の重要無形文化財の保持団体として認定を受けています。
11代今泉今右衛門は、絵を描くのが得意であったため、10代までの伝統的な赤絵技法に加えて、色鍋島や古伊万里の復元に貢献しました。
10代を手伝い窯焼きを行う一方で、行商にも奔走していたそうです。
歴代今右衛門の中で、最も名工の誉れが高い人物で、絵付けにおいては右に並ぶ者はいないとまでいわれるほどです。
12代今泉今右衛門は、代々受け継がれてきた伝統や古典美を大切にしながらも、妥協を許さない職人気質な性格もあり、独自の視点で格調高い革新的な作品を制作しています。
古陶磁の目利きでは、右に出る者はいないといわれるほど、研究熱心な人物であったそうです。
13代今泉今右衛門の時代には、江戸時代から伝わる技術はそのままに、伝統工芸として現代の人々に広く知ってもらうためには、新しい仕事をしなくてはならないという考えのもと、色鍋島の技術に芸術性を見出していきました。
13代今泉今右衛門は、現代の色鍋島のもととなる吹墨や薄墨、緑地の技術を確立し、1990年に国の重要無形文化財保持者の認定を受けました。
現当主である14代今泉今右衛門は、江戸時代より継承され鍋島でよく使用されていた「墨はじき」と呼ばれる白抜きの技法を用いた作品で、現代の色鍋島の品格や風格を追い求めています。
焼き物・今右衛門窯の特徴
今右衛門窯は、日本が誇る有田焼の三大窯元の一つです。
今右衛門窯の特徴を知ることで、今泉今右衛門の魅力にも触れていきましょう。
歴史ある窯元が代々受け継いできた技術や作品を鑑賞することで知見を深められるでしょう。
今右衛門窯は佐賀藩鍋島の御用達がルーツ
今泉今右衛門は、代々鍋島焼の中でも色鍋島の伝統技術を継承してきた窯元です。
色鍋島とは、藍色の絵の具で下絵を描いて焼き、赤や黄色、緑色の色で上絵を描いた焼き物を指しています。
色鍋島を制作する今泉今右衛門は、もともと佐賀藩の御用赤絵師を務めていた家系で、技術を後世に残すために今泉今右衛門に代々継承していったのが始まりといわれています。
日本で初めて赤絵付けの技法を取り入れたのは、酒井田柿右衛門と呼ばれる人物です。
また、絵付けの柄をインテリアやアクセサリーなどに発展させたのが源右衛門です。
この2人は、有田の三右衛門と呼ばれており、有田焼の歴史において欠かせない人物とされています。
色鍋島の伝統技術を用いて作られた色絵磁気は、江戸時代ではほとんど市場に流通していなかったといわれています。
主に将軍家や宮中への献上品や、大名への贈答品として扱われていました。
伝統技術である色鍋島により制作された作品は、柞灰釉の青みのある釉薬を使用するのが特徴です。
今右衛門窯特有の「黒はじき」とは
黒はじきとは、白抜きと呼ばれる印刷や染色で文字もしくは模様の部分だけを白地で残す技術を指します。
江戸時代からある技術ですが、当時はあまり活用されていませんでした。
利用する人が少なかったこの黒はじきの技術を利用して色鍋島を作ったのが、今泉今右衛門家なのです。
黒はじきでは、まず文様の線画を墨で描いていき、その上から染付や薄墨の絵の具を乗せていきます。
墨は膠で固めているため、線画の部分だけ絵の具をはじくようになっています。
窯で焼くと墨は燃えてなくなり、磁肌の色が白抜きになる仕組みです。