印象は、京都で生まれ育った日本画家で、日本画家の西山翠嶂から絵を学び、帝国美術院展覧会をメインに活躍しました。
印象の作風は幅広く、日本画や西洋画、具象画、抽象画などを手がけています。
目次
堂本印象とは
生没年:1891年-1975年
堂本印象は、1891年酒造業堂本伍兵衛と芳子の間に3男として誕生しました。
本名は三之助で、兄が2人おり、寒星は芸能研究家として、漆軒は漆芸家として活躍していたそうです。
弟の四郎は、後年印象が芸術に専念できるよう尽くしたといわれています。
また、妹は5人おり、そのうち3人はそれぞれ森守明、山本倉丘、三輪晁勢ら日本画家の元に嫁いでいきました。
日本画家を志す
堂本印象は、1910年に京都市立美術工芸学校を卒業してから、三越図案部に関係したのち、龍村平藏の工房で西陣織の図案描きの仕事をしていました。
その後、日本画家になると決意し、1918年に京都市立絵画専門学校に入学します。
1919年に初出品した『深草』が第1回帝展に入選すると、第3回帝展では『調鞠図』が特選を受賞。
また、第6回帝展に出品した『華厳』は、帝国美術院賞を受賞しており、一流の日本画家として認められ、画壇の花形にのぼりつめました。
1924年に京都市立絵画専門学校研究科を修了し、日本画家としての活躍を大きくしていった印象は、1936年に京都市立絵画専門学校の教授に就任しました。
1937年には、この年からスタートした新文展の審査員に就任しています。
和神社の分霊を祭るため日本画を製作
1940年ごろ、新しく製造される戦艦大和に大和神社の分霊を祭るために、海軍が奈良県に日本画の制作を依頼します。
堂本印象が制作を引き受け『戦艦大和守護神』を描きますが、印象自身は製造中の新戦艦に飾られるとは知りませんでした。
絵には、奈良県の大和神社の神殿が描かれており、戦艦大和の艦長室に飾られることに。
しかし、沖縄への海上特攻前に作品は大和から降ろされ、現在は海上自衛隊第1術科学校教育参考館に所蔵されています。
多くの後進を育成
堂本印象は、自身が画家として活躍するだけではなく、後進の育成にも力を入れていました。
京都市立絵画専門学校の教授として多くの若い画家たちに絵を教えるとともに、私塾東丘社を開塾して、多くの後進を育成しました。
また、1944年には、これまでの功績が称えられて帝室技芸員に任命されています。
戦後は世界にも活躍の場を広げる
昭和初期までは、仏画や花鳥画、風景画などを繊細な筆使いで描き、伝統的な日本画を制作していた堂本印象でしたが、戦後約10年で画風が大きく変化していきました。
これまでは古典的なものに目を向けてきた印象ですが、戦後は一転して現代に注目するようになります。
1951年の第9回東丘社展に出品した『八時間』は、現代社会の風俗をモチーフにした作品です。
戦後に描かれた作品は、現代社会における不条理を象徴しており、その構成は徐々に伝統的な日本画の画風から、色面主体のものへと変化していきました。
海外の影響を大きく受けた印象の作品は、形態のデフォルメがされた洋画的表現が目立つようになっていきます。
1952年、61歳となった印象は、画家としての自分の道を再認識するために、日本画家として戦後初となる渡欧を実行し、パリをメインにイタリアやスペイン、ドイツ、スイスなどを約半年かけて旅しました。
渡欧中は、精力的に目で見た景色を数多くのスケッチや油絵として描き、帰国後に滞欧スケッチ展を開催しています。
西欧での学びは、1953年の第10回東丘社展に出品された『メトロ』や、翌年の第10回日展に出品した『疑惑』などに影響を与え、帰国後の制作活動に大きな変化を与えたといえるでしょう。
渡欧後に制作された作品は、渡欧直前までと同様に、風俗を題材にしながらも寓話的な社会画に仕上げられています。
渡欧前と異なるのは、色彩表現やよりシンプルになったデフォルメ表現などで、渡欧により日本画へ新しい風を吹き込んだといえるでしょう。
もともと信仰心が強かった印象は、仏教だけに捉われるのではなく、キリスト教を題材にした作品も手がけるようになっていきました。
1955年以降は、抽象表現の世界に足を踏み入れていきました。
多くの国際展覧会に作品を出品するようになり、1961年には文化勲章を受賞しています。
1966年には自身の作品を展示する堂本美術館を、自らがデザインして開館しました。
堂本印象の代表作
さまざまなジャンルの作品を描いた堂本印象の作品は、現代にも数多く残されています。
『木華開耶媛』
『木華開耶媛』は、古事記に登場する木の華のように麗しい女神をモデルに描かれた作品です。
木華開耶媛は、山をつかさどる大山祇神の娘であり、天照大神の孫である邇邇芸命の妻となった人物です。
また、安産の神や美しい花を咲かせる春の女神としても親しまれています。
『木華開耶媛』では、桜・タンポポ・ゼンマイ・ツクシなど春の草花が満開になっている野で、純白の衣を纏って座っている姿が描かれています。
その姿は、古代の情緒あふれる神秘性や官能性を漂わせているのが特徴です。
『疑惑』
『疑惑』は、渡欧後のパリ滞在中に目にした移動民族をモチーフにした作品です。
描かれている小屋は、車で引く移動住宅となっており、放浪生活の様子が描かれています。
小屋には「手相、カルタ、水晶球・恋愛、結婚、遺産、運勢占います。」と書かれており、占い小屋をしながら旅していると想像できるでしょう。
この作品で表現されているのは、戦後の社会状況を反映した中心の喪失であるといわれています。
『交響』
『交響』は、堂本印象が文化勲章を受章した年に制作された代表作です。
楽譜を印象なりに解釈して、絵の中には印象が捉えた交響曲が表現されています。
交わり、重なり、つながった線の濃淡により、画面に三次元的な空間を創り出しています。
墨や絵の具の飛沫や背後を彩る繊細な色彩が、交響曲の波動を感じさせてくれているようです。
情感あふれる墨線や、日本画特有の素材である紙本や顔料の質感なども楽しめる作品です。